無双 | ナノ
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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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遅くなってしまった。そう思いながら朔弥は家路に走りながらつく。
事の発端は以前馬岱に「もうすぐ子馬がうまれるんだ、良かったら見においで」と言われて頷いたことに始まる。朔弥からしてみれば、ただの世間話に相槌を打ったに過ぎないが、馬岱はそれを本気で受け止め、「産気づいたから、ほら」と徐庶のところで仕事をしていた朔弥を引っ張っていったのだ。さすがに徐庶が何か言ってくれると思ったが、「あ、あまり遅くならないで帰ってくるんだよ」なんて見送ってくれたのだ。

「もう夕餉も終わっているんだろうな…」

朔弥は徐庶の家に間借りという形で住まわせてもらっている。そこには下男と下女の親子がいて家事を主に行っている。もしかしたら朔弥がまだ夕餉をとっていないということで二人は食事をしていないかもしれないと急ぐ。
自分のせいで食事が出来ないとなっては悪すぎる。自分の事など無視して食べてくれれば良いのだが、義理立てをして食べないというのはよくある話。徐庶が気にせず食べろといってくれているのを祈るばかりだ。
辺りは既に暗く、人の影は勿論ない。治安が良いとはあまりいえないこの付近は危ない。接近戦の為に徐庶に習った撃剣を携えて足を早める。
すると何かが朔弥の後ろからついてくる気配がする。夜盗だろうか。それならば撃退してしまえば問題はないが、もしそうなら一戦交えなくてはいけない。あとついでに報告して見回りの兵をまわしてもらいえないかと交渉もしないといけなくなる。
さて、そのついてくる気配をまだついてくる。角を曲がってそのまま通り過ぎるなら良し、そうでないなら実力行使だ。

「……っ、あ、れ?お前…」

身構えて待つと、そこには大きな黒い犬が驚いたように身じろいだ。見ればあの戦でみた犬。元気になったのか、足取りは他の犬と変わりない。
朔弥がそのままの姿勢で驚いていると、慣れた様子で犬は尾を振りながらゆっくりと近づいてくるではないか。そして朔弥の目の前にちょこんと座ると、小さな声でひとつ吼える。

「あの時の、犬…?」

そしてまた答えるように小さく吼える。
今度は尾を大きく振って、地面を掃いているようだ。

「元気に、なったの?」

そうだ。と言わんばかりにまた小さく吼える。まるで会話が出来るようではないか。
朔弥は恐る恐る近づいて、犬に目線を合わせてみる。そして朔弥も犬にならって小さな声で「おいで」といえば、犬はそれに従って近づいて朔弥の手の届く範囲にまた座る。

「どうして、ここに?どうやってここまで来たの?」

当然の如く犬は喋らない。ふんふんと鼻息を鳴らして朔弥の手のにおいをかいでいる。

「恩返し、とか?」

朔弥が冗談のように言えば、犬は大きく吼える。野犬は珍しくはないが、いれば駆除されてしまう。朔弥は急いで犬の口を塞いで「大きな声は駄目」と注意すると犬は鼻を鳴らして耳を畳んだ。

「凄い、私の言っている事わかるの?もし私に恩返しとか言うなら、気にしないでね。でも、元気な姿が見れて嬉しい、ありがとう」

朔弥が犬の頭を撫でると気持ち良さそうに、そしてねだるように頭をひねる。犬が恩返しか…と朔弥が思って撫でていると思い出した。そうだ、今は急いで帰っていたのだと。

「私行かないと、帰らないと。そうだ、これ、食べる?ある人から貰ったものだけど。これ食べたら帰りな、ここに居たら駆除されてしまうから」

馬岱から夕餉にお食べと貰った肉の破片を犬に差出、犬はそれをふんふんと嗅ぐ。ちらりと朔弥を伺うようにみて、犬はぺろりと朔弥の手を舐めるように食べ上げた。

「さあ、お帰り。今度は戦に巻き込まれない様にね」

朔弥は立ち上がって屋敷に急ぐ。少し走って振り返ると、そこにはまだ犬が見送るように座っていた。


「遅くなりました…!」
「おかえり、子馬は無事に生まれた?」
「はい、あ、これ馬岱殿が夕餉にと。もうお済…ですよね」
「いや、朔弥が来るまで待とうと思って…子馬の話も聞きたいなって…迷惑でなければだけど」

既に済んでいると思っていた夕餉がまだとは朔弥は頭を深く下げて謝る。それは徐庶だけでなく下男下女にまで悪い事をした。むしろ遅いといって夕餉がないという覚悟まであったのだ。言えば徐庶は朔弥の雇い主、主なのだ。

「申し訳ございません…私の事など気になさらないで済ませていただいても……」
「そんな、だって…一緒に食べてくれる人なんだ、待っているよ」
「では用意を頼んできます。あの二人にも悪い事をしました…」

頭を下げて今度は下男下女の所へ行って謝罪をする。「無事なご様子で何よりです」と言われてしまい、心配をかけたことにも悪いきがしてまた謝る。そして貰った肉を下女に渡し、夕餉の準備を頼んだ。
夕餉はいつものように主である徐庶の相伴に預かる。本来ならば一緒にとるべきではないが、味気ないからと朔弥を誘い、それが続いているのだ。さすがに下男たちにまで声をかけるつもりはないらしい。

「子馬、すぐ生まれた?」
「いえ、徐庶殿が帰るからと顔を出されてから随分時間がかかりました。ですが、生まれてからはすぐに立ち上がって乳を吸っておりました」
「…そうか、どっちだった?」
「雄のようです、馬岱殿が男の子だと喜んでいましたので」
「雄か…良い軍馬になるといいな」
「今度は徐庶殿も見に来るようにおっしゃられていました。元気な子馬可愛いから、と」
「そうだね、今度…迷惑じゃないだろうか」
「迷惑ならば誘われないと思います。それなら私を誘いません」
「でも、朔弥は良くても…」
「徐庶殿が良くて私が駄目ならわかりますが、その逆はありません。ご安心ください」

まだ不安そうにしている徐庶を見て朔弥が「では今度馬岱殿にお会いした時にうかがってみます。きっと快くおいでと言ってくださりますよ」といえば、なんとなく安心し様子で頷いた。
朔弥の雇い主である徐庶は卑屈で有名とまでないが、卑屈といえばと関連できるくらいには有名だ。その卑屈な徐庶の元に何故朔弥がいるかといえば、単に雇われたに過ぎない。そのままついてきて一緒にいる。朔弥はただ面倒なので契約をきられない限りは居るつもりだ。次の雇い主を探すのが面倒だし、居心地が悪いわけではない。給金は少し気に入らないが、寝食ができるのなら悪い条件ではない。卑屈だが嫌味を言われる事はないし、職場の女官も侍女も、武将たちにも悪い人は居ない。

「そういえば、帰りに犬がいました」
「…犬?野犬?」
「先日の戦、私が法正殿の誤報告をしたあの時の犬が居たのです」
「え…」
「その犬がまた不思議で、私の言葉に反応しまして。質問すると答えるので驚きました。ここの犬は頭がいいのですね」
「……そう、犬…か」
「しかしこう易々と野犬が人の前に出るのは危険だと思うのです。見回りの兵を増やすなど出来ないでしょうか…それに治安が最近良くないと聞きます」
「あ、ああ…」
「何か起こってからでは住民が不憫です、それにここの下男たちが何時危険にさらされるか…徐庶殿?」
「あ、いや…なんか、今日は朔弥がよく話してくれるなって…思って」
「…申し訳ありません」
「あ、いや…いいんだよ。俺なんかにでもこうして話してくるのは嬉しいから」

静かに徐庶は馬岱から貰った肉に手を伸ばし「これ、美味しいね」と控えめに笑ってみせた。


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