いくら探してもこの腕は私の求める腕ではない。
(私、クザンさんに依存してる?)
 依存は弱点も同じ。
(...やだなあ。)
 気付いた自分の弱さを思考から振り払う。
 それにしても、イヴァンの抱擁は少し長すぎやしないだろうか。それに締まる腕に、いつの間にかドス黒い殺意が籠っている。親の仇の首を握るように肩に爪が立っている。
「ッ!」
 皮膚に血がにじむと同時にスズは膝を脱力させ、イヴァンの腕からするりと逃げる。強い抱擁も垂直の力には摩擦でしか抗えない。
 太ももが踵と接する前に、オオヤマネコに追われ雪原を跳ねるウサギよりも力強く、床を踏む。ヒールが床を引っかける音がした。
「!」
 イヴァンの首を掴み彼の重心が後ろへと崩れていくのを見計らってすらりとした脚をスズの靴のでひっ掛ける。彼の体がコマ送りで地面へと倒れていく間にスズはイヴァンの手に光るナイフを見た。
 真っ直ぐに自分へ向かってくるナイフをスズはじっと眺める。彼女の瞳孔は猫のように小さく収縮する。
 鼻先からの数センチ先に迫った切っ先のその向こう、イヴァンの手をその勢いを殺さないようパシンと弾き流す。少しずつ自分から離れていくナイフを持った手。それを下から握り掴むと相手へねじり込むようにして刃先をイヴァンの顔に突きつける。丁度彼の体が床にバウンドしたため瞬間的に彼の瞳とナイフは薄布1枚程度の距離に近づいた。
「...」
 イヴァンの見開いた目がゆっくりと瞼をおろし嘲笑するような形で自分に迫るナイフの先を見た。
「...敵いませんね。さすが海兵、よく訓練されている。」
「...」
 彼の差す『海兵』にクザンが含まれているのをスズは知らない。
「ドレスを着ていてもなお、お強い。」
 やれやれ、とイヴァンは溜息をついた。
「どうしてこんなことを?」
 スズの頭には瞬きをするくらいの短い時間で聞きたいことは山ほど積み上がっていた。
「あなたの狙いは私ですか?」
 なおナイフを眺めるイヴァンの目をスズは冷めた目で見つめる。微動だにしない視線と対照的に、イヴァンの唇は動いた。
「そうです。すべては貴方に死んでもらうための茶番です。」
 彼に出会ってから何度も聞いた優しい声音にのってその言葉はスズの耳に届いた。

「貴方が死んでくだされば、その躯をアナスタシア様とします。」

 にこり、と当たり障りのいい笑顔をしたイヴァンの顔にスズは思わずたじろいだ。
 続きを語ることはしないが、スズはイヴァンの意図はすぐにわかった。
『スズを殺してその亡骸をアナスタシアのものとし大臣の前につき出す。そしてアナスタシアを暗殺という魔の手から逃がす。』
 ぞっとする忠義。いや、それでもこれは当然なのだろう。目の前に供物として申し分ないスズが現れたのだから。
 力の抜けたスズを押しのけ、イヴァンは彼女の束縛から抜け出した。
「ユーリさんも、当の王女様もそう思っているのですか。」
 すべての行動が自分を殺すことに繋がっているのなら。自分は先刻、なんて悲しい時間を過ごしたのか。
「ユーリは知っています。ただ賛同はしていません。我が主に至っては何もご存じない。」
「殆どあなたの独断じゃあないですか。」
 スズは言葉に皮肉を込めた。
「ええ。それで十分ですよ。...まさか本部の大将もついてくるとは思っていませんでしたが。」
「ッ...」
 スズは唇を噛んだ。
「クザンさんにまで、手を出す気ですか。」
「邪魔となれば。無謀かもしれませんが。」
 無謀も無謀。ボロ衣のような末路が容易に想像できる。
「ふふ、無謀?まさにそうですね、戦力計算は苦手ですか?謀の基本がなってませんよ。あなたじゃ絶対に、クザンさんには勝てません。」
 自分にこんな醜悪な顔ができたのか、思うほどにスズの頬は吊り上る。
 クザンを殺すつもりなら、それこそ世界政府や海軍本部の上澄みにいるようなほんのわずかに存在する猛者を連れてくるべきだ。
「それでも、私は主のために勝たねばいけません。」
 イヴァンの意志は変わらない。まっすぐに澄んだ瞳の奥に、静かに炎が燃える。
 けれども笑止千万。スズとてここで殺される義理はない。
「愚かすぎて笑い声も出ません。」
 長いドレスを片手でたくし上げ、太ももに刺したベレッタを抜き取った。安全装置を指で押し下げ、撃った。
(あ。)
 鉛の弾はイヴァンの脳天すぐ上に着弾し、すぐさまスライドが薬莢を吐き出す。
「いまさら、脅しですか。それとも手元が狂いましたか?」
「いえ....ちょっと。」
 安全装置を上げ、熱くなった銃身に触れないようにホルスターにしまい込む。しばしの沈黙。
 かちり、と頭の中で何かがハマる音がした。
「...イヴァンさん、終わりよければ全て良し。全員そろってハッピーエンドできるいい方法がありますよ。」
 イヴァンの上から立ち上がり、スズは彼に手を差し出した。一変して衣装室で見たようなやわらかな雰囲気を漂わせるスズにイヴァンは無意識に眉を寄せた。
「どういうことですか。」
「いい事思いついた、ってやつですよ。」
 イヴァンは無邪気に微笑むスズの手をとった。


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mokuji


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