Twice_05


彼女の心の奥に、わたしは闇を見た気がした。

真意は読めない……そこに何があるのか。

ただ、わたしは侑士を……彼女の闇に引きずり込まれているのなら、救い出したい……。
















Twice.











5.







時間は呆気なく過ぎた。

目の前でタケ兄と千夏さんが寄り添って座っている姿はあまりに非現実的過ぎて、わたしはテレビコマーシャルを見ているような感覚でそれを眺めていた。

頭の中に確かに堕ちてきたほとばしるような衝撃は、一瞬で意気消沈していった。

驚いたのだ。

千夏さんが微動だにしない、そのものの空気に。

こういった状況に慣れているのか?

彼女の虚構はいったいどこまで広がっているのだろう。

いや、そのどれも真実とするなら、タケ兄も侑士もあの裏口で見た人も、全て彼女の恋人ということか。


やがて母が、これまでタケ兄から買った着物を隣の部屋の居間に出した。

母とタケ兄は手入れ方法や綻びの修繕などを、居間に移動して熱心に話し合っていた。

その隙を見てか、彼女が話しかけてきた。案の定だと思ったが。


「詰らないんだ」


人を嘲るような物言いだった。

そこで漸く、わたしの胸がムカムカとしはじめた。

なぜ、アンタがわたしをバカにしたような態度を取っているんだ。

一体どこで身に付けたのかわからない小さなプライドをつんざかれたような気分だった。


「無駄そうで」


嘲り返してやると力を込めて、しかし冷ややかに言い放った。

だってそうじゃないか。

誰とでも付き合う女をわたしが喝破したことでなんになる。

だがわたしのその態度には動じず、彼女は涼しい顔をしてこちらを見ていた。

その口元が可笑しそうに、厭らしく歪んでいる。楽しんでいるのだ。

この人は本気でわたしのことを、小馬鹿にして楽しんでいる。


「隠しきれてないよ?顔……嫉妬でぐちゃぐちゃになってる」


好きなんだろうなって思ったも〜ん。初めて会った時。侑士くんのこと愛しそうに見つめちゃってさ。

くすくすと笑いながら小声で耳打ちするように言ってきた。

この開き直った態度。

最初に会った時の彼女の面影は、もはや一欠けらもない。

挑発に乗りたくはなかった。乗ってしまったら終わりじゃないか。

自分のしていることを棚にあげ、挑発して面白がるような腐った女と同等になるのはごめんだ。

じっとわたしが睨みかえしていると、千夏さんは母とタケ兄にしおらしく声をかけた。


「ねえタケちゃん、ちょっと伊織ちゃんの部屋に行ってくるね。アイドルの切り抜き見せてもらいに〜」

「おうごめんな!終わったら呼ぶからよ。伊織ー、あんまり千夏にイイ男見せんなよ!」

「タケのどこが良かったのかわかんなくなっちゃうから?」


おどけて言った母の言葉に、タケ兄はしっかり突っ込んでいた。

その様子にわたしも精一杯の笑顔を作って、彼女のその案に乗ってやろうと階段をあがった。

本当は部屋に入れるのも汚らわしいが、あそこじゃ何か聞かれてしまってはまずい。


「侑士くんとは別れるつもりないよ。あのコ優しいし。なんでも言うこと聞いてくれるし。欲しいものはくれるし」


入った瞬間に本題に入った千夏さんは、悪びれもせずそう言った。

別れて欲しいなんて言うつもりはなかったから、わたしは自分でも驚くほど冷静に言い返した。

彼女は奴隷を探しているんだろうか。


「タケ兄とはあるんですか?」

「あー、タケちゃんは別にあたしのこと好きなわけじゃないから」


意味がわからない。

さっきの言い分からして、目的はお金だか一時の優しさだか、とにかく言いなりになる男だ。

そこに相手の感情がいるんだろうか。

……いるんだとして、タケ兄は遊びで女と付き合うような男じゃないはずだ。

百歩譲ってタケ兄にとって遊びだったとして、あなたがそんなことを言える分際か。


「あなたこそ、タケ兄だって侑士のことだって好きじゃ……」

「あ、好きだよ?侑士くんのこと。あのコ、すごいうまいし」


「はあ?」

「タケちゃんはただ、射精だけするバケモノってカンジ。吐いちゃうことあるもん、気持ち悪くて」


ちょうどいい、別れようと思ってたから――

彼女がそう言い切る前に、わたしは澱みを吐き出すように下碑たその横顔をひっぱたいていた。

だけどそんなことにも慣れてるのか、それとも、ひっぱたいて欲しかったのか。

鼻であしらいながら乱れた髪を整えるように頭を振り、険のある視線を一直線に向けて言った。


「わかんないでしょうよ。あんたみたいな幸せなガキには」


何も言い返すことはなかった。いや、出来なかった。

そのとき初めて、彼女の中にある確かな闇を見つけた気がしたからだ。

今まで見たどの表情とも違う、本当の素顔が浮き出ていた。

思わず絶句したわたしは、部屋を出て行く彼女の背中を見送るしかなかった。

乱暴なその口振りに、悔しさや怒りは込み上げてはこない。

それは、もしかしたら彼女は本当に不幸な女なのかもしれないと、わたしがどこかで感じていたせいだろうか。









「よ」

「!」


掛けられた声に咄嗟に頭をあげると、宍戸の顔がそこにあった。

見ると、わたしと同じように箒を持った宍戸がついでに塵取りを持ってきてくれていた。


「あ、さんきゅ」

「おう」


考えすぎたゴールデンウィークを過ぎ、すでに週末に差し掛かっている。

五月とは思えない暑さと、だけど五月らしい惰気と眠気の中で、爽やかな宍戸の存在は憧れであり、そして安らぎでもあると感じた。

そう思う自分に、少しだけ彼を意識している自分をも見つける。

好意という意識ではなく、自惚れとそれに伴った謝罪という意識。

本当にまったくの自惚れであるかもしれない可能性は、さておきだ。


「なーにつまんなそうな顔してよ」

「別につまんなくないよ。なんかいろいろね。考え事」

「あー、あいつか」


落ち込む様子など微塵も見せず、宍戸は鼻の上でメガネの位置を調整する真似ごとをして屈託なく笑っていた。

本当にただの自惚れなんじゃないかと思うほど、宍戸は友達として徹してくれるつもりなのだ。

だけどその辛さを知っているわたしは、宍戸にこの想いを相談する気にはなれない。


「んー、いや、幼なじみのこととか、ね」

「ふうん?」


誤魔化してみたものの、宍戸は疑いの眼差しを向けて寂しそうに俯いた。

箒で捕まえるはずの塵が空中で彷徨ってしまっている。わたしの心のようだと思った。

そういえば今日、侑士とふたりで歩いている時に宍戸と出くわしてしまった。まずかったか。

いけない、あれやこれやと余計な心配を繰り返してしまうと自己嫌悪に陥る。

宍戸に恋が出来ないわたしの心の在り方は、決して罪ではないはずなのに。


「不二くんって知ってるでしょ?」

「おう、不二か」


「うん。わたしの幼なじみが青学に居てね。中学の頃からずっと不二くんのこと好きで。最近、不二くんに彼女が出来たらしいんだけど、なんかヤケクソで告白しちゃってさあ」

「……今までずっと黙ってたのに?」


「うん、だけど我慢できなかったのかな。それとも、彼女なりにけじめをつけたかったのかも」

「…………」


誤魔化しついでではないけれど、幼なじみからの報告を、わたしはそのまま宍戸に話した。

彼女からのその報告で、わたしが複雑な心境に至っていることは事実だ。

潔い彼女の行動に、わたしは触発されることすら出来ない小心者のような気がする。

彼女はきっと、終わりをも覚悟の上で告白したに違いなかった。

わたしは……?

わたしは、侑士との関係に終わりを告げることは……出来ない。

そんな覚悟、わたしにはない。


「お前までそうする必要はねえだろ?」

「え……」


「いや……なんかさ。続きそうな言葉が、わたしもそうしよっかな的な感じだったからよ」

「……あ……ううん。そんなこと、出来ないよ」


そうか……と、宍戸は呟いた。どこか残念そうに見えたのは、きっとわたしの錯覚だろう。

だけど黙って聞いてくれる優しさが心地良い。やっぱり宍戸に相談したくなってしまう。

わたしの気持ちはともかく、吐き出してしまい。あの女のことを。


「ねえ宍戸さ」

「ん?」


周りの生徒はもうすぐ終わる掃除時間に高ぶって、騒ぐ声が一層激しくなっている。

煩い教室の中だからこそ、誰にも聞かれずに済むような気さえした。


「侑士……さ」

「うん?」


重たい口が開くのを、宍戸は辛抱強く待ってくれていた。


「浮気……されてるみたいなんだけど……」

「は?」


見ちゃったんだよね。と、それだけではない全てを宍戸に訥々と語った。

宍戸の顔がみるみる青ざめていく。

後半になると、「マジかよ」しか聞こえてこなかった。



*



――言ってやるべきじゃねえか?忍足のこと哀しませたくないなら、さっさと切らせた方がいいだろ。


正論だった。

その真実を告げることで侑士を哀しませるのが嫌だというわたしの思いはエゴに過ぎない。

でも問題は、わたしの中に少なからず、壊れてしまえ、棄てられてしまえという醜い邪心があることだ。

侑士の哀しむ姿を見たくない?……素晴らしき綺麗事だ。

本当は自分だけのものにしたいという欲求だけで突き進んでいる心の内を、わたし自身が気付いている。

侑士に告げる瞬間、悪のわたしはさぞかし快感に満ちているだろう。

醜いわたしが毛穴という毛穴から顔を出し、別れてしまえ、わたし以外の人との幸せなど許さないと詠うのだ。

そんな醜い自分に耐えられるだろうかと、一晩中悩み抜いた。

心の底にあるマーブル模様のタールが、一枚一枚はがされていくような……そんな苦痛の夜だった。













「いらっしゃい。なんやお前がうち来んの久々やな?」

「んー、そうかもね!お邪魔しまーす」


その翌朝、部活もなくデートもないという侑士の家に行った。

侑士曰く、久々の訪問で浮き立つ心を消せない自分がいる。

彼女がいるのに他の女とふたりきりで、しかも部屋で会うという侑士の絶対的タブーを侵してしまえるのはわたしだけだと、優越感にも似た感情が沸き起こる。


「冷蔵庫あけるね」

「おー」


侑士はTシャツにジーパンというシンプルな格好でわたしを出迎え、ぐてん、とすぐにソファに横たわった。

よっぽど疲れているようだ。連日続く部活のせいか、もしくは五月病のせいかもしれない。

ぐにゃりとした侑士を横目で見ながら苦笑しつつ、彼の冷蔵庫の中にはいつも入っている清涼飲料水を拝借しようと思い、何気なく開けた。

開けた瞬間、固まってしまった。


「!……ちょ、侑士……これ……」

「ん?……ああー……ああ、な……」


な、ではない。

おびただしい数の酒がぎっしりと詰まっていた。

ビール、カクテル、日本酒、チューハイ。

はっとして戸棚に目をやると、カクテルの原液やウイスキー、ラム、テキーラまで並んでいる。

一体どういうことだ。まるでアル中の住処のようじゃないか。


「あんたねえ、少しくらいはアレだけど、これはいくらなんでも――!」

「――ちゃうって、千夏さんのや」


「……え」

「千夏さん、お酒めっちゃ好きやねん。最近しょっちゅううち来るんやけど、来る度に酒買うん面倒やからってそんなんようけ置いていきよった」


時には一緒に飲めと勧められて大変だと言う。

侑士がどこかぐったりと疲れているのはそのせいだろうかと思った。

返す言葉が無くなってしまったわたしは、冷蔵庫の中で控え目に立ち尽くしている清涼飲料水を取り、ぼうっとした侑士の隣に座った。

そういえば毎日会っているから気付かなかったけど、痩せたような気もする。


「侑士、ちゃんと寝てる?」

「んー……ちょお眠い」


「昨日も千夏さん来てたの?」

「せや……ふぁ……なんや、最近暇なんかな?付き合い始めはあんま会えへんかったんに」


タケ兄と別れたせいだろうかと思った。

ぎこちない焦燥感が体中を駆け巡る。

タケ兄と別れてくれたことは嬉しいが、侑士がその分つき合わされているのでは意味が無い。


「もうすぐ練習試合でしょ?お酒なんか付き合っちゃダメだし、寝なきゃ!」

「やな。わかっとるんやけど、お酒入るとちょお強引なんや、千夏さん」


説教じみたわたしに困ったように笑っているけれど、その顔はどこか幸せそうで。

わたしにはそれが、どこまでも癪だった。


「あ、しかもな、練習試合来てくれるんやって」

「え……」


「声とかは掛けないよって言われてもうたわ。遠くからゆっくり見とるって」

「そう……そっか、良かったじゃん」


ん、とまた嬉しそうに笑うもんだから、心の中で舌打ちをした。

今月末は氷帝、立海、青学の三校が練習試合をすることになっている。

どのテニス部も校内じゃかなり人気のある人達の集まりだ。都大会並みに盛り上がるだろう。

それを知っての彼女なりの警戒なのか、ギャラリーに混ざって見学するつもりらしい。

わたしはまた、母の作った夕飯の残り物を口実にこっそりお弁当を作るつもりだったのだが……あの女の正体を知ってから、そこにあった罪悪感などは吹き飛んでしまっている。

彼女が近付くつもりがないのなら尚更、侑士も「おばちゃんの弁当」には遠慮しないだろう。

それにしても、たまたまその日は暇なのだろうか。いいなりになる男の試合を観に来るなど、らしくない。


「せやけど……」

「ん?」


冷静にそんなことを考えていると、侑士が話を戻すように声を発した。

千夏さんの話になると、侑士は決まって声が弾む。


「嬉しいわ。ここんとこ週に三回はうちに来んねん。ああ、ようやく必要とされとるなあって」

「…………」


にっこりと笑う侑士の顔は、体調不良もなんのそのという希望に満ち溢れていた。

言うべきか、言わざるべきか。

そんな笑顔を見せられてしまっては、葛藤の中で時間だけが過ぎていく。

今日ここに来る決断をしたのは、言うと決めたからじゃなかったか。

覚悟を決めるためにひとつ深呼吸をして、清涼飲料水をガブガブ飲んで喉を潤した。


「侑士」

「ん〜?なんやDVD観る?」


「ううん。ちょっと話したいことがあって来たの」

「そうなんや?なになに?」


緊張が高まって、不自然な咳払いがその場を静かにさせた。

毛穴が疼きだす。邪悪なわたしが顔を覗かせ始めていた。


「千夏さん、なんだけど」

「おう、なん?」

「…………浮気、してると思う」


侑士の顔をまともに見るのが怖くて、自分の胸を見ているかのように俯いた。

何故か泣きそうになる。どこかで期待している自分がいるんだ。

壊れてしまえ、棄てられてしまえ。棄ててしまえ、あんな女。

体中で沸き起こる邪心を打ち消したい一方で、侑士の言葉を待っていた。

だけどその声はいつまで経っても聞こえてこなかった。

長い沈黙。少しだけ見える侑士の膝にあてがわれた手は、ぴくりとも動かない。

とうとう不安になって顔をあげたのは、その静寂と化した空間に耐えれなくなった時だった。


「……っ」


そして侑士の顔を見て、絶句した。

思いもしなかった……微笑んでいるなんて。


「……伊織」


びくりと震えそうになるほどの優しい声。

俺の女にケチをつけるなと怒鳴られることも覚悟していたのに、これはどういうことなのか。

侑士の言葉を待つように空唾を飲み込むと、ふっと息を吐いて、侑士はわたしを真っ直ぐ見た。

突然、流れに逆らって遡上する魚のように後悔が脈を打つ。

わたしは慌てて声を上げようとした。


「それが、あの……っ」


だけど侑士は、わたしの言葉を遮った。


「――知っとる」

「え……」

「……知っとるっちゅうか、そうなんやないかなって……思っとった……」


頭が真っ白になった。……知っていた?そんな、まさか。

侑士はわたしの心の内を見透かしたように、また少し微笑んで。


「なんとなくな、腑に落ちんなあって思うことがあるんや……いろいろ……」

「…………」


何も言えなかった。自分の無力さに腹が立って、涙が溢れそうになる。

そして悲しみを湛えている侑士の頭は、やがてゆっくりとわたしの肩に埋められた。

辛くて壊れそうな侑士の想いが幾重にも連なってわたしに圧し掛かってくる。


……本当は、ずっと相談したかったのかもしれない。

だけど心配をかけたくないからなのか、それとも自分自身のプライドの問題なのか。

侑士は得意のポーカーフェイスで、気付いていないフリをしていた。悩んでいる素振りさえ見せなかった。

千夏さんにだけじゃない。わたしにまでだ。

皆に幸せだと公言していた。

本当の幸せじゃないことを知りながら、公言することで自分に言い聞かせていたのかもしれない。


「侑士……」

「伊織がそんなん言うって、よっぽど根拠がないと言わへんやろ……?」


「……っ……」

「……ありがとう。悩んだやろ。ありがとうな」


その震えた声に、わたしの手は自然と侑士の頭を撫でるようにして添えられていた。

手触りの良い黒髪が、そっと揺れ始める。

こんな時にまでわたしのことを気遣うことなどないのに。

侑士の想像以上の暖かさに、わたしの心が震えてしまいそうだ。


「堪忍……ちょっとだけ……」

「いいよ侑士……ごめんね、わたし……」


どんな言葉を繋げるべきだったのかわからない。

だけど侑士は全てを汲み取ったように、わたしの肩に埋めている頭をぶんぶんと振った。

どこまでも優しい侑士。わたしの謝罪は受け入れてくれないらしい。

彼が泣き終わるまで、わたしはまた心の葛藤と戦わなくてはならない。

彼女の浮気を知って尚、彼女を愛するなら……それが侑士の選択なら……。

わたしは彼の親友として、その恋を応援すべきなんだろうか――。





to be continued...

next>>06
recommend>>ファットボーイ&ファットガール_06



[book top]
[levelac]