鶺鴒 (9/23)
08
「ねえ、名前。ちょっと付き合ってくれない?」
珍しく鴉羽から外出に誘われたと思ったら、そこは以前自分が下宿していた出雲荘。
なにやらそこに自分の知り合いがいるのだと言うのだから驚いた。
「鴉羽にも知り合いいたんだ、懲罰部隊以外で」
「まあ一応ね」
「男?女?」
「むーちゃんは女の子だよ。あ、むー…」
ぱしゃん。と水を被った鴉羽。
それに仕舞ったと言う顔の巫女服の女の子と、その側には小さな女の子。
水をかけた女の子と知り合いだったようで、女の子に声をかけようとした瞬間に水を被せられてしまった。
「…意外」
「す、すみません!」
「いや、大丈夫だよむーちゃん」
「あ、鴉羽様!」
どうやら彼女が鴉羽の知り合いの「むーちゃん」らしい。
鴉羽に比べて小柄ではあるか、女の子らしい体つき。
特に胸がすごい。
このままでは風邪をひいてしまうと出雲荘に招き入れられた。
そこには名前が居た頃には居なかった青年が一人。
鴉羽の知り合いの「むーちゃん」は恐らくはセキレイ。
一緒に住んでいるのであれば彼は彼女の葦牙だろうか。
それか他人で、ここの住人の誰かが彼女の葦牙か。
ここには篝やうずめ、松や大家さんもいるわけだし、誰が葦牙でもおかしくはない。
「名前はちょっと待ってて」
「ああ」
「あの…じゃあ客間へどうぞ」
「お邪魔します」
どうも居心地が悪い様な気がする。
元は自分もいた下宿先で、知らない人から茶をもらうのは。
今となっては自分は店子ではないから、そうなのかもしれない。
少し弱気そうな青年は名前に茶を出すと、鴉羽にもと茶を持って上の階に行った。
そして目の前には幼女がニコニコと座っている。
「こんにちは」
「こんにちは!」
「お名前は?」
「くーは草野です!」
「名字名前です」
「名前ちゃん」
子供らしい元気な声で名前に応える草野。
こんな子は確か居なかった。
大家さんの親戚の子だろうか。
「…なんだろ、あの態度…」
「どうかしたの?」
「あ、いえ…あ、佐橋皆人です、ども」
「名字名前です、つい先日まで出雲荘に下宿してました」
どうもどうも。二人して頭を下げると草野も真似て頭を下げる。
それを見た名前が笑うと、つられて佐橋も笑い、なんとものほほんとした空気が流れる。
こんな空気はいつぶりだろうか。
引っ越してからはない気がする。
鴉羽の性格からしても、こんなことはないし、仕事でもそんな雰囲気を出す人間がいない。
「じゃあ、名字さんはここの住人さんともお知り合いなんですね」
「うん、まあ。201号室、知ってる?」
「松さんですか…?」
「そうそう。そっか、佐橋くんにもバレたか」
「いや…バレたって言うか…。名字さんこそどうして松さんの事知ってるんですか?」
「夜中目が覚めてトイレに行った帰り、廊下でバッタリ。いやあ、叫んだ叫んだ。帰り“ぎゃー!!”って。おかげて皆に迷惑かけたし」
そう言うと佐橋は乾いた笑いでどうもバツの悪そうな態度をした。
もしかしたら彼もその被害者か。
その隣で草野が「くーもビックリしたもー」と自己主張している。
どうやら松の被害者は少なくない様だ。
「名前ー」
「うん?」
「着物も大丈夫だから帰ろうか」
「意外と早く乾いたな。話はもういいのか?」
「まあね。じゃあね、むーちゃんの葦牙くん」
「それじゃあ、お暇するよ」
ニコリと笑う鴉羽に固まる佐橋。
彼は鴉羽がセキレイだということに気付いていなかったらしく、ただ目を丸くしている。
「あ、名前。ちょっと先に行って、忘れ物」
「忘れ物?手ぶらで来たろ」
「いいから、ちょっと先に行っておくれ」
強引に鴉羽は名前から離れた。
その意図がわからない名前にとってはただ困惑するだけであったが、そもそも名前はそういう事を気にかけるタイプではなく、鴉羽のいう通りに自分は先に行くことにした。
一緒に過ごすようになって暫く。
彼女の行動はよく分からない。
くっついてきたかと思えば、今のように離れる。
離れたかと思えばくっつく。
そう、それはまるで
「…猫」
「え、猫?」
「あ、大家さん。すみません、先程出雲荘の方にお邪魔してました」
「あら、そうなの?連絡してくだされば私買い物に行かなかったのに」
少し控え目に笑う大家。
その手には買い物かご。
佐橋は買い物に出た大家の代わりに名前に茶を出してくれたようだ。
確かに大家の性格からして店子にそこまでさせる人ではない。
「いえ、こちらこそ連絡も無しにすみませんでした。知り合いが出雲荘に用事があるとかで、それに付き合って」
「そうでしたの。今度は連絡くださいな、お菓子を用意しておきますから」
そう言って笑顔で分かれた後にあった殺伐とした場面が広がる事を名前は知らない。
鴉羽も名前には教えはしなかった。
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