愛してる


テニスコートの隅で、こちらに背中を向けて空をあおいでいる姿は、静かに俺の胸を高ぶらせる。やわらかな日差しを肌に浴びて、いったい、なにを逡巡しているのだろうかと思う。練習風景を見もせず、日焼けは大敵だと口にしながら、それでも毎日ここに来る伊織の気持ちには、とっくに気づいていた。

「待たせたな」
「あ、おつかれ国光。練習、終わったの?」
「ああ、終わった」

となりに腰をおろすと、バッグからスポーツドリンクを手渡してきた。幼かったころから、伊織はいつも傍にいてくれた。

「明日からだね、ドイツ!」
「そうだな。しばらく留守にするが、そのあいだお前はどうするんだ?」
「え? どうするってなに。普通に過ごすよ」
「毎日こうして俺の練習につきあうほど暇なのに、大丈夫なのか?」

素直になれない言葉に、伊織は怒りもせずに声をたてて笑った。
となりに越してきた日からずっと、俺は伊織の笑顔を胸に練習に励んできたというのに、この有様だ。

「かわいくないんだからー」
「俺がかわいいことなど、いままであったか?」
「ない。一度もない」
「……だろうな」

だが、こんな会話をして笑顔を向け合う女は、伊織だけだ。

「はじめてだよね」
「うん?」
「国光と、長いあいだ離れるの」
「ああ、そうだな」
「いくら国光でも、寂しくなっちゃうんじゃない? 個人練習を見に来てくれるような人、あっちにはいないし。この馴染んだ顔も、なかなか見れなくなっちゃうし?」

はにかんではいる……が、どこか切なげに見える。
安心しろ。お前が寂しくないように、今日はいろんな覚悟をしてここに来た。
……本当に寂しいのは、俺自身かもしれないが。

「お前はどうして、俺の練習につきあってくれているんだ?」
「そりゃ……だって子どものころからの、日課だもん」
「本当にそれだけか?」
「それ以外、なにがあるっていうの?」

不安げに見つめる伊織の瞳もしばらく見れなくなる。もっと早くに伝えておけばよかったかもしれないと、いまさらのように思う俺は、勝手なのかもしれない。

「寂しいのは、なにもお前だけじゃない」
「ちょ……わたしは、寂しいなんてひとことも言ってないじゃんか」
「そうか。じゃあ、寂しいのは俺だけなんだな?」
「え……」

じっと見つめると、伊織の表情から笑みが消えて、ゆっくりと女の顔になっていった。
どこか安堵している自分に、緊張していたんだと気づく。

「愛してる」
「えっ!」
「聞こえなかったのか?」
「き、聞こえ」
「愛してる、伊織」
「ちょ、ちょっと待って国光、ちょ、近い」

距離をつめていく俺にあわてた伊織の頬が赤く染まっていく。手をおくと、ぴったりと静かになった。
その熱が、俺の心をいつも強く揺さぶってきたんだ。お前は、気づいてなかったのか?

「きちんと言っておきたかった。長く離れてしまう前に」
「国光……」
「寂しくないように、毎日、連絡をする」
「ほ、本気……?」
「本気だ」
「わたしのこと……」
「愛してる」
「国光……」

そっと口づけると、俺の背中を抱きしめるように、伊織の愛がこぼれていった。
離れても、毎日のように伝えてやる。お前を、愛していると。





(今日の国光は、ちょっとかわいかったよ?)
(お前が、そうさせているんだ)





fin.



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