Anniversary


待ち合わせから10分を過ぎていた。記念日だから早く落ち合おうと言ったのは自分のくせに、という悪態が頭をもたげる。景吾は時間にきっちりしているほうだ。よく考えてみたら遅刻ははじめてのような気もする。とはいえ、わたしは堪え性がない。欠点だとはわかっていても、早く会いたい気持ちがその欠点に拍車をかけていた。
『まだですか』とメッセージを打ち込む。怒ると敬語になる女独特の態度が嫌いだと、ずいぶん前にこぼしていたことを思い出す。だからわざとやってやった。わたしもなかなか意地が悪い。
液晶に表示されている既読の文字に「お」と反応すると、そのまま『既読』とメッセージが戻ってきた。この男は……。





「お前は本当に、堪え性のない女だな」
「あら景吾さんごきげんよう、15分が過ぎましたね」

振り返ると、呆れた顔の景吾が立っていた。高い身長にいつも首が折れそうなほど見あげてしまう。下から見ているのに、なんて綺麗な顔をしているんだろう、といつも不思議に思う。付きあってから3年経っても、跡部景吾七不思議のひとつだ。

「15分しか、な。少しは待つことも覚えやがれ」
「うわあ……待たせておいてそんなこと言う」
「俺はいつだって、そんなことしか言わねえ」
「ん、それは言えてる」
「おい、いまのは否定するところだ」
「え、ボケたの? 普通にそのとおりだから気づかなかった」
「伊織……」
「はい、じゃあきちんと謝ってみて?」
「アーン? 待たせたな」お代官様かっての。
「謝ってなーい」
「ふ、悪かったって」

微笑んだ刹那、すばやくこめかみにキスが落ちてきた。にやけてしまう自分が恥ずかしくて咳払いをしてしまう。向かいにいる女性たちがこちらを見てなにやらコソコソと言っている。ああ、恥ずかしい。「あのイケメン、なんであんな女連れてんだろ?」とか「ちょっとキスした!」とか言われていないだろうか。景吾のように、自信満々で、人前でキスくらい余裕でできる女になりたいけど、たぶん、無理だ。

「ん……身が持たないよ景吾、急に襲ってこないで」
「キスくらいさせろよ、1週間ぶりだろ」
「あとでいいじゃん。それで、今日はどこに連れて行ってくれるの?」
「ああ、知り合いの店だ」それはいつものことだ。
「じゃなくて、概要というかですね」
「なるほどな。ま、すぐに到着するから楽しみにしてろ」
「ええー。さっき堪え性がないって学習しなかったのかな」
「そういうのは、可愛げがねえっつんだよ」

平気でキスはしてくるくせに、手はつないでくれない。だから一緒に歩くときの距離も、いつもわたし次第。ほんの少し寂しい反面、彼らしいとも思う。この距離になにも言わずにきたのは、憎まれ口で弾む会話に、お互いが笑顔でいられるからだ。体に触れてなくても、愛されていると実感できる。彼の優しいまなざしは、わたしの宝物だ。

「ここだ」
「あ!」

『ダーツ・ビリヤード』と書かれた立て看板の前で、景吾は立ち止まった。
覚えてくれていたのだと思うと、素直に嬉しかった。

「やってみたかったんだろ?」
「うん、やってみたかった! よく覚えてたね? ねえでも景吾、時間が……」
「ああ、開いてねえんだよ、この時間だと」

入口には『CLOSED』の札がかけられていた。開店は18時からのようだ。そんなことわかっていただろうに、わざわざ店の前までやってきたということは……。

「だから、知り合いの店にしたんだ」
「もしかして貸し切り?」
「当然だ」

扉を開けると、長身の男性が出迎えてくれた。

「きっかり、15分遅れや」
「ったく、どいつもこいつも堪え性がねえヤツばっかだな」
「遅刻しといてどういう言いぐさやねんな。はじめまして彼女さん。跡部がいつもお世話んなってます」
「はじめまして。こちらこそ、景吾がいつもお世話になってます」
「俺はお前にも、お前にも、世話された覚えはねえぞ」

友だちなんだろう関西弁の男性とお決まりの挨拶を交わしていると、景吾があれにもこれにも悪態をつく。苦笑して、男性と顔を見合わせた。しかし、どうして景吾の周りにはイケメンが集まるのだろうか。跡部景吾七不思議のふたつめだ。類は友を呼ぶ、ということなのかな。

「忍足侑士っていいます。よろしく」名刺をだしてこられた。丁寧な人である。
「ありがとうございます。あの、わたしは佐久間伊織といいます。よろしくお願いします」こちらも、財布に入れておいた名刺をお渡しした。
「伊織さん。ん、覚えたで」
「忍足侑士さん、わたしも覚えました! 景吾とはどういうつながりなんですか?」

わたしと忍足さんを無視して、景吾はキューを吟味している。行き場所に迷っているわたしに、忍足さんは近くにあった椅子を用意してくれた。

「中学ん頃から、同じ部活やったんです。どうぞ、ここ座って」
「ありがとうございます」

人見知りをするタイプじゃない忍足さんに、好感が持てた。
とてもクールな顔立ちだから、少し緊張していたのだけど、杞憂だったようだ。

「あ、じゃあ忍足さんもテニスを!」
「そう、テニスしとったんですよ。これでも氷帝学園No.1を背負ってましたわ」
「アーン? 誰がNo.1だって? No.1は俺だ」それは、そうだろうなと思う。景吾、プロだし……。
「ちょお、なんも知らん子に、嘘くらいつかせろや」
「ふふ」というか、きっとボケたんだろう。笑ってしまった。
「あのボンボンには全然、かなわんかったんです。せやからもう、かれこれ15年以上んなるなあ? 跡部」
「いちいち覚えちゃいねえな」
「さいですか……」かわいくな、とボヤいた。
「でも、長いですね。親友じゃないですか」
「いやいやいや、そんな、気色悪いこと言わんといて」
「え」
「跡部と親友とか……そんなん、ふふ、きっしょくわる……」
「こっちのセリフだ。つべこべ言ってねえでなんか出せよ」

やっぱり、親友らしい。景吾に知り合いは多いけれど、親友と呼べるような人にははじめて会った。大切な人だというのは、見ていてわかる。忍足さんだって、まんざらじゃなさそうだし。そんな人に紹介してもらえるなんて、ちょっと感動しちゃうな。

「忍足さん、今日は、無理に開けてもらったんですよね? こんなに早くから、すみません」
「ああ、ええんですよ。それにここ、俺の店ちゃうから」
「あー……そうですよね、名刺とは……」職業が、全然、違う気がする。
「ん。俺の義理の兄ちゃんがやっとる店なんです。こないして、たまに昼間に使わせてくれたりするんです。せやから、気にせんといてくださいね」
「ありがとうございます、お気遣いいただいて」
「それに、今日は特別な日やって、聞いとったから」

にこにことニヤニヤが混ざった表情で、忍足さんは景吾をチラッと見た。一方の景吾は、聞こえないふりなのか、面倒なのか、ツンとしているけど。
そう、今日は付きあって3年目の記念日だ。あの景吾が、忍足さんにそんなこと、話したのかな。ちょっと……かわいい。

「くっくっ。跡部がそういうの大事にしとるとか、めっちゃおもろい」
「おい、余計なこと言ってねえで伊織も選べ。あとお前は早くなんか出せっつってんだよ」
「おおこわ、はいはい」

あれだけ人に堪え性がないと言っていながら、これだ。ちょっと気分が良くなったところだったので、突然シャッターをおろされたような気分にはなるものの、ご機嫌には違いない。
苦笑しながら、景吾に近づいていく。選べと言われたけど、たぶんキューのことだよね。やったことないから、よくわかんないや。

「うーん……景吾が選んでいいよ?」
「アーン? なんだそのやる気のなさは」
「だって……」初心者だし。「よくわかんないんだもん」
「伊織さん、このキューがええと思うよ。固めやし、初心者向け」近くで聞いていた忍足さんが、すかさず手渡してくれた。
「わ、ありがとうございます。えへへ、優しい」
「ふふ。おおきに」
「ふん、こいつは女たらしなだけだ」

ツンケンとした景吾が、どういうわけか、今日はかわいい。ひょっとして親友に冷やかされて、恥ずかしさをごまかしているつもりかな。

「アホはほっときましょ。伊織さん、なに飲む? アルコールやったらなんでもある」
「あ、じゃあビールがいいです」
「はいはい、ビールね」
「おい伊織、試合中に酒だと?」
「え、し、試合?」これ、ゲームだよね? え、試合だったの?
「跡部はなんにするんや?」
「アーン? ビールに決まってんだろ」ずっこけさせたいのか、この人は。
「どないやねん、と。どつきまわしたろかホンマ」

それでも、付きあいの長さと仲のよさを思わせる掛け合いが、心地いい。このふたりの間にお邪魔させてもらっていることに、景吾の彼女だと認められた気がして、テンションがあがっていく。
テーブルに置かれたビールグラスで乾杯すると、忍足さんはメモ帳を景吾に手渡した。「さて、とりあえず」と喉を潤した景吾が、メモ帳にナインボールというゲームルールを書きだしていく。さらに構えやら、打ちかたやら、贅沢なほどに手取り足取りだ。

「つうわけで、習うより慣れろってな。とりあえず打ってみろ」
「いや、十分に習わせたあとにそれ言うんだ……」
「ええツッコミやなあ、伊織さん。さすが跡部の彼女やで」
「黙ってろ忍足」

ビールが空きっ腹に効いたせいか、ビリヤードは想像以上に面白かった。だけど難しくて、うまくいかなくて、それがまた楽しくて。ときどき景吾が見せてくれるスーパーショットに感激したり、忍足さんとの勝負で悔しい思いをしていたら、あっというまに時間が過ぎていき、気付けば19時を過ぎていた。

「うわあ、いつのまにか4時間も経っちゃった」
「全ゲーム、俺の圧勝だな」
「景吾って……大人げないよね」
「なんとでも言え。勝負は勝負だ」

わたしの相手では当然、圧勝の景吾だったけれど、彼は忍足さんとの勝負でも、ほとんど勝っていた。おまけにふたりのゲームは生配信したいくらいにカッコよくて、観客席のわたしは興奮しっぱなしだ。

「はあ、5―3で跡部の勝ちか。お前はなんでそないに、勝負ごとに強いんやろなあ」
「俺がお前に勝てないのは酒の量くらいだ忍足よ。とりあえず、これでチェックしてくれ」
「おいおいブラックカードかい……ちゅうか酒で勝ったって嬉しない」

ぶつぶつ言いながら会計をしている。なんだかこの人も、かわいらしい。このペアは、会うと学生時代に戻っちゃうんだろう。だからきっと、かわいく見えるんだ。

「ねえ景吾、次はダーツ、しに来よう?」
「構わないが、俺は負けねえぞ?」でしょうね。
「なんか、助っ人ほしいなあ」一度くらい、景吾に勝ちたいし。
「おお、それやったら俺、跡部チームに入って、伊織さんにはええ助っ人でも呼ぼか?」
「え、強い人がいるんですか?」
「仁王いうてな、そいつもテニスしとったんやわ、違う学校やけど」
「呼ばなくていい。じゃあな忍足、また連絡する」

忍足さんの手からクレジットカードをサッと取って、景吾はぷいと背中を向けた。またツンケンしちゃって。今度はなに?

「なんやあ、ヤキモチか跡部? 伊織さんに会わせたない?」
「えっ」やだあ、そういうこと? やだあ、なにそれかわいいっ。「景吾、ヤキモチなの?」
「ほざいてねえで、次の店いくぞ」素直じゃない。
「そうやで伊織さん。跡部ってヤキモチ妬きやから」くう、言われてみれば思い当たる節、あるある!
「ほざいてねえで、お前は店の片づけをきっちりやれよ」
「はいはい、余計なお世話や。ちゅうか、お前も頑張りや」
「うるせえ、それこそ余計だ」
「ねえ景吾、ヤキモチなの?」
「お前も黙れ」

笑いながら振り返って頭を下げると、忍足さんは手をひらひらとさせていた。いい人だなあ。景吾がいい人だから、当然なんだろうけど。また、ぜひお会いしたい。
ほろ酔いになった体に外の空気がおいしくて、急激にお腹が空いてくる。
というか……景吾はなにを頑張るんだろう? 疑問に思っていると、ぐう、とお腹が鳴った。じっとわたしの腹部を見おろす景吾に、恥ずかしさよりも、妙な空気を感じてしまう。

「すみません、品が無くて……」上流階級の人には失礼な音なのかもしれない。
「なにも言っちゃいねえだろ」
「だって……言いたそうだったから」恥ずかしさをごまかした。
「まあたしかに、腹は減ったな」
「うん。ねえ景吾、久々にイタリアン行かない?」
「生ハム気分か?」
「うん。ワイン気分だしパスタ気分」

気を取りとりなおして景吾を見あげると、お店の前だというのに、突然、景吾の唇がわたしの唇に触れた。驚いて、目をパチパチさせてしまう。

「……なんて顔してんだよ」
「だ、だって、いきなりするから」ドキドキ、するじゃんかっ。
「いつも確認、取ってたか?」
「そ……ひょっとして酔ってる景吾?」
「かもな。お前もいい勝負だ。酒くせえ」
「ぐ……」だってお酒しか飲んでないもん、さっきから。
「よし、行くか」

景吾の手が、自然とわたしの手に重なった。うわあ、本当に酔ってるのかも、この人。いままで外で手をつないで歩いたことなんてなかったから、すごくドキドキする。いつもと違う特別な日に、こんなふうに触れてくるなんて。

「ねえ、景吾」
「アーン?」

どこに行くの? と聞こうして、やめた。また、堪え性のない女だと言われてしまえば、いつもと変わらない空気に戻ってしまうから。せっかくだもん、甘えたい。

「手、あったかい」
「そうか」

つながれている手が、強く握り返されて、それが返事だとわかる。ああ、このまま景吾と溶けてしまいたい。なんて愛しい人だろう。なんて愛しい日なんだろう。

「着いたぞ、ここだ」
「へえ、ここ? すごい、普通の一軒家みたい」

到着したのは、ものすごく大きな普通の一軒家の前だった。門の前に立つと、パッと灯った。
最近は一軒家レストランも増えている。ここも知り合いのお店だろうか。キョロキョロと一軒家を見渡していると、景吾はすぐ側にあるセキュリティシステムを操作しはじめた。

「わあ、やけに厳重なんだね」
「入るぞ」
「うん。ワクワクする」
「ふっ、年季が入った食い意地だな」
「景吾の餌付けで、このとおりだよ」

顔を見合わせて笑いながら、開けられた門のなかに足を踏み入れる。玄関口まで、歩くたびに、次々と照明が灯っていった。なんと、お金のかかった設備なのか。やっぱり、跡部景吾ともなると、このくらいのお店がお似合いかもしれない。よく、わたしみたいな一般人を彼女にしてくれたよ……いまさらだけどおこがましい。
玄関前に到着した景吾に、手を差しのべられた。こんなわたしにもお姫様扱いしてくれる景吾が、やっぱり愛しい。どれだけおこがましくても、どうでもよくなってきた。嬉しくて、そっと手を差しだす。が、予想に反し、その手をぐっと持ちあげられた。

「えっ!」
「力を抜け」
「え、えっ」な、え、急にダンスとかそういう? なにそのラ・ラ・ランド!
「指先の、力を抜け」
「お、踊る?」
「アーン? なに言ってんだ」

動揺を無視して、景吾はわたしの人差し指をセンサーのようなものにかざした。その奥から、ガチャ、という音が聞こえてくる。開かれた玄関が、また、パッと灯る。
そこに、誰のお迎えもなかった。というか、なぜわたしの人差し指でこの玄関が開くの?
戸惑いながら景吾を見あげると、静かに息を整えた彼が、言った。

「一緒に、ここで暮らしたい」
「え……」
「お前と、ここで、ずっと」

いくらせっかちで堪え性がなくても、こんなときまでそうはなれない。息が止まりそうだ。
ついさっきまで、普通のデートだった。忍足さんにも説明したとおり、今日は交際3年目の記念日だ。だから景吾の様子も、いつもよりちょっと違うのかなと思ってはいたけれど。
告げられた愛の言葉を、頭のなかでくり返しながら、なんの断りもなく、靴を脱いだ。

「おい、伊織?」
「すごい……広いね」

はじめて足を踏み入れる場所なのに、リビングにつながる扉を開けて、ため息がもれる。頭のなかで、家具の配置ができあがっていく。これだから、この人にはかなわない。わたしの好みを熟知したリビングキッチン。信じられないくらい、理想的だった。

「……なには、言うことは?」
「景吾と、ふたりきりでってことだよね」
「ふ、ほかに誰が割り込んでくるってんだ?」

笑った景吾に、嬉しくて、嬉しくて。その胸に、思いきり抱きついた。

「っと……なんだよ、いきなりじゃねえの」
「だって……」

優しい声。わたし、やっぱり堪え性がない。泣き顔を見られるのが恥ずかしくて、胸に顔をうずめてみても、たぶん、景吾にはお見とおしだよね。

「伊織」
「……」どうしよう、涙が、止まらない。
「おい、返事くらいしろよ」
「う、うん」

ぎゅっと抱きしめ返してくれた景吾に、ぐずぐずと鼻をすする。精一杯の強がりの声色が、景吾にはどう聞こえてるだろう。また、可愛げがないって、思われてるに違いない。

「腹、減ったな? この話のつづきは、食事をしながらでもいいぜ?」まったく、ジェントルなんだから。
「うん……でも、もうちょっと、こうしてたい」
「そうか……ま、その意見には、俺も賛成だ」

大きな手のひらで、髪をなでられる。顎をあげるように添えられた指先が、涙にそっと触れて。額に、頬に、唇に、ゆっくりとしたキスが落ちてきた。
もう泣くなよ、とささやく声も、背中をなでてくれるぬくもりも、すべてが愛しくて。
あの呼吸は……らしくなく緊張してたんだと思うと、愛情が氾濫して、どうにかなってしまいそうだ。

「今度、家具でも買いに行くか。このままじゃ、住めねえしな」
「うん、うん……」
「ついでに、指輪も」
「え、ゆ、ゆび、指輪、ついでなの?」

いいムードで、また、ぐう、と頼りない音がでてきた。とっさにお腹を手で抑えても、意味がない。景吾の呆れた視線が、突き刺さってくる。

「……ごめ……すみません、品が無くて」
「なにも、言ってねえだろ?」
「あ、ねえ、ひょっとして、忍足さんこのこと知ってたの?」

ごまかした。いまさら合点がいく。「頑張りや」の正体はこれだったんだ。

「アーン? ごまかしにほかの男の名前を出すとは、いい度胸だな」
「うう……」でも、景吾もいま、ごまかしてるよね?
「あの野郎は、結婚前に会わせろと、うるさかったからな」

やっぱり、親友なんだ。それだけで、ほだされていく。ああ、なんて、幸せ。

「ふふ……そっか。ねえ景吾」
「ん?」
「愛してる」

壊れたムードを取り戻したい。いつも言っている言葉だけど、今日はきちんと伝えたい。
だから、これ以上ないくらい、真剣に見つめたのに、景吾はなにくわぬ顔をして。

「……当然だな」
「ぐあー……もう、なんかムードないー」
「言われたくねえな」
「ねえー、ねえー。景吾は言ってくれないのー?」ブーイングだよー、それはー。
「アーン? 言われないとわかんねえのかよ」
「わかんないー、わかんないよー。全然わかんないー」
「ったく女ってのは……」

ぶつくさ言いながら、面倒くさそうな顔をする景吾だけど。この瞬間が、いつも好きだ。真剣になりたくて、でも照れくさくてなれなくて。そんなふたりが唯一、真剣になれる瞬間だから。わたしとあなたの大切な日くらい、ちゃんと、聞かせてほしい。

「愛してる、伊織」

それからちょうど1年後に、わたしたちは、一生を誓った。





fin.



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