αベット | ナノ





きみしかいない







よろよろと、夕日に背をむけ、疲れ切った心で私はササキさんの待つ公園へと向かう。きっと今の私の顔は傍から見れば酷いものだろうことは自分でも分かった。いろいろありすぎて今日はもう…疲れた…自然と深い溜息が出る。ちらりと肩に目を向ければ、肩にくっつき気持ちよさそうに眠っているピチューの黄色が視界にちらついた。よく落ちないな。考えれば、こいつは生まれてからずっと寝てばっかりだと思う。赤ちゃんだからかなんなのか、それにしてもあの強さは生まれたてのものとは思えなかったなあ。と、数分前のピチューが頭に浮かぶ。間違いなく、この小さな体を包んだあの目がつぶれるかと思うほどの輝きを持った電光は、ピチューの強さだった。なにもかも知らないことだらけの私が言えることでもないけれど。ボルテッカーってことは、でんきだまを持った親とのかけあわせなのだろうか?そうとしか考えられないけど。そもそも、このピチューに親はいるのだろうか?私ははっとして、足をとめた。よく考えてみれば、私がこの世界に来てしまったときから、あの雨の日から、このピチューは私といっしょにあった。たまごの姿で、私の腕の中にいた。どこぞから持ってきたわけでもなかったのに、私の世界にポケモンなんて神様みたいな存在、なかったのに。私は肩にしがみついて眠っているピチューを降ろそうとした。しかしその小さな手で私の服をこれでもかというほど掴んでいて、少し手間取った。服が伸びたかもしれない…じゃなくて。

「ねえ、起きて。起きてよ。」

やがてピチューはうっすらと目をあけて、私を心底うっとおしそうな視線で射抜いた。人間みたいな表情をするんだね、君は。

「ねえ、君は、どこからきたの?お母さんは?」

そんなことをこの子に効いてもどうにもならないことを、このときの私は分かっていなかった。かなり焦っていたからだ。私と接点がないはずのピチューが、どうして、なにがあって、雨の日にわけもわからず、考えることもしないで、立ちすくんでいた私の腕の中にいたのか。もしかしたらそれが、なにか手がかりになるかもしれなかったのだから。

「ねえ、なんで私と君は、いっしょにいるんだろうね」
「………」
「わかんない?私一回死んだんだよ。殺されたんだ」
「…ピ」
「知ってた?知ってるわけないよね。私、ちゃんと守川友っていう親友もいたんだよ。幼馴染でね、ずっといっしょだった。その子といっしょに帰ってる途中で、殺された。知らない女に。意味わかんない理由で」
「…チュゥ」
「でもね、今私といっしょにいるのは君なの。なんで、なんで……」

なんでなんでと子供のように、ピチューを責めるように言葉を投げる私。言ってるうちに目頭が熱くなってきて、視界がかすむ。だめだだめだ。私はもう泣かないってあのとき決めたんだから。落ち着け、私。ぐっと唇をかんで、目をぎゅっと閉じて、深呼吸をする。泣いても世界はなにも変わらないんだから。それは、あのとき分かったこと。そして、気付かせてくれたのはこの子だった。はあ、宇井いろはよ、何をしているんだ。ちょっとセンチメンタルに浸りすぎじゃないか?お前は悲劇のヒロインなんかじゃないぞ。ただの、そうただの、世界が変わっちゃっただけのどこにでもいる普通の女じゃないか。ちょっと世界が変わっちゃっただけで。そんなふうに、自分を励ました。それに、私は一人じゃないよね。そういうふうに思わないと、私は本当にひとりになってしまう。

「あーもう」
「ピ?」
「ごめん」
「…」
「君に言ってどうなるってことでもなかったです。ごめんなさい」
「チュー」
「何言ってるのか全然わかんないけど、私といっしょにいてください」
「ピチュ」
「うん、分かんないけど、オッケーってことにしとく。はは…」

誰もいなくてよかった、と私は心の底から思った。ここに誰かがいたら、確実に不審者扱いである。浮浪者では飽き足らず、不審者なんてレッテルを貼られてしまったら、私はどうすればいいんんだろう。最悪だ。そうならなかったからいいけど。私は妙にすっきりした気分で、再び歩き始める。一番近くにいる存在に気付いたときが、こんなに心が救われるときだったなんて。まあそれが威力を思う存分発揮できたのは、状況が状況だったからかもしれないけれど。でも私は、もう一人じゃないから。最初から一人でもなかったことに気付けたから。ササキさんもいるしね。そこまで考えたところで私はまたはっとした。ササキさん…!早く帰らねば…!私はゆったりと歩いていた足にぐっと力を込め、弾くように走りだした。後ろを振り向くと、夕日がきれいで、私とピチューの影が長く、長くのびていた。



(一人じゃ死んでしまうから)