斉藤タカ丸は町に髪結いの修行に行くのをやめた。

俺は数日後に町へ出向いてみたが、特段おかしな様子はなく、そこには平常の活気溢れる町並みがあっただけ

「ねぇ、知ってる?最近来ていた髪結い屋さん、もう来なくなったんだって」
「あらぁ、残念。私あそこで整えてもらうの好きだったのに」
「本当よぉ。貴女この前の髪、似合ってたわよ」
「貴女こそ素敵だったわ」

町を歩けば年頃の女性達が楽しげにお喋りをしている
何事も無く。朗らかな笑顔で。

ひとつひとつは小さな嫉妬でも、それが重なり恨み事が溜まれば、肩どころではなく斉藤一人の命を奪うのも有り得なくはない。
あんなに渇望していても、
独占できなければ無くなってしまえ。と思うのは性なんだろうか?

表では笑って、裏では嫉妬で人を恨やむ。

あの声を聞いて、あの笑顔を目にすれば八左ヱ門は女性不信になるかもしれない
そう思ってあの蜘蛛に触れさせるわけにはいかなかった。
今はまだ、

八左の事だ、大人になれば女性の嫉妬も受け止めるぐらいの包容力は備わるはずだろ

不意に腕を這う感触を思い出して目を向けるが、そこには私服を纏ったただの腕。蜘蛛なんかいない。
そこまで嫌悪感を抱かなかったのは、そういう感情を理解できるからか、ただ単に生物委員会で蜘蛛に慣れたからなのか。

「饅頭でも食おうかなー」

苦笑の後に伸びをして、店へと向かった。






「三緒君、髪切らせて!」
「は、」

鋏を手に詰め寄る姿は割と怖い。

「何でだよ」
「暫く髪結いはお休みしたんだけど、やっぱ落ち着かなくて!町には行くのやめたから、忍たま達の髪を整えさせてもらってるの~」

何だかんだで髪結い業は斉藤の生活の一部になっているらしい。うずうずと人の髪を凝視する様は立派な職業病である

「お風呂場で見た時、三緒君の髪が気になっていて…!」

頭巾と髪紐を解きながら己の髪を摘む。何がそんなに気になるんだ?普通だろ。

「そんなに傷んでたか?」
「ううん反対!綺麗に伸びてるよね。あとは癖っ毛なのかな?あちこち跳ねてて鬣みたい!」

鬣て…まあ、同級生には見た目で獅子だとか言われるけどさぁ

「毛先ちょっとだけ整えて良い?」
「ああ、頼む。そういや数年放置してたわ」
「えー?駄目だよ~」

そうは言っても、他人に鋏を向けられるのは落ち着かないんだから仕方ない
斉藤は同じ学園の人間だから安心だけど。

「前は誰に切って貰ってたの?」
「んー…普通に母親に切ってもらってたけど」
「ああ、そう言えば三緒君は母親大好きって聞いたことある」
「ちょ!?誰だそんな事言った奴!」
「あ、駄目駄目動かないで~」

鋏の音を鳴らしながら、斉藤は流れる動作で髪を切っていった。

「はい、出来上がり」
「ん、ありがと。」
「こちらこそ~」

満足気な斉藤に少しだけ笑って、髪を結ぼうと手櫛でまとめる

「あ!待って、僕に結ばせて!」
「へ、…まあ、いいけど」

そこまで髪触るのが好きなのか。それとも完璧主義者か何かなのか
髪紐を渡せば、斉藤は鼻歌を歌いながら再び俺の髪に触れた。

「三緒先輩とタカ丸さん…?」
「あ、竹谷くーん」

声的に八左ヱ門が長屋の廊下を歩いて来たようだが、縁側で座っている俺には見えない。

「何やってるんですか…?」
「今ね、三緒君の髪を整えたとこ!」
「そして最後に結んでもらってるとこー」

疑問に二人で答える。
声から察するに、八左はこの図に相当戸惑っているようだ

「出来たよ三緒君」
「お。ありがと斉藤」

きちんと結われた髷に、指先で確認すれば普段通りあちこち跳ねた毛先があたる。
鋏で切ったはずなのに、手触りに違和感はない
流石元髪結い師。
俺の母さんが切った時は数日首に触れる毛先がチクチクして痒かったものだ

座ったまま振り返れば、ニコニコと微笑む斉藤だが、隣で感心したように俺の髪を見ていた八左へゆっくりと顔を向けた

「竹谷君、次は君の番にしたいんだけど…ちょっと時間を貰って良いかな?」
「え、あの…タカ丸さん?何か笑顔が怖いのですが…」

俺の時は時間なんてかからなかったのに、わざわざそう聞くって事は…

「た、タカ丸さん!鋏鳴らしながら近寄らないで!怖い怖い怖い…っ!」
「たーけーやーくーん、その髪いったいどうなってるのかなー?」

斉藤が化物と同じようなおどろおどろしい声で八を追い掛け回し始めた。
職業病も厄介だなぁ

「見てないで助けてくださいよ先輩っ!!」

廊下から地面に下りて涙目で走り回る後輩が、こちらに向かって吠えてきた。
顔の横に掌を当てメガホン代わりに声援を送る

「がんばれー斉藤ー」
「酷いっ!可愛い後輩の味方して!!」

いやぁ、斉藤は生身の人間なんだし、自分でどうにかしろよ。



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