Iwai


テントを建て終わって川に向かうと、家族連れの同僚たちは子どもと一緒になって大騒ぎをしていた。楽しそうな声に頬をゆるませながら、離れた人気の少ない場所に腰をおろす。

「仁王さん、ここにいたんだ」
「ん?」

心地いい声に頭をあげた。太陽のまぶしさが飛び込んでくる。逆光でよく見えないが、どうしても見たくて手をかざしたら、今度は違うまぶしさが飛び込んできた。
いつ見ても、キラキラしちょるのう、佐久間は。

「どうした? 俺のこと、探しちょったんか?」
「釣り、一緒にしましょって、さっき話したじゃーん」
「おう、そうやったの」

ずっと見ていたくて、さして興味もない釣りを理由に誘ったのは俺のほうだ。だが佐久間は俺を急かすこともなく、そっと、となりに座ってきた。

「気持ちいいねえ、ここ。マイナスイオンーって感じ」
「キャンプ、好きなんか?」
「好きじゃなきゃ、会社の人たちとこんなとこまで来ないって」
「それは、言えちょる」
「ふふ、でしょう?」

あっけらかんと笑って、飴を口に放り込んでいる。
物理的にも精神的にも普段より近くなっている距離感に、年甲斐もなくときめいている自分に笑いだしそうだった。佐久間の、いい香りもしてくるし。

「キャンプはいいよー、癒やされるし、ちょっと大胆になれるし」
「大胆?」
「うん、テンションあがりすぎて、川に飛び込んだりもできるじゃん?」
「それは酒が入るからじゃのうて?」
「それもあるけど、やっぱりこのロケーションだよ。あ、仁王さんこれいる?」
「ん?」

差しだされたオレンジの飴を見て、自然と手が伸びていく。
このまま引っ張って腕のなかに包んだら、どんな顔するんじゃろうか。

「ていうか仁王さんも、キャンプ好きだからここに来たんじゃないの?」

わずかに手が触れ合った瞬間、その手を握った。ふたりだけの時間が止まる。我慢できんかったらしい、俺の体が。

「好きだから、来たんよ」お前が、と言ってしまいたくなる。
「……えっと、仁王さん、手」
「誘われて断らんかった理由は、本当にそれだけだ」
「それって……」わたしのこと? と、聞きたそうな顔。
「たしかに、ちょっと大胆になれるんかもしれんの」

驚きの顔が、じわじわと赤くなっていく。それ以上の言葉は、必要ないことがわかった。
堪え性のない手が、佐久間の腕に手を滑らせて引き寄せる。息がかかりそうな距離で見つめると、同僚から女の顔に変わった瞳が、心を惑わせた。

「あの……会社の人たちに、見られないかな」
「見られたところで、邪魔するほどヤボじゃなかろう。みんな、ええ大人なんやし」
「はは……そだよね。こんなの、入ってこれないよね」

照れくさそうに微笑んだそのなかに、ふたりの永遠が見えた気がした。ずっと見つめていたい。すべて包まれてしまいたい。なにもかも捧げてしまいたい……お前になら。

「まだ、お酒も入ってないのに……」
「酒が入ったら、もっと大胆になってくれるんか?」
「なに言ってんの、恥ずかしい」

そうは言っても微笑みを絶やさない佐久間に、もっともっと、触れてしまいたい。

「仁王さん、釣り、しないの?」
「ああ、それはもう済んだ」
「へ?」
「佐久間のこと、ここで釣っちょる。いや、もう少しで釣れそうっちゅうとこかの」
「な……」
「じゃろ? もう、ええ大人なんやし」
「表現が、なんか、悪いなあ」釣る、とか。と、頬をふくらませている。
「すまん、カッコつけたつもり」たしかに、よくはない。「佐久間……こっち向きんしゃい」
「なんか、やっぱり恥ずかしい、ね」

もう一度、見つめた。ゆっくりと、赤くなった頬を包んでいく。
影が落ちていくその前に、静かに瞳が閉じられた。

「好きだ」
「うん、嬉しい」

キスに釣られたのは、俺のほうだ。





fin.



[book top]
[levelac]




×