鼻先に掲げられた紙袋を、北は渡されるがままに受け取った。重くはないが、大きい。ミントブルーの滑らかな紙質で、それと同じ色のリボンが手提げになったえらく上等な紙袋だ。ブランドロゴはかわいらしく、女性向けの店のものに思えるが、なまえは「あげる」と言ってリボンの手提げから手を離した。中を覗くと、これまた袋と同じ色の箱が入っていて、完全なプレゼントの装いに、北は訝しげになまえの様子を伺う。

「……俺まだ誕生日やないよ」

 北の誕生日は七月で、今は二月。勘違いしているには半年の期間は長すぎるし、七月の誕生日はしっかりと祝われた記憶がある。腑に落ちない心地のまま、北は大きな目でまっすぐになまえを見つめて視線を外さない。感情の揺れをほとんど映さない、北のガラス玉のような目は、それを受け流すにはむつかしい力を含んでいるように思える。なまえはそれを苦笑いで受け止めて、コクリと一度頷いた。

「うん。知ってる」
「……じゃあ何? なんでくれるん」

 ますます腑に落ちない、と北は普段あまり豊かではない表情を崩して、少しだけ眉間に力を入れた。まるで不審物を受け取ったような彼らしい反応を見て、なまえは、宅配便が来たとき、北が送り主と宛名を確認しないまま受け取ることなんてないのだろうなあとしみじみする。
 なまえに「とりあえず開けてみてよ」と促され、北はしぶしぶ紙袋から中の箱を取り出した。紙袋に描かれているものと同じブランドロゴが入った箱と蓋の隙間に指を差し込み、かぱりと開ける。大きな箱の中には、光沢のあるビニールに包まれた洋服らしきものが入っていた。
 スウェット、とは違う。見た目にも毛足が長くて、もっとふんわり膨らんでいる。ビニールから取り出したそれは、上下が揃ったルームウェアのようだった。ブルーグレーの落ち着いた色味は身につけやすく、たっぷりの毛束は、触れると滑るような感触で、気持ちがいい。猫を撫でるように、そのルームウェアを二・三度撫でている北を、なまえはふくふくと笑みを蓄えながら見つめる。

「信介いつも朝早いし、休みっていう休みがあるわけじゃないでしょ」
「まあ……せやな」
「だから、寝るときくらいいいもの着てちゃんと寝てほしいと思って」

 思いついたから買ってきた、と言ってへらへらして笑うなまえの眦は赤く色づいていた。その緩んだ笑い方や「寝るときくらい」なんて言い草が照れ隠しであることをわかって、北は何も言わずにじっとその細くなった目元を眺める。
 なまえの言うとおり、北は農業を営んでいるため、年中無休で仕事をしているのとほぼ同義だ。繁閑の差はあれど、なまえのようなサラリーマンと異なり、決まった休日があるわけではない。季節によっては、陽が昇る前に作業を始めなければならない時期もある。そんな自分を労う言動に、北はきゅっと唇に力を入れた。
 二人はお互いに、いわゆる「恋人らしい」振る舞いをすることは少ない。当たり前にそばにいるから、気持ちを確かめ合うようなこともしないし、大切だと思っているから、お互いを不安にさせるような行動はしない。ただ、そうやって思い合っていることをお互いにわかっているからこそ、言葉や態度で気持ちを表すこともあまりしてこなかった。
 だから、誕生日や特別な記念日以外で、しかもこんな風にちゃんとした贈り物をもらったことに、北は少なからず動揺していたのだ。なまえの耳が赤くなっているのが見えて、思わずつられそうになる。ざわざわと駆け上ってくる衝動のままに抱きしめてしまいたくて、動きそうになった右手に力を込めてこらえた。

「……ありがとう」
「どういたしまして」

 触り心地のいいルームウェアを何度も撫でつけながら呟く北を見て、なまえは満足げに口角をあげた。いつも自然な力で閉じられている北の淡い色の唇が、きゅっと噤まれている。その様子を見ていると、なまえはまるで自分の方がプレゼントをもらったような気分になって、胸がくすぐったくてたまらなかった。



 風呂からあがった北は、早速なまえが贈ったルームウェアを着て脱衣所から戻ってきた。十中八九風呂上りだからだろうけれど、ほんのりと上気した肌が、北を少し浮かれた様子に見せている。人を選ぶデザインというわけではなかったが、落ち着いた色味は北にとてもよく似合っていた。

「あ、着た?」
「うん」
「どう? 気持ちよくない?」
「せやな。ふわふわしとる」
「でしょう」

 まるで自分が生産者だとでも言いたげな顔をしてなまえが胸を張る。北はそれがおかしくて、少し笑った。ちゃぶ台を囲むように置いてある座布団の一つに座りながら、これを着ていたらきっとよく眠れるだろうと想像する。ちょうどなまえがいれてくれていたお茶も相まって、身体中があたたかい。

「ええ寝巻きもろた。ありがとうな」
「うん。ルームウェアって言うんだよ」
「フ、しゃらくさいわ」

 力の抜けてしまった頬はすぐに緩んで、何か返事をするにも笑みを吐き出してしまう。浮き足立っている自分を自覚して、北は目を細めた。
 すると、なまえが膝立ちになって、そろそろ近寄ってくる。北のすぐそばまでやってきたと思えば、なまえは北の肩口に頬を擦り寄せて、また含み笑いをした。

「……なに?」
「ふふ、ふわふわで気持ちいい」

 ルームウェアの感触を確かめるように、なまえは北の腕を何度かてのひらで往復して、寄り添ったまま落ち着いてしまう。北は黙ったまま、それでも静かに目を丸くする。
 二人はお互いに、いわゆる「恋人らしい」振る舞いをすることは少ない。だからもちろん、なまえがこうやって自分から触れてきたり、甘えたりすることもそうあることではなかった。先程ルームウェアを渡されたときだって、十分驚いて胸をざわつかせたばかりなのに、すぐにまたこうして心臓を掴まれる。じわ、と胸元から熱が広がっていくのがわかった。
 なまえの珍しい様子に、北は驚いて、でもすぐに表情を元に戻す。自分が戸惑っていることに気づかれれば、なまえは我にかえって離れていってしまうと思ったから。
 自分の左側からじんわりと伝わってくる熱が、柔らかいルームウェアに染みついて離れない。そっと横目に見つめたなまえは、力の抜けた顔で寄り添ったまま、くすぐったいくらいの声でつぶやく。

「ちょっとだけくっついててもいい?」
「……ええよ」

 北は、なまえが離れていかないように、腕に触れている手をそっと包んで、それから肩に寄り添う頭に自分も頭を寄せた。
 着ていて心地いいことと、よく眠れそうなこと以外に、こんな効果があったなんて。北は真面目な顔で、ふむ、と小さく顎を引いた。これは使えるなあ、なんて柄にもなく打算的なことを考える。もしかしたら、この先もこのルームウェアを着ていたら、こうやってなまえが近寄ってきてくれることもあるのだろうか。
 いつもと同じシャンプーのにおいの奥に、いつもと違う、甘いにおいがするような気がした。風呂に入っていたのは自分より前だったとはいえ、まだなまえの身体に残る熱が、ルームウェアにとけて、北の肌へ伝わってくる。一瞬だけ、首の後ろを撫でつけられるようなぞわりとした感覚がして、それを無かったことにするみたいに自分の手で首の裏をさすった。

「……あったかいうちに寝よか」
「ん、そうだね」

 そろりそろりと、自分の背後に近寄ってきていた身勝手を振り払う。その代わりに、握っていたなまえの手をそのままにして、なまえが泊まるときにいつも使っている客間へ布団を二組運んだ。さすがに布団を抱えるときには手を離さなければならなくて、北は何も言わないが、惜しいなあと思う。
 布団を並べているとき、ふと、横を通ったなまえの足先が北の腕を掠めた。一瞬触っただけでもわかるその冷たさに驚く。

「あ、ごめん」
「ええけど……足冷たいな」
「冷え性なの。全然あったまらなくて」

 先程近くにいたときはあたたかいと思っていたが、なまえは足先が極端に冷たくなるたちらしい。それぞれ布団に横になり、まだ熱を持たない冷たい布団に身体を滑らせる。それよりも冷たい、なまえの小さな足。なまえは隣で、足を擦り寄せるようにして熱を取ろうとしている。ついさっき振り払った願望と、ひどく似通っていて、でも確かに違うものが口から溢れた。

「……こっちきいや」

 自分の身体にかけていた布団の片側を捲り上げて、なまえを呼ぶ。すでに仰向けになっていたなまえは、顔をこちらへ向けて目を丸くした。さっきの北と同じだ。珍しいことを言う恋人に、驚いている。

「さっきみたいにくっついとったらあったまるやろ。足くっつけて」
「え、でも信介が冷えるよ」
「この寝巻きあるから、大丈夫や」

 北の言葉だけでなまえは体温が上がって、もう十分あたたかくなっていることは、もったいなくて言えなかった。こちらをじっと見つめる北は、いつもと変わらないまっすぐな目をしていて、けれどかすかに、頬が赤い。
 柔らかいのに芯があって、低くて、少し甘い。北の穏やかな声がもう一度なまえを呼んだ。

「せやから、こっち来て」

 その声がそう言ったから、なまえはすぐさま北の上げた腕の下に潜り込む。北は自身となまえを一つの布団でくるんで、なまえの方には更にもう一つの布団をかけた。あとは布団の中で腕を回して、足をゆるりと絡める。なまえの冷たい体温がとけて、ふわりとしたルームウェアと少し重たい布団の中で、二人を温める空気にかわった。
 今夜は、いつもよりもっと近くで、寄り添って眠ろう。そうしたらきっと、同じ夢が見られるはずだから。

ビロードが溶けるくらい

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