す、と深く取り込んだ酸素が身体中に行き渡って、背筋がしゃんと伸びる。

世界の色が僅かに変わる気さえする。


このどこもかしこも大きく造られた船の中で、一層大きく造られたこの扉の前に立つときは、いつもそんな気分になって。



愛おしい気持ちは、どんどん膨れていくのです。



マルコさんがカツリカツリとグラディエータの音を響かせて数歩前に出る。
緩く握った拳を肩の辺りまで上げて、大きな扉を二度ノックして木の独特の音を響かせれば、
間髪入れずに低くお腹の底に響く声が入室を促した。

は、と息を吐いて服の皺を手で伸ばす。
愉快そうに片眉を上げたマルコさんが、「なんだい、まだ緊張すんのかい」と笑い声を喉の奥で転がした。

「だって…なんかこう、白ひげさんの前では襟を正さなきゃって気分になると言いますか、」

あの目で真っ直ぐに見つめられても恥ずかしくない自分でいたいとおもうんです、と。
目の前の一番上を見るのが大変なくらい大きな扉を見つめてそう言えば、
破顔したマルコさんがぐしゃぐしゃとわたしの頭を撫でる。
うわ、ちょっと、正にいまから白ひげさんに会うというのに!なんだって言うの、今朝から!

「ちょ、マルコさんわたしの話聞いてました?!」
「可愛いこと言うお前が悪ィよい。」
「は?か、…………ッ?!!」

この…ッ、天然タラシめ…!!
ああもう、ああもう!
顔、熱い。頭、真っ白。動悸息切れ、激しい。

いまわたしの頭は完全に白ひげさんと会うモードだったのに…!マルコさんの馬鹿馬鹿バナナ!
マルコさんを睨みながらぐしゃぐしゃの頭を乱暴な動作で直していけば、可笑しくて堪らないといった風にマルコさんが笑う。

結局真っ赤な顔で入室する羽目になったわたしは、総てを見透かしたようにニヤリと口角を上げた白ひげさんの
「なんだお前ェら、入ってくるまでに随分掛かったじゃねェか」と言う言葉に
本当に顔から火が出るんじゃないかってくらい赤面した。
飄々といつもと同じ顔で、声で、「あァ、待たせて悪かったよい」なんて返すマルコさんが小憎らしくてギッと睨む。

「…で?島の様子はどうだった。」
「この前ドーマの一団から聞いた通りだねェ。物資は充分に補給出来そうだ。」
「そうか。…馬鹿息子共が喜びそうなモンはありそうか?」
「さあ、どうだろうなァ。のんびりした田舎町だったからな。」

とりあえず酒場は確保してきたから、あとは自由にやるだろい。

薬や医療用の消耗品はどうだとか、デカい林があったから木材も多少は、とか、
ぽんぽんと交わされる会話に、白ひげさんからマルコさんへの信頼度と、その信頼に応えるだけの器を、マルコさんに感じる。

(…隊長さん、て感じだなぁ。)

扉を潜る前とは別人のような横顔を、ぼんやりと眺める。
なんか流れで一緒に来てしまったけど、わたし来なくてもよかったんじゃないかな、なんてことを考えていると、
白ひげさんの視線が突然わたしに向けられ、ヒロ、と名前を呼ばれて、一気に背筋が伸びた。

「うわ、はい!なんでしょう?」
「グララ、いつまで緊張してんだ、お前ェは。」
「あ、はは、」

「…お前の目から見た島はどう見えたのか、聞きてェなァ。」

やっぱり総てを見透かされそうな瞳に射抜かれるように見据えられて、小さく息を呑む。

「…あ、えと、お役に立てるようなことが言えるかわかりませんけど、」
「構やしねェよ、言ってみろ。」
「食べ物屋さんが沢山あったのと、えぇと、手芸屋さんも大きなところがあったんで、
糸とか端切れとか買い足していただけると嬉しいな、とか、」

あとはナースさん達が喜びそうな基礎化粧品とかアロマのお店があったとか、
手芸が盛んなせいか服屋さんも割とあったようにおもうとか、
我ながらああなんか役立ちそうも無いなぁとおもうようなことしか言えない自分がなんだか歯痒い。

それでもただ耳を傾けてくれる白ひげさんとマルコさんに、緊張でドキドキと騒ぐ心臓を抑えつつ気付いたことを口にしていく。

「…あと、これは本当にわたしがなんとなく感じただけですけど、」

町のひと達の雰囲気が少しだけここのひと達に似てて、なんだかほっとしました。


自然と笑みの形をつくる口元もそのままにそう告げられば、僅かに見開かれた四つの瞳。
…あれ、わたしもしかして失礼なことを言っちゃったんだろうか。
ああ、そうだよね、これだけ"家族"を大切にしている人達だもの、
まだ船に乗ってひと月程度のわたしがそんな解った風な口きいたら不愉快かも。
そう考えたら、なんだか身体中からさっと血の気がひいた気がした。

「あ、の、すみませ、」

慌てて謝罪の言葉を口にすれば、わたしの頭上には大きな影が差して、影に見合うだけの大きな手に優しく頭を撫でられる。
ぱちりと視線の絡んだその瞳には穏やかな色が広がっていて、
三日月型の立派なお髭の下から覗く口は髭の形に添うように孤を描いていた。
怒られることを覚悟して身構えていたわたしには予想外の出来事すぎて
頭の中いっぱいに疑問符を浮かべていれば、マルコさんになんて顔してんだよいと笑われる。

「…へ、あの、失礼なこと言っちゃったのかも、って、」
「いまの言葉のどこにそんなもんがあったんだい。」
「や、だって、」
「…おれ達は、海の嫌われ者だからよい。」

この船の奴らが聞いたら、きっと皆喜ぶ。

くしゃりと、目尻の皺を深くして笑って頬を撫でてくれるマルコさんに、
相変わらず優しく頭を撫でてくれる白ひげさんに、
じくじくと喉の奥が痛んで、同時に胸が暖かいもので満たされていく不思議な感覚に、
目頭に熱いものが込み上げてくるのを感じた。


…こんなにも暖かくて、こんなにも優しいひと達を、わたしは他に知らないのに。


















そんな顔をして、自分達のことを嫌われ者だなんて言わないで。

(グララララ!なにを泣きそうな面ァしてんだ、お前は。)
(して、ません、ッ)
(ヒロは頑固で泣き虫だからねェ。)
(違、泣き虫なんかじゃ、)
(へェ、じゃァいまにも目からこぼれ落ちそうなそれはなんだよい。)
(こ、れは、あれです、鼻水、です!)
(グララララララ!!)




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