あーあ。
せめて、当たって砕けるくらい、すればよかったかなぁ。



みつめていたのは、



「ヒロ。」
「あ、いぞーたいちょー。」

船の欄干に寄り掛かって座ってぼーっと甲板を見ていたら
突然名前を呼ばれて、寝起きみたいにぼーっとしたまんま声の方向に振り返れば、
そこに居たのは我が白ひげ海賊団十六番隊隊長様。

「…その発音は馬鹿に見えるからやめろって言ってんだろ。」
「ははっ、馬鹿だと思われてるくらいが一番楽で調度いいんですよー。」
「捻くれてんなァ、相変わらず。」

どーもー、なんて適当に返事を返したら、
褒めちゃいねェんだよと懐から取り出した煙管で頭を小突かれた。
地味に痛い。

甲板に視線を戻したわたしの横に、イゾウ隊長が優雅に立つ。

…だって。

「わたしが馬鹿だろうがお利口さんだろうが、あの人には関係ないんだもん。」

ぼそりと。
波の音に掻き消されることを願って口にした言葉は、
どうやらイゾウ隊長に届いてしまったようで。

「あァ、またマルコを眺めてたのかい。」

飽きないねェ、と呆れたように零しながら、これまた優雅に煙管に火を落とす。

煙管越しにイゾウ隊長の肺に取り込まれた空気が
白い煙になって目の前を通り過ぎた。

視線の中にいたマルコ隊長の姿が霞む。

「…たいちょー、煙いです。」
「あァそうかい。」

ふう、と息の吐き出される音のあと、再び白い空気が目の前を横切る。

「…態とやってます?」

甲板から目を逸らすことなく尋ねれば、どうだかなァと
のらりくらりとした返事を寄越された。

「最近のあいつは変わったな。」
「…なんです、追い撃ちですか。」
「まあそんなもんだ。」

性格悪いですねと零せば、今更だろうと鼻で笑われる。


ふう、と何度目かの紫煙が横切って、暫くの静寂が落ちた。





(…言われなくたって、知ってますよ。)



最近のマルコ隊長は、変わった。
いまだって、見たこともない顔で優しく微笑ってる。

ずっと見てたから、知ってる。

少し前までのマルコ隊長は、恋愛なんてものには欠片も興味無くて、
そりゃぁ島に着けば娼館に通うことはあったみたいだけど、
それだってサッチ隊長に付き合わされてって感じが殆どで。

本気で言い寄られて色目を使われたって、面倒臭そうにそれを交わして、
綺麗な女のひとに告白されたって、興味無ェの一言で終わってたのに。

あの人が船に乗るようになってから、マルコ隊長は変わった。

付き合ってこそいないみたいだけど、彼女の方だって、
マルコ隊長を嫌っているようには見えない。

いまだって、愛おしそうに、切なそうに、彼女を見ているだなんて、



「…言われなくたって知ってます。」


もう、諦めなきゃいけないことくらい。

膝を抱えて蹲って呟くように言葉を零せば、ふんと鼻で笑われた。

え、ちょっと酷すぎやしませんか、傷心の乙女に。

「当たって砕けてくりゃァいいじゃねェか。」
「…他人事だと思いやがって…いぞーたいちょーめ。」
「…口に出てるぞ。」

はっ、失礼。
鼻で笑い返せば、思いの外真剣味を帯びた声が返ってきた。

「…そろそろ、当たって砕けてくれねェと、いい加減待ちきれねェんだがな。」
「は?なんの話で、」

思わず顔を上げてイゾウ隊長を見上げれば、
射抜くような瞳でわたしを見るイゾウ隊長と目が合って、息が止まるかと思った。

「…やっと、おれを見たな。」
「、え?」

片側の口端だけを上げてにやりと笑うも、目が笑っていない。

ぞわりと背中に悪寒のようなものが走った。

何故かぴくりとも動けないわたしに、煙管独特の匂いがどんどん近くなる。


ちゅ。


額に柔らかいものが当たる感覚と、軽い音がして、
イゾウ隊長は何事も無かったかのように欄干にもたれ掛かって煙管を吸った。
反射的になにか当たった感覚のある場所を手で抑える。

「な…ッ、なん、な、えぇ?!」

ふう、と吹かれた紫煙はわたしの頭上を通り過ぎていく。
す、とあたしに戻された視線は吃驚するくらい真剣で、
心臓がどくりと音をたてた。

「…ッ、からかわないでください!」
「…お前さんは聡い女だ。」

からかってるかどうかくれェ、解るだろう?

言いながらわたしを見る瞳はやっぱり真剣で。

(解ってますよ、解ってますけど…っ。)

突然のことに頭が全然働いてくれない。

「だっ、て、いままでそんな雰囲気、全然…ッ」
「お前さんがマルコしか見てねェから気付かねェんだろ?」

ふん、と鼻で笑う行為は一緒なのに、その瞳に宿る色があんまりにも優しくて、
冗談なんかじゃないのだと改めて思い知る。

「いつから見てたと思ってんだ。」
「し…ッ、知りませんよそんなの…!」

どういう訳だかどんどん熱が上がっていく顔を見られたくなくて、
膝の間に頭を突っ込んで顔を手で覆うように隠す。
…正確には、隠そうと、した。

わたしの手は自身の顔に届く前に、イゾウ隊長のそれによって掴まれていた。

「イゾウ、隊長、」

名前を呼べば、にやりと笑って手を離してくれた。

離して、くれたのに。

いまだに掴まれている気がするのは何故だろう。

「…おれァ気の長ェ方だと自負してたんだがねェ。いい加減そろそろ限界さね。」














早く、おれのモノになっちまいなよ。

言いながら真っ直ぐにわたしを見る瞳に、
掴まってしまったのは一瞬のこと。



…みつめていたのは、


わたしか、


あなたか。




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