6月の願い事



「ねェ、クザン。いい事教えてあげようか〜。」
「なになに。教えて。」


 久しぶりに花を買った。うんと甘いケーキも。あとそれとあれも持った。

 俺は海軍本部の廊下を進んで執務室を目指した。
 なんでこう、ここの廊下は冷たいんだろうか。人がいないわけじゃない。書類の山を持った一般海兵とよくすれ違うし、たまに海に出る指揮官クラスの海兵ともすれ違う。俺が大将という席に尻を乗っけてるせいで向こうは仰々しく挨拶をしてくれるし、むしろ暑苦しいくらいなのに。心が冷めるような感覚はどこからくるんだ。

 ガチャリ、とドアノブをひねって扉を開いた。
「おはよ。」
「おはよ、じゃないです。今何時だと思ってるんですか?!」
 夕方の16時が過ぎてるね。
 廊下とは打って変わって暖かな空気に満ちた部屋。その中心はスズだ。この空間を欲してやまないゆえに廊下を侘しいと思うのかもしれない。
「ちょっと外で仕事してたの。はい、お土産。」
「わお。ケーキ。それにお花。」
 スズはすぐさま何処からともなくバケツを持ってきて俺が渡した花を突っ込んだ。
「あとで花瓶に活けてあげなくては。クザンさんもお部屋に一つどうですか?」
「じゃあお願いしようかな。」
 花のある生活は悪くない。

「せっかくケーキを買ってきて頂いたので紅茶でも入れますね。それともコーヒーのほうがいいですか?」
 うーん、そうだなァ。
 俺は買ってきたホールケーキをまじまじと眺める。宝石のようなたくさんのフルーツを乗せたそれは個性の強いコーヒーと一緒に楽しむにはもったいないだろう。
「紅茶。」
「はい。では淹れてきますね。ダージリンでいいですか?」
「任せる。」
 スズはパタパタと可愛らしい足音を立てて給湯室へと向かった。
 彼女の後姿を見送ってから、ポケットにつっこんだ小さい箱をいじる。さて、これをどうしたものか。
「ひとまずこれ、切るか。」
 目の前の宝石箱のようなケーキを切るために彼女の後を追った。

「お待たせしました。どうぞ。」
「ありがとう。」
 ふわり、と湯気が空中を泳ぐ。
 嗅いだことのない香りに俺はふと首をかしげた。それを見た彼女がすぐに答えをくれる。
「ああ、この間手に入れた私の秘蔵っ子です。クザンさんにお出しするのは初めてですね。20グラム程度しか手に入れることが出来なかったので私の紅茶コレクションの中では特に貴重なんですよ。」
 .....嬉しそうに話すスズが何とも可愛い。なのに、
「ほう.....。」
 紅茶を一口飲んでからの、この息をつく仕草。落ち着いた大人の雰囲気が漂っていてこれまた素敵。
「一気に飲んでしまいたいけれど、飲んでしまうのが惜しい。」
 スズはふにゃりと頬を緩ませて目を輝かせた。そんなに?
 彼女にならって一口、口に含んで飲み込んだ。
「うん、美味い。」
「でしょう。」
 本当に美味しい。もちろん紅茶らしい風味はあるが、それ以上に花に滴る朝露を集めて搾ったような。豊かな花の香り。
「ブーケみたい。」
「ん。いい例えです。」
 重すぎず、軽くさっぱりとした優しい香りに思わず目を閉じた。
 目を閉じたはいいが、脳裏をポケットの中の小さな箱がかすめた。ポケットに手を突っ込み所在を確認する。大丈夫、ちゃんとある。...ええい、お前の出番はまだだ!

 先ほど切り分けたケーキを彼女は綺麗にフォークで切り分けて口に運んだ。
「.....。」
 もぐもぐと頬を揺らせてからごくりと飲み込み、スズは睫を瞬かせた。
「美味しい....!」
 どうやらいたく気に入ったらしい。
「甘いスポンジなのに、どんどん食べたくなっちゃいます!上に乗ってるフルーツのせいですかねえ。べったりしてなくてそれでも果汁が口に!」
「好きなだけ食べなさいな。」
 残ったケーキの土台を少し押して彼女へ近づけた。
「とっても嬉しいですけど、私まんまるになっちゃいますよ?」
 スズは自分の両手でぽっこりと出たお腹のジェスチャーを送ってきた。
「いいじゃない、太りなよ。」
「....女性の敵ですね。クザンさん。」
 やだやだ、と言いたそうな素振りをしながら彼女はケーキを口に運んだ。
 なんだかんだ言いながら、明日の今頃にはケーキは全部なくなってるだろう。

「....ところでクザンさん。今日は偉くお土産が豪華ですね。何か後ろめたい事でも?」
 ごくん、とケーキを飲み込んでからスズは俺の顔を見据えてそう言った。さすが。鋭い。...いや、別に後ろめたいわけじゃあないけれど。
「その。....うん。」
「え?」
「別に大したことじゃないんだけど....。」
 散々いじくりまわした小箱をテーブルの上に置いた。
「?」
 ことん、と音を立てて置かれた箱をスズの好奇心に満ちた目が見つめる。
 その視線に食われる前に、ベルベットのような地をした小箱をそっと開いた。
「指輪?」
 中身を見て彼女はそう漏らした。そう、確かに中には小さな指輪が入っている。白金に小さなブルーダイヤと2つのダイヤが鎮座するシンプルな指輪だ。
「まさかこれもお土産ですか?いったいどこまで出かけてたんですか。」
 テーブルの上の指輪に近づいて彼女はまじまじとそれを眺める。しまった。ポケットから出してすぐ彼女の指にはめてしまえばよかったか。
 今更どうにもならないので、俺は立ち上がり、彼女のそばでしゃがみこんだ。

「スズ、結婚しよう。」
 そう言って、スズの左手を取った。

「え....えっ?」
 驚いて目を丸くして固まった彼女。絶対パニックになってる。
 頭の中が真っ白であろうスズに言葉をつづけた。
「誰よりも幸せにする。愛してる。」
 彼女の薬指に指輪をはめた。
「.....。」
 スズはキョトンとして声も上げない。あれ、まさか....断り文句考えてたり...なんて。うっ...背中を嫌な汗が伝った。
 放心状態のスズと頬をちょっと引き攣らせた俺が見つめ合う異様な光景。
 その状況を先に打ち壊したのはスズだった。

 ぽろり、ぽろり。
 大粒の涙が彼女の顔を流れて膝に落ちる。
「ふ....ぅ....ぅぇ...。」
 溢れる涙を拭うこともせず、スズは目を細めた。
 俺はあわてて胸ポケットからハンカチを取り出し彼女の代わりに涙をぬぐってやる。
「大丈夫?驚かせてすまない....。」
 泣かせるつもりなんてなかったのに。失敗した。途端に申し訳なくなってきた。
「あー...ほら、嫌なら断ったっていいから。」
 そんなことになったら代わりに俺が泣きそうだけれど。必死の笑顔を取り繕って、彼女の頭を撫でた。
「嫌なんかじゃ....嫌なわけ...、」
 スズは潤んだ目で俺を見てから、
「ないじゃないですかぁぁ....」
 うわーん、と天井を仰ぎまた泣いた。さっきよりも激しく、涙は流れた。
 その横で俺は小さく拳を握りしめた。嫌なわけない、つまりOKってことだよね。....よし。よし。
「じゃあほら、泣き止んで。」
 喜びからすっかり頬を緩ませた俺は毅然とした態度で彼女をなだめた。
「わぁぁぁん....」
 しかし泣き止む気配はない。

 子供のように遠慮なしに泣くスズを俺は抱き寄せた。
「泣き止んで。」
 彼女の右耳近くで呟く。
「....俺だって泣きそうなのに。」
 俺の言葉に反応してか彼女はピクリと肩を震わせる。
「嬉しくて泣きそうなのに。」
 つぶやいた右耳から首筋、肩と自らの鼻を擦り寄せた。スズが俺の胸を掴んでぎゅっと力を込めるのがわかった。
 ....あ、ダメだ。嬉しすぎて目頭熱くなってきた。
 一度鼻をすすって、涙腺の緩みをどうにか抑えた。

「....落ち着いた?」
 しばらくして、俺に引っ付くスズの涙はすっかり止まっていた。
「...はい、もう大丈夫です。」
 ずず、と鼻を鳴らしてからスズは服のヨレを正す。
「ごめんなさい....びっくりして、嬉しくって....。」
 頭が真っ白になって気付いたら泣いていた、と語った。
 じゃあもう一度聞いておこうか。
 俺はまた彼女の右耳に顔を寄せて呟いた。

「本当に、いいの?」

 じわじわと耳が赤くなっていくので少し離れて彼女の顔全体を伺い見ればそのすべてが赤く染まっていた。
 スズはおずおずと自らの左手を胸の前で抱きしめて

「はい、喜んで!」

 真っ赤な顔でそう微笑んだ。

 俺の愛しい6月の花嫁。



「ねェ、クザン。いい事教えてあげようか〜。」
「なになに。教えて。」
「何か頼みごとをするときは相手の右の耳にむけて話しかけるといいらしいよォ〜。」
「へえ!」
「.....ところでさァ。そのポケットに突っこんだままの指輪。いつまで寝かしとくつもりだい〜?」
「....そのうちだ、そのうち。」
「それ去年も一昨年も言ってたよねェ〜?」
「あー....タイミングってものがあってだなァ。」
「まァたそんなこと言って〜。今年も6月おわっちゃうよォ」
「......そんなこと言ったって、突然、そんな。」
「指輪を渡すのが気恥ずかしいならさァ〜、先に他の物を渡せばいいじゃない?」
「...ほう。ほう、なるほど。」


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mokuji

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