ふと目が醒める。
部屋の中は真っ暗で、まだ目覚めるような時間じゃないことを示していた。

あれ、そもそもいつの間に寝たんだっけなと考えて、
ああそうだ、確かマルコさんが運んでくれたんだ、と思い至る。



途方もない、



あ、マルコさんて言えば、わたし随分都合のいい夢見たなぁ。
ずっとおれの傍にいろ、なんて、プロポーズ紛いの台詞を囁かれる夢。
ふふ、と自然と緩む口許もそのままにごろりと寝返りを打つも、そこには誰も居なくて。

(…そういえば、もう一度偵察に行くんだって言ってたっけ、)

なんとなく、肌寒いような気分になって、シーツに包まり直して
身体を丸めて目を閉じれば、意識はあっけなく夢に沈んだ。





次に目を醒ましたのは、自然に意識が浮上したとかじゃなくて
強い力に腕を引かれて無理矢理身体を引き起こされたことによってだった。

「、? な、に…?」

自慢じゃないけど、わたしは寝起きが悪い。
まだちゃんと開きもしない瞼を擦って無理矢理意識を浮上させれば
どうやら庇われるように誰かの背中の後ろにいるようだった。
少し視線を上げれば奇妙な金髪が揺れていて、その"誰か"が誰なのかは直ぐにわかったのだけど。

「…マルコさん…?」

なにがなんだかよくわからなくてマルコさんの名前を読んでみるも、こちらを振り向く気配は無い。
それどころか、ピリッとした空気が彼を包んで、その視線は射抜くようにとある箇所から動くことは無かった。

そんなマルコさんを訝しくおもいながら、彼の背中越しにその視線の先にあるものを見た瞬間、
眠気なんて微塵も残らず吹き飛んで、わたしはただただ目を見開く。



「、………本、」



寝起き云々とは関係無しに随分掠れた声で呟くと、いつからかマルコさんに握られていた手に力を籠められた。

そこにあったのは、昨日は確かに薄い雑誌しか無かった筈の小さな本棚に、
背表紙に見たことも無い文字が書かれた、辞書みたいな厚さの真っ白な本。


(…これを開いたら、帰れる、のかな…?)


ああでも、お世話になりっぱなしのモビーの皆に、何も言わずに帰るのはなぁ。

でも、…でも、これがもし、一度きりのチャンスとかだったら…?

でも、来たときに開いた本と大分装丁が違うんだけど、大丈夫なのかな。

でも、でも、と、ぐるぐるぐるぐる、目が回りそうなくらい色んな考えが浮かんでは消えて頭の中を駆け巡っていく。
息をするのも忘れて、こちらに来たときに開いたものとは色も厚みも全く違うそれを見つめた。

どうしようどうしようどうしたら。

焦りばかりが募って、マルコさんの手をぎゅうと握り返すと
相変わらず視線は本に向けたまま、痛みを感じるくらいにその手を握り締められる。


そのまま動けずに、ただひたすらマルコさんの手を握って本棚を凝視していれば、
どこからかふわりと吹いた風に攫われるようにして白い本は消えてしまった。

なんで、とか、どこに、とか、おもうことは沢山あるのに、
本が消えたのを認めて、知らず強張っていた身体の力が抜けて、ふ、と息を吐き出す。
刹那、繋いでいた手を強く引かれて、マルコさんの分厚い胸板に顔をしこたまぶつけた。

「、ぶ!…なん、」
「……帰んなくて、よかったのかい。」

いつかのように強打した鼻を摩りながらマルコさんの胸板を押して距離を取る途中、
なんですか、と続けようとした言葉は、被せるように発せられたマルコさんの声によって途切れる。
幾度か瞬きを繰り返したあと、眉根を寄せてへらりと笑えば、
マルコさんの眉間に寄せられっぱなしの皺が一層深くなった。

「そう、ですよねぇ…。はは、困っちゃいました。」
「…笑ってごまかすなよい。」
「…ごまかさせてくださいよ。」

マルコさんに二の腕を掴まれて、真っ直ぐ瞳を覗き込むようにされたままなのが
居心地が悪くて、それから逃れるように視線を落とす。



「…あの、」
「…ン?」
「マルコさんは、こっちの世界に帰ってきたときに開いた本の表紙って、覚えてます?」

暫くの沈黙のあと、どうにも引いてくれそうにないマルコさんの態度に、
本について考えついたなんとなくの仮説を、もう少し確信付けたいのもあって
意を決して強い瞳を見返して問い掛けると、マルコさんはなにか言いづらそうに
自身の顎髭を指の先で幾度か撫でたあと、あー…、と唸るような声を漏らした。

「お前の部屋は、ベッドにくっつけるように小せェ本棚が置いてあったろい。」
「…は?はぁ。」
「布団畳んだときにベッドに足が当たっちまってよい。」
「………え。まさか、」
「タイミングがいいって言うのか、悪いっていうのかねェ。」

その、"まさか"だよい。

わたしにしては意気込んでした質問に返ってきた答えがあんまり答えになってなかった上に、まさかの。

「おれが見たときには本が開いた状態で床の上に落ちてたんで、表紙の色だとかは見てねェ。」

悪ィな、と言いながら後ろ頭をガシガシと乱暴に掻くマルコさんに、なんとも言えない気持ちになる。

なんとなくの仮説がにっちもさっちもいかなくなっちゃったな、とか、
……マルコさんは自分で本を開いて帰ったんじゃなかったんだな、とか。
それがまた、嬉しいような切ないような、なんとも言えない気持ち。

「…なんか気になることでもあんのかい。」

考え込んでしまったわたしを見ながら訝しげな顔をするマルコさんに、
わたしが開いた本は綺麗な深い青で、背表紙には英語で
「Grand Line」と書かれていたのだと言うことを伝えて、ついでになんとなくの仮説も聞いてもらうことにした。

「…えぇと、だから、本には種類があって、背表紙に書いてある場所に飛ぶのかな、なんて、」

考えていたら本が消えちゃったんで困っちゃったなぁって。
軽く首を摩りながらそう言えば、マルコさんが眉間の皺を増やして再び顎髭を撫で始めた。














もし、そうなのだとしたら。

わたしは、いま目の前にいるこのひとと、どんな確率で出逢って、どんな確率で再会したっていうのだろう。




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