28:メルティブラッド


 先刻のこと。
 クザンは月明かりの漏れる物置部屋でアナスタシアの言葉に耳を傾けていた。

「血友病という奇病を知っているか」
「いや...」
 クザンにとっていままで聞いたことのない病名だった。
「どういう病気なの?」
「血が止まりにくくなる」
 厳密には血が人よりうまく凝固してくれない病気。
「この国の王族にたまに出る病気なんだ。程度や症状は差があるがな」
 そう言っておもむろにアナスタシアはドレスの袖をめくった。肘まで露わにすると腕をクザンの前に差し出した。
「...」
 クザンはあまりの痛々しさに眉をひそめる。そして絶句した。
「お前は悪くない。それにただの内出血だ。薬を打てば問題ない」
 その細く白い腕にはまるで絵具で絵を描いたように大きな掌の痕があった。どう考えてもこれは、
(俺の手の痕)
 先ほどアナスタシアをスズと間違えたとき掴んだ痕そのものだ。クザンは顔を青くして口元を押さえた。
 そんなクザンに目もくれず、アナスタシアは懐から細長いケースを取り出す。ケースの中には小さな小瓶と注射器。それを慣れた手つきで取り出すと痛々しい腕に刺し込んだ。
「...悪い」
 クザンは地面にへたり込むように座り、アナスタシアへ謝罪した。
「悪いことなど何もない。今ここには罪悪は存在しない。」
「それを打ったら治るのか?」
「もちろんだ。打ち損じなければな。」
「...痕が残ったりしない?」
「しつこい奴じゃな。問題ないと言うたであろう?...ただ。これからはああいった事はご遠慮願う。ふん。貴様が思っている以上に我は寛大ぞ?」
 にやり、と愛らしく微笑む顔がスズのそれと酷似していた。



 「役立たずのアナスタシア。きっとそう返してくれるだろう」
 「役立たず...?」

アナスタシアはポツリポツリと昔のことを、この国の今に至るまでを話し始めた。

「幼少のころに遊んでいて掌に大きな切り傷ができた。それが治らず城の中は大騒ぎになった」
 灰色の瞳に影が差す。
「けれど、ある日この国に船が止まってな。そこの船医がやっとこの血を止めてくれた」
 道化師が白衣を纏ったような恰好の妙な人間だった。その人間は特異な血を持つアナスタシアの噂をどこから聞きつけたのか。いつの間にやら城に取り入っていた。
 ピエロは流れるアナスタシアの血を試験管に取り、興味深そうに眺め、そして『任せてくれ』と言った。誰もその言葉を信じはしなかったが、やれるものならやってみろとアナスタシアの母は言った。しかし何日かがすぎた朝、城にそのピエロは駆け込んできた。
 『出来ました』その場にいたすべての人間が疑いの目で男を注視したがその目を全く気にしていないかのように男は不自然な靴音を鳴らして、母の横に控えるアナスタシアの元へと歩く。
『腕を』懐から紫色をした液体の入った注射器を取り出した。躊躇せずアナスタシアの腕にそれを打とうとした彼を母が制した。
『待ちなさい。それは何』『薬ですよ薬。これでこの症状は治る』『それが本当という証拠はどこに?そのような怪しい薬を誰が信じるものですか』『じゃあ、証明いたしましょう』
医者はアナスタシアから血をシャーレに少し搾り取ると注射器の薬を一滴垂らした。
『よぉく見ててください。ああ、もういいか。しばしお待ちを』男は手を扇のように使いシャーレの中の血に風を送る。
『こんなもんですね。さぁどうです?固まったでしょう?普通の血と同じになったのです』医者はシャーレを傾けた。血は微動だにしない。確かに固まったようだ。
 母はそれでも訝しげに差す視線を変えない。『その薬は本当に安全なのですか』『ええ』『あなた、ためしに自分へ打ちなさいな』
そう言い放った母へ医者はぱちぱちと何回か瞬きした後『畏まりました』と薬を自分の腕へ投与した。
 『ほぉら。大丈夫でしょう?』

「あいつさえ来なければ...」
 スズに似た王女は長い睫をゆっくり閉じた。
「?」
 そのピエロが来なければ?
 クザンは彼女の次の言葉を待った。けれども「いや...」と制されそこで途切れる。
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mokuji


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