吸血鬼



 どうやら今晩の教授はすこぶる調子が悪いらしい。
「...」
 私はソファの影に身を潜め様子を伺う。
 雨季でもないのにじめじめしたセブルス・スネイプの研究室。同地下1階じ階にはスリザリンの寮や厨房があるがここまで湿気ていない。スネイプ教授の居座るこの研究室と魔法薬学の教室だけがキノコやコケが生えそうなほどじめじめとしている。
『部屋の主がどれほど陰湿かを体現している』と生徒の間では陰口をたたかれる始末だ。
(居心地...いいのになあ)
 どこかひんやりとする薬臭いソファに顔をひっつけた。
 それと同時に陶器のぶつかる音と舌打ちが聞こえた。
「っ...」
 私はさっきと同じようにソファの裏から教授を眺めた。...さっきより眉間の皺が深い。それに奥歯を噛みしめている。その人相の怖さをどう言い表そう?
 ガシャン
また陶器のぶつかる音。
(...さっきから空のカップをソーサーにぶつけて何やってるんだろう。)
 すっかり飲みきってしまった紅茶のカップはもう香りすらしないだろう。
 薄暗い研究室、とっても機嫌の悪いスネイプ教授、舌打ち、極めつけに謎の奇行。生徒の誰かがこの現場を目撃したのなら卒倒ものだろう。ホラーなトラウマもいいところ。
「先生。」
 私は見ていられず、教授に声をかけた。

「シャワーは十分堪能できましたかな...。」
「おかげさまで。」
 怖い。こちらを見た目が据わっている。
「大丈夫?」
 ソファから体を乗り出して問いかけると力ない声で「ああ」とかえって来た。大丈夫じゃないですよね、先生。
 手に持っていたカップを台に置き、こめかみに手を当てながら教授はこちらへやってきた。
そして私の横にどさっと腰を下す。
「具合が悪いんですか?」
「問題ない。」
いつも以上に土色をした顔のどこか大丈夫なのか。俯いたままの教授の髪をカーテンのように捲った。
「大丈夫?」
 深い森の沼のように濁った眼にもう一度そう尋ねた。床を眺めていた目はそっとこちらへ向く。
「...あまり近づくな。」
「? あー...」
 ここでやっと、私はうっかりと忘れていた事柄を思い出した。教授がこんなにもダウンしている理由。今日は満月なのだ。
 この地下の部屋には窓が一切存在しないので外を伺い知ることが出来ないがおそらく外は月明かりと夜の帳が折り混じって綺麗なんだろう。残念ながら教授はそんな夜が大の苦手だ。
「血、飲みます?」
「...いらぬ。」
 教授は吸血鬼の血を少なからず継いでいるのだ。人狼のように変身などはしないが彼らのように血が騒ぐらしい。
 左手を彼の目の前に差し出したがぺしん、とはたき落された。
「飲んだら楽になるんでしょう?いいですよ、あとで治してくれるのなら。」
 私はもう一度手を差し出す。
「...無事に明日の太陽を拝みたくば今すぐ寮に帰れ。」
「そこは先生の手加減しだいです。」
「...お前が人一倍頭が悪いのを失念していた。」
 そっけない言葉とは裏腹に教授は私の差し出した手を引き、私の体ごと懐へ丸め込んだ。
「薬は飲んだ。そのせいで体が怠いのだ。」
 もしこんな彼を姿を人狼の誰かが見たのなら面目は丸つぶれだろう。何しろ教授は脱狼薬を作る際、いつも人狼をけちょんけちょんに罵っている。聞いてるこちらが人狼を哀れに思ってしまうほどに。
(血、飲んでしまえばいいのに。)
 人狼が狩る本能だとするならば、吸血鬼はそのまま吸血する本能を有する。たとえ満月の夜だとしても血を好む以外は何らいつものセブルス・スネイプと変わらない。血の滴る肉でもかじっていれば欲は満たされる。
 それなのにこんなに苦しんでいるのは、人としてあろうとする教授の意地による。私はこんな子供っぽい教授の人間臭さが大好きだ。それ故にちょっかいを出さずにはいられない。

 首に教授の特徴的な鷲鼻が当たる。耳に聞こえるほど荒い息が鼻から漏れて、私のうなじを流れていく。
「...実にいい香りがする。」
 首を走る血管を鼻先でなぞる。
「こそばゆい。」
 さわさわと与えられる刺激に背筋がぞくりとする。これは快感ではなく悪寒に近い。
 そして、一呼吸置いてから首に噛みつかれた。
「!」
 私は驚いて身を固くした。それでも教授は何度か同じ場所を噛む。がぶり、がぶり、という擬音語がよく似合う。
「は、」
 何度か噛んでから口を離して、舐めてからもう一度咥えて。
「先生...?」
 まさか吸血鬼物語よろしく私の首から吸血するつもりなのだろうか。いや、それにしては噛み方が甘い。動物が仲間内でじゃれて噛みあうあれとよく似ている。
 教授の噛みつきは次第に場所を移動していく。首は飽きたのか次は肩、そして鎖骨。血が滲むことはないが痕が残る程度の攻撃を教授は続ける。
 教授の顔が胸のところまできて、やっとその顔が視界に入ったので首を曲げてのぞくと何とも苦しげな顔をしていた。まるで、情事の時の用な欲望を押さえている切ない顔。柄にもなく額にひっついた丸い珠の汗にどきりとする。
「...噛みついて血を吸ってもいいですよ?」
 かのドラキュラ伯爵のように。
 一度、教授から体を離してから惑わせるために下から覗き込む。
「...」
 馬鹿だとかそういう愚痴を言いたそうに、教授は私を睨んだ。
「ほら、ほら。」
 ぱさぱさとスカートの裾をはためかせる。風呂上り特有の石鹸の香りがした。
 どうだ!と挑発しているとぽてん、と後ろに倒される。
「先生、堪えが足りませんよ。」
 んふふ、と含み笑うと「誘ったのはそちらだ」と唇を貪られた。
 ハイソックスをゆるゆると下ろし、足をあらわにさせられる。手と手を組むように、足の指の間に手を差し入れて絡める。指の骨の軋みがマッサージのようで気持ちがいい。それから、教授は空いたほうの足のひざ裏を持ち上げて太ももの裏を噛んだ。歯触りが気に入ったのか熱心に頬張っている。
「犬の相手をしてる気分です。」
 がぶがぶと太ももに執着する彼に手を伸ばしてしっとりとした黒髪を撫でる。
「失礼な。」
 くぐもった声がびりびりと太ももに伝わって腰がじんとした。
 太ももをたっぷり堪能した教授はカーディガンとシャツを捲りあげ、スカートのホックをはずした。私が横を向こうとソファで身を擦るとスカートがずれ、股関節が露わになった。
 背中、脇腹、腰と順番に口づけそして噛みついていく。キスの痕跡よりも歯型がくっきり付いているのだからなんとも色気に欠ける。
 教授はショーツの縁に指を引っかけて、申し訳程度に身についたままのスカートごとずるりと下した。
かぷり。
「い!!」
 お尻の、丸く肉がのっている頂
に何かが刺さる感触。
「...私のお尻によくも!」
 お尻に噛みつかれたとすぐに分かった。首も胸も太ももも、他のどの場所を噛まれたって何ともなかったけれど、お尻だけはどうにも恥ずかしくてしかたない。
 顔を真っ赤にして後ろを振り向き、ぎゃんぎゃんと教授に吠える。その教授はといえば先ほどとはくらべものにならないほど顔色が回復しているではないか。にたり、と吊り上った口元に大人の色気が漏れている。ホグワーツの誰に説明してもきっと信じてくれないだろうセクシーなスネイプ教授がそこにいた。
「噛みついて血を吸っていいと言ったのはどこの間抜けでしたかな。」
「!」
 確かにさっき言いました。その間抜けは考えるまでもなく私です。
「でもこんなとこ噛むなんて...信じられない!」
「? なんだ、痛かったのか。」
「違う!」
 本気なのかわざとなのか見当違いの事を言う。
「すると気持ちよかったのか。とんだ変態ですな。」
「違う!!」
 じたばたと足をばたつかせると教授のお腹に当たった。「ぐっ」と苦しそうな短い嗚咽を漏らしたあと、私の目の前に杖を突きつけた。
「お前は何がしたいのだ。吾輩に蹴りを入れるのが目的なのか。」
 教授の黒い杖の先がワルツを踊るようにくるりと踊ると、私の背中のほうでブチブチと布が裂ける音が聞こえた。何がどうなっているのか考えていると両の二の腕にソファと同じ色をした糸が何本にも連なって絡みついた。どうせ教授の仕業なので逃れる気はないが、一応精一杯の力で腕を引っ張ってみるが抜け出せそうにない。
 こんなにがっしりとした束縛なのに痛くないところが教授のいいところ。
「...もうずいぶん元気そうですね。」
 私の上に乗って笑顔を浮かべている教授に皮肉を含めて言った。
「おかげさまで気分がよくなった。これからは普段通り貴様の相手をしてやれますぞ。」
 教授はそう言って揚々と私の拘束された二の腕にきつく吸い付いてヒルのような鬱血の痕を作った。
 翌朝、鏡にうつるたくさんの歯型とさらに色の濃くなった二の腕の鬱血を見て、まるで猟奇殺人の被害者みたいだなあと息を飲んだ。


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mokuji

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