カタルシス


「恨んでるだろうな」

人知れず呟いた言葉は、湖面に浮かぶ波紋のように。




二十歳の春、人を殺した。
恋人だった。十八の頃から付き合い始めて、一時はそれはそれは幸せだった。
不毛な愛だとお互いが理解していたし、それでも構わないとお互いを選んだ。男同士で愛し合ってプラトニックラブなんて安い言葉では到底言い表せないような程に俺たちは繋がっていた。
だから俺はお前を殺して、そして湖に沈めたんだ。
防腐剤がどの程度の力を発揮するのか、見当も付かないが、お前の足に錘をつけて、手が広がらないように1重だけロープで巻いた。
柔らかさを失った唇に接吻けて、さよなら…
くらい暗い、湖底へと引摺り込まれて行くユースタス屋。


あの夜から、眠りの浅いところで俺は夢を見る。
とぷん。と水に浸り、身体を圧迫する水圧に耳が塞がれる。
ごぽり、ごぽり。潰れる肺から押し出される空気が明るい方へ昇る。
足元は暗い…。
藻や、異様に育った水草が絡み付き手招きをする。
苦しい、と引く付く喉に水が流れ込んだ。
お前は、怒ってるんだな。


十年と言う歳月はあっという間に流れて消えた。
気付けば夢も見せてくれないお前は、ただ年に一度だけ俺を悪夢に引摺り込む。
春冷えの夜に、夢の中で殺される俺は真暗な湖底て水草に足を取られていた。真っ白な腕が伸びて喉に絡み付く。
萎れた肺が水を吸って腫れ上がる頃に身体全体に響き渡った。"アイシテル"



十一年目の夜。俺は悪夢なんて見ない。
ささくれ立ったボートで湖面を進み、確かこの辺りだと覗き見た。月の光が落ちる湖面は波紋に揺らいでいる。
ちゃぷ、と手を浸すと氷水のように冷たかった。
夢は、始る。

とぷんっ

投げ出した身体は、水の冷たさで感覚は直ぐに遠のいた。凍ったように鈍く軋む身体は服の重みでゆっくり落ちて行く。ゴボッ…潰されて行く肺から空気が押し出され、不規則に形を変えながら、俺が沈むように昇って行った。
無音の闇…では無かった。
異様に目の前が明るく、佇むように生えている黄緑色の水草が俺を取り囲む。
鈍い腕を動かすと、それらはぐにゃりと踊り出し俺を更に抱き込んで行く。
苦しい。冷たい水が容赦なく身体に流れ込んでくる。
足に絡んだ水草がギリギリと音を立てる。
ふい、と振返ればふわりと赤が揺れた。

ユースタス屋…

まるで眠っているようにユースタス屋は浮いていた。足から伸びるロープはその下の錘へ繋がっている。
腕はロープで押えられ、ただ…じっと。
「っ…っ!」
必死で手を伸ばす。重い身体を捩って苦しさなんて忘れて、水草を掴み蹴り飛ばしながらユースタス屋…ユースタス屋ッ…キッド…!
泣きそうだ。実際に泣いていたかもしれない。
伸ばした指先が焦れったい。
俺がばたつく度に揺らめく赤い髪が愛しい。触れたい。
触れたい…君が愛しい。
限り無くて伸ばした指先が頬に触れ勢いで振り下ろしたそれは水で腐ったロープに掠った。
繊維が解けぶわりと舞う。
ユースタス屋の手がゆるりと動いた。
「……ッ」
足に絡む水草が不意に解けて勢いのままユースタス屋の方へ傾く身体。
細く、開いたユースタス屋の目が、その隙間から見える眼光の動きが、開く口が。動く白い手が。
喉に絡み付く。
潰れた耳に、怨み言が聞こえる。
アイシテルアイシテルアイシテルアイシテル。愛してた?愛して、いた?今も……愛しているのか。

「勿論…愛してるよ。キッド」




冷凍庫の中にでもいるのかと、目を開けた。
朝靄に霞む湖の畔。
ずぶ濡れの身体。不思議な程に無音だった。
しっかりと抱き締めたユースタス屋の身体は大分細い。
まだ眠っているようだけど…キスをしたら、起きてくれるだろうか?

春の某日。地元の湖畔で2つの身元不明死体が見つかったそうだ。
何処からともなく噂はやってきて、死体は両方男で、抱き合って死んでいたらしい。
片方はつい数日の間に亡くなったもので、その腕に抱かれていた死体は元の姿がわからない程にグズグズで藻や水草の纏わりついていた。足にはロープが巻かれていたそうだ。

真新しい死体の首には首を絞めたその手形がはっきり残っていて、両耳の鼓膜は破れていた。
衣服は、腐った死体と同じように藻や水草で塗れて、肺や内臓からもそれらは出てきたらしい。

犯人は目下捜索中であるらしかった。
依然、何も掴めぬままに。


でも、こんな不思議な猟奇事件も、来月半ばには私達の記憶からは薄れて行くんだろう。

あぁ、今日も、飲酒運転の車に惹かれて誰かが亡くなったようだ。





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