(クロアチアの凍てつく防波堤の写真より)



 ブーツのような形の島を横目に、灰色の世界の中を自転車は進む。
「雪が降りそうですね」
 すっぽりと被った分厚いフードの真ん中で、青い目が揺らぐ。
フードの隙間からこぼれた稲穂のような金の髪は冷たい風に晒され、ふわりふわりと舞った。
「クザンさん、寒くないんですか」
 もこもこの手袋で掴んでいるのは自転車の運転を担っているクザンの茶色いコート。自分の身に着けた分厚いものと比べると明らかに薄手だ。
「これくらいなら気にもならない」
 さすが、とスズは感嘆の声を上げた。何しろ目の前のこの大きな背中は絶対零度を帯びる背中なのだ。寒冷の頂点にいるような人間が「寒い」などといい笑いの種になろう。
「いいなあ。うらやましいなあ」
 スズは彼の背中に頭をを押し付けた。
「いたたたた」
「あ、ごめんなさい」
 どうやら先の戦いで負った火傷にクリーンヒットしたらしい。

 先の戦いとは同じ海軍大将だったサカズキとの戦いのことである。10日に及ぶこの戦いの勝者はサカズキであった。
 ボルサリーノに監禁されるように海楼石で身動きを封じられていたスズがクザンに会ったのは決着がついてから数日たったころ。クザンが立ち上がれるようになってからであった。
『海軍を、辞めるのですか』
『そうだよ』
『私は置いていくんですか』
『...そうだよ』
 部屋で荷物をまとめるクザンはそれ以上何も喋らなかった。大して大きくもない荷物を提げ、ドアの前にいるスズの横を通りすぎた。
『そっちがそんな身勝手するならこっちだって』

 いくつかの実力行使を持って、今こうしてスズはクザンのそばにいる。
「次の島では最初に暖かいスープでも食べましょうね」
 寒さに耐えかねてスズはクザンの背中にそっと引っ付いた。手袋をした手は彼のコートのポケットに突っ込む。クザンがペダルを踏み込む度に背中の筋肉が規則正しくうねるのを頬に感じる。
「寝ちゃだめだよ」
「ん、」
「ほら、もうすぐ着くから」
 その声にむくりと体を起こせば自転車を漕ぐ彼の背中の向こうに灰色の壁が連なって見えた。
 灰色の空、灰色の海、そして灰色の壁。いつから世界はこんなに色が少なくなったのだろうか、と考えていると徐々に島に近づくにつれ灰色の壁の向こうに朱色の屋根が見えてきた。
(ああそうか、ここは海戦の多いところなのか)
 城壁のようにそびえ立つ壁はところどころいびつな穴が開いている。おそらく大砲の弾に当たったのだろう。スズもクザンもこういった形跡には飽きるほど見たことがある。

 スズたちは海岸にぽつんと孤立して建てられた灯台のそばから陸へと上がった。
「ご飯もいいですが、先に泊まるところを探さなければいけませんね」
「そうだね。どうやら大きい国みたいだから宿には困らなそうだ」
 目の前に広がる壁は端が見えず、地平線まで続いているように思える。海から吹き付ける冷たい風がその壁を音を立てて撫でる。
 クザンもスズと同じように灰色の壁を見渡していたが不意に「あ」っと声を漏らした。
「どうかしましたか?」
「あー...」
 ほら、と彼が指差した先には黒地に赤い線の入った船。カバンの中から望遠鏡を取り出し覗くと髑髏の帆を掲げる海賊船であった。スズも望遠鏡を覗き「ほー」と声を漏らす。
「あの帆、知らねェなあ。手配書にある?」
「さあ...ちょっと探してみましょうか」
 いくつかあるカバンの中から手早く手配書を筒のように丸めた束を取り出すとそこにある顔を確認する。この手配書はスズが本部を出るときに持ってきたものだ。
「んん...それらしいのは見当たりません」
 眉間にしわが寄った。
「まあいいや。捕まえちゃおうか」
「そうですね。手配書出てればラッキーです」
 スズは自分の着ていた分厚いコートを丸めると手袋や耳当てとともにカバンに詰め込んだ。

翌日、この国の新聞には奇妙な凍てついた防波堤の写真とともに捕まった海賊の顔写真が掲載された。


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mokuji

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