orange ham hug




目玉焼きがええ。ハムも一緒がええ。
と、寝ぼけながら伊織に言うた。しゃかりきな返事が聞こえたあとに、ええ匂いがただよってきて、ようやく目が覚める。今日は伊織が俺のために朝食つくってくれとるんやと思うと、嬉しくてたまらんかった。

「おはよう」
「あ、侑士、起きた? もうすぐだから待っててね」
「ん、ありがとう。ん? これ、なに?」
「うん? あれ、目玉焼きがいいって、言ってたよね?」

同棲をはじめて1ヶ月。ここんとこめっちゃ忙しい伊織は、毎日のように22時を回っても仕事しとる。せやから一緒に暮らしはじめてのご飯担当は俺やったんやけど、伊織が昨日、突然に言いだした。

――わたし、今週末は侑士のためにご飯つくる!
――ええ? いやいや、ええねんで? たまの休みはゆっくりしといたら。
――だけど、つくりたいんだもん。
――そんな……急にどないしたん。

付き合って何年か経つんやけど、伊織は料理があんまし得意やない。それは付き合う前から知っとったから、付き合ってからも俺らは基本的に外食か、家でゆっくりするときは俺がつくるか、出前を取るかでやり過ごしてきたいうのに……。驚いて目を見開いとったら、伊織はもじもじしはじめて。

――友だちがさあ……料理上手なんだよ。
――ん、そんで?
――彼氏につくってあげてるんだって。よく。
――んん、そんで?
――やっぱり好きな子の料理は、嬉しいって。

なんでやか、しょげとった。俺は別にそんなこと、不満に思ったこともないのに。どうしたんやろって困惑しとったら、伊織はいよいよ、白状しはじめた。

――侑士、ときどきあれ食べたいとかこれ食べたいって言うけど、全部、自分でつくっちゃうでしょ。
――まあ……そら、食べたいんやったら自分でつくったらええかなって。
――遠慮してるじゃん、わたしに。
――いや、そういうわけや……。
――同棲もはじめたし、わたしもちょっとくらい、彼女らしいことっていうか、その……パートナーらしいこと、したいなって。

きゅん、としたんや。パートナーって言葉で濁しとったけど、ひょっとして将来を見据えてのことなんかなと思ったら、もうめっちゃかわいくって。「嬉しい。伊織の手づくり食べたい」って言うたら、ぱあっと花が咲いたみたいに笑ったで、ホンマにうっとりした。

「ん、目玉焼きは合ってる」
「え、目玉焼きはって、どういうこと? ほかになにか違った?」

そういうわけで、今日は伊織が俺のために手料理すると張り切っとった。忙しい最中の休日に、ホンマはだらだらしたいやろうに、そんな選択してくれた伊織がめっちゃ愛しい。せやから俺も、思いっきり甘えたろって、目玉焼きをリクエストした、のはええんやけど……どうせなら、今後のためにも言うておきたい。

「ハムは?」
「ハム、つけてるでしょそこに」
「……ほなこれ、伊織のぶんやな?」まだ1つしかできあがってない。俺のはこれから焼くっちゅうことやろう。
「は? え、あ、いや、まあ、それでもいいけど」
「あ、ちょお待ってそれ、それなに?」
「え、え? は、ハムだよ!」

伊織がペラッペラのハムを菜箸ではさんで、いまにもフライパンにぶっこもうとしとる。待て待て、ちょお待ってくれ。イメージとちゃいすぎる。

「それハムちゃう。そんなん紙や」
「な!? か、紙じゃないよハムだよ!」
「俺からしたら紙や。ハムいうたら、もっと分厚いんがハムやろ」
「……は、は!?」

これやから……。この論争、たしか岳人ともしたことあるけど、なんでみんなそんな薄切りハムがポピュラーやねん。俺のなかで、ハムは分厚いハムや。そら、薄切りのほうが人気あることも知っとる。せやけどハムの歯ごたえは重要や。目玉焼きのとろっとした黄身と分厚いハムをそのままトーストに乗っけて食べたいんや、俺は。

「ちゃんとしたハム買ってきてないん?」
「こ、これだってちゃんとしたハムだよ!」
「あかん、それ紙や」
「紙じゃないよ!」
「せやけど俺、分厚いハムがええんやもん」
「く……はあ、これだからボンボンは……」
「なんか言うた?」

なんとでも言え。俺のなかでペラペラのハムはハムやない。昔から俺の家の食卓には分厚いハムしかでてこんかった。せやから小学生んとき、給食でペラッペラのハムがでてきたときは驚いたんや。「なんやこれ、紙やないか」言うて。クラスメイトから非難轟々やったけど。しゃあないやろ、はじめて見たんやから。

「だけど、ハムこれしか……」
「あかん」

伊織がむうっと口を尖らした。やって、それハムちゃうんやもん。俺もここは譲れへん。
同じように口を尖らしとると、俺の顔を見て唸りはじめた伊織。そこから数秒間、なにやら逡巡するようにハムを見つめたあと、はっとして顔をあげてきた。

「あ、じゃあ、じゃあ侑士!」
「ん?」
「これ、4枚切り新しいのあるから、これ全部くっつけて焼いてあげる。そしたら、分厚くなるから。ね? 今日はそれで我慢して?」
「……ええの?」
「うん、うんうん! そうしよ! 次から分厚いの買っておくから、ね?」

俺に機嫌をうかがうように首をかしげた伊織がかわいい。しかもめっちゃ優しい。言うてみるもんやなあ。また惚れなおしてまうわ。

「うん、ありがとう。好きやあ、伊織」
「ふふ。調子いいんだから」

くすくす笑いあって、じゃれあう。もう、めっちゃ好き。ちょっとわがまま言うたら伊織が俺を甘やかしてくれるで、そのたびに俺は胸がいっぱいになる。
ふたりともリモートワークやから、ときどきとなりの部屋から伊織の仕事中の声が聞こえてくるんやけど……伊織、職場でのキャラはめっちゃビシバシ、キリッとしとって、結構、厳しいことも言うとる。それやのに、俺には、こーんなに甘いねん。かわいい。嬉しい。

「侑士、美味しい?」
「ん、めっちゃうまい!」

テーブルの上でもぐもぐしながら、伊織はそう聞いてきた。
ああ、紙みたいなハムも重ねて焼いたらなかなかうまいやん。せやけどやっぱり、食感が弱いな。でも今日は伊織が甘やかしてくれたから、俺も満足やった。

「ふふ。よかったあ。ねえねえ、今日はなにしようか」
「んー、せやねえ。伊織はなにしたい?」
「うんとね……あっ、侑士さ、からあげが食べたいって前に言ってたよね!」

お、と思う。てっきり、なにして遊ぶかの話やと思っとったら、晩飯の話やったようや。今日はやけに張り切っとる伊織やし、まだまだ甘やかしてくれるんかと思ったらそれだけでテンションがあがってく。

「言うた。からあげ好きやねん。一緒につくる?」
「あ、ダメダメ。今日はわたしがつくるんだってば!」
「ホンマ? ええの? 疲れてへん?」

伊織は俺より3つ上のお姉さんやけど、最近はヘトヘトで、どっちかっちゅうと伊織のほうが年下みたいに甘えてきよったから……たまには俺もかまってもらおかなあ。すっかり三十路も過ぎた男がアホみたいやけど、そういうとこはひとっつも成長してへんからな、俺。

「大丈夫だよ! わたしがつくってあげたいんだから!」
「ホンマ? ほな俺、待ってるだけでもええの?」
「もちろん! 侑士はテレビでも見ながら、くつろいで待ってて! 全部わたしに任せて!」
「なんか亭主関白な旦那さんみたいやあ、俺。ええんかな」それはそれでちょっと嬉しいけど。
「いいんだよー。わたしは侑士の奥さんみたいになって、今日は尽くしちゃうからね」
「くう、たまらんな」
「あはは。侑士かわいい」

かわいいって、あんまり言われ慣れてないし、どっちかっちゅうとカッコええって言われたい俺やけど……それでも、伊織に言われると嬉しい。
にっこり微笑む伊織との時間に恍惚として、俺もいよいよ我慢ができへんようになってきた。

「なあ伊織。晩飯の前は、なにしたい?」
「え? 晩ごはんの前?」
「うん。なんかしたいこと、あるんちゃう?」

実は……や。あとちょっとでホワイトデー。バレンタインデーにはとびきり美味しいチョコを買ってきてくれた伊織に、俺は当然、ホワイトデーの贈り物を用意した。
ホンマは伊織の好きな食べ物にしよかなと思ったんやけど、最近の伊織は残業疲れがたまっとるし、なんかリフレッシュできるもんがええかな、と考えて、ピンときた。
俺の彼女は、いまどきの小学生もびっくりのゲーマーやったりする。

「うーん。なにがいいかな。お酒とか飲みながらー……」
「飲みながら?」

どんなに忙しくても、寝る前にゲームをしとる。俺もまあまあゲームはするほうなんやけど、この家のゲーム機は1台だけやった。前までふたりして同じゲーム機を持っとったけど、同棲前に伊織のゲーム機が壊れてしもたから、引っ越しと同時に処分したんや。どうせ俺のがあるからええな、言うて。せやけど問題は……俺と伊織のなかでいま一番アツいゲームが、『スプラトゥーン』やってこと。

「ゲームしよっかなあ……」せやろ! 言うと思ったで。「あ、マリカーやろっか侑士」
「くくっ。そない気い遣わんでも、スプラやろって言うてええんやで?」伊織は毎晩、『スプラトゥーン』で遊んどる。
「うう、だけど、あれだとふたりで一緒に遊べないしさあ」

『スプラトゥーン』は日本が誇る任天堂の開発したテレビゲームや。オンラインで組まれる2チーム4人ずつで、インクが入った武器で地面やら壁やらインクを塗っていって、塗った面積が多いチームのほうが勝つっちゅうシンプルなルール。せやけどそこでプレイできるのは、1アカウントだけ。たぶんオンラインやからやけど、家で2P対戦とかはできへん。せやから、俺らは1アカウントをふたりで共有して、ゲームするときはひとりずつでプレイを楽しんどった。

――侑士ともオンラインでプレイしたいね!
――ホンマ。それできたらめっちゃ楽しそうやよな。

前に伊織がそう言うてたこと、俺はちゃーんと覚えとった。やで、買ったんや。同じゲーム機。ホワイトデーのお返しにしてはちょっと高めやけど、伊織のためやもん。なんてことない。
せやけどもう、伊織の喜ぶ顔を見たなってきた。今日は俺のために腕をふるってくれるんやもん。俺かて伊織を幸せにしたいっちゅうねん。

「遊べるで?」
「へ?」
「ふふっ。ちょっと早いけどな、もう我慢できへんようになったから、わたすわ」
「え、え、なに?」

こっそり隠しとったところからプレゼントを取りだして見せると、伊織は目をキラキラさせて俺を見た。口もとに両手をあてて、むっちゃくちゃ驚いとる。ああ、サプライズで喜ばれるんって、ホンマに嬉しい。それが大好きな彼女やと、余計に。

「うっそ! やった!」
「ん、ほしがってたやろ? これホワイトデーの贈り物な?」
「え、ええ、でも、え、すごい、わたしのあげたチョコの何倍よっ」
「ええってそんなん、気にせんでや。伊織、最近忙しいし、めっちゃ頑張ってるやん。リフレッシュせなあかんで。な?」
「う、うう。侑士ー。もう、もう大好き!」
「ん、俺も好きやで」

チュッとかわいく口づけて、ぎゅうっと抱きしめあう。わいわいきゃっきゃな休日の朝、最高の1日になると予感しとったのは、このときまでやった。





「もういい侑士のバカ! わたしあっちの部屋でやるから!」
「おいおい、そんな怒ることな」
「怒らせたのそっちでしょ!」

バタン! と大きな音をさせて、ゲーム機と小さいほうのテレビをまるごと持っていって、伊織は寝室に消えた。俺、いまリビングでひとり……いやいや、ちょお待って。どんだけキレんねん、と、思ったときにはもう遅い。いつも穏やかで優しい伊織は、人が変わったみたいにキレとった。

「ちょお、伊織ー……機嫌なお」ガチャ、とドアが抵抗を示す。嘘やん、鍵かけとるでこいつ。「いや、ちょ、開けて?」
「開けない! 早く準備しなよ! 早く部屋、入ってよ!」
「そ……」

部屋、いうのはゲームのなかのプレイ部屋のことや。もともとあるアカウントと、新しいゲーム機でつくったアカウントのほうでフレンドになったから、俺と伊織はいつでも合流できる……アカウント名は「ハム」が俺で「オレンジ」が伊織。それは、ええんやけど……。

「ゲーム、つづけるん?」
「はあ? つづけるに決まってんじゃん! 早く入ってきてよ!」

めっちゃめちゃキレてはる……。
仲よくふたりで寝室のテレビを移動させて、リビングのテレビと一緒に並べ終えてから、それぞれゲーム機をつないでプレイ開始して、3時間後……ことの発端は、俺の挑発やった。
『スプラトゥーン』は、基本的には塗った面積を2チームで争うゲームや。けど、実はサバゲー要素がある。相手チームのプレイヤーにインクを当てることで、一時的に相手をスタート地点に戻すことができるっちゅうわけやな。ゲーム用語ではそれを「キル」と言う。つまり、殺すってことや。まあそこまで重い意味ともちゃうんやけど。チーム分けはランダムに行われるせいで、運が悪かったっちゅうか、なんちゅうか……俺と伊織は、一向に同じチームにはなられへんかった。

――わあ! ハムにやられた!
――そらやるわ。そんなとこでボーッとしくさって、まる見えやったで?
――は……?
――あかんわ、あんなにバシャバシャ動いたら。キルして言うとるようなもんやな。

俺のその発言が、オレンジこと伊織にめちゃめちゃ火をつけたらしい。俺は、ほんのちょっと、じゃれとるつもりなだけやったんやけど……それに、伊織はいっつも穏やかで優しいで、「悔しいー!」とか言うてケラケラ笑って、チュウしてイチャイチャする予定やったんやけど……。

――マジでムカつくハムぶち殺す。
――え、ちょ、物騒やな急に。キャラどないしたん。
――は? キャラってなに? ムカつかせてんのそっちだよね?

声のトーンまで変わっとった……けど、このときの俺は、そういうプレイなんやと思っとった。せやから、そのプレイに乗ったつもりでおった。そしたらそのあとの試合で、伊織は俺をつけ回した。

――どこにいるのハムー。ハムでておいでー。ハムに会いに行くよ。ハム会いたいよ……。
――メンヘラやめろ。誰がでていくかボケえ。
――いた! ローラーでバシャバシャ目立ちすぎ!
――あっ!
――はいキルしたー。ざまあみろっ!

背後から回ってきたオレンジに、ハムはあっさりキルされとった。ちなみに、『ローラー』いうのは俺の武器のことや。まったく俺と同じように挑発してきたで、俺はうっかり、それに笑った。やってそんなん、やっぱりプレイやと思ったんやもん。

――はいはい。1回キルしたくらいでそんな……くくっ。気が済んだか?
――はあ? あ、大丈夫です、次もキルするんで。
――はいはい。やれるもんならやってみ。
――ていうかだいたい侑士ずるいよね。アカウントそっちのほうがランク上だしさ、ハンデありまくり。わたし新しくつくったばかりのアカウントじゃん。そんなのギアも武器もそろってないのに、キルされちゃってさ。
――へえ……ああ、そう。そない言うなら、アカウント交換するか?

今度は伊織が嫌味なこと言うてきよったで、俺も氷帝で鍛えられた負けず嫌いエリートやし、その挑発にブワッと火がついた。俺に負けたのが悔しいからってイチャモンつけやがって……と、思ったわけやな。せやからアカウント交換後の試合以降、俺はそこから執拗に、オレンジを追いかけ回してキルしまくったっちゅうわけで……。

――はい、またキルー。勝たれへんねえ? オレンジちゃん。
――ぐく……はあ、腹立つ……ていうか、やり方が汚い!
――んん、それも作戦やからなあ。自分が下手なだけちゃうの? それとさ、武器、変えたほうがええんちゃう? ギアとかちゃんとつけてんの? そないにランク上のアカウントやのに。選びたい放題やのに。こんなキルされて。大丈夫なん?
――お前……なあ。
――え、お前?
――お前マジでうるさい絶対に殺す。マジでムカつくボコボコにしてやる!

「お前」に一瞬は引いた俺やったんやけど、おうおう、今日はやさぐれキャラでしっかりやりとおすつもりなんやな、と思っとったんや。そういう伊織も、なんやちょっとゾクゾクするやん、ええやん、とか思っとった。いやホンマに、そういうプレイかと……要するにプレイしながらプレイしとるんかと……。せやけどこうなってくると、どうやら違うらしいと、さすがの俺でも理解できる。
やって、寝室に戻って鍵かけるて……朝のイチャイチャなんやったん!? ちゅうかゲームでそんなにブチギレるって、どうなんっ!? 俺に尽くす奥さんどこいった!?

「な、なあ伊織、悪かったって……」
「うるさい早くイカに戻ってよ!」

『イカ』ちゅうのはゲームのなかのプレイヤーのことや。『スプラトゥーン』の世界観では、プレイヤーはみんな『イカ』やった。オレンジとかハムとかイカとか紛らわしい。全部、食いモンやし。いやそんなこと、どうでもええねん。
俺の知っとる伊織は、もともと、対戦ゲームが好きやない。たとえば『桃太郎電鉄』とか『スマッシュブラザーズ』みたいなのは、やりたがらん。

――仲いい人を貶めるみたいなのが嫌なんだよね。だから協力ゲームのほうが好き。
――スプラにもキルあるやん?
――だけどあれ、すぐ生き返るからさ!
――スマブラもすぐに生き返るで?
――でもあれ、最後は徹底的にやりあう感じがするんだもん。ちゃんとやったことないからわかんないけど。それにさ、スプラは同じチームになったら一緒に戦えるじゃん?

なるほど、わかるようなわからんような。それでも伊織のなかにはしっかりした基準があるんやなと思ったんや。めちゃめちゃ優しい伊織やで、仲よしとやりあいたくないっちゅう気持ちは、伊織らしくてすんごいかわいいと思ったしな。せやけど……それは俺の解釈違いやったようや。
お前、めっちゃくちゃ負けず嫌いやんけ! 氷帝のエリート負けず嫌いの俺もびっくりの負けず嫌いやわ! 仲いい俺にめっちゃ狙い定めてきたやん! ゲームんなったらめっちゃ怖いやん!

「もうわたし今日はこの部屋にいるからずっと! 侑士なんか知らない!」
「そんな……それやったら家庭内別居になるやん。なあ、ごめんって。許して?」
「許さない。家庭内別居、結構じゃない。結婚もしてないんで、いいんじゃないですか!?」

そら、俺も言い過ぎたかなと思ったけどさ……ゲームやん……。こんなに伊織が怒ったん、はじめて見たわ。怒るとは無縁の人かと思っとったのに……いや仕事中はようブチギレてはるけど……それは伊織の部下の高林が悪いんやと思っとった。愚痴、いうたら伊織の口からは高林の名前しかでてこんもんやから、伊織は「全国の高林さんに申し訳ない」って言うとった。つい、昨日も言うとったくらいや。
ん……ほらな、そういう気遣いもある子やねん伊織は。分厚いハムがええってわがまま言うたら、ハム4枚重ねて焼いてくれるくらい優しい子やねん。やのに……。

「……ほな、今日はからあげ、ないんや?」
「え……」
「俺、伊織の手料理、めっちゃ楽しみにしとったけど……伊織もうぷんぷんやから、あかんよね?」
「……そ」

しょんぼりした。なにが地雷やったんかようわからんけど、そんな伊織をめっちゃ怒らせたことも反省したし、せっかくの伊織の休日を、俺が台無しにしたんかなと思ったら、それもしょんぼりした。
いくら年下でも、やっぱり俺が伊織を支えたい。せやのに、甘えすぎたんかな……。

「俺、もう伊織を怒らせたないから、今日はゲームやめるな?」
「……」
「そんで……お腹空くから、晩飯、外で食べてくるわ」

俺、ご飯が大好きやから。落ち込んでも、腹は減る。めっちゃしょんぼり声をだして、寝室から遠ざかったときやった。ガチャッと扉の音が聞こえて振り返ると、伊織が寝室からでてきとった。

「そ、だからそういうのが、ずるいんだよ侑士は!」
「え……」な、なに? なんでまた、今度は違うことで怒っとるんっ。「せ、せやけど伊織、怒ってるんやもん。許してくれそうにないし」
「今日は……今日はわたしがつくるって言ったじゃん!」言ったことは、ちゃんとやるよ! と、謎の弁解をしはじめとる。
「せやけど家庭内別居……」
「もういいってそれは!」

ぶすっとした顔のまま、伊織は眉を八の字にしとった。口では否定しとるけど、まだ怒っとることは見たらわかる……けど、寝室からはでてきてくれた。
それやったら俺……もう少し、伊織に甘えてもええんかな。

「……ホンマ?」
「そ、ホント、だよ……」
「ホンマ? ええの? からあげ、つくってくれるん?」
「つ、つくるよ! だって、そういう約束だったでしょ!」

怒っとるような、それでいて泣きそうな複雑な顔した伊織が、口をむにゅっとへの字にしたまま、俺に駆け寄ってきた。

「ふふ。嬉しい。伊織、優しいな、やっぱり」ためらいがちに腕を引き寄せると、ゆるゆると背中に手が回される。はあ、あったかい。怒っとるけど、くっついてくれた。
「……ずるい」

ん? なんのことやろか。俺がしょげると、伊織ってこんなに弱いんやあ? もう、かわいい。

「なあ、ほな一緒に買い物、行こうや。材料なんも買ってないやろ?」
「……侑士が、そうしたいっていうなら、いいけど!」

まだツンケンしとった伊織やけど、それがまた、めっちゃ愛しく思えた。





せやけどそのツンケンは、スーパーに入ってもつづいとった。意外と根に持つタイプなんか、素直になれへんタイプなんか、今日まで怒らせたことがないからようわからん。
伊織は口を尖らせたままスマホでレシピをチェックしはじめて、カゴに材料を入れていった。

「しょうが、にんにく……」

ぶつぶつ言うとる伊織の横で、油、酒、醤油、ごま油、卵……と、俺の頭のなかに材料が浮かんでいく。ほとんど家にあるから大丈夫やけど、このカゴ、まだしょうがとにんにくしか入ってない。あ、肝心なもの忘れとる。家に、あったような、なかったような……。

「伊織、粉は家にあるん?」
「え、粉? からあげ粉?」いかにも、見てきてません、の顔をしとった。ま、そやないかとは思ったけど。
「あ、からあげ粉?」それやったら家にはないな。「ん、それでつくるつもりやったん?」
「え……?」

問いかけると、伊織はポカンと口を開けた。いやいや待って。なんでそこで口を開けるん。俺めっちゃ日本語で聞いとるで。えっ……もしかして、責めとると思われたやろか!

「あ、いや、ええんやで俺、からあげ粉でも。簡単やしな! うん、最近は美味しいの、いっぱいでとるらしいし」
「からあげ粉って、からあげを揚げるお粉?」
「は……?」

そら、そうやろ……いやいや待って。説明、そこからか?

「あのー、あれや。肉をさ、こう、まぶして揚げるだけでええんや。せやからそれやったら、しょうがとにんにく要らんで? あれ最初から味がついとるから」

ちゅうか、それやったらなんでレシピ見てるんやろ……とか言うたら、また怒らせるかもしれへん。余計なことは言わんとこ。

「あ、ああ、わかった! あ、ち、違う! からあげ用の、お粉ってことでしょ!」いや、なにも違わん。なに言うてんねん。
「は……? え、ああ、うん。え? それはからあげ粉のことやなくて?」
「ち……あ、書いてあるここに! 小麦粉、片栗粉!」
「ああ、あ、ほなちゃんと味つけてからやる感じ?」
「あたりまえじゃんそんなの! そんなわたし、ズルしないよ! そんな、インスタント!」

インスタントとはまた、ちょっとちゃう気がするねんけど……。あと、からあげ粉つかっても別にズルちゃうけどな……まあ、ええか。

「んっと……あー、それやったら、しょうがとにんにく、要るな?」
「そ、そうだよ! も、もう大丈夫だから、侑士は黙ってて!」

不安しかなかったけど、また怒られると思って、言われたとおり口をつぐんだ。はあ……今日なにを食わされるんやろ。一抹の不安がよぎっていく。
張り切ってくれとるのはむちゃくちゃ嬉しいんやけど、大丈夫なんやろか……。喧嘩したあとやで、まったく素直やないし……まあ、どんなもんがでてきても、しっかり食うけどやな……胃薬、家にあったよなたしか。うん、それなら大丈夫や。

「あとは、お肉……」
「ん、せやね」

カゴを持ったまま伊織の背中についていくと、伊織は精肉コーナーの前でピタッと足を止めた。じーっと、訝しげに並ぶ肉を眺めとる。いや……なにしてんねん、はよ手に取れや。

「む、う……」
「……伊織?」黙っとけ言われたで、黙っとこうかと思ったけど、声をかけると、伊織はじっと俺を見つめてきた。「どない、したん?」
「……お肉」お前はボケ老人なんか。肉の前で肉ってつぶやくな。見たらわかる。
「せやね、お肉やね?」ほんで俺はヘルパーか。
「……ど、どれ」
「へ?」
「……お肉、どれ買ったらいいの?」

よしもと新喜劇ってあるやん? あればりに、俺、ホンマにすっころげそうになった。
マジか。いや、からあげ言うとるやろ! お前はからあげをなんやと思っていままで口にしてきたんや! とは、言えへん。跡部やったらしばきまわしとるとこやけど、相手は伊織やで。

「んん……からあげやから、そら、鶏やろね?」
「あ、そうなんだ!」

いやいや、そうなんだ! ちゃうって。そうやろ。それ以外になにがあんねん。ひょっとして伊織、焼き鳥も牛とか豚があると思っとる? まさかな……まさかそこまでちゃうよな。

「じゃあ、これでいっか! 安いし!」

と、俺が不安に不安を重ねとるあいだに、意気揚々と伊織が手にしたのは、ムネ肉やった。ちょちょちょちょいちょいちょい、待て待て待てーい!

「伊織、それはムネ肉や!」安いのには理由があんねん!
「え、え!?」
「あかんあかん、モモ肉やで。モモな? からあげはモモ肉、覚えとって!」

つい、強い口調で言うてしもた……。
俺もいよいよ、我慢ならんかったんや。伊織は目をまんまるにして俺を見あげた。まるで殺人犯でも見つけたような驚愕顔やけど、その顔したいのこっちじゃい!

「そ……そうなの!?」また、ずっこけそうになる。お前はお嬢様か。
「んん……そやねん」いや、そらムネ肉をつかう料理もあるけどやな……。「からあげは、基本、モモ肉な」
「そっか! わかった! メモしとく!」

頼むわホンマ……いや、メモせなあかんくらいなんか……とは、やっぱり言えへん。
想像のはるか斜め上で料理をしたことがないんやろう伊織……それでも、俺のためにからあげに挑戦する。
正直、不安もあるし、ツッコミどこも満載やけど……まあでも結局、それはそれで、めちゃくちゃ幸せやなあ、と思ったり。

帰ってから、伊織はすぐに手を洗ってキッチンに立った。エプロンもばっちりつけて、いつの間に買ったんか、見たことのない調理器具までダンボールからだしてきた。
形から入るタイプなんやな、うん、それでもええ。まああの、その調理器具、からあげでは使わんモンばっかやったけど。これから……いろいろ勉強するんやろな、うん。ええ心がけや。

「ねえ侑士、おろしにんにくってどうやったらいいのかな……」
「ああ、そら、おろし金でシュコシュコやるんや」
「これ?」

大根おろし用のおろし金をかかげて、伊織が首をかしげとる。んん……これはやっぱり、テレビでも見てくつろいで待っとる場合やなさそうや。

「いや、それでもええけど、小さいのあったやろ」
「小さいの……」

俺はソファから腰をあげて、キッチンに入った。ここに揃っとる調理器具は、ほとんど俺の家から持ってきたモンやから、伊織はあまり把握してない。「全部わたしに任せて!」言うとったから、口はださんようにしよかと思っとったけど……この調子やと、無理やな。

「ん、これな。それでな、にんにくはまず、包丁を、こう、あてて」まな板と包丁でにんにくを挟んで、少し前に倒してつぶすように力をかけて見せた。
「ふんふん」
「ちょっと押したら、ほら、メキっていうやろ? これで皮がぺろんと剥けるで、そんで、皮を剥いだら、こないしておろす」
「おおー!」

結局、ほとんど俺が教えながら、伊織と一緒にからあげをつくった。スマホのレシピになんの意味があったんやろかと思うほど、伊織は俺の横でメモをしていっとった。

「で、まずは中温の油で、ちょっと色がつくまで揚げる」
「中温……」
「170℃くらいやな。一度は全部それで揚げて、そのあと高温にして二度揚げしたら完成や」
「へええ! 1回じゃないんだ!」
「んん、1回で済ませる人も多いかもやけど、こっちのほうがカラッと揚がるでな?」
「そうなんだ、ふんふん」

エプロンの意味はあったんか、と思うほどに、手を動かしとるのは俺やった。俺も料理は嫌いやないから、ふんふん鼻歌が流れだす勢いでつくっていく。ええ匂いがしてきたで、めっちゃ腹が減ってきたなあ。
と、思っとったら……汚れた食器を洗っとった伊織が、決心したように俺を見てきた。

「……侑士、わたしレモン切る!」
「ん、ああ、よろしくな?」

伊織でも、レモンくらいは切れる。手もとは見とって怪しかったけど、レモンをざくざく切りはじめた……は、ええんやけど。どうも、さっきから挙動がおかしい。

「……ていうか、さ」
「うん?」

目をキョロキョロさせて、包丁を置いたり、また切りはじめたり。
俺は、妙な気分になった。ひょっとしてレモンの切り方も不安なんやろか。

「……レモンの切り方やったら、あってるで?」
「違うの」
「え、あってるって」
「そうじゃなくて……その」

もじもじと。伊織は、唇を噛むように言いよどんどった。どないしたんやろ……なんかまた怒らせた? からあげづくり、俺、しゃしゃりですぎたやろか。せやけどあの調子やと、伊織にはからあげ、ちょっと難易度が高いと思っただけで……!

「……ごめんね」
「へ?」

唐突やった。伊織がやけに、しょんぼりとして謝ってきて、俺は呆気に取られた。

「……結局、全部、侑士にやらせた」

あ、それ、気づいとったんや……まあ、そらそうか。けど、別にそんなん、ええのに。なにをそんなに落ち込む必要があるん?

「どないしたん? ええやんそんなん。なんでも力あわせてやっていったほうが」
「でも……わたし、今日かわいくなかったのに」

なにを言いだすんかと思ったら……そうか、と俺はようやく、ここで伊織の複雑な乙女心を認識した。
買い物からこっち、すっかり忘れかけとったけど、そういや今日はゲームで喧嘩もしたんやったな。ひょっとして……ずっとそのこと気にしてたんかと思ったら、俺の胸がトクトクとうずきはじめる。はあ、かわいすぎ。

「……伊織」
「負けず嫌い、だし、わたし」ああ、せやね。それは否定せんけど。「すぐ、怒るし」んん、そやね……ゲームに限って、なんかな? 「料理もこんな、なんもできないで……」

8等分に切られたレモンが、コロン、と揺れる。ああ、伊織の心、いまこんな感じでふらふらになってんやろかと思ったら、トクトクしとった胸のなかが、今度はじんわり、あたたかくなっていったんや。

「なのに侑士、すごく優しい」
「……やって、相手が伊織やもん」
「ダメな彼女で、ホントに、ごめん……」

なんやいろいろ、思うとこあったんやろう。伊織の鼻をすする音が聞こえてきたで、ちょっとびっくりしたけど……。はあ、どうしよう……もう、めちゃめちゃにしたくなる。

「それは、ちゃうよ伊織?」
「でも……」
「伊織がダメな彼女なわけないやん。俺、どんな伊織も好きやで?」
「侑士……」

最後に揚がった鶏肉を置いて、俺はそっと伊織を抱きしめた。頬にチュッと口づけると、ふえん、という頼りない声が胸のなかでくぐもっていく。もう、二度揚げ前にめっちゃイチャイチャしたなるやんっ、ずるいん、伊織のほうやんか。

「怒った伊織もかわいいって思っとった」ちょっと、ビビったけどな。「俺も嫌なこと言うて、ごめんな? お遊びのつもりやったんや」
「うん、わかってる……でもムカついた」
「ははっ。ん、そうなんやろな。堪忍」

ぶんぶんと首を振って、伊織がしがみついてくる。はあ、幸せ。
めっちゃめちゃかわいい、俺だけの伊織。料理、アホほどできへんくせに、俺のために一生懸命、尽くしてくれようとしとる。それがどんだけ嬉しいか。

「許してくれる?」
「うん、わたしもごめん。からあげ、教えてくれて、ありがと。ハムも、今度から分厚いのにする」
「くくっ……ん。ありがとう。ほな、もう仲直りやね? 家庭内別居はもう堪忍してや?」
「うん。一緒がいい」
「やね。俺も、ずっと伊織とこうしときたい。せやからずっと、傍におってね?」

なんの変哲もない毎日に、伊織がおるだけで……俺の人生はずっと晴れていくから。
怒っても泣いても、最後にはふたりで笑って、ずっと一緒に過ごしていきたい。

「プロポーズ、してる……?」
「ふふ。それはそのうちな……いま、こんなからあげの最中ちゃうやろお?」
「ふふふ。うん、そだね」
「せやけど、誓いのキスくらい、してもええかな?」
「なんの誓い?」
「ん? 分厚いハムの誓い」
「もう! ムードない!」

笑った伊織の唇にちゅうっと音を立てたが最後、からあげを食べれたのは、しばらくあとのことやった。





fin.
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