青いベルベットのドレスを身に纏い、そばに銀の髪の黒い燕尾服の男を連れて。スズはパーティ会場へ向かって歩いていた。慣れないヒールに足がもたつく。 「大丈夫ですか」 そばに控えたイヴァンがスズに尋ねる。 「...ああ」 「はい」と返事をしかけた口を自制してそっけない態度をとる。部屋を出た時から『アナスタシアの影武者』はすでに始まっているのだ。 自分が自分でない状況に、不謹慎だとは思いながらもスズの胸にはふつふつと高揚感が沸いた。他人になり替わる非現実への恍惚にいつ殺されるかわからない状況への緊張が加わる。
アナスタシアのフリをしてパーティーに参加すること。それがイヴァンがスズに頼んだ仕事である。暗殺の心配はあれど、スズはイヴァンに言われた通りに要人に会釈をするだけでいい。内容としては簡単なものだ。 パーティーに参加しないわけにいかないと言って聞かないアナスタシアはイヴァンが説き伏せた。 「『貴方様が参加した』という事実だけで良いはずです。それ以外に何かなさねばならぬ事がありましょうか。」 王女として参加することが重要なのであればスズが代わりに出席しても表向きは出席したことにはなる。これはアナスタシアが参加したところで何か重要な話し合いがなされるパーティーでもないのだから。 その言葉にアナスタシアは言い返せなかった。唇を噛むようにして押し黙るアナスタシアにイヴァンが手を握った。 「お願いします。」 アナスタシアの手の甲へイヴァンは額をひっつけた。その声が震えていたのを、周りの誰しもが聞いた。耳にざらりと残る悲痛なそれに押し負けるようにして、アナスタシアは渋々イヴァンの話をのんだ。
スズが気を付けるべきは3つ。アナスタシアではないとバレないこと、自らの命を守ること。 (そして、イヴァンさんの命を守ること。)
スズとイヴァンの居なくなった部屋ではクザンがネクタイを緩めていた。右手の人差し指を結び目に差し入れ、擦るように左右に揺らす。そうして緩んだ結び目をぐいと引くとネクタイは容易く抜け落ちる。 アナスタシアとその執事のユーリはその様子を見つめる。 「別によいぞ、あいつについて行っても。」 椅子にちょこんと座ったアナスタシアがクザンにそう言った。 「スズちゃんなら大丈夫。」 クザンはネクタイを律儀に折りたたんで先ほど脱いだ上着のポケットにしまいこんだ。 「...」 アナスタシアはそれ以上話さず、そばに控えるユーリは何やら複雑そうな顔で彼らのやり取りを傍観した。
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