orange ham hug -noodle-


鼻をくすぐるような香りに、布団から顔をだす。
さっきまでむぎゅっとしとったやわらかいぬくもりが、いつのまにか枕に変わっとった。ああ、あのまま二度寝してしもたんや……頭をあげるのと同時に、腹が鳴る。
ここ最近の俺の休日は、いつもこんな感じ。めっちゃ、幸せ。

「伊織、今日はなにつくってくれとるん?」
「あ、やっと目が覚めた? お寝坊さんだね。オムライスだよ」
「伊織が寝かせてくれへんからやーん。俺、オムライスめっちゃ好き」
「うん、知ってるよー? 減らず口さん」
「ホンマのことやもん」

うしろからぎゅっと抱きしめてイチャイチャ。この時間、めっちゃ好き。
最近は伊織も料理をするようになったで、憧れのキッチンイチャイチャを満喫しとるんや。見とって危なっかしいのは相変わらずやし、できあがっとるほうのオムライスの形はなかなかいびつなんやけど、それでも愛情たっぷりやし、味は花マルやから大満足。

「侑士、ケチャップかけすぎだよー……」
「ん、そうやろか?」
「小学生じゃないんだから」スプーン片手に、呆れたような、優しい笑み。かわいい。きれい。好き。
「やって、味濃いほうが好きやねんもん」つい、言いぶんも小学生になってまう。
「あはは。そっかそっか。まあじゃあ、好きなだけかけちゃえ!」
「やんな!」ぶにゅっとケチャップを押して、ドバドバかけていく……うまい。最高や。
「このあいだ、ラーメンにもすんごい大量のニラを投入してたよね」
「ああ! あのラーメンな、めっちゃうまかった。どこやったっけ?」
「名古屋ね。台湾ラーメン」
「めちゃめちゃうまかったわー、あれ」
「でしょう? なんてったって本場だからね!」

伊織は自慢げにうなった。本場は台湾やと思うんやけど……それ言うなら発祥やな。せやけど、ツッコミはせんでおく。
友だちに会いに行った旅行先からわざわざ俺に買ってきてくれたお土産やし、余計なこと言うたらどんな琴線に触れるかわからへん。
妙なことでムキになる伊織の特性は、一緒に暮らしとるせいか、つかんできとる。修行のかいあって察する能力も高なってきたで、あのスプラ事件以来、多少の諍いはあっても大きなケンカもなく、安全な毎日を過ごしとった。

「そういや伊織、今日はお出かけやったっけ?」
「うん、16時からね。友だちのところに行くよ」
「さよか……」

先週に言われたことを思いだした。たしかゲーム大会するんやったっけ。同棲してしばらく経ついうのに、休日に伊織が傍におらんのはちょっと寂しい。

「あれれ? 侑士、寂しい?」
「んな、ははっ、寂しくないわ」なんでやっ。そんな顔してへんやろっ。「寂しいの伊織のほうやろ?」
「ん? わたしは大丈夫だよ?」
「ええねんで、無理せんと、寂しいって言うたら」
「ぷぷ。それ、自分に言い聞かせなよ」
「せやから、寂しないって」

くすくす笑われて、頭の上に黒ペンでぐちゃぐちゃに書いた線が浮かんでいく。はあ、敵わんなあ……お姉さんやから、なんでもお見通しなんやわ、この人。

「今日はなんのゲームすんの?」やで、話題を変えた。
「もちろん、スプラ」
「やんな」

聞くまでもなかったか。俺と伊織が大ゲンカしたあの『スプラトゥーン』は2やったんやけど、なんと最近3が発売されて、彼女は暇さえあれば四六時中スプラをやっとる。この頃は苦手やったチャージャーと言われる武器も使えるようになってきて、テンションもうなぎ登りや。そうなってくると負かしたくなるのは俺の悪い質なんやけど、スプラ3は前のようにランダムでのチーム分けができるパターンと、最初からずっと同じチームでプレイできるパターンが追加されたことで、伊織と対戦するようなことはないなった。嬉しいような、ちょお残念のような……俺の負けず嫌いも大概やから。んん、そのゲーム大会、参戦したかったわ。

「あ、ほな俺、跡部でも呼ぼかな」暇やし。
「え、跡部さん!?」

跡部の名前を出した途端、伊織は大げさに反応した。前から不思議なんやけど、なんで跡部はさん付けなん? せやけどその引きつった顔を見たら、いささかかわいそうにも思えてくる。

「あかんかな?」
「いやいやいやいや、全然、全然、いいんだけど!」全然って2回つけたらあかんパターンちゃうか。「ほ、ほら、お掃除し、して、ないしっ」めっちゃどもるやん。
「適当でええやろそん」
「ダメだよ!」うわっ……食い気味や。
「え、なんで?」
「だって跡部さん絶対にきれい好きだし絶対に侑士よりうるさいもん!」

むちゃむちゃ本音を吐きはじめた伊織に、目が棒になる。ん、まあきれい好きの偏見はええとしよう。ちゅうかたぶん、そのとおりや。せやけど待って? 「侑士よりうるさい」ってなんや、おい、なんやねん。まるで俺がうるさいみたいやないか。

「あの、窓枠の、ほこりとかこう、手で、こうっ」人差し指で拭うしぐさ。
「せんって、そんなこと」
「するよ! 絶対する! だって侑士こないだしてたじゃん、侑士がするってことは絶対する!」俺らは嫌味な小姑か。「そうなったら、わたしが白い目で見られるんだよっ」
百歩ゆずって、それしたとして、やで。「なんで伊織が白い目で……」
「女だから! ザ・女だから!」目えひん剥いとるでおい。
「そん……跡部はそんな差別主義者やないって。ちゅうか人の家にそんな注文つけへんって」
ぶんぶん、首を振っとる。「だから、呼ぶのはいいんだけど、いいんだけどちょっと怖いっていうかっ」いいんだけど、も2回あったら、それは嫌やろ。
「んん、そんな心配やったら、跡部が来るあいだに掃除したらええやん?」

そう、それで問題は解決。
せやけど言うた途端、「しーん」という文字がどっからか飛びだしてきたんかと思うくらい、伊織は真顔になった。

「え?」
「侑士の、お友だちなわけだし」
「いやせやから、俺はべつにいまのままでも……」ちゅうか跡部に小姑かまされても気にならんし。比較的、部屋は片づいとると思うし。
「ダメだよ!」
「んなっ……伊織がどうこう思われるんが嫌なら、それ伊織の問題やねんから、伊織が」
「侑士が! 跡部さん来るまで! 隅々まで! お掃除すべきじゃないかなあ!」

こうなってくると、不毛な言い争いになるのは目に見えとったで、俺は黙って目を閉じた。わかったわかった、伊織が跡部に「ちゃんとしとる」と思われるために、(なぜか)俺が掃除しろってことやな。はあ……どんだけ掃除嫌いやねん。

「……わかった、ほな食事が終わったらそうする」
「わ、さすが侑士だね! きれい好きだもんね!」
「んん……」大雑把やもんなあ、伊織は。
「侑士のそういうとこ、すごく尊敬する。素敵。大好き」

しらじらしいほどの愛を吐いて、伊織は食器を片づけるついでに、頬にキスを落としてきた。ホンマ、めっちゃ調子ええ……せやけど、俺も伊織のそういうとこ、なんか知らんけど好きやし、甘やかしたいと思うんよなあ。

「口にしてや」
「えー、ケチャップついてるもん」
「ほなそれ取って?」
「ふふ。甘えんぼさんだね」

ちゅ、という音に笑みがこぼれていく。まったくホンマに……どっちがやっちゅうねん。





跡部が来たのは、ちょうど掃除を終えたころやった。ピンポン鳴った瞬間に、伊織の背筋がピーンと伸びる。伊織にとって跡部ってなんなん? 鬼教官かなんか?

「あ、跡部さん、いらっしゃい!」
「よう。久々じゃねえの」
「ご無沙汰してます、お元気でしたか?」めっちゃ敬語やし。どっちが年上かわからへん。
「ああ、変わりない」言いながら、跡部は伊織に手土産をわたした。
「わあ、こんな……すみません、ありがとうございます」キラキラ光っとるシャンパンとワインのセットに、伊織の目もキラキラしはじめる。
「かまわない。忍足とは仲よくやってるか?」
「ふふっ。はい!」
「お前に心配されんでも仲ようしとるっちゅうねん」

跡部をリビングに迎えた伊織はすぐにキッチンに立った。ぎょっとする。
「冷えるまで、ね」とつぶやきながら、見たこともないようなポットをだして紅茶を淹れはじめとったから。おいおい、そんなんどこにあったん。妙に跡部には世話焼きやな。それもこれも、「どう思われるか」に神経つかいまくっとるからやろか。
いつもやったら出かける直前まで支度をせんのに、跡部が来ると決まった途端に化粧して服もバッチリ決めはじめたのも、そういうことなんやろう。

「伊織、無理せんでも……」
「無理? って、なんのことかな」

首をかしげたきょとん顔。跡部に聞かれとるからやろう。意味がわからん。いつも絶対そんなんせんやん。どう思われたいねん。謎や……。

「アーン?」

俺のほうが首をかしげたくなったときやった。跡部が急にいつもの声を発して、なにやら手にして首をかしげとる。その様子に、俺はさらに首をかしげた。つまり3人そろって首をかしげとるおかしな状況になっとった。

「忍足よ……」
「なんや、どないしたん」
「これは、なんだ」

ローテーブルの上にあったゲームパッケージを手に、わざわざ目の前にかかげてきた。
跡部が手にしとるのは、『スプラトゥーン3』や。密かな衝撃を受ける。まさかこいつ……スプラ、やりたいんやろか。

「スプラや」
「ああ、だろうな!」
「なんっ、急に叫ぶなや」あと知っとるなら聞くな。そう書いとるやろ。
「これは、アレだな? いま売れに売れているという……アーン?」
「ああ、まあスプラやからなあ」売れて当然っちゃ当然なんやけど。
「ほう……やるじゃねえの忍足」なんのこっちゃ。
「跡部さん、ひょっとしてスプラやるんですか?」
「いや……興味はあるが、やったことはない」

紅茶をだしてきた伊織と目が合った。跡部はスプラ3のパッケージを見て興奮しとる。これは……どう考えても、やりたあてしゃあないっちゅう感じにしか見えへん。

「跡部、スプラやりた」
「はっ、んなわけねえだろっ。この俺がっ」食い気味で否定したら肯定なんやけどな。「だいたい、スプラトゥーンというのはこの個体に対して1アカウントしかつくれねえだろ」んなわけねえにしてはよう知っとるやないか。
「こ、個体……」伊織が引いとる。
「まあだが、CMやネット情報を見ている限り、悪くねえゲームシステムだとは思っていた。興味深いと言ってもいい」さっきからなんなん。はっきり言えや。「だが俺は昔からテレビゲームというものに馴染みがない」
「ああ、せやからうちに来たときめっちゃやっとったもんな」ぼっちゃんやから家では禁止やったんかもなあ。
「なっ……あれは、お前がどうしてもいうから付き合ってやっただけだ!」へえ……目、ランランさせとったけどな。「おまけにこの個体で2P対戦ができねえんじゃ……」
「あの跡部さん」
「アーン?」
「うち、同じゲーム機2台ありますし、ソフトも……あ、こ、この個体も、2つあります」
「なに……!?」
「なので……よかったら、あの、対戦、できますけど……」

伊織の言葉を受けた跡部が、ぶんっと勢いよく俺に振り返ってくる。いや……せやからさあ、めっちゃやりたいねんやろ? はよそう言えばよかったやんか。個体とか意味のわからへんこと言わんとさ。

「ハーッハッハッハッハッハッ!」

急に笑いだした跡部に、伊織がビクッと体を揺らす。そうやんなあ。伊織からしたら、こいつのこと怖がっとるのがなんとなくわかるわ。俺、中学からずっと一緒やから慣れたけど。実際問題、一般常識からして、異常性高いやんな、跡部って。

「そこまで言うなら仕方ねえな」言うとんのお前や、さっきから。「やってやろうじゃねえか。忍足」
「……まあ、俺はべつにどっちでも」
「侑士っ」
「わかった、はいはい、わかりました。用意します」

朝から隅々まで掃除して、そのあとゲームて。久々に跡部と深い話でもしよかと思とったのに……ええけどさべつに。伊織にたしなめられて、俺は素直に目を閉じた。





さすが優等生、っちゅうかなんちゅうか。紅茶も飲み終わったからシャンパン飲んで、ワイン2本目に突入やっちゅうのに、跡部は昔から器用なやっちゃ。ぼっちゃんのくせして料理もできるし、伊織曰く、掃除も小姑並にテキパキしとる。
はじめてスプラをやる人はだいたいジャイロ(コントローラーの角度で視点操作するシステムのことや)に慣れんから、そこが脱落するかの分かれ目なんやけど、跡部のヤツ一瞬でモノにしよったで。

「あ、跡部さん、強い……」
「くくっ。んなとこでじっくり構えてたら撃つしかねえだろ」
「ぐ……!」

俺にはどうやってもコテンパンにされた跡部(ふっふっふ。せめてゲームくらいでは勝たせてもらうわ)。悔しかったんか、5試合後には伊織と対戦すると言いだしてすでに10試合目。最初は伊織が押しとったんやけど、コツをつかんで得意武器が見えてきた跡部に、伊織はすっかり押されとった。

「ま、まあでもザップは使いやすい武器ですからね!」

あんなに跡部を怖がっとったくせに、小さな棘を投げはじめる始末や……。
俺は内心ビクビクしとった。伊織との大ゲンカを思いだすからや。なんなら挑発は跡部のほうが得意分野。伊織は生粋の負けず嫌い。せやけど跡部は生まれながらの負けず嫌い。
この二人がケンカしはじめたらどないしよう。

「アーン? そうか、ならスシでも使うか」

もう言いかたが玄人やん。スシはスプラシューターというシューティング武器の略称や。
ザップもシューティング武器。そう、跡部はオーソドックスにシューター使い。
一方、伊織も基本はシューターかローラーやけど、最近はいろんな武器に手をだしとった。あらゆる武器を使ってさっきから跡部をキルしようとしとるけど、どういうわけか跡部は避けるのもうまいし、なによりエイム(照準)が天才的にうまい。まさに破滅へのロンドやし、インサイトやわ。

「す、スシも比較的、使いやすいですけどね!」
「ほう? じゃあなぜお前はスシを使わない? スシで俺を倒せばいいじゃねえか、キルだ!」
「あああああっ! ん、んんっ、わたしはその、こっちのほうが得意なので!」
「得意武器なのに初心者の俺に負けてるってわけか、アーン?」
「これは、ぬ、塗るゲームですからっ」

ああああああかん跡部、もうそのへんにしときやっ。伊織はいつなんどきキレるかわからへん子やねんっ。見た目は穏やかやし、普段も優しいけど、ゲームしとったら急に人格が変わるんやっ。
と、ヒヤヒヤが最高潮に達したときやった。伊織がパッと時計を見あげて「あっ!」と大きな声をあげる。

「侑士、変わって!」
「え」
「わたしもう行かなきゃ」
「あ、ああ、そやったんや」
「なに、もう行くのか」
「はい! 跡部さんどうぞごゆっくり! 今日は楽しかったです!」

満面の笑みで手を振って、伊織はそそくさと玄関に向かう。途中でコントローラーわたされたけど、もうあと20秒で終わるし、俺もそのまま玄関に向かった。

「伊織、楽しんできてな?」
「侑士、よかったのに」見送りのことを言うとるんやろう。それでも出かけるときは毎回ちゃんと、こうして送りだしたいねんで?
「ありがとうな、跡部と遊んでくれて」
「ふふ。ううん、大丈夫」
「ん、いってらっしゃい」
「んん、ふふ。いってきます!」

リビングと玄関のあいだには扉があるから、俺らは安心してキスをした。いってらっしゃいのチュウは、絶対や。気をつけて、楽しんで、無事に帰ってきてなって、愛を込めて。

幸せな時間にほんわかしながらリビングに戻ると、跡部はすでに、ゲームをやめとった。

「え、もうええの?」
「忍足よ」
「ん?」
「腹が減った」
「え」
「なにかねえか?」

俺はお前のオカンか。とは思いつつ、黙ってキッチンの引きだしを開けてまわったちょうどそのとき、あの台湾ラーメンが目についた。

「跡部、辛いの平気やっけ?」
「ああ、なんならかなり辛いのが好きだな」
「ほなこれつくったるわ。インスタントラーメンやけど、うまいねん。伊織のお土産」
「む……いいのか?」土産と言うたからなんか、眉間にシワを寄せとる。
「かまへんよ」1食分の箱があと3つある。「あと何個かあるし」

酒も飲んどるし、正直ほろ酔いやったから。
俺もご機嫌、跡部もご機嫌、なんやかんやと、俺は鼻歌まじりに台湾ラーメンをつくりはじめた。

「お前を相手にしてもつまらねえわけよ。辛いなこれ」
「……勝てへんからやろ? 辛いか? 普通やろ」
「違うな。貴様が使う武器は姑息だからだ。辛っ……」
「はあ?」
「遠くからじっとり敵を潰そうとしがやって。辛いな……うまいが」

ラーメンをすすりながら、1回だけ使ったチャージャーに相当な恨みを持っとる……。チャージャーは遠くから照準さだめて相手を撃ち抜く武器なんやけど、跡部だけやない、大勢に嫌われとる武器のひとつ。逆に味方におると助かる武器でもある。

「跡部、蒙古タンメン食べたことある?」
「あれは3でむせかえる」
「北極あかんやん」
「やろうとも思わねえな。舌が麻痺してる人間だけが到達する食事だ」

跡部……お前たぶん、辛いもの好きやなくて、ピリ辛好きやわ。なんでそこも負けず嫌いなん。まあ、ツッコまんとこ。めんどくさそうやし。

「あれも立派な武器のひとつやからな」
「正々堂々としてねえじゃねえか」
「そういや手塚もチャージャー使いやで」
「なに?」

跡部とのスプラ談義は夜になってもつづいとった。プレイはやめたけど、跡部はスプラの奥深さに感動しとるらしい。三十路も過ぎた男が二人、酒を飲みながらスプラの話って……いくつになっても中学生やわ。

「貴様、手塚とプレイすることがあるのか?」
「手塚ってあんなんでミーハーなとこあんねんで? メガネ会でときどき会うからな。聞いたらスプラやるって言うやんか。せやからフレンドになってな。たまに一緒にやるわ」
「手塚め……チャージャーだと……?」

ワイングラスを持つ手が震えとる。台湾ラーメンの辛さのせいだけやなく、悔しさもあるんやろう。跡部、何度か試したんやけどチャージングが苦手やったらしい。見切りをつけるのも早かったもんなあ。チャージャーは嫌われモンやけど、うまく使えるようになるにはちょっとコツが必要やで、憧れもあるんかもしれへん。

「最初はローラーやったらしいけどな。『俺にはあの武器が合っている』とか言うとったで」
「はっ……手塚も落ちたもんだな!」

どういう解釈なんかようわからへんのやけど、跡部はスプラが気に入ったらしい。さっそく誰かに命令してゲーム機とスプラをダウンロードさせとった。アマゾンでポチったらすぐやのに……ええけど。





目が覚めて時計を見たら、23時50分やった。体にかけられとる毛布にはっとする。
急いで体を起こしてキッチンを見ると、鍋やら器やらの食器類が全部きれいに片づけられとって、カウンターには置き手紙があった。

「今日は久々に楽しかった。また連絡する」

……俺はお前の女か。苦笑しながらメモを丁寧にたたんで、水を飲む。結構ええ時間になっとるんやけど、伊織はまだ帰ってきてない。
スマホを見ても、なんの連絡も入ってなかった。まあ、友だちのとこで絶対に酒も飲んどるやろし、ようあることや。こういうときに余計な心配すると現実になったりするで、あんまり気にせんようにして、なにげなく引きだしを開けた。

「……時間的にはあかんけど、この時間やからこそやんなあ」

跡部が辛いと言いながら食べきったラーメンに思いを馳せた。深夜に食べるラーメンはまた格別にうまい。それが酒を飲んで寝て腹減ったときやとこれまたさらにうまいのはご存知のとおり。
悪魔的な魅力に吸い寄せられるように、俺はラーメンをつくった。跡部にしてやったように、ニラと豚ひき肉とニンニクのみじん切りも追加で味付けして、しっかりと炒め合わせる。香ばしさが立ちはだかる鍋からどんぶりに移して、キンキンに冷えたビール片手に、逸る気持ちで合掌。
すっかり眠りこけて夕飯も食べてなかったで、体に染みわたるスープを飲み干して、ため息がこぼれ落ちていった、そのときやった。

「ただいまー、え、いい匂い。あー! ラーメン食べてる!」
「おかえり伊織ー。待っとったで?」寝とったけど。
「いいなーいいなー、おいしそう!」
「くく。ええやろー? 深夜に食べるラーメンって罪深いけどええよなあ」
「その罪深さが隠し味だからね!」
「んん、めっちゃええこと言うやん」

帰宅した伊織は案の定、ほろ酔いでご機嫌やった。自分も食べようと思ったんか、腕まくりしながらキッチンで手を洗っとる。微笑ましいうしろ姿を目にしながら、俺は食器をさげるために立ちあがった。伊織がご機嫌やと、俺も幸せ。

「今日は楽しかったか? 友だち、どやった? 元気やった?」
「え」
「え?」

聞こえへんかったんかと思って、背中合わせになっとった体をねじると、伊織は引きだしの前で固まっとった。どないしたんやろかと、覗きこもうとしたその刹那。

「ねえ」
「え」

声色が、ちゃう。
それは伊織の声やない。いや伊織の声なんやけど、いつもの伊織の声やない。本能的にまずいと感じた。その証拠に、体が若干、うなったから。

「台湾ラーメン、あと2つあったよね?」
「……え、あとみっ」
「2つだよ」
「え」

呆然としとる俺を押しのけるように、伊織が水切りラックを見る。俺がシンクに置いたのとはまた違うどんぶりがもうひとつ……たぶん、伊織の頭のなかでは高速回転で状況が見えていったんやろう。目が……ちゅうか瞳孔が、みるみるうちに開いていっとった。こ、こわっ……! それ人が死んだときの目やっ。

「跡部さんが、食べたと」
「そ……お腹、空いとったみたいやったで」
「それはいいよ。うん。で? いま、侑士が食べたと」
「そ……お腹、空いとったから」
「侑士」
「は、はい」
「わたし全部で4つ買ってきたの。名古屋から帰ったときに侑士が食べたいって言ったの覚えてる?」
「お、覚えとる」
「わたしはその日、うなぎ屋さんでお腹いっぱいになったから全然なにも入らないからって侑士にどうぞって。それで1食」
「う、うん」
「その翌日にも、『おいしかった。まだあるの食べてもええ?』って言うからどうぞって、それで2食め」
「伊織、あの」
「今日、跡部さんが食べて3食。でもっていま侑士が食べて4食め!」
「や、やってここに3つ箱が……!」
「これ空箱!」

嘘やん……!
パカッと伊織が開けた台湾ラーメンの箱には、なんとキッチン用のビニール袋が大量に入っとった。スーパーで肉とか買うたときに漏れをふせぐための、アレや。

「な……」
「わたしひとつも食べてない!」
「そ、せやけどここに箱あったら、あると思うやん!」
「はあ!? そもそも4つ買ってきたのを自分が3つ食べて跡部さんに1つ提供したらって、考えたらわかるじゃん!」
「そ、せやけど俺、伊織がお土産でラーメンいくつ買ってきとったとか、知ら……!」
「それに! これ、この、空箱!」カサカサと音を立てながら、目の前で振りはじめた。怖すぎるっ。「やれって言ったの侑士だよ!?」
「え、はっ!?」
「そうじゃん! わたしはどうでもいいのに、『ビニール袋がそのへんにぼわぼわかさばっとるのが許せへん』とか言ってさ!」
「せ、せやったっけ……」全然、覚えてへん。
「ビニール袋なんか、どこでどうなってようといいのにさっ! 使えればいいのにさっ!」
「そ……でもあの、散らばっとったら見ばえ悪……」
「だったら自分でやればよかったよねえ!? A型根性まるだしにしてチクチク言ってたから、ああそれはわたしにやれってことなんだなと思うよそりゃ!」
「そ、そんなつもりないしっ」
「だいたい侑士は細かいんだよっ! マイクラでだって畑の仕事して食糧難に備えてるのはわたしのほうなのにさっ」
「ま、マイクラ……!?」なんでいまマイクラ……!?
「そうじゃん、チェストのなか、バラバラに詰めてたご飯、嫌味っぽく全部ジャンル別に揃えちゃって!」
「い、嫌味やないもん! あれはちょっと気になっただけやって、見ばえが……!」
「ええええ、几帳面なのは結構なことですけどね、それなのに自分の欲求にはえらく素直なようですね!」
「し、知っとったら俺かて残し……」
「ラーメン、わたしが大好きなの知ってるくせに! よくよく確認もしないで、そういうとこだけ几帳面さを急にすっ飛ばして、全部たいらげちゃうんだから!」

さっきまでの、ほろ酔いご機嫌の伊織はどこへやら。半年以上ぶりに、俺は伊織を激怒させとった。
そう……俺もご飯、めっちゃ好きやけど。伊織もご飯は好き。とくに、酒とラーメンは彼女の命の源と言ってもええくらい、大好物なんや……。
ホンマは、言いたいことはあった。
ひとつも食べてないんやろけど、本場・本店で食べて帰ってきとるんやろ……? いや、わかるで。それを自宅でも堪能したくて買って帰ってきたんやから。せやけどお土産やったなら、俺の好きにしてもええやんね? ああでも、4食全部がお土産ちゃうってことなんやろう。ちゅうかそんなに言わんでも、東京にもあの店あるから、今度、食べに行けばええだけやねんけど……せやけど「いま」食べたかったんやろう。わかる、わかるけどさ……。

「……堪忍」
「いいよもう!」

プンプンやった。くるっと背中を向けて、ブツブツ言いながら冷蔵庫のなかを物色しとる。俺は首を折りまげて、落ちこんだ。なんか知らんけど、むっちゃ、しょんぼりした。
俺の不注意やったこともわかるし、俺の几帳面さにほのかなストレスを感じとったんやろうことも、理解できるんやけど。
……そんな、怒ることなん?

「……伊織はさ」
「なに」

尖った声で、振り向きもせんと。冷蔵庫のなかからいぶりがっことクリームチーズを出しとった。伊織も、お腹空いとったんやろな……ごめんな。

「伊織は、俺にはめっちゃ怒るね?」
「へ……」
「跡部やったら、怒らんのに……」

そう、俺のなかのしょんぼりの正体は、これや。理解はできる。原因も俺がつくっとるし、今回も、いや前回も、悪いのは俺やねんけど。

「ちょっと、な」
「そうやん? 跡部には優しかったやん」
「それは……!」
「伊織は俺が嫌いなんや」

自分で言うときながら、はっとする。自分の言葉に、傷ついとった。そうなんかもしれへんと思ったら、急に胸が痛い。付き合いも長なってきたで、もう俺なんか、俺なんか……。

「ち、ちょっと! そんなわけ……!」
「どう考えても前の俺より、今日の跡部んが腹立つし」
「そ……いい勝負だよ!」
「そういうこと言うてんちゃう」正直な気持ち、いまやめて。「ほななんで俺には冷たいん? 跡部には優しいやん」
「だからそれは……!」
「高林にもそうやんな?」
「た、高林の話!? なんでいまそこ……!?」

高林は、伊織の職場の人間で、業務内容がようわからん俺でも、話を聞いとるだけでしばきまわしたくなるようなヤツやった。

「あいつなんか全っ然、仕事できへんのに、伊織いっつも優しい言葉かけとるやん」

リモートワークしとるとき、いつも思とった。高林の非常識な態度にも、伊織は優しい。今日の俺の比やないのに。高林なんか、よう会社に入れたなと思うくらいのヤツやのに。

「それやのに、俺がちょっとこんなヘマしただけで……」
「侑士っ、それとこれとは……!」
「ちゃうって言うん?」
「だ、違うじゃん! 状況が!」
「さよか。ええよ。伊織には違っても俺には一緒や」
「え、ねえ、どう一緒!?」
そんなんうまいこと説明できへんっ。「一緒やもんっ。ええねん、どうせ……俺のことなんか嫌いなんやろ?」
「そんなことひとっ言も言ってないじゃんっ!」
「今日やって、帰ってすぐに意識はラーメンやったし」
「は、は?」
「いつも、いってらっしゃいとただいまのチュウはしてほしいって、言うとるのに……」
「も、侑士!」
「ただいまのチュウよりも、伊織はラーメンのほうが大事なんや」
「ちょっと……も、ごめんってば!」

背中を向けた瞬間、伊織がむぎゅうっと俺に抱きついてきた。はあ、ずるい……。
俺かて、「もうええ」言うて、部屋に鍵でもかけたいねん、ホンマは。気持ちだけはあんねん。抵抗したい。この手を振り払えたらどんなに楽やろうって思う。
せやけど、できへん……伊織が相手やと、ケンカも、不安になる。

「……ごめんって。侑士。こっち向いて?」
「……」声色が、変わった。ずるい。
「侑士?」
「……明日、買ってくる。台湾ラーメン」東京なら、どっかにあるやろし。
「もう、いいって。ごめん、大人げなかったね。ごめん」

背中を向けたままにしとったら、伊織が前に回ってきた。顔を見あげて、頬をなでてくる。
なんなん……急にお姉さんぶって。さっきまであんな鬼の形相やったのに、きれいな目えして見つめんといてや。

「侑士だから、だよ」
「なんなんそれ」
「侑士が相手だからってこと」
「……どういう意味?」
「親しくなればなるほど……わたし、子どもになっちゃう。甘えちゃう」
「伊織……」
「侑士がありのままのわたしを愛してくれるから、安心しちゃうんだよ。ごめんね? だけど、こんな姿、侑士にしか見せられないんだよ。わかってくれる?」

穏やかに、幼い子に言い聞かせるように、伊織はゆっくりと微笑んだ。
それでほだされる俺も、十分に子どもやねんけど……複雑な特別感が、そこには、たしかにある。

「俺だけ……?」
「そりゃそうだよ。こんなくだらないケンカ、侑士としかできない」
「ホンマ……?」
「ホント。わたし、家族のなかでもお姉ちゃんだから、滅多に甘えられる人がいないの」

だから、ごめんね。と、伊織が背伸びする。静かに触れられた唇にざわざわしとった心が落ち着いていった。
そっか……そうなんや。伊織、俺に甘えとっただけなんや? ふうん……かわいいやん。

「ぎゃっ」

ぎゅっと抱きしめると、伊織は悲鳴をあげた。かわいくない……ぎゃって。俺バケモンちゃうねんから。せやけど、愛しい。

「侑士……苦しいよお」
「たまには俺にも甘えさせてや」
「ふふ。ん、そだね。ごめんね? 許してくれる?」
「ん……もっかい、チュウしてくれたら」
「あはは。うん、する」

ちゅ、ちゅっと、何度も弾ける音。はあ……幸せ。伊織には、やっぱり笑っとってほしい。そんで、俺に何度も、キスしてほしい。

「俺も許してくれる……?」
「うん。ラーメン、買ってきてくれたらね」
「あ……結局、買ってこい?」
「そりゃそうだよ」

思わず吹きだした。伊織も俺も、いつのまにかケタケタ笑いだす。
ちゃっかりしとるっちゅうか、なんちゅうか……。

「くくっ。かなわんわ、ホンマ……んん、ほなせっかくやし、伊織の誕生日」
「うん?」
「名古屋デートしよ。な? それでチャラ」

どうやら、名案やったらしい。
伊織の表情がお姉さんから子どもに戻っていく。その笑顔は、きっと俺にしか見せん特別なものやから。
これからも、ずっと。俺が独占していくで……?





fin.
Happy Birthday Dear くろみかん様



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