気付けば暗く深い森の中を歩いていた。
ただ、俺はこれが夢の中だってことを知っている。


カプリッチオと犬のワルツ


鬱蒼と茂る草木が不自然な一本道を開いて、まるで俺を誘い込んでいるようだ。どこからともなく生き物の奇妙な鳴き声や気配がするが構わずに歩き進んだ。

「…はぁ…はァ…。…なんだ、…ここは」

暫く歩くと急に森の終りに出る。
靄がかるだだっ広い地に、存在感はあるのに何故か儚く感じるような洋館が聳え、キィ…、と不気味に鳴る金属の擦り合う音に視線を巡らすと洋館を囲う2メートルの高さも無い鉄格子の錆び付き歪んだ門が少しだけ開いていた。
あからさまに誘われている。

「…!」

どうしようかと巡っているとタタッ、と軽快に何かが門を潜り抜けて行った。つい、その姿を追い門に近寄る。
今し方入って行っただろう真赤に輝く目をした狼が一匹、こちらを見ていた。
パタリと尾を一度波打たせ向きを変えた狼はカシカシと爪を鳴らしながら石畳を歩く。

「付いて来いってか…?」

歪んだ門を潜ると再びキィ…と音を立てた。振り返るとぴたりと門は閉じている。

「…チッ、夢だと分かっちゃいるが…気味悪ィ」

カシ、カシ、カシ…
先を歩く狼が10段もない緩やかな階段を上り、細く開いていた洋館のデカい扉にスルリと入って行く。
気味は悪いがあからさまにあの狼が誘っている以上、俺にはあの狼を追う事しか選択は無さそうだった。
細く開いた扉を自分が通れる程度に更に開きとうとう洋館の中へ踏み入れた。
バタン。予想通りに勝手に閉まる扉。

「さっさと来い」
「…!」

わん、と籠ったような声が響く。
カチャリと微かな音がしたと思えば不思議な事にホールを照らしていたカンテラの一つがふわりと宙を漂いそして、ふらりふらりと先を照らしながら導いた。
揺れるオレンジの灯がほわりと少し先までそこにあるものの輪郭や影を浮き上がらせては消して行き、それを眺めながら進むと次第にローファーの踵がカツン、カツンと響くようになる。
見上げた天井はカンテラの光が届ききらないほど高く、壁が何処にあるのかもわからない程広い。
ふわふわと進んでいたカンテラがぴたりと止まった。

「…遅い。待ちくたびれた」
「…ユースタス、屋……?」

長いテーブルの向こうにユースタス屋、と思しき人物が頬杖をついて座っている。
悠然と、足を組んで少し不機嫌そうに唇を突き出す様は思い当たる人物に違いないとは思うのだが

「ピアチェーレ」
「…は?」
「…はじめまして…俺は、お前の知る誰かに似ているか?」

意地悪く笑う顔は紛れもなく彼なのに
頭に獣の耳を生やしているなんて。




赤い髪の毛を掻き分けるようにしてそこに鎮座しているのは正真正銘、狼の耳なんだそうで…堪らず触れてみたい衝動に駆られるが「触ってみるか?」と笑ったユースタス屋の口ん中に発達し過ぎた犬歯が見えたので出しかけた手を渋々引っ込めた。
因みに尻尾もあるらしいが、ユースタス屋は座ってる上に俺は正面に立ってるのでチラとも確認出来ない。

「不思議な夢の世界だな」
「不思議なのはお前の頭ん中だろ」

俺の言葉にユースタス屋が馬鹿にするように答え、ぱたりと尻尾を揺らした。漸くその存在を確認出来た訳だが俺を馬鹿にするのが楽しかったのだろうか。
しかし、なんと不思議なこの夢の中…
ユースタス屋が言うには俺が意識的にしろ無意識にしろ望んでいる空想や妄想が混在している出来ているものらしい。
確かに、ファンタジーやオカルト類の小説も読むしユースタス屋に犬猫の耳や尻尾が付いていたら、と思ったこともある。
だが…こんな風にリアルな夢に見る程にそれらを渇望しただろうか。

「まぁ…それだけじゃねぇけどな」
「だろうな。俺の妄想だけが反映された世界だとは思えねぇ」
「…へぇ?」
「俺の妄想なら、今頃ユースタス屋が裸で…や、…で、…を…してくれるはずだ!」

ガツン。
後頭部に俺をここに導いたカンテラが当った。
俺の妄想の断片を聞き逆立った耳と尻尾の毛が気になるのか撫でたり弄ったりしながらユースタス屋が呟く。

「…チッ、気持ち悪ィこと言うんじゃねぇよ。時間もねぇって言うのに…」
「時間?」
「お前が夢から覚めるまでの時間」

向けられる視線が少し寂しそうに細められ何となく胸が締め付けられた。
ユースタス屋は腹に何か抱えているようだが、それはきっと教えてもらえねぇんだろうから余計に…

「なぁ、早く食わせろよ」
「何をだ?」
「お前が作った…それ」

キュイ、と少し耳に触る金属の擦り合う音がしてふと、その方向に視線を辿らせるとティーセットとクロッシュが積まれた台車がそこにあった。
クロッシュを持ち上げてみれば今日…正確には昨日、調理実習で作ったシフォンケーキ。

「これは…」
「"おれの為"に作ったんだろ?」

ぱたりと揺れる尻尾に早くと急かされる。
凡てが不思議とは思いつつも促されるままにユースタス屋の前に皿を置くと早速とばかりにフォークを握る、手。

「…待て」
「…?」

今にもケーキに刺さりそうだったフォークがぴたりと止まり、なんだと俺を見る赤い瞳。

「お手」
「…」

スタン!と、フォークがテーブルに刺さる。それは俺が手を差し出していた丁度真下に…ある程度予想していた俺はギリギリで手を引っ込めたから無傷だがテーブルは可哀相なことになった。
舌打ちをするユースタス屋に新しいフォークを差し出すと無言でそれを受け取りユースタス屋はシフォンケーキを一口に切って添えたクリームと共に口へ運んだ。
はたりはたりと尻尾は揺れ、ピンと耳が立つ。
直ぐに二口目を刺すフォークを見て俺は感想を聞くまでもなく、ホッとした。

「…おい」
「ん?」
「手」
「…ん?」
「手、貸せ」

出した手に手が重なる。
長く尖った黒い爪を立てないようにやんわりと力を込めた手は温い。

「テメェは、また…この夢の中で俺と逢う。だが、それは俺じゃない俺だ」
「…良くわかんねぇな」
「次の晩に逢うのはヴァンパイアの俺」
「ヴァンパイア…」

とは、血を吸うあの…?
もしかしたら次の晩には血を飲み尽くされ殺されるんじゃないだろうかと懸念しているとユースタス屋は珍しい、困ったような表情を作った。

「最初の晩だからあんま期待してなかったけどな…美味かった」
「あぁ、ケーキのことか」
「もっと、…時間があったらな…」

見つめていた赤く輝く瞳が細まったかと思うと目の前には狼の姿が。
最初に俺を呼んだあの狼はやっぱりユースタス屋だったらしい。

「おわっ!」

胸元に飛び掛かられ俺は背中から床へと倒れる。
なんだか頬を舐められたような気がした。






ドサッ!ガタン、カラカラ…
強かに打ち付けた背中の痛みと衝撃音に目が覚めた。

「いってェ…」

身体を起こし未だにカラカラと音の鳴る方を見る。
見事に横たわる椅子と回るキャスター部分。どうやら昨夜は椅子に座ったまま寝入ってしまったようで大方、身動ぎをした時に転げ落ちたのだろうと見当をつけた。
おかげで身体のあちこちが痛むが自分の所為だ…仕方ない。

椅子を戻して身体の骨を鳴らしながらふと、何か夢を見たような気がすると思ったが思い出せなかった。

「あ、しまった…昨日のケーキ忘れてたな」

学校の調理実習室の冷蔵庫に忘れて帰ったシフォンケーキは、そうだな…
今日の昼にアイツ食わせても問題はねェだろう。





------
2話第1夜



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -