初恋2_01


1.


長くつづいた梅雨が、ようやく明けるらしい。久々に見た青い空をぼんやり眺めて、俺はほんの少し口角をあげた。そういやここんとこ、最後を予感した雨雲がこれみよがしに幅利かせとったなあ、と、思う。
こないだも伊織と相合い傘して下校したばっかりや。雨が降ってんやから部活も休んだらええのに、跡部は高校最後の全国大会で張り切っとるんやろう、わざわざトレーニングルームでアホみたいな筋トレさせよるから気分ダルダルやったんやけど(俺、筋トレ嫌い)、伊織との相合い傘でめっちゃ気分ようなったんよなあ、あの日。
伊織も家に寄ってくれたし。ちょっと濡れたなあ、とか言うて。服かわかす? とか言うて。わあ、侑士のシャツ大きいね、とか言うて。もう、もうそのまま……ふふ、ふふふふふ。

「侑士なに笑ってるん?」
「わあ、伊織っ!」

ホームルーム終了後、記憶のなかの伊織が急に目の前にでてきて、俺は椅子からひっくり返りそうになった。幸い、周りにあんまりクラスメイトがおらんかったことで、大声だしても驚かれてない。驚いとるのはたったひとり。俺の愛しい愛しい、彼女だけ。

「どうしたん、そんなびっくりして!」
「か、堪忍、ちょおぼうっとしとったら、いきなり伊織から声かけられて、びっくりしてもうた」
「ぼうっとやったん? めっちゃニヤニヤしとったけど……」
「そ……梅雨! 明けるらしいねん。さっきニュースアプリで見てん」伊織とのエッチで思いだし笑いしとったとは、さすがに言えへん。思いだし笑いするやつはスケベ説まんまやからなっ。「せやから、嬉しいなあって」
「あ、そうやったんや。侑士、こないだ雨好きって言うてたのに、嬉しいの?」

あれ? 俺そんなこと言うたっけ。
ああ、そうか……雨の日は伊織と新館の教室でイチャイチャしたり、お家デートでイチャイチャしたりが定番やから、俺にとって今年の雨は最高やったんや。せやから口走ってもうたんやな、うん、絶対そうや。雨なんか好きやない。世間が忙しそうにしとるときに自分だけ家のなかにおれる状況やったらめっちゃ好きなんやけど、大抵は俺、テニスせんとあかんから、基本はうっとうしい。けど、今年はええことがいっぱいあったから、きっとどんなに雨が降っとっても、俺の心は晴れてんねん。それもこれも全部、伊織のおかげやで?

「どんなに好きでもさ、毎日は飽きるやん?」ちゅうことで、適当にごまかす。
「なるほど、そうかもね。あ、それやったら……」伊織がちらちらっといじわるな視線を送ってきた。ドキッとする。最近の伊織、やけに色っぽいんよなあ。「毎日あんまり一緒やと、わたしのことも、飽きちゃうんかな?」

なにを言うんかと思ったら、耳もとで、そっとささやいてきた。
くっ……はあ! あかん、あかんぞここ教室やから、こんなとこで勃起したあかん俺! ああ、もう、伊織! いじわる言わんとって! もう! 最高か! めっちゃキスしたい!

「は、なに言わせたいねん、伊織」内面とは程遠いカッコつけを炸裂させた。これでこそ忍足侑士やろ。俺は心を閉ざすことができるからな。
「あ、言うてくれへんのー? いけずやあ、侑士」
「いけずなん伊織やろ? いっつも俺にばっか言わせるん、そっちやんか」
「だって嬉しいんだもん」
「くくっ。ん、伊織は特別。どんだけ一緒におっても、飽きへんで? ずっと好きやから」

同じように耳もとでささやくと、伊織は口に手をあてて、えへへっと微笑んだ。なあああ、もうかわいい。かわいすぎるっ。
伊織がうちに泊まりに来てから、早くも2週間が過ぎとった。ここんとこ俺ら、ずっとこんな調子でめっちゃラブラブ。
7月に入った学校生活は、気楽なもんやった。俺はテニスがあるけど、まあそのスケジュールはいつもの部活と変わらへんし、伊織は伊織で、期末考査の成績も親の言いつけ守って順調やってことで、これから夏季休暇に入るから試験もしばらくないで、タクミさんの家庭教師も週2から週1になっとる。せやから、一緒におれる時間がむっちゃ増えた。ホンマに、四六時中イチャイチャタイムやっちゅうねん。

「今日は迎えに来てくれたん? 待ってられへんかったん? はよ会いたかった?」
「あー、侑士も言わせようとしとるー」
「やって聞きたいんやもん」
「ふふ。うん。侑士にはよ会いたかった」

ランチで会ったばかりなんやけど。それでも1秒だって離れたない俺らにとっては数時間でも寂しい。周りがうんざりするくらい(とくに跡部な)、俺らは一緒におった。お互い、はじめての恋愛やってこともあるやろう。ビデオ通話もメッセージのやりとりもアホほどしとる。昔やったら高額請求がきて親にブチ切れられて終わりやで、ホンマに便利な時代に生まれてよかったわ。

「ほな、はよふたりきりになりたいね? 帰ろうか」
「うん、今日も晩ごはんまでには帰らなきゃだけど」
「ん、わかっとるよ。せやけど今日は部活ないから、ちょっと長めやね?」
「うん、嬉しい」

手を取り合って立ちあがったときやった。持ちあげた俺のバッグのポケットから、ポロッとなにかが落ちて、同時に視線を落とした。バッグ、開けたままにしとったんか俺……不用心やな、と思ったのは一瞬やった。折りたたまれたメモ。簡単なシールで封がされとる。問題は……そのシールがハートの形をしとったこと。

「侑士、これ……」
「ん……んん」

思わずうなった。それだけで、この手紙の正体がわかる。伊織の手を握ったままメモを拾いあげると、一方で伊織はさっと俺の手を離した。見んようにしとるんか、しれっと目をそらしとるでな。

「また、やね?」しかもちょっとだけ、ツンとしとる。
「……まあ、そうみたいやな」封をあけると案の定、新館の教室で待っとる旨、書かれてあった。「ん、今日は新館らしいわ」
「こないだ屋上やった」
「あそこが定番なんやけどなあ……」
「ふうん。モテる人にはそういう定番もわかるんや?」
「んー? 伊織……怒っとるん?」女子には優しくって、言うとったくせに。かわいいなあ。
「怒ってないもん。行ってきてええよ? 侑士、無視できんでしょう?」
「ん、ちょっとだけな? すぐ戻るで、正門のとこで待っとって?」

伊織の頬にチュッと口づけてから、俺は新館に向かった。





人に想いを告白するっちゅうのはめちゃくちゃ緊張する。伊織に告白してはじめて気づいたことやけど、相当な勇気が必要や。これまでやって無視したことなんかないけど、冷たい振りかたをしとったと思う。無下にしたあかんよね、と、最近は考えかたが変わってきた。やからって、別にめっちゃ優しくしようとも思ってへん。どんなきっかけやったとしても、好きって伝えたいくらい、俺のこと好きんなってくれた事実に変わりはない。せやからここんとこの俺は、伊織の彼氏として誠実でおりたいと思うようになっとった。
指定されとった新館の教室を開けると、何回か話したことのある後輩の女子が待っとった。俺に気づいて、彼女の顔は一気にこわばった。

「あ……忍足先輩、すみません」
「ん、メモ、見たでな」
「急に呼びだして、すみません」
「いや、ええよ?」

いつもこんな調子ではじまって、いつも相手は何度も息を吸いこむ。いまごろ心臓がバクバクんなっとるんやろうなと思うと、毎度のことながら、いたたまれん気持ちになった。

「あの……あたし、忍足先輩のことが、す、好きで」
「……ん」
「ず、ず……ずっと、好きでした」

なんで、今日というタイミングやったんやろうか。それも本人のなかでなにか決めとったことなんやろう。俺と伊織が付き合っとることは、知らんのかな? まあ知らんやろな。知っとったら告白してこんやろし。

「堪忍な、俺、彼女おるんや」
「えっ!」目をひんむいとった。これもアレやろか、噂で出回っとる、忍足が振るときの定番文句と違うからやろか。最近の告白はいつもびっくりされる。「そ、そう、だったんですね」
「ん……せやから、気持ちはありがたいんやけど、それには応えられへん。ごめんな?」

はい、と小さい声をだして、後輩女子はうつむいた。ほな、行くね? と一応は声をかけてから、俺は教室をでていった。
いまごろ泣いとるんやろなと思うと、妙な気分になってくる。それにしても……伊織と付き合うようになってから……いや、伊織と深い関係になってから、なんでやか、急に告白が増えてきた。これはどういう現象なんやろか。

「侑士、今日で何人目だっけ?」

正門で待ち合わせとった伊織と手をつないで帰っとるあいだ、突然に聞かれて、戸惑った。ちょうど同じこと考えとったせいで、ドキッともした。伊織が心配そうな顔して俺を見あげとる。ああ、そんな顔せんで伊織……俺、お前以外の女に興味なんかないで。わかっとるやろ?

「さて……何人やったかなあ」
「めっちゃ呼びだされてるよね、最近」
「んん、せやねえ」
「それとも、もともとこれくらいのペースやったんかな?」
「いやそんなことないで? ホンマに、ホンマに最近、急にやねん」
「ふうん。何人?」
「……さて、何人やったかなあ」

最初は不安そうやった伊織も、ここんとこ頻発しとるから不安を通り越してツンツンしはじめとった。実はこの2週間で6人目……なかには伊織が知らんのもある。なるべくなら伊織には気づかれたくないんやけど、今日みたいにたまたま見つかることもあったり、伊織と一緒におるときに「お話が」とか言うてくる子もおったりで……。

「あー、やましいんや」冗談めいた口調で、伊織は笑いながら言うた。
「ちゃうよ、ちゃう。ええっと……」伊織が知っとるの、何人やっけ。「さ、3人? くらいちゃう?」
「ふうん。2週間で3人も。侑士はホンマにモテモテやね」ぷっと頬をふくらませた。かわい。
「そんなんちゃうって。伊織かて、転校してすぐに呼びだされとったやん」

ほんで投げ飛ばしとったやん……。あれ以来、伊織は誰からも告白されてない。こないだちょっと耳にしたけど、あの噂、出回っとるからな。「佐久間伊織に告白した大学生3人が謎のスナイパーに命を狙われつづけ全治6ヶ月の大怪我を負わされたらしい」とかなんとか……めっちゃ尾ひれついとるけど、まあ、大学生が負傷したのは事実や。
おかげで伊織は一部から、近寄ったらアカン女で認定されとる。俺と伊織の関係を知っとる連中のあいだでは、俺が跡部に頼んでやらせたとかいう名誉毀損レベルの噂も出回っとるで、ええ加減にしてほしい。全部、伊織がひとりで暴走しただけの話やっちゅうねん。

「だけどわたし、侑士ほどモテないもん」それは自業自得でもあるんやで、伊織。「別にモテたいわけやないけどさ」
「くく。俺が告白されるん、嫌?」
「そんなことないもん。彼氏がモテるん、悪い気せんよ?」微笑んでそう言うわりには、オーラがツンツンしとる。
「ヤキモチや?」
「違うもんっ」変なとこで負けず嫌いな伊織がむちゃくちゃかわいい。「ちょっと、なんだかなってだけ」
「どんな女にどんだけ言い寄られても、俺には伊織しか見えてへんよ?」
「……うん。えへへ」
「あー、言わせたかったんやあ?」
「ちがっ……ン」

引き寄せてキスをすると、伊織は安心したようなうっとりした表情で、俺の背中に手を回してきた。俺が誰かに告白されるたびに、伊織がヤキモチ妬いて、それで伊織とイチャイチャする。俺にとっては伊織のヤキモチやなんてむちゃくちゃ嬉しいし、きゅんきゅんするで、それはそれで幸せな時間やったりして。
外やけど、周りに誰もおらんし、伊織も許してくれそう……全身に満ちていく愛しさを、俺は何度も、伊織に送った。





夏季休暇前の生徒会は忙しい。オペラ鑑賞会やら、校内水泳大会やら、生徒総会やら……とくに校内水泳大会は全校男子生徒が1年でいちばんっちゅうくらい楽しみにしとる催しやから、生徒会も張り切らんわけにいかん。このご時世やから女子はしっかりTシャツと短パンみたいな競泳水着で露出ガードしとるのに、それでも男子高校生には夏の風物詩や。
なんせピタピタやから。体のラインがな……いや俺は伊織にしか興味ないけど。クラスメイトなんか、逆に競泳水着んがエロいとか言うとったでな。世のなかにはいろんな変態がおる……ちゅうことで、企画目白押しの氷帝学園。この季節、俺は決まって跡部の手伝いをさせられとった。

「で? 今年は呼んでもねえのに佐久間も手伝うってのか」相変わらずの跡部は、生徒会長の椅子から俺と伊織を見あげた。
「ご、ごめん跡部くん、あのわたし、今日はなにも知らなくて連れて来られただけで!」これはホンマ。「も、侑士っ」

金曜の放課後。今日は来週からドタバタする生徒会メンバーと、その手伝いをしてくれる生徒たちが集まる打ち合わせの日や。俺は適当なこと言うて勝手にここまで伊織を引っ張ってきた。当日やったら跡部も断らんやろうと思ったで、作戦は完璧……。

「やってさ。そんなん、人手は多いほうがええやろ? しかも伊織は優秀やで」ぐいぐい推したる。
「ああ、たしかにてめえより役立ちそうだ。それなら佐久間だけでいい」
「アホか! 俺がおらんと伊織に手伝わせる意味ないやろが!」
「も、侑士……わがままだよ」伊織は眉を八の字にしとる。やって、離れたないんやもん。
「伊織がダメなんやったら俺も手伝わん。俺がダメやっても伊織は手伝わせへん。どうやろ跡部、ここはひとつ」
「はあ……」

お決まりの盛大なため息がもれたところで、生徒会室の扉が開いた。そろそろ時間が迫ってきとるで、ホームルームを終えたメンバーたちが集まってきとる。振り返りながら生徒たちを見とるあいだ、俺と伊織は顔を見合わせた。そこに、吉井もおったからや。

「あれ、伊織……なんでここに」
「千夏……も、生徒会のお手伝い?」
「まあね。ときどき、雑に駆りだされてんの」

伊織と吉井の話を耳にしながら、俺はにまあっと跡部を見た。鬼のような目で跡部が睨みつけてくる。はははははははは、ああ、跡部……お前、意外とそういうことしとるやん、なんやかんや言うて。堪忍堪忍、笑い、堪えんとあかんよなあ? いまは。

「殺すぞてめえ」
「跡部なあ……財閥の御曹司がそんな言葉、口にしたあかん」恥ずかしさごまかすにしても、結構な暴言やで。
「跡部くん!」
「な、なんだっ」

伊織がぎゅいんっと跡部に向き直った。その目がキラキラしとる。
そらそうや。伊織は跡部の気持ちを知っとる。吉井はまだ口を割ってないみたいやけど、そんなん、割るまでもなく、俺らはわかっとるし。

「わ、わた、わたし、生徒会のお手伝い、したいな!」言うと思ったで。さすが俺の彼女や。
「……さっきまで、わがままがどうとか言ってやがったじゃねえか」
「うんでも、でもほら、やっぱり生徒会って大変だと思うし! なんかほら、こういう経験って、就職の面接のときに役立ちそうだし!」
「いらねえ」嫌な予感がしたんやろう、跡部は伊織にはキツく当たらんけど、いまはやけに冷たい。「忍足、お前もなんならいらねえ。もう十分、人は足りてるんでな」
「はいはい。素直やないねえ。毎年しっかり手伝っとる俺がおるほうが、物事は進みやすいと思うけど」
「不要だと言って……!」
「なに意固地になってんの跡部」

ごく冷静な声が割りこんできて、待ってましたとばかりに伊織と顔を見合わせた。当然、そんな偉そうな口を跡部に叩くヤツなんか、ここには俺と吉井くらいしかおらん。

「……別に意固地になってねえよ」
「ふたりとも手伝うって言ってんだからいいじゃん。なに焦ってんのあんた。今回は人が足りないって言ってたじゃない。だからあたしにも声かけてきたんでしょ?」くくっ。吉井、ホンマはそんな理由ちゃうで? ああ、楽しいっ。
「……生徒会だぞ。恋愛おままごとされちゃたまんねえんだよ」よう言うわ、おままごとはそっちやないか。吉井の傍にちょっとでもおりたくて手伝わせとるくせに。
「ままごとみたいな恋愛をくり返してる跡部に言われたくないと思うけど?」
「なんだと?」ピキッと青筋が入っとる。ちゅうか、動揺か?
「ねえ忍足?」
「んっふふ、いや、まあそれはノーコメント」
「跡部くん、時間です」
「チッ……勝手にしろ」

副生徒会長の声がかかって、跡部はプイッと会議室に移動した。吉井には弱い跡部を見ながら、俺らはしれっと会議室の席につく。跡部がプリントを配るあいだ、俺と伊織はコソコソと話した。

「ねえねえ侑士、なんか、協力できそうだよね?」
「ん……とりあえずあいつら顔を突き合わせとけば、そのうち抑えられへんようになってそうなると思うねん」
「じゃあ、明日さっそくさ、生徒会行事の打ち合わせで、侑士の家に呼ぶってどうかな?」

明日は土曜日や。朝から晩まで伊織とイチャつきまくろうと思っとったけど、まあ昼の数時間で終わるならええか、とも思う。

「せやけど、なんて理由つけて呼ぶんや? 難しないかな?」
「それなら……」

伊織が口を開きかけたときやった。会議室の扉の音に顔を向けると、ひとりの女子生徒が息を切らして入ってきた。俺はその顔に、めちゃくちゃ見覚えがあった。

「ん? 臼井か」
「すみません跡部先輩、遅れちゃっ……」

臼井は言いかけて、俺を見た。そのまま、横におる伊織にも視線が向けられる。俺は目がギンギンに開いた。臼井は軽く会釈をしてきた……ちゅうのに、俺、条件反射的に小刻みに頷くだけになってもうた。なんで、臼井が、ここに、おるんや……。

「ちょうどいまはじまったところだから問題ない。適当に席についてくれ」
「あ、はい」
「まずは手伝ってくれるメンバーにも生徒会バッジを用意した。期間中はそれを制服につけておいてくれ」

跡部に指示された副生徒会長がバッジを配るなか、俺は頭のなかでいろんなことを思いだしとった。
遅れて登場した臼井マユ……彼女はいま、高校1年生や。俺とは前に同じ委員会におって、ときどき一緒に行動することがあった。
そんで、俺は彼女に、告白されたんや。ちょうど2年前に……。

――あたし、忍足先輩のことが、好きです。
――え?

いきなりやった。聞き間違えかと思って、なんの話? って、うっかり口にするとこやったくらい。
臼井はかわいらしい、ふんわりした子で、俺から見たら女っちゅうよりお人形さんって感じの後輩やった。それでももちろん、ただの後輩でしかない。特別な感情なんかなかったし、特別なにか優しくしたとかいうこともない。せやのに、大人しいと思っとった後輩がいきなり、一緒に廊下を歩いとるときに、急に告白してきたもんやから、俺は呆気に取られた。

――すみません、いきなり……でもあの、いま、言いたくなって。
――そ……さよか。あの、悪いけどさ。
――あの、彼女とか、いらっしゃるんでしょうか。
――いや……おらんけど。あの、でもな。
――付き合ってもらうことって、できないですか? 中2なんか、相手にできないって感じですかね……。
――いやそうやないけど。俺、臼井にそんな気ないわ、堪忍な。

食い気味の感じに面倒になって、さっと言うてさっと背中を向けた。思い返しても、冷たい振りかたしたなと思う。せやけどあのときはあれ以上の言葉なんか見つからんかった。お前、見た目に反して積極的なんやな、とか、言いたいことはいっぱいあったけど、俺のなかにはずっと伊織がおったから。女からの告白やなんて、ホンマに興味なかったし、その告白にどんな勇気が必要かも知らんかったし。

「お久しぶりです、忍足先輩」
「お、おう。久々やね」

着席前の挨拶に、チラッと伊織が反応した。臼井もそれに気づいたんか、軽い会釈を伊織にして、伊織も同じようにニコッと微笑む。ゾワッとした……別にやましいことなんてないのに、なんで俺がこんなに、ドギマギせなあかんねん。

「忍足先輩が、幸せそうでよかったです」
「へ……」

ボソッと告げられた言葉に、俺のドギマギが、行き場を失った。





さっきのなに? 嫌味? 嫌味やんな?
「お前ようあたしのこと振ったくせに生徒会会議で女とイチャつきやがってホンマしばくぞ!」みたいなことやろか。

「跡部くん、ちょっと提案です」
「ん? なんだ佐久間」
「オペラ鑑賞会なんですけど、わたしオペラってちょっと敬遠してるとこがあって。そういう、なにも知らないけど仕方なく行事にでてる生徒たちは多いんじゃないかなと思ってるんです」
「だろうな。俺はオペラが好きだが、毎年『ダルい』という声をよく聞いている」

まったく跡部と伊織のやり取りが耳に入ってこんまま、俺は横に座った臼井を盗み見た。真面目にノートを開きはじめとる。そこには『氷帝生徒会』と書いてあった。あ、へえ……生徒会に入っとったんやこの子。それで今日、来たいうことか。

「それってやっぱりオペラがクラシックだからだと思うんです。なのでここをちょっとひねってみるのはどうかなって思いました」
「ひねる、とは?」
「オペラではなく、ミュージカルに変えてみる。あるいは、追加する」

俺が臼井マユをよう覚えとるには、それなりに理由がある。もちろん、付き合ったとかそんなことはない。俺はずっと一心に伊織だけを想ってきた。せやけど、突然の告白を臼井にされてから数日後、俺は街中で偶然、臼井が高校生に絡まれとるところを見つけたんや。

「オペラに興味ねえヤツは、ミュージカルにも興味ねえんじゃねえのか?」
「いや、わたしはそんなことないと思う。最近は2.5次元ミュージカルとかいうのもあって、若い人やそれまでミュージカルに興味なかった人にもすごく人気があるの」
「2.5次元ミュージカル? なんだそれは?」
「アニメのキャラクターとかを、俳優さんが演じるの。同じ公演を何度も観に行く人たちがいるくらい人気なんだよ?」
「アニメを……スーパー歌舞伎のワンピースみたいなことか」
「ううんと……うんまあ、そういう感じかなあ」

跡部の解釈、間違っとると思うんやけど……伊織は面倒くさくなったんやろう。まあどんな説明しても完全に理解はせんやろうから、それでええと思うで。
さて、当時、臼井は完全にナンパされとった。見た目がかわいい感じの子やから、まあそういうこともあるやろうとは思ったんやけど、雰囲気があきらかにおかしかったで、俺はそっと耳を澄ますように近づいていったんや。

――え、なんでダメなの? ちょっと遊ぼうって言ってるだけじゃん。
――あ、あたし、急いでいるのでっ!
――えーさっきブラブラしてるだけって言ってたじゃーん。
――それは……あの、道に迷ってただけじゃないんですかっ?
――迷ったんだよー。だから親切に教えてくれたお礼にー、カラオケ行こうよ―!
――か、帰ります!
――待てって!

複数の男に腕をつかまれて連れて行かれようとしとったから、俺は危険を察知して、すぐに止めに入った。

――誰や、お前ら。
――あー? 誰だてめえ?
――えっ……お、おしっ。
――誰だ、はそっちやろ。俺の妹になんの用やねん。
――え、お兄さん?
――お、お兄ちゃんっ!

臼井はすぐに俺の背中に隠れた。それで、男どもは散らばっていった。安堵して声をかけたとき、臼井は目に涙をいっぱい溜めて俺を見あげてきて、すぐに頭をさげてきた。

――大丈夫か?
――忍足先輩、ありがとうございます……!
――いやいや、ええんや。

せやけど、臼井が泣き止む様子がなかったで、その場からすぐに離れてまたあの連中が来ても同じことんなる。やから、俺たちは喫茶店で少し時間をつぶすことにしたっちゅうわけで……。

「しかし、今回のオペラ鑑賞はすでに日も決まっている。有名な劇団が公演に来る手配は済んでいるぞ」
「なのでそこに、お稽古中でもいいからミュージカルの劇団を一緒に呼べないかなあ、と思ったの。で、吉井さんのお父さん、ミュージカル関連の会社も経営されてるよね!」
「えっ、あ、あたしっ!?」
「そう。この際だからコネはどんどん使ったほうがいいと思う。わたしもすごく興味あるからお手伝いするならオペラ鑑賞会の担当になりたい。今日はこれ以上の議論に時間を使えないだろうから、後日、跡部くんと吉井さんとわたしと忍足くんで話し合うのはどうかな!」
「……佐久間、なんでそこに忍足が」
「忍足くんもオペラ鑑賞会の担当を希望してたから。ね?」
「……」それであの日、俺……臼井に……。
「おい、忍足?」

となりに座っとる臼井が、トントンと人差し指で俺の腕をつついてきた。同時に、伊織も俺の顔を覗きこんできとった。はっとして顔をあげると、全員がこっちを見とる。あかん……え、なんの話しとったんやっけ。

「侑士、大丈夫……? オペラだよ、ふたりの接近チャンスやよ?」小声で伊織が伝えてくる。
「え、ああ、うん、せや。オペラな!」接近チャンス……って、なんのことやろか。ああ、跡部と吉井か! あかん、せやった。
「……お前、オペラに興味あったのか」
「あ、あるある、あるでっ」全っ然、ない。せやけど伊織がとにかく頷けっちゅう顔をしとったで、俺はとにかく頷いた。
「ふん……まあいい、わかった。次の議題に移る。今回の校内水泳大会だが……」

混乱したまま、とりあえず俺の対応は間違ってなかったらしい。伊織がにっこりと微笑んできとった。ああ、かわいい。せやのにもう、めっちゃソワソワする……。
俺はあのあと、臼井にまた告白されたんや。喫茶店で。

――忍足先輩は引っ越しが多かったんですよね?
――ん、ああ、まあな。
――お父様が、お医者様なんですよね? でもそういう境遇ってめずらしいから、ちょっとうらやましいなあ。
――え?
――あたしは生まれてからずっと、気づいたら氷帝だったし、ほかの学校って体験したことないんです。だから、いろんな経験になるだろうなって。引っ越しとか転校とか、一度はしてみたかったなあとか、憧れがあって。
――はあ……そんなええもんちゃうで?
――でも、人としての経験値はあがるじゃないですか。だから忍足先輩って、ほかの先輩よりもすごく大人っぽくて……すごく、素敵だなって。
――え?
――さっきも、すごくカッコよかったです。あたし、やっぱり忍足先輩のこと、諦められません。好きです……すごく。

悪気はなかったと思う。なんせ、当時の臼井は中学2年生や。せやけど俺は、めっちゃイライラした。引っ越しや転校がうらやましい? 世間知らずのお嬢さんが、好き勝手なこと言うやんけって。

――なんか、勘違いしてへん?
――え……。
――お前を助けたんは、危なそうやったからってだけや。ここに誘ったのも、お前がいつまで経っても泣きやまんからや。
――そ、それは、わかってます。
――ほななんでまた告白してきとるん。お前に気いないって、俺、こないだ伝えたばっかりやろ。
――す……すみません、わかってますけど、やっぱり、好きだなって。お試しでもいいです、つ、付き合ってもらうこと、できないですか?
――できるか。好きでもない女になんで時間を使わなあかんねん。帰るわ。変な誤解されるんやったら助けんといたらよかった。
――お、忍足先輩っ。
――しつこいでお前。俺、しつこい女は嫌いやねん。

人のこと好きになって、その想いを伝えるってのがどれだけ勇気のいることか知らんかったあのころの俺は、臼井をめちゃめちゃ傷つけた。俺の女みたいに振る舞っとる様子も癪やったし、また告白してきたことも、お気楽に俺の転校人生を憧れとか言いだしたことも、全部、調子に乗っとるように思えて……。ホンマやったら、転校さえなかったら、こうして一緒に時間を過ごしとるのは伊織やったはずやのにとか、いろいろ考えて。

「忍足先輩、これ、落ちましたよ?」
「えっ……」

また、はっとする。臼井を傷つけたことを思いだしとったら、あれから2年後の当の本人が、俺の手の横に氷帝学園生徒会のバッジを置いてきた。動揺して落としてしもたんやろか……。いや、なんで俺が動揺せなあかんねん。

「堪忍、ありがとう」
「いえ。大丈夫です」

臼井がにっこりと微笑んだ。あの日のこと、臼井は覚えてないんやろか……いや、そんなわけないよな。あんな傷つけかたしたのに、めっちゃ優しい顔を向けてくるやん。罪悪感がつのるわ……。
ん、まさかいまでも俺のこと……? はは、さすがにないか。うぬぼれすぎやよな。いやでも……わからへん。俺かて7年も伊織が好きやったんや。伊織もそうやったわけで、ひょっとしたら臼井にも釘をさしとく必要はあるかもしれん。

――忍足先輩が、幸せそうでよかったです。

あの様子からして、俺と伊織の関係を知ってそうやけど、適当な言葉選びしただけかもしれんしな。ただなんにせよ、臼井との件は、伊織には知られたない。伊織は意外とヤキモチ妬きやし、それがたかだか1ヶ月程度とはいえ、生徒会で一緒に動くメンバーのなかに、俺に気いあった女がおったとか、嫌やろし。俺が逆の立場やったら、めっちゃ嫌やもん。余計な心配させたない。黙っとこ。とくに、言う必要もないことやしな……。

会議が終わって、俺と伊織は一緒に帰るため、一旦は会議室をでた。伊織の前で臼井に話しかけに行くのは避けたい。適当な理由をつけるために、ひとつ芝居を打った。

「あ、あかん、忘れもんした」
「ん、どしたん?」
「生徒会バッジ、忘れてきたわ。取ってくるから、伊織は先に正門に行っとって」
「はーい、待ってるね」

なんの疑いも持たず正門に向かっていく伊織の背中を見つめながら、心のなかで謝る。せやけど、この小さな嘘は伊織を不安にさせたないだけやで、許してな……?
俺はすぐに生徒会室に戻って、臼井を見つけた。臼井もすぐ俺に気づいて、顔をあげてくる。

「あれ、忍足先輩、どうかしたんですか?」
「ああ、堪忍ちょっと、お前に言うときたいことがあってさ」
「へ……」
「俺……覚えとるかわからんけど、2年前……」
「は、はい……」
「堪忍な。ひどいこと言うて」

臼井の目が見開かれていく。とくに謝る必要があったことなんか、ようわからん。たまたま臼井に会ったから謝った、ついでのように思われても仕方ない。せやけど、もしも臼井があの日のことにわだかまりを残しとったら……俺はその矛先が、伊織に向かうことを避けたかった。伊織に、俺のせいで嫌な思いはさせたない。

「そんな、あの日はあたしが、図々しかったんです。こちらこそ、すみませんでした」
「いやいや、臼井も悪気あったわけやないのに……ちゅうか、勇気だしてくれたのに、ホンマ、堪忍」

うつむくように頭をさげると、臼井が顎を引いていく。めっちゃ驚いてはるけど……まあ、驚くか? こんな急に、2年も前のこと謝られたら。

「忍足先輩、なんか、雰囲気、変わりましたね」
「え……そ、そやろか」
「最近よく、笑顔を見るようになったなって、思ってました」え、最近……? え、見かけとったってことやんな、それ。「佐久間先輩の、おかげなんですよね、きっと」

その言葉に、やっぱり、気づいとったらしいとわかって、どこかホッとする。臼井も、こちらこそって言うてくれたことやし、わだかまりは残っとったとしても、謝ったことで穏便に解消されたと、このときの俺は確信しとった。
女心って……そんな簡単やないなんて、俺にはわからんかったから。





翌日、土曜日の昼間やった。
伊織があのあとテキパキ動いたことで、いま、俺の部屋には伊織だけやなく、跡部と吉井がおる。俺と伊織が夢に見た、すっごいチャンスや。

「はい、これがうちの経営するミュージカルのタイトルリストね」吉井がタブレットから俺らに資料を共有する。
「数えきれねえほどあるじゃねえか」

跡部が目をまるくした。吉井の父親が経営するグループ会社が企画・運営しとるミュージカルは、ざっと見ても50件以上ある。さすが、跡部財閥の超競合会社やな。大手やわ……。

「あるよ。だから逆に大変だってあたしは伊織に言ったのに」
「ごめんね千夏。でも、でもさ、候補がたくさんあったほうがいいかなって思ったの。急な依頼だし。だけど、親会社からの頼みならやってくれそうじゃない? 跡部財閥もいるわけだし」伊織がノリノリで対応した。伊織って、そんな積極的なほうやないはずやけど……吉井のために頑張っとるんやなと思うと、それも愛しい。
「あのねえ伊織、跡部財閥は競合会社なの。両方からのコネは無理だから」
「吉井の言うとおりだ。俺はあくまで氷帝学園の生徒会長という立場でしか表にでる気はねえぞ」
「う……その、競合会社が仲よくしてるのって企業アピール的にいいと」
「父が許すはずがない」ピシャリな吉井。
「うちもお断りだな」ピシャリな跡部。

ぎろっとふたりに睨まれて、伊織はひるんだ。ご、ごめん、というか細い声で首を縮めとる。
けったいやな……ロミオとジュリエットの宿命にピリついとるからって、伊織に当たらんでもええのに。だいたい、伊織が本気になったらお前らなんか秒でぶん投げられるんやからな。ま、口にしたら俺が跡部にしばかれるから言わへんけど。いや、その前に伊織にしばかれる。

「まあまあ、それはあとで考えるとしてやな」とりあえず場を和ませんとあかん。
「あとで考えたってコネ使うならうちでしかないから」ちゅうのに、また吉井がピシャリ。「跡部財閥に関わらせるなんて父には絶対に言えない」おまけにしつこい。
「わかったって。ほな依頼は吉井の会社から。財閥の名前はださんってことで。それより先に候補を決めようや。伊織のおすすめは2次元ミュージカルやったっけ?」
「あ、うん。あの、2.5次元だよ侑士」2次元じゃ人間じゃないでしょ、と微笑んだ。はあ、今日も伊織、めっちゃかわいいっ。
「あ、せやった。間違えてもうた」
「ふふ。大丈夫」
「イチャついてないで話、進めてくれる?」
「まったくだ。公私混同も甚だしい」

ほんわかした俺らの雰囲気とは打って変わって、目の前の跡部吉井ペアのオーラが痛くなってくる。ええやん、微笑み合うくらい……ちゅうかそんなピリつくなら、もう付き合えやお前ら、逆に。うらやましいからピリついてんやろお? ホンマややこしい関係やな。

「ご、ごめんごめん」伊織がたじたじと謝っとる。はあ、優しい。天使やな。「えっと……このあたりの、若手のイケメン俳優ばっかりでてるのが有名かな」
「アーン? それじゃ女子しか喜ばねえじゃねえか」
「あ、でもね跡部くん、男子向けもあるの。ほら、この『美少女戦隊』とか」
「男子も女子も喜ぶのがええやろけどねえ。って、なんやこの、『ゴルフのプリンス』って」
「それは一番人気のヤツね。忍足知らないの? 原作の漫画」
「んん、聞いたことはあるで、もちろん」少年漫画雑誌にあったな、たしか。「あんなん、どうやってミュージカルにするんや。とんでもない必殺技ばっかり使うやん」
「その完成度がとにかく高いし、キャラそっくりなイケメンがわんさか出てくる。だから女子ウケはいいのよ」

リストを見ながらどこに交渉するかを考えとるあいだに、俺と伊織は跡部と吉井の様子を伺った。ふたりともなんてことないような顔しとるけど、どこかソワソワした雰囲気もある。俺らのイチャつき見てイライラもしとるし、忙しいヤツらやで……せやけど、今日のこの会だけでふたりが急にくっつきだすなんてことはありえへんから、このあとの作戦も、俺らはもちろん、考えとった。

「ほなとりあえずさ、吉井」
「ん?」
「お前のオトンに頼んで、練習風景とか見学させてもらえんかな」
「それは……まあできるとは思うけど」
「え、いいの!?」伊織が驚きの声をあげた。揉めるかと思っとったんやけど、拍子抜けするくらい簡単にできるって言われたでな。俺も驚く。
「できるよ。あたししょっちゅう、見学に行ってるし」
「うわあ、千夏すごい」
「別にすごくは……伊織が言ったとおり、あたしミュージカル好きだから。昔からよく見せてもらってたの」

聞けば、吉井は小さいころから何度も稽古場に足を踏み入れとるらしい。せやから吉井がおれば、顔パスでいけるところがほとんど。イケメン好きの女子たちが聞いたら喉から手がでるような待遇や。

「わあ、いいねえ。贅沢ー」
「まあこんな境遇に生まれたんだから、使えるものは使わないとね。ふふ。伊織の考えと一緒よ。コネは、ばりばり」
「あははっ。いいね、千夏らしい」

伊織と吉井のあいだに、穏やかでかわいらしい空気が生まれた。ようやく場が和んだな、と思ってホッとしたのも、つかの間や。
その空気をぶち壊すような跡部の声が急に響きはじめて、俺は慌てた。

「ふん、おおかた、イケメン俳優にちょっかいかけたくて行ってるだけなんじゃねえのか」

うわ、と、声にだしてしまいそうやった。そんな、そんな喧嘩をふっかけんでもええのに、跡部、吉井にはいっつも余計なこと言うて喧嘩ふっかけよる……。

「は?」
「図星だろう。お前は男の顔さえよければ満たされる女のようだしな」

おいおい跡部……落ち着けや。
も、バレバレなんやけど。その、理性をどっかに置いてきたような態度。好きな子やからいじめたいってヤツやんけ。小学生かお前は。

「それはあんたのお望みなんじゃないの跡部?」ほんで跡部のそういうとこは、吉井もそっくりなんよな。「美少女の前で偉そうにしてキャーキャー言われたいんだったら、この『美少女戦隊』の見学に呼んであげてもいいけど?」
「千夏……そ、そんな言いかたしなくても」
「バカか。俺はお前とは違うんでな。顔だけで媚び売るような真似はしねえよ」
「跡部、お前な……」それは言い過ぎや。たしかに吉井の男はみんな、顔だけはよかったけども……それはお前への当てつけやから……たぶん。
「へえー。その割に付き合う女たちは揃いも揃って顔だけみたいな女だけど」んん、それもホンマ、そう思う。「中身なさそうで、すっからかんって感じの」せやけど言い過ぎ。
「アーン? そりゃお前のほうだろうが」
「誰が誰に言ってんのよ。このスケコマシ」
「ちょっと千夏っ」
「黙れ好色女が」
「跡部もやめやっ」

今日日、聞くことのないワードでくり広げられる悪態合戦にツッコミも忘れて、俺と伊織は止めに入った。まあ、こうなることも多少は目に見えとったんやけど……なんとか4人でデート的な状況をつくりあげたい俺と伊織は必死や。

「と、とにかくさ、どれか見学に行こうよ、みんなで、仲よく!」
「仲よくできる気がしねえな」ホンマはめっちゃ仲よくしたいくせに、意地っ張りもここまでくると末期やな。
「こっちのセリフなんだけど。だいたいあんたがいつも突っかかってくるんじゃない!」そんでお前も挑発に乗りすぎやねん、抑えろや。
「俺は突っかかっちゃいねえよ。ただ事実を述べているだけだ」
「あらあらこっちも事実しか言ってないですけど」
「わかった、わかったよふたりともわかったから、ね、見学……あ、ど、どこにしようか。『美少女戦隊』にする? わたし美少女系は見たことないから興味あるな!」
「ふん、行ってもいいが、美少女系なら俺は遠慮する」
「え」「え」「なんでや」

俺、ちょっと『美少女戦隊』に興味あるんやけど……あいや、そういう意味とは違う。俺は伊織にしか興味ない。せやけど美少女なんやろ? まあ、なんちゅうか、ちょっと見てもええかなって思うやん。検索したらめっちゃミニスカートやったし。いや、伊織にしか興味ないけど。なんにせよ、『ゴルフのプリンス』よりはええやろ。なんやねん『ゴルフのプリンス』って。

「俺の女がヤキモキするような真似はしたくねえんでな。お前と違って」
「はあ?」

跡部の言葉に、俺と伊織は固まった。
……え、いま、女がおるって言うた? 嘘やん。俺の調査では、いま跡部に彼女なんかおらんはずやけど……。

「恋人がいようがイケメン俳優に会って媚を売っているお前とは違うっつってんだ。お前、相手の気持ちを考えたことがあるのか?」
「そんなことに嫉妬する恋人のほうがどうかしてる。バカなんじゃないのあんたの女」

うわ、吉井、跡部の彼女発言にめっちゃ動揺しとるくせに、まったく表情と声のテンション変わらんやん……せやのに跡部の挑発には簡単に乗るんやな。

「バカじゃねえぜ? お前よりよほど頭がいい。彼女は常に学年トップだ」
「は? 学年トップはあんただし、女でトップはあたしなんだけど」
「誰が3年だと言った。1年だ。今日お前らも会っただろ」

その発言に、俺の部屋は一気に静まり返った。全員が唖然と口を開けとる。
ひとつは、跡部が後輩女子と付き合っとることやろう。いままでは絶対になかった。
もうひとつは、その女に吉井も伊織も昨日、会ったばかりやからや。たしかにかわいらしい顔しとるけど……まさか、まさか……。

「臼井さん? って、人だっけ?」
「ああ、そうだ」

あいつ学年トップなんか!? すごいやん……。いやいやそんなことに驚いとる場合ちゃうっ。
……俺に過去、告白してきた臼井が、いま、跡部の彼女やと……!?

「へえ。あんたって、自分の女をわざわざ生徒会に入れたりしたってわけ」
「恋人だから生徒会に入れたわけじゃねえ。優秀だからだ」
「なんとでも言えるけど、マジで気持ち悪い真似すんのね」ままごとがどうだとか言ってたくせに、と、吉井は付け加えた。
「アーン? お前なにを勘違いしてる。臼井は中学のころから生徒会にいる。俺が引っ張ってきたわけじゃねえよ」
「別にどうでもいいけど。跡部がそういう男だとは思ってなかったってだけ」

これまで軽快に交わされとった悪態合戦も、今度ばかりは雰囲気が違った。吉井のその声色は、たぶん本音や。嫉妬とか、落胆とか、いろんな感情が乱れとる。
ほんで俺も、いろんな感情がごちゃまぜになる。そら、そういうこともあるかもしれんけどさ……俺に振られて、跡部に? いや、なんちゅうかそれ……。

「じゃあたし、『ゴルフのプリンス』で手配しとくから」吉井がさっとソファから立ちあがった。確実に、イラついとる。
「お、おい吉井、帰る気か?」
「帰る。話は終わったでしょ」

バタン、と大きな音を立ててでていった吉井の背中が、俺には、涙で濡れとるように見えた。





その場は当然、お開きになった。跡部は俺らの質問をかわすようにすぐに帰っていったし、俺も伊織も動揺を隠せん。伊織の動揺と俺の動揺は、また全然ちゃうものやと思うけど……せやけど臼井が……跡部と? ちょっと信じがたいんやけど。

「ねえ侑士、本当なのかな」
「ん……どやろな。跡部に聞き忘れてしもたけど、俺らにそう聞かれたとこで、ホンマやとしか言うてこんやろし」
「そう……だよね。臼井さんって、昨日、侑士のとなりに座ってた子だよね? なんか、知り合いっぽかったけど」
「え、ああ……前にな、同じ委員会やったから。それで」
「ああ、そうなんだ」

めっちゃ体がビリビリする。待って待って、俺なんも悪いことしてないやん。なのになんでこんな気分にならなあかんねやろ。
せやけどこうなったら、ますますあの過去のことは伊織にバレるとまずい気がする。もともとは伊織を傷つけたくないってだけやったけど、前に俺に告白してきた女が、いまや親友の恋敵となると、精神状態が普通ではおれんやろ。立場が逆やったら、「なんやねんその男、節操ないな!」ってなって、めっちゃ腹立ってきそうやし。

「どうしよう……跡部くん彼女いたなんて……ああ、失敗したなあ」
「ま、それが事実かどうかも、確かめる必要があるけどな」どうもさっきから、引っかかるわ。臼井って実際は、恋愛に奔放なんやろか。
「でも……なんでいつもあんなに喧嘩腰なんやろね、あのふたりは」
「どっちがはじめたんか知らんけど、恋人を見せつけあってきとるやろ、たぶん。せやからお互い、嫉妬しまくりやで……どっちかの気持ちを正直に吐かせて素直にさせん限り、俺らの根回しにも限界があるかもな」
「ん、そうだね。ああ……素直になったら、こんなに幸せなのにね」
「ん、せやな……ふふ。伊織、幸せ?」
「もちろん。すごく幸せ」

ふたりきりになったせいやけど、お互いがそれとなく抱きしめあって、キスをした。伊織の優しい香り、めっちゃ落ち着く。あったかいし、ホンマに幸せ……俺はこの幸せを、跡部にも味わってほしいだけやねんけど。
きっと、伊織もそうやろう。吉井に幸せになってほしいだけやねん。

「ねえ、侑士」
「ん?」

唇を離して、そのまま背中をなでようとしたときやった。ぽわん、とした顔の伊織を想定しとった俺は、その表情にドキッとした。どこか鋭い、ようでいて、ちょっと意地悪に、色っぽい目をしとったから。

「昨日からずっと……なにか、隠しとるでしょ?」

それが女の勘を発動させたときの顔なんやと知ったのは、このときがはじめてやった。





to be continued...



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