スズのいる部屋では引き続き、アナスタシア付きのもう一人の執事とのやり取りが続いていた。


「も、もう一回!お願いします!」

「ユーリさん」

「もう一回!」

「ユーリさん」

「口が引きつっています!さあ、微笑んで!はい、どうぞ!」

「ユーリ・・・さん・・・」

スズは先ほどから「ユーリさん」という言葉以外を発していない。
ユーリというのはこの執事の名前である。

「ああ・・・素晴らしい!」

同じ執事なのに、どうしてこうも違うのか。
この男の前にこの部屋にいたもう一人の纏う落ち着いた空気を思い出す。

(早く帰ってこないかな・・・)

スズは喉だけがほかの人間のものになったかのように動かした。
そのたびにユーリは喜びに飛び跳ねた。

『主は従者に「さん」などつけぬものですから!』

彼が喜ぶものだから、調子に乗った自分がバカだった。
スズは自分の招いたこの状況に、手の打ちどころを見いだせそうにもなかった。

(早く帰ってこないかな)


物静かなほうの執事を待ちわび、ドアのほうをじっと見つめていると
ドアからほんのり嗅いだことのある匂いが漂った。

(いい匂い)

甘い匂い。香水よりもずっとみずみずしいその匂い。
スズのすきっ腹にそれはよく効く匂いだった。

半ば陶酔するように、うっとりとしているとただ一色の暗黒色をしているはずのドアの鍵穴に、ちらりと黒が横切る。

(帰ってきた?)

それが生きた人間の影によるものだとすぐに判断したスズは期待に胸を膨らませた。

けれど影の主であるはずの執事は一向に部屋に踏み入ろうとしない。

(あれ?)

考えてみれば、彼の足音がしただろうか。
この石でできた城は良く足跡が反響する。なのにまったくの無音とは。

(・・・)

スズの期待は一気に不審へと急降下する。

「どうかしましたか?」

先ほどまで心ここにあらずとも口を動かして声を発していたはずのスズが黙り込んだので、ユーリは彼女に声をかけた。

「・・・」

声をかけたのに気付かないのか、スズは振り向かない。
もしかしたらついに頭にきて、無視を決め込まれたのか。そう思ったユーリは顔を覗き込む。

「っ」

彼女の冷たい眼差しに息をのんだ。
ろうそくの火が揺らぐたび、彼女の瞳が宿す零度の火も揺らぐ。

スズは座っていた椅子から音もなくゆっくり立ち上がると、おもむろにドレスの裾をまくりあげた。
執事があっけにとられているのを気にも留めず、ナイフを右手に掴めるだけ掴み、うち2本を指にはさむ。また、左手でベレッタ(9mm口径の拳銃)を持つ。

右手の小指の付け根でベレッタの上部をスライドさせ、いつでも撃てるようにした。

彼女の一連の動作を見ていたユーリの頭もゆっくりと思考が降下し、ドアの先に誰かがいることを察した。

(この方を危険に合わせるわけにもいかないな)

ユーリは腰に差していた剣を抜く。

スズの前まで音もなく歩み寄り、彼はスズの肩を叩いた。

「?」
「シ。」

歯の間から短く息を吐き、唇に人差し指をあてる。
何か言いたげな彼女の肩を押し、部屋の奥へと追いやった。

スズが十分後ろに下がったことを確認し、剣を目の前で構え、ドアのそばに控える。



ドアの外から、かすかな布擦れの音が聞こえた瞬間、ユーリは構えていた剣を侵入者を遮るようにドアの前に真一文字に差し出した。

「っ」

侵入者が小さく息を飲むのが離れたスズにもわかった。

ニヤァ

けれど、侵入者の下卑た笑みまでは口を覆う布のせいでわからなかった。
相手の剣先が風を切る音に遅れて特徴的な金属の残響音が響く。
虚を突かれたユーリは、その切っ先を避けきれず胸に受けた。

一部始終を見ていたスズは瞬間的に彼に走り寄った。
手に持っていたダガーナイフが床に散らばった。

突き刺さった剣を伝い、侵入者の腕をつかんだ。
侵入者の腕を押すようにしてユーリから剣を抜いた。

「このッ」

空いたほうの手でつかんだユーリの首から、自分を通り、侵入者へと傷を移す。
慣れ親しんだ激痛がチリチリと脳内を焦がした。

「なに、」

何が起こったのかわからない侵入者は小さな穴が開いた胸を力なく撫でる。
侵入者がいまだに剣を離さないので、スズは彼の手からそれを叩き落とす。そして床に落ちる前に足で蹴り上げ、自分の手に収めた。
細身の剣を男の首に突きつけ、男の左目の前に拳銃を突きつける。

「動いたら殺す」
「しゃべっても殺す」
「あなたがしていいのは息だけ」

狂ったように口元に笑みを浮かべてそういえば、侵入者は身動き一つせず黙り込んだ。

「大丈夫ですか?」

後ろへ座り込んでいるユーリへ背中から声をかける。

「え、ええ」

ユーリは自分の身に何が起きたのかわからず、刺されたはずの胸をぺたぺたと触り、ジャケットを脱いだ。
ジャケットの下のシャツに確かに血が滲んでいた。しかし開いた穴の向こうに肌色の、いつも通りの肌が見える。


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mokuji


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