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「徐庶、邪魔するぞ」

男性特有の低い声だ。さわやかとは冗談でも言えない、その陰湿かかった声とともに徐庶が執務を行う部屋の扉が開いた。

「ああ、法正殿…怪我は大丈夫なのですか?」
「動けるまでにはな。確かお前のところの兵だろ?俺の救護に来たのは」
「…朔弥の事でしょうか」
「女だと聞いたが名前までは知らん。居るのか」
「今は外に用事を言付けているから…」
「どのくらいで戻る」
「………士元のところに手伝いとして呼ばれて行ったから…」

すぐには戻らないと思うよ。と何を伺うように徐庶は控えめに答える。

あの日、本陣にて法正が帰還したという話は伝令兵を使って各拠点にすぐさま知れ渡った。
救援に向かって誤報告を行ったという結果になった朔弥には咎めはなかったのは救いだ。朔弥の失敗は徐庶の失敗に直通なのだ。まず朔弥が誤報告を行って謝ったのは徐庶なのだ。それからすぐさま劉備の元へ走り、誤報告を詫びたが「あの混乱では仕方あるまい、お前のせいではない」と逆に気を使わせてしまった。
徐庶は朔弥ほど近くでその状況を見たわけではないが、法正を囲む人の隙間からみた彼は本当に生きているのかわからないほどに出血していた。

「朔弥に、何の用事で?」
「なに、礼の一つでも言おうと思っただけだ」
「礼…?」
「あの陣によくもまあ一人で来たかと思ってな」
「………」
「それにこれもある」

首にかかる飾りをひょいと持ち上げて「これだ」と教える。
それはいつも法正が首にかけている首飾りだ。それがどうしたというのか。

「劉備殿が言うには、その朔弥が拾ってくれたらしい。俺の形見代わりにな」
「か、形見?」
「戦場で拾って劉備殿に渡したんだと。まあ劉備殿が言うにはあの汚れ様では生死がわからなくても仕方ないって言っていたがな」

徐庶が座るようにとすすめることもなく法正は腰掛ける。
そしてぐるりと様子を伺うようにその部屋のを見渡して面白くなさそうにひとつ息を吐いた。
徐庶の座るところから少しはなれたところにまた机がある。そこに普段は朔弥が座っているのだろう。法正にとっては徐庶の後ろを付いて歩く人間が居たくらいにしか印象がない。地位が高くなるたびに下の人間は増えるので、関わりがなければあまり印象に残らないのは仕方がない。

「ただいま戻りました」
「ああ、おかえり朔弥。朔弥にお客様だよ」
「……私に、ですか?」

走る足音が聞こえたと思うと、すぐに女の声が聞こえる。
その声にまるで救われたといわんばかりに徐庶は声をあげ、朔弥に客が居る事を告げる。朔弥はその部屋にいままで居た事のない人物を見つけると礼をとって頭をさげる。

「貴女が朔弥ですか」
「はい、先日は私が誤報告を行いまして誠に申し訳が」
「それはいいんですよ。あの状況では仕方がない。それに貴女が見つけることができたなら俺も敵兵に見つかっていましたからね」
「………」
「そんな恐がらなくていいですよ。今日はお礼を言いに来たんですから」
「…礼、ですか?」

朔弥がわずかに頭を傾げてから助けを請う様に徐庶を見る。それに気づいた徐庶だが、自分にはどうすることもできないよと言いたげに頭を振って答える。

「これですよ」
「…それ、」
「そう。貴女が拾ってくれたのでなくしませんでした」
「それだけが、見つけられたので。法正殿のお姿が見つけられず、それだけでも、と」

礼の姿勢を崩さず、出来るだけ顔を見ないように答える朔弥。そんな朔弥に面白くないと思ったのか、法正は「頭を上げなさい。これは俺個人の礼をしているんですから」と言ってきたのだ。また朔弥がちらっと徐庶を見ると、徐庶も「それに従って」と言わんばかりに頷いている。

「…はい」
「ところで徐庶。ここは客人に茶のひとつもないのか」
「それは私がいたします。気がつかず、失礼を…」
「い、いいよ朔弥…」
「いえ、私の仕事です」

慌てて立とうとする徐庶に静止を入れたのは朔弥だ。お返し、とは全く違うが、朔弥は急いで茶の支度に走る。侍女や女官がいれば任せるのだが、この忙しい時に女官たちも奔走して、徐庶は他の手伝いにまわしてしまったのだ。その皺寄せではないが、朔弥もホウ統のところに貸し出され、急いで終わられて走って戻ってきたのだ。
ちょうど女官たちが茶の準備をしているところに行き合ったので、女官たちについでに頼む。

「朔弥様、法正様がお礼に伺うという噂がございますよ」
「まあ、そうなのですか…!お逃げになられて方がよろしいのでは?」
「何故?」
「朔弥様はご存じないのですか?法正様のお話…」
「知らない…けど、やめて、言わないで」
「いかがされました?」
「今、徐庶殿の部屋にいて、お茶の為にここに私、いるから…」
「まあ…」
「朔弥様、ご用心くださいませ…」

あまり良い噂を聞かないお人ですから。と意味深げに言われてしまった。
彼女等との会話は気分転換にはいい。男所帯のここでは癒しのひとつだと朔弥は思っている。
しかし、それは良い話の時だけの話だ。今はいらない情報を得てしまい、朔弥は不安だ。前々からそんな噂を聞いてはいたが、まさか自分に降りかかるとは思ってもいなかったのだ。
あまりに遅いと小言を言われてしまうのではないかと思った朔弥は、茶を受け取ると急いで部屋に戻る。

「お待たせいたしました」
「…朔弥、おかえり」
「すみませんね、押しかけて」

なぜか涙目の徐庶がいる。噂はこれの事かとなんとなく思い当たった朔弥はそれには触れないように茶を出していく。変に触って徐庶が撃沈してもらっても困るし、その矛先が自分に向いても嫌だからだ。なんとかの神に祟り無し、と心の中で呟いて。

「…体調の方は」
「ああ、なんとか回復してここまで」
「それは、よかったです」
「貴女が来た音で目が覚めて、なんとか」
「…私が、来た音で?」
「ええ」

朔弥の表情が一瞬だけ疑問が浮かんだのを徐庶は見逃さなかった。朔弥が走った時は馬を使った。なので馬の足音がわかるのはいい。しかし、それなのに朔弥が疑問にもつと言うことはなんなのだ。
朔弥は隠し事をするような性格ではないが、言わなくて良いことは言わない。聞けば言うだろうが、聞かなければ言わない。なので聞けば言うのだろうが、これは聞いて良いのかと徐庶は黙ってその会話を聞くことにした。

「…そう、ですか」
「なにか?」
「あ、いえ……あそこに、大きな手負いの犬がいて……それなのに、と思ったので」
「犬?」
「ええ、犬が。黒くて大きな」
「犬だなんて…朔弥、大丈夫だったのか?」
「はい…法正殿も、犬が居たのに御無事だったと思いまして」
「犬が、ねえ…死体だと思ったんでは?」
「そう、でしょうか…弱っていたのでなんともいえませんが」

犬、ねえ…。と唸るように呟いた法正に朔弥は意味もなく首をすぼめるように頭を下げた。

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