Son of a Gun


さっきからずーっと、ケラケラ笑っちょる。佐久間伊織は比較的いつも笑っちょるし、不思議でもなんでもないんだが、今日の様子は俺の見たことのない佐久間だ。まあ、それもかわいいが、にしてもなんで、こんなことになったんか……。

「仁王さん、仁王しゃん、次はわたしの質問いいですか?」ろれつ……。
「ええけど、本当に質問なんか?」
「テレビでは言えない豆ってポーテト?」
「じゃけ……それ質問じゃのうてなぞなぞじゃろ……」

目の前にフライドポテトがあったせいか、佐久間はポテトを頬張りながらそう言った。
あと、それいうなら「なーんだ?」じゃないんか……呆れてツッコむことも忘れちまう。

「ポテトは豆じゃないぜよ」
「そうぜよ! わかってますぜよ!」
「お前……俺のこと真似しちょる?」
「してないぜよ!」しちょるじゃろ、絶対。だが陽気な佐久間を、愛でたくもなる。俺もどうかしちょるぜよ。
「で? 答えにポテトが関係あるんか?」
「ないです、まったく、ねえでやんす」今度はどっかで聞いたことのあるような口調になっちょる。「あははっ。ああ、ああ、お酒って楽しいですねえー!」

まだ、ふたくち、くらいしか飲んでなさそうなんだが……開始から数分で、佐久間は人が変わった。

大学卒業間近の飲み会に誘われたのは、1週間前のことだ。もうすでに就職も決まって、俺は気楽なもんだった。一応、インターンとはいえ仕事をしちょるから、それなりに疲れもたまる。そんな俺を気遣ってか、丸井が大学仲間と集まってワイワイやろうと言いだした。
正直、気後れした。酒は嫌いじゃないが、大人数の飲み会は苦手だ。だが丸井が開くとだいたいが騒がしい。ほとんどの連中が酔い急ぐし、そのぶん、ほとんどの場合でどうしようもない酔っぱらいが現れる。酒にあまり酔うことがない俺はいつもその介抱役で、丸井の世話も数え切れんくらいしてきた……が、断ろうとする手前で、丸井は言った。

――佐久間も来るぜ、仁王。
――ほう……? あいつ、酒が飲めるようになったか。
――こないだ成人式が終わったらしいからな!

佐久間は、赤也の同級生だ。二人は漫画好きのサークルで知り合ったらしい。赤也と一緒にいるところにたまたま通りかかったことで、俺と佐久間も知り合った。
佐久間は気立てのいい女だった。いつも笑っていて、機嫌がいい。そのくせ、ふと見せる言動に貫禄があって、最初はそれが不思議で仕方がなかった。が、赤也から情報を得て、納得した。佐久間の家庭環境は複雑らしい。

――お母さん? どこかで幸せにやってるんじゃないかな。わたし、ほとんど父親に育てられたからねえ。でもお父さんもいまは幸せだよ!

サークル仲間の前で、吐露してきたことがあるそうだ。
なるほど、細かいことは知らんけど、なんとなくの想像がついた。やわらかい雰囲気から、あまり挫折もなかった箱入り娘だろうと偏見を持っていた俺は、そのギャップに佐久間を目で追うようになった。話すたびに、人生の苦労や寂しさを微塵も感じさせない心意気に惹かれていく自分に、たしかに気づいていた。
だが……当時の俺は就職活動の最中で、なかなか口説くようなチャンスもないまま、とうとう1年が過ぎた。久々に佐久間に会えるチャンスだ。飲み会となれば口説けるチャンスでもある。佐久間の名前を聞いた瞬間にOKをだして、今日は参加したっちゅうわけなんじゃけど。

――仁王さん、お酒は好きなんですか?
――ん? まあ、好きなほうやのう。

ちゃっかりと佐久間のとなりに席を確保した俺に、注文する前から、佐久間の質問が飛んできた。まだ飲み会になれていないせいか、ソワソワとした様子が微笑ましくて、俺もニコニコしていた。このときは、まだ。

――好き、なんですね!
――ん。酒があると、普段は知らん人間の本音、みたいなのがでてくるじゃろ? じゃから、酒が好きっちゅうよりも、人と一緒に飲むのが好きだ。
――あ……なるほど! ということは、身近な人はお酒を飲める人のほうが楽しいって感じですよね?
――そりゃ、一緒に酒を飲めんと、つまらんからの。

もしかして、と、思う。俺のあの発言が、佐久間に気を遣わせたんかもしれん。

「仁王しゃん、早く答えてっ」
「テレビで言えん豆、なあ……」

まさかどうしようもない酔っぱらいが佐久間になるとは……こいつどう考えても、下戸じゃろ。おかしい……こんな、豆がなにかあてるような事態になるとは思っちょらんかった。
最初のうちはお互い、「どんな異性がタイプ」だの、「デートで行ってみたい場所」だの、脈アリ全開の会話をしちょったっちゅうのに……。

「んー、わからん」なんで俺はいま、なぞなぞに答えるハメになっちょるんじゃろうか。
「仁王つぁんは、頭が、よろしいはずなのにねえ」ふにゃあっと首をかしげて、微笑んできた。おかしい、とは思うが、性懲りもなく、かわいい。
「ごっつぁん的な呼びかた、やめんしゃい」かわいい、と思っていることが悟られたくなくて、意地をはった。「で、答えはなんなんよ」
「ぷひひ。それはね……」ふらふらした動作で、手がさまよっている。なにする気じゃ。「驚かないでくださいね……ええっ!?」

自分で言うて、自分で驚いちょる。いまのもツッコむところなんか? はあ……ここに忍足がおったら楽なんじゃけどのう。ちゅうか、その前に言え。気になるじゃろうが!

「いうて。自分で驚いてるやん! 嫌やわあ!」
「ノリツッコミはええから……」
「あい、ピー!」
「ピー?」
「ピーーーーーーーーナッツ!」

酔うちょるわりに、答えはしっかりと納得のいくもんじゃった。なるほど、と、やけに感心する。テレビでは言えん豆……ピーナッツ! はあ、くだらん。

「くくくっ……わたしに勝ちだ」やけに誇らしげじゃのう。
「じゃあ佐久間、次は俺からなぞなぞ、だしてもええか?」
「お、やる気じゃないでふか」さっきからろれつも回っちょらん。ベロベロじゃの。
「ひとりだけ触ってるのに、ふたりを縛るもの、なんじゃと思う?」
「ん……んん」

ちと、くすぐったい会話もしてみたい。答えから、どうにかこうにか口説けるんじゃないか。俺も諦めが悪い。
だが、こくこくと頷いて、佐久間はそのまま動かなくなった。まさか……寝たんじゃないだろうな……?
不安になって顔を覗きこもうとしたときだった。遠くのほうに座っていた女が、ビールグラスをもってこっちに近づいてくる姿が見える。あれは、たしか……。

「仁王、伊織とやけに仲よさそうじゃーん」

馴れ馴れしい口調で、その女は佐久間の横に座った。ややこしいことになってきたのう。と、俺は目が棒になりそうになった。彼女は俺の同級生で、佐久間の高校時代の先輩だ。ずいぶん前から気づいてはいたが、この女は俺に気があるうえに、自称サバサバ系。俺の好みとはかけ離れちょるがゆえ、面倒だ。

「仲よさそうっちゅうか、ほとんど介護状態じゃけどの」
「えー、酔ってんのこの子?」
「酔うてはおりません!」バッと、佐久間が頭をあげる。酔っぱらいはなんで、酔うてないって言い張るんじゃろうか。「いや? 酔ってる?」
「酔うちょるよ、佐久間。水でも飲みんさい」まだ酒が8割は残っちょるけど。
「いえ、わたくし、佐久間、まだ仁王さんと飲むんです」言いつつ、佐久間は首をだらんと下げた。
「お前、眠いんじゃろ? ええって、無理せんで」
「仁王は優しいねえ。でも伊織なら大丈夫だよ、強いから」

邪魔に入ってきた女の冗談めいた口調に、俺は一瞬、眉をしかめた。佐久間が首を折ったまま、「強いー?」とつぶやいている。そのまま会話をつづける気か、お前。
それはそれとして、どういうつもりなんじゃ、この邪魔女? どう見ても弱いっちゅうか、下戸じゃろこいつ。

「いつもこう、ふにゃふにゃっとしてさ、男の子にモテモテだけど、芯が強いから、伊織は」
「あははっ。ふにゃふにゃ、よく言われちゃいます……」ほとんど寝言みたいに、だが、声は笑っていた。「でもしっかりしたところもあるんですよっ!?」
「だからそう言ってんじゃん、なんでくり返したのいま」
「んん……聞こえてなかったんで」
「佐久間、しんどいんか?」ずっと首を折り曲げたままで、心配になった。
「いんや、この体勢がいまは楽なだけじゃす……じゃすらっく」なにを言うちょる。
「仁王、知ってる?」おまけにこっちは完全に無視して話をつづけようとした。「伊織はね、男運めっちゃ悪いの。前に付き合ってた男とかモラハラ野郎だった」
「ん、へへ。あはは。んん、そうかも……」

佐久間は否定をしなかった。笑って過ごしているが、酔っちょるからなにを話しているのかもよくわかってないんだろう。おかげで、邪魔女はますますと調子にのったようだ。

「けど伊織は強いんだよ。すぐ立ち直ってさ。次の恋! って感じだったもん。ダメだこいつ、と思ったらすぐに切り替え! ああいうの乗り換えともいうのかな? ただあたし、ホント伊織のそういう強いとこ憧れる。カッコいいよねえ」
「新宿から原宿は一本ですよ……」ぶつぶつと、佐久間が応える。
「誰が電車の話してんのよ! ねえ、こないだいいって言ってた男とどうなった?」
「新宿、とスンドゥブって似てますよね。新宿、を東北とかの訛ってる人が言ったら、『スンズグ』になって、『え? スンドゥブ?』『いやスンズグ!』『え、スンドゥブ?』『いやスンズグ!』なんつって」
「もうやめんしゃい佐久間……」こっちの頭がおかしくなる。寝ながらようそんだけしゃべれるのうお前。
「あははっ。ごまかしてるー」それもおかしくないか。ごまかしにては下手すぎるじゃろ。「デレデレしてたのこないだ、カフェのイケメンにー。こっそり紙をわたされてさあ」
「ふうん」聞いてもないのに、邪魔女は楽しそうだ。俺は適当に流した。どうでもええ。
「ちょっと連絡とってると思う。そういう積極性にも憧れちゃう。尊敬しちゃうんだよねえ。恋に前向きなとこ。でもちょっと恋の賞味期限が早いけどね。でもそれはあれか、遺伝か!」

男にモテて恋に前向き、ダメだと思ったらすぐ次。おまけにいま、いいと思ってる男がいる……憧れるだの尊敬だのと言っているが、最後の嫌味でうんざりが許容値を越えた。
遠回しに(俺からすれば見え透いちょるけど)佐久間を貶めて自分の株をあげようっちゅう魂胆なんだろうが、こんなのに引っかかる男がおるんか。
さすがに聞いちょられん……と、思った俺が制止しようと口を開いたが、俺の制止は、佐久間の大声でかき消された。

「ちょっといまなんて言ったの!?」

佐久間が、急に頭をあげ、怒号をあげた。俺も邪魔してきた女も目をまるくして佐久間を見つめたが、あいだに挟まれている佐久間は、右にいる邪魔女をじっと見ている。

「えっ……え」
「お、おい佐久間」

こっちからは後頭部しか見えんが、もしかして睨みつけちょるんか。邪魔女が目を泳がせている。一気にこの場が静かになっとるんだが……佐久間、いつも空気を読むお前の洞察力、どこいったんよ。

「もっかい言ってみてよ、先輩。なんて言ったの!?」
「な、あ、あんた、先輩に向かって、いくら酔ってるからって」
「言ってって言ってるでしょ!」

遠くのほうにいた丸井が心配そうにこちらを見ていて、目が合う。口パクで、「大丈夫か?」と伝えてきていた。大丈夫……じゃ、なさそうだ。
大学生飲みじゃあるあるな喧嘩だが、さすがにまだ成人式を終えたばかりの佐久間には、キツくないか? はじめての酒の失敗が喧嘩となると、死にたくなるぞ。俺が止めに入るしかない。

「だからあんたの男好きは遺伝でしょって言ったのよ!」が、同時に煽られた邪魔女も、負けじと喚いた。
「おい、やめろっ」お前、自分の株をあげたいんじゃなかったんか。最低じゃろっ。
「なにか間違ってる!? 本当のことでしょ!」

が、俺が心配になって佐久間を見た、瞬間だった。

「ああ、なんだそう言ったんだ!」

ズコーッという音が聞こえてきそうなほど、その場にいる全員がずるっと体勢を崩した。
聞こえちょらんかっただけか……! と、心のなかで思わず叫んどった。
ダメじゃ……ボケがすぎる。計算だったとしたら、相当なタマやのこいつ。忍足じゃったらきっとここで「聞こえへんかっただけかーい!」ちゅうて、場を和ますんじゃろうけど……俺にはそのスピード感がない。こんなに忍足が恋しくなる夜が来るとは思わんかった。

「男の人が好きなのは、先輩もじゃないですかい? ふふふ」
「ちょ……なに、なに言いだすの」
「だって、先輩……ふふ。つまり、今日、そんなにわたしに絡んでくるのはあー」
「な、なにっ」
「つまり先輩は仁王さんに……!」
「ば、バカ言わないでよ!」
「コシヒカリ!」

ピン、と人差し指を立てて、佐久間はケラケラ笑っていたが、周りは静かになっていた。
急に米の商品名がでてきたことで、邪魔女だけじゃなく、周りも呆気に取られている。お前らもまだまだじゃのう、と、ここまでくると俺も強気になってきた。
佐久間……お前、本当に酔っちょるんか。ボケのレベルは低いが、しっかりボケちょるのは頭が働いちょる証拠じゃろう。

「それいうなら、『ひとめぼれ』じゃろ、佐久間」俺は穏やかにツッコんだ。
「ひゃあ、さすが仁王さんです」

関東人には瞬時に判断できないボケをかました佐久間は、そのままテーブルにつっぷした。





「息がピッタリだね」と、声をかけてきたのは、また邪魔しようとたくらんでいるタイプの同級生だった。今度は男だ。前々から佐久間のことを狙っちょるのは気づいていた。寝てしまった佐久間をどうにかしようとでも思ったんだろう。俺はすぐに佐久間を連れて、家まで送ることにした。

「ううう、仁王、さん……わたし、歩ける」
「歩けんじゃろそんな足で。ええからつかまって。で、家はどこじゃ?」
「でえええい! ダメです、絶対にダメ。片づいてないです!」否定の仕方が強いのう。
「部屋にあがったりせんって……」嘘じゃけど。
「ダメえ、散らかっているんです! なので、そのへんに放り投げて帰ってくだつぁい!」
「できるわけないじゃろ、そんなこと」

俺はまったく、信用されちょらんらしい。部屋にはあがらんと、建前ではそう言っているが、佐久間は頑として家を教えなかった。なかなか、勘が鋭い。
じゃけど俺、多少、散らかっちょっても気にならんのだが……まあ佐久間なりのプライドもあるんだろう。どれだけくり返しても話は平行線だった。
こうなったら……いい口実ができたと思うのも男の性っちゅうやつか。俺は自分のアパートに佐久間を連れ帰ることにした。

「どうぞ、入って」
「……いいんですか」
「ええよ。あと、襲ったりもせんから、安心していい」その理性がどこまで保てるか不安だが、まあ……今日の佐久間なら、なんとかなる気がしている。
「では、遠慮なく……」酔っているわりに丁寧だ。「おじゃまします……か?」
「聞くな」
「仁王さん、さすがあ」

念のために言っておきたいんだが、俺はこういうキャラじゃない。だが今後、佐久間とどうにかなろうと思うなら修行が必要かもしれんと、しみじみ考える。
はあ……忍足。今日だけでお前を3回も思いだすことになるとはな……。もともと俺も西で生まれ育ったっちゅうのに、ツッコミの偏差値はこうも違うもんか。

「ソファ、座って。いま水を持ってくる」
「仁王つぁん」
「じゃけその、ごっつぁん風味やめんしゃい」
「オラ、まだでらうめえ酒、飲みてえなあ!」
「嘘を言うんやない」

あと、それなんのキャラだ。悟空はそんなこと言わんぞ。
呆れつつも水を手わたすと、佐久間はヘラヘラしながら大事そうに水を口に含んだ。さすがに手をだす気はないが……ここは先輩らしく、ちと説教でもせんといかんかの。

「佐久間」
「あい」
「お前、飲むの今日がはじめてじゃったんか?」
「ん……」ぶんぶん、と首を振っている。
「じゃったら、自分が酒に弱いの知っちょったじゃろ。なんで無理した?」
「大丈夫だ、問題ない」
「ちと真面目に答えんしゃい」

ツッコミ疲れた俺が真顔になると、佐久間は目をぱっと見開いた。ようやく、こっちの思いが伝わったようだ。若干だが、安心する。

「……場の空気がしらけ、しらけ、ちゃうから」だが、まだやはり酔っている。
「お前そういうこと気にするタイプか?」
「さりげなーく失礼」
「俺が言うたこと、なんか関係ある?」

むんぐ、と口をつぐんだことがはっきりとわかるような顔をして、佐久間は目をそらした。

――そりゃ、一緒に酒を飲めんと、つまらんからの。

やっぱり、あれがようなかったんやの、と、いまさらわかっても遅いか。

「無理して飲むくらいなら、最初から飲めんって言いんしゃい」
「しゃい……」
「くり返すな」ふざけちょるんかっ。
「いまのは返事です。『はい』の派生形で……」
「派生せんでいい」
「んふふ、ですよねー……う」

そのとき、俺はようやく気がついた。さっきの大人数から急にふたりになって大人しくなったんかと思ったが……佐久間、大人しくなったうえに、なんか顔色が悪くないか?

「仁王はん」
「なんじゃ、どうした。気色悪いのう、はんって」
「ですよね気色悪いですよね。いまどき舞妓さんくらいしか言わんやろっちゅうやーつ……う」気づくと、胸もとを押さえている。
「お前……もしかして吐きそうなんか?」
「うう、うえっ」
「ちと待ちんしゃい」

急いでゴミ箱を手にしようとしたが、距離があった。すでに口も押さえている佐久間に、とてもじゃないが間に合いそうにない。俺はとっさに自分の着ていた服を脱いで、パーカーのフード部分を佐久間の口にあてがった。

「う、でも、こ」
「ええからっ」
「うう……」

リバースは、俺も経験がある……が、リバースを受け止めた経験は、はじめてだった。

翌日になると、佐久間は消えていた。
彼女はベッドに寝かせて、俺は紳士にソファで寝たんだが、テーブルの上に1枚、メモ用紙が置かれていた。

『本当にごめんなさい!』

笑いがこみあげてきた。ときおり、やけに冷静な対応をしていた佐久間だが、やはり相当、酔っていたんだろう。あげく、自分がしたことを覚えちょるっちゅう最悪のパターン。酒の失敗は誰にでも起こりうることだが、こうも典型だと笑えてくる。
まあ、それでも俺としては佐久間との距離が縮まったかと、プラスにとらえていた……が、気を取り直して洗濯していると、あることに気づいた。
昨日、簡単に洗って洗濯機のなかに放りこんでいたはずの例のパーカーが、消えていた。

――弁償します、すみません! 本当に……!
――ええって、これくらい。洗えば済む。
――でも匂いとかついちゃうかもしれないし!
――大丈夫じゃ、最近の柔軟剤はようできちょる。ええからお前、もう寝んさい。

そういえば、そんな会話をした気がする。まさか弁償のクリーニングのために、佐久間が持ち帰ったか。こうなってくると、また会う口実にもなる。俺はさっそく佐久間に連絡を取ったが、佐久間から戻ってきた返事は、たったひとこと。

『申し訳ありません! 数日以内に、連絡します!』

俺は、会社の上司か。





結局、数日が過ぎても佐久間からの連絡がないまま、街をぶらぶらと歩いているときだった。
よく大学生たちがたむろしている喫茶店に、佐久間の姿を見つけて、思わず「お」と声をあげる。
だがよく見ると、その正面には女友達が座っていて、佐久間はずっとうつむいたまま、ハンカチで何度も目を拭っていた。
泣いている、と気づいたときには、体は勝手に動いていた。押しかけるような真似をして恥ずかしい反面、好きな女が泣いているのを黙って見過ごせない自分がいる。

「わ、あ、伊織、ね、仁王さん」
「えっ!?」
「よう、どうした、こんなところで。偶然やの?」

本当に偶然なんだが、焦っている俺の声はまったく偶然に聞こえんからバツが悪い。
佐久間の友だちも顔見知りだったので軽く会釈をしたが、そのあいだに、佐久間は即座に席を立ちあがり、俺の目の前に紙袋を差しだしてきた。

「え?」
「も、申し訳ありませんでした!」じゃけ、上司なんかって。
「いや、これなん」
「弁償です! では、わたしはこれで!」

泣きながら、佐久間が走り去って喫茶店をでていく。追いかけることもできたが、俺はその突拍子のない展開に、唖然とした。そっと紙袋のなかを覗くと、消えたパーカーが入っている。やっぱりクリーニングか、と思ったのは、そのときまでだった。
パーカーがやけに綺麗だ。おまけに、タグまでついている。

「これ、どういうこと……?」
「仁王さん、あの、あたし、吉井って言います」
「ああ、すまん。挨拶もそこそこに……ちゅうかお前、佐久間、帰ったけど、ええんか?」
「耐えられなかったんだと思います。伊織、飲み会で、仁王さんに迷惑かけたって……たぶん、翌日からかな? ずっと、後悔して、泣いてて」

そこから俺は、吉井の話を聞いた。吉井はあっさりと、佐久間の胸のうちを話してくれた。
「もう振られたも同然」「最悪な印象だけ残した」「わたしなんて女として見てもらえない」「黒歴史」と、前向きと評されていた佐久間とは思えないワードの数々が散りばめられている。

「そんで、吉井にずっと泣きついちょったっちゅうこと?」
「そうです……でもあたし、思ってたんですけど……仁王さん、伊織の気持ちには気づいてましたよね?」
「ん……まあ、気にいってもらえちょるんじゃないかとは、思っちょったけど」
「だと思いました! よかった、お話できて。勝手に話すの気が引けたけど、大丈夫だよって言っても、『絶対に無理! もう顔も合わせられない!』って、伊織、大泣きするから……でも仁王さんなら、大丈夫、ですよね?」
「ははっ……ああ、なるほど。それでいろいろ話してくれたんか。で、これは、俺への詫びっちゅうことなんかのう?」
「はい、せめてもの、伊織の罪滅ぼしだと思います。大変だったみたいですよ、ブランド直営店はほとんどどこも売り切れだったみたいで」

でも、根性だけはあるんです、伊織って。と、付け加えて、くすくす笑っていた。
吉井と30分近く話したせいで、もう佐久間がどこに行ったかもわからない。だが、俺は吉井から佐久間の家の場所を聞いていた。聞けば吉井は、佐久間の幼馴染らしい。だから秘めた恋心を本人に打ち明けるというのも、タイミングがわかりきっている、というわけだ。
あの邪魔してきた女よりも、よほど佐久間のことがわかっている。そういう女友達がいるだけで、佐久間はやっぱり気立てのいい女なんだと、改めて感じる。あんな姿を見せられたっちゅうのに、余計に好きになるのう。

アパートの前まで行ったが、佐久間は案の定、留守だった。そこからまちぶせること1時間半……まったく、どこをほっつき歩いちょったんか、この女は。

「えっ!?」
「バケモノか俺は、なんちゅう顔しちょる」
「なんで、なんで仁王さん、なんで、あの、ごめんなさい!」
「そんな怯えんでも、誰も怒っちょらんじゃろう」

だって、だって……と、あの日とはまったく違うキャラで、佐久間はおどおどとしていた。まあ俺からすれば、これがいつもの佐久間なんじゃけど。いわゆる、普通の人間の普通の会話、ちゅうやつ?

「俺、ずーっとここで待っちょったんじゃけど?」
「千夏? 千夏ですね!?」
「ん、誰じゃそれ?」
「吉井千夏です! さっき喫茶店にいた!」
「おーう、お前の幼馴染。そうじゃけど、なんか問題あるんか」
「大アリです!」も、なに勝手なこと……とぼやいている。
「そこは、『大丈夫だ、問題ない』っちゅうて、言わんのか」
「え、仁王さんって、そういうキャラなんですか。ネットスラングですよそれ! オタクなんですか!?」
「……いや、違うが」

そこは覚えちょらんのか。ちゅうことはあの失態だけ覚えちょるってところかのう。まあ別に、なんでもええけど。

「ええから、部屋に入れんしゃい」
「そんな、ダメです!」
「また散らかっちょるんか。じゃあまあ、ええよ、ここでも」
「う、うう……どうしたんですか。ごめんなさい、すみません」
「はあ……もう謝らんでくれ」

気持ちは、わからんでもないけどのう。あれだけのことやらしかたら、俺も翌日は嫌悪感でいっぱいになるじゃろう。しかも、好きな人に。だが佐久間は、わかってない。自分が一方的に好きだと、勘違いしちょる気がする。
おそらく吉井は俺の気持ちも見越していたからこそ、伝えたんだろう。

「もう、望みはないって嘆いたそうだな、吉井に」
「ええっ!? な、な、千夏、そんなことまで言っちゃったの!?」
「最悪? 最低? 黒歴史? とか、なんとか?」
「うう……千夏のバカ」
「まあそらそうよのう。ふたくち目で酔って笑いはじめたかと思ったら、ずーっとボケ倒すしの」
「ち、違うんです、あれは」
「テレビで言えない豆ってポーテト?」いまさらだが、じわじわくるのう、これ。
「ひいいい、やめてくださいごめんなさい」

佐久間が真っ赤になって顔を覆った。ちと、いじめすぎたかのう。だが、そういう佐久間は、見ていて飽きない。あんな失態を俺以外の男の前でやられたら、おそらく俺は、嫉妬する。

「振られたも同然って、言うたらしいの?」
「ああ、なにからなにまでしゃべってる……」
「お前それ、本気で言うちょる?」
「だって仁王さん全部、知ってるじゃないですかあ」
「そっちの話じゃない」どうやら、天然ボケはかなり進行しちょるらしい。「俺に振られたも同然って、本気で思っちょるんか?」
「え……だ、だってそれは」

顔を覆っていた指の隙間から、そっと俺を見ている。俺はエロ動画やないぞ。って、俺もいささか、ツッコミ具合が上達してきちょらんか?

「まあそりゃちょっと、驚きはしたが」

顔を覆う手に触れた。ゆっくり、握りしめるように下におろすと、潤んだ瞳が見あげてくる。そうそう、その顔、よう見せてくれ。

「やっぱり、幻滅、しましたよね?」
「ん? それは、もともと俺は佐久間に魅了されちょったって意味になるが?」
「へっ!? あ、いや、そんな、めっそうもない!」
「ははっ。なんでそう思う?」
「だ、だってあんな、あんな……さ、最低な真似を……」
「まったく……それで幻滅するくらいなら、最初からお前のこと気にもしちょらんよ」

え、というかすかな声は、俺の胸のなかで消えていった。
引き寄せると、あの日、酒臭かった佐久間とは程遠い穏やかな香りが俺の鼻をくすぐった。ふたりきりになった最初があんな状況じゃったせいか、逆にもっと好きになるんだが。

「振られたも同然? そんなわけないじゃろ」
「仁王さ……」
「お前の下の世話もできるくらいじゃ、こっちは」
「ええっ!?」
「一緒に飲んだその日にお前の嘔吐物をキャッチした男やぞ、俺は」
「うう……」もう言わないで、と、また胸のなかで声が遠くなる。だが、しっかりと背中に手を回してくれているあたたかさに、愛おしさが増した。
「俺以外に、お前の面倒見れる男がおると思うか?」
「い、嫌じゃ……ないですか?」
「嫌じゃ」
「うう……」

笑いながら顔を覗きこむと、佐久間は眉を八の字にして、小さく「ごめんなさい」とつぶやいた。それだけ反省しちょるなら、もう滅多に酒を口にもせんだろう。
そんな俺の期待も含む束縛を、たしかなものにしたい。
頬にそっと左手を重ねると、ビクッと肩がこわばっていく。そのままゆっくり顎をもちあげて、俺は頭を落としていった。

「なぞなぞの答え、解けたか?」
「へ?」
「ひとりだけ触ってるのに、ふたりを縛るもの……なんじゃと思う?」
「え、な、なん、なんだろう、あれ、そんな問題、だされましたっけ」
「だした……答えは……将来、下の世話するときにでも、教えちゃる」
「え、いじわ……」

ふさいだ唇が、ふたりの言葉をかき消していく。ガクッと力が抜けたように、佐久間は俺を受け止めた。

「仁王さん……」
「誰が、いじわるじゃって?」
「そ……だって。答え、教えてくれないから」
「よう言うのう、あんな姿を俺にさらしたくせに」
「うう、いじわる……やっぱり嫌なんじゃないですか」
「嫌じゃ」
「うう……」
「でもその何倍も、伊織が好きだ」

言葉にすると、俺の伊織が、ほんのりと安心したような顔を見せる。それでもまだ、眉は下がったままだが。

「お前は? 聞かせてくれんかのう?」
「そ……わ、わたしも、仁王さんが、好きです。好きに、決まってるじゃないですか!」
「ん、じゃろ? じゃったらもう、無理して俺のために酒は飲むな。一緒に飲めんでも、お前が傍で笑ってくれたら十分じゃから」
「……ふふっ。はいっ」

やっと笑顔になった伊織に、俺はもう一度、キスをした。





fin.
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