先程自分の姿を見たハイテンションから落ち着きを取り戻した俺はソファに座る乙犬の膝の上で丸まっていた。暖かい。猫は暖かい場所が好きだから仕方なく乗っているんだ。それ以外の理由なんてない。
 あの事故もしくは事件と言うべき事態から数時間しか経ってないと思うととんでもなく濃い1日だ。
 それにしても落ち着いてきたからお腹がすいた。乙犬は携帯を弄っていてこちらをあまり気にしていない。リビングにはつけてあるテレビの音だけが響いている。
 ちらりと見た壁掛け時計に目をやる。もしあんな事件がなくて人間のままだったらとっくに食堂でご飯を食べている時間だ。そう思うと余計にお腹がすいてきた。とにかくこの空腹をどうにかする為に携帯に夢中な乙犬の気を引く為におとなしく膝に収まっていたが乙犬を見てみゃーと鳴く。

「どうした?」

「みゃー」

 携帯を見ていた乙犬の視線は俺に向けられる。見た事を確認しリビングにちょこんと置かれた餌皿の方を見て何度も鳴く。お腹すいたと気付けと。気付かれなかったら餌皿咥えて餌くれアピールをするしかない。

「あぁ、お腹空いたのか?」

「みゃー!」

 そう、その言葉待ってましたとの如くみゃーと鳴き、体をおこし尻尾を垂直に立て肯定をする。
 乙犬は俺を床に下ろし座っていたソファから立ち上がると先程ペットショップで買った袋から仔猫用の餌を取り出していた。仔猫用のドライフード、別名カリカリと言われたりもするやつだ。餌皿にこの位かと乙犬が煎れてくれたのを見て餌皿に飛び付く。
 乙犬がもう1つの受け皿を持ってキッチンへ行ったのを横目で見つつ、カリカリと言う音と共に咀嚼してみた所、口に合わなくて食べるのを止めてしまった。
 猫としての本能なのだろうか美味しそうに思えるのに味がどうしても受け付けない。猫の身体になったので人間の食べ物の方が受け付けないのではと思っていたがその考えはハズレたようだ。
 このまま無理をして食べると吐きそう。人間の時よりも嗅覚やらは敏感になったと思えるがどうやら味覚は人間時の好みのままらしい。
 水飲み用の受け皿に水を入れて戻ってきた乙犬は餌を食べるのを止めてしまった俺を見ている。

「どうした嫌いか?」

「………………にゃー」

 食べなくてはと思いカリカリを口元に近づけるがどうしても食は進まない。せっかく乙犬が買ってくれた物を食べないのはなんだか申し話なくて、無意識の内に尻尾はだらんと下がった。そんな俺を見てか乙犬は頭を優しく撫でる。

「カリカリは嫌か、鮪缶なら食うか…」

 ドライフードをいれた餌皿を乙犬はごみ箱へ持っていきドライフードを捨てる。そして猫用の鮪缶をあけ餌皿に入れ床に置く。ふんふんと匂いを嗅ぐとツナみたいな美味しそうな匂いがしてはぐはぐと食い付く。人間として養ってきた味覚とすればこの鮪缶は人の物と比べると味は薄いので贅沢言うなら醤油が欲しい。しかしながらドライフードの何倍も美味く、空腹だった俺はぺろりと鮪缶を食べきった。

「カリカリ嫌とか贅沢だなお前は……鮪缶は美味しかったか?」

「にゃー」

 ドライフードにくらべたらそれはそれはと思い尻尾を垂直に立てた。


 餌を貰い、人間なら到底足りない量だが猫の胃袋ではあれで満足な量らしく満腹になった俺はソファの上で丸まって微睡む。
 そんな感じでうとうとしていたらいつの間にか乙犬は風呂に行っていたらしい。ふわっと香る石鹸とシャンプーの良い香りを漂わせた乙犬が俺の隣に座る。
 一応甘えておくかなんて、そんな算段をたて乙犬の脚をよじ登り先程と同じように膝に丸まって座る。直接密着したことにより風呂上がりの良い匂いが増し、羨ましく思う。今は猫だがやはり人としては1日一回は風呂に入りたいものである。明日は乙犬が風呂に入ってる所を乱入するのもありかもしれない。

「そうだ、お前にやる」

 乙犬の膝の上で何をくれるんだ?と乙犬の動向を探る。乙犬はソファの前に置いてあるテーブルの上から物を取る。
 それは柔らかそうなコットン生地で出来た赤いギンガムチェック柄の猫用の首輪だった。極めつけに正面に大きなリボンが付いている。

「店で見た時お前に似合いそうだと思って。可愛いだろ?チャームもつけられるから今度これに合いそうな鈴も付けような」

 苦しくないよう調節をして首輪を付けられ、一応雄なのだから出来ればシンプルかカッコいい物が良かったが、確かにさっき鏡で見たあの猫ならこれは似合うだろう。

「やっぱり似合うな。捨て猫と間違われないように一応な」

「みゃー」

 一応お礼を言うようにみゃーと鳴いておく。やっぱりこいつ猫好きなのか?扱いも慣れてるし、首輪もだけど猫用のおもちゃもそういえば買い込んでいた気がする。

「にしてもずっとお前って呼ぶのもあれだし名前考えないとな。安易だけど猫だしタマとかどうだ?」

 タマ、その呼び名にどきりとする。なんと言ってもよく俺が知り合いに呼ばれる愛称である。
 名字に猫という字があり下の名前が珠樹というせいもあってタマという渾名がついていてクラスメイトや仲の良い友達はそう呼ぶ事が多い。
 乙犬にその渾名で呼ばれるのは複雑だが、少し考えて自分の名前から遥かに離れた名前よりは反応はしやすいだろう。それで良いというかのように、にゃーと鳴き尻尾を垂直に立てた。

「気に入ったか?なんかお前見てると実家の猫を見ている気分になって放っておけないんだよな。なんでだろうな?」

喉を撫でられたことにより、リラックスし自然と目が細くなる。実家の猫と言うの単語に猫の扱いに馴れている事に納得した。
 やっぱり、実家で猫を飼っているようだし乙犬は猫が好きなのだろう。膝の上でごろごろ喉を鳴らしている内に深い眠りについていった。


 今朝は朝早く起床したのに朝方の騒動もあり、なんだかんだ8時を過ぎるいい時間になっていた。

 乙犬は普段自炊をしているのか手際よく朝御飯を作ると、今度は俺の餌皿に猫缶を盛った。朝の騒動時俺がみゃーみゃーとだいぶ愚図ったせいか昨日より何故か高そうな猫缶を開け乙犬も朝御飯を食べ始めた。
 まさにこれぞ日本の朝食、豆腐とワカメのみそ汁にだし巻き玉子メインは焼き鮭そして白米と言ったラインナップである。
 食べたい。確かに今食べている猫缶は昨日より美味しいがやはり味は薄い。そのせいかやけにみそ汁や焼き鮭の良い匂いが鼻をくすぐって辛かった。

 はぐはぐと猫缶を食べつつ、忘れようと思っても朝の騒動が未だにささくれだって心の中で引っ掛かっている。
 最初はただただ悲しかっただけだったのが、だんだん腹が立ってきてそれは無意識に尻尾が左右に大きくバタバタ揺れ俺は怒ってるぞと顕著に表れていた。
 そんな俺の様子を見てか朝食を食べ終わっても乙犬は俺を構ってこなかった。

 食器を洗い、俺の飲み水を新しく変え、きっちりと制服を着込み終えると、昼にまた帰ると俺にわざわざ言って乙犬は学校へと向かっていった。朝以降リビングと寝室の扉は開けたまま、そして寝室にもペットシーツを引いてだ。

 ぽつんと部屋に一人取り残されると急に心細くなる。それは何故猫になってしまったのか、このまま猫の姿で人間に戻れないのではないかとそんな不安があるからだろうかと思考を巡らせている内に急激な睡魔に襲われる。
 きっと猫の習性の個人差はあれど1日の内の約16時間は寝ていて、その上仔猫はそれよりもよく寝るせいなのだろう。ふらふらとベッドによじ登り乙犬の匂いのするふかふかのベッドの上で眠りについた。

 それから何時間経ったのかわからないが、リビングからした物音で目が覚め、リビングへと向かうと乙犬が寮へと帰って来たようだ。
 どうやら昼になったらしい。同じクラスである俺と乙犬であるが、出欠の際に俺が昨日外出したっきり戻ってないという話題が少しは出たりしただろうか。俺は門限破ったうえ無断外泊そして無断欠席になっている筈だ。
 全寮制という学校だからなのだろうか、一応この寮は毎晩風紀委員と寮長達によってローテーション制の当番で点呼をしている。なので昨日は帰って来てない事は既に証明されている筈だ。
 そしてあの事故で人間から猫になったわけだし誰かにどうやっても連絡を取る術を持たないので当然だれにもこの顛末は伝えられていないのである。
 なのでもう暫くすれば連絡がつかず失踪疑惑が出るに違いない。そうすれば必ず親に連絡はいく。それを今はただ待つしかない。

 なんて乙犬の方を見ながら考え事をしていると、乙犬は餌皿に猫缶を開け俺の頭をひと撫ですると、購買部で買ってきたのであろう惣菜パンを食べ始めた。
 ほぼほぼ乙犬がいなくなってからただ寝ていただけなのにお腹は空いていて、ありがたく猫缶をいただく。
 記憶を思い起こせば乙犬は確か昼はいつも食堂でご飯を食べていた。それなのにわざわざ俺の為に寮へと帰って来て惣菜パンを食べているかと思うと昨日に引き続きまた申し訳なさを感じた。



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