Love for 10.


さらさらと髪がとかれていた。ときどき、耳がくすぐられている気もする。
ぼんやりとした意識が戻っていくあいだ、ほっとするような香りとあたたかさを肌で感じて、わたしはようやく、まぶたを開けた。

「ん……まぶし」
「お、目が覚めたかの?」

優しい声だった。聞き慣れているのに、だからこそ、頬がゆるんでいく。
時計を見ると、午後1時だった。軽食をとって満たされたせいだろう、まったりとして、そのまま眠ってしまったらしい。

「ごめん、寝ちゃってたね……」雅治の膝から、ゆっくりと頭を起こした。
「まだ寝ちょってもええぞ?」起きても同じように髪をなでられる。指先があたたかい。「ほんの30分くらいしか経っちょらんからの」
「ん……でも、これもやらなきゃ。早いとこ準備しとかないと、あとになってバタバタすると雑になっちゃいそうじゃない?」
「俺はいっつもバタバタするほうじゃからのう。伊織のそういう計画性に助けられちょる」

テーブルの上には、学生時代からのアルバムが積まれていた。あのころだってすっかりスマホの時代だったし、当然わたしたちが学生のころにはもう写真はデータ化が主流だったのだけど……わたしと雅治はかならず、それらをプリントしていた。
どんな思い出も、すぐ見れるようにきちんと収めておきたい。破損してしまったら戻せないものが怖い。そんなの紙だって一緒なんだけど、なんとなく風情が違う気がしちゃうのだ。

「しかし、量がすごいのう。さすがにこれだけあると、整理にも時間がかかる。チョイスも難しい」
「ふふ。だよね。いい写真いっぱいあるもん」
「お、これもええのう。さっきから候補がどんどん増えていくんじゃけど……」
「雅治ってそういうとこ、意外と優柔不断だよね?」
「それは、情が深いっちゅうてくれんかのう」

たしかに、どれもテニスの写真ばかりだ。大切な仲間たちを見捨てられない、ということなのかもしれない。
雅治は照れくさそうにぽりぽりとこめかみで指を動かしつつも、わたしのうしろに回ってハグをしてきた。実はこれも付き合ってから知った、意外行動のひとつだ。この人は、むちゃくちゃくっつき虫である。

「雅ー、見にくいでしょ?」
「そんなことない。よう見える。ほれ見てみんしゃい、この柳生の顔。いまとちっとも変わっちょらん」
「あ、ホントだ」柳生先輩には申し訳ないけど、笑ってしまった。「メガネも同じじゃない? 変えてないのかな」
「あいつはああ見えて、こだわりがあるんよ。見た目は変わっちょらんが、同じブランドの別物だ。形もよう似たのばっかり買うから、たまには変えてみたらどうかって話したんじゃけどの」

――変えてしまったら、柳生比呂士ではなくなってしまうのです。
――変えても柳生じゃと思うんじゃけど……。
――いいですか仁王くん、あなたからその尻尾を取ったらあなたじゃなくなるでしょう? だから切らないのでしょう?
――切るぞ? 来週、散髪に行こうと思いよった。ちと急にさっぱりしたくなったんよ。
――な……いいんですかそんなことで! 仁王くんのトレードマークではないですか!
――別にかまわん。
――ななな、なんてこだわりのない!
――逆にどんだけこだわるんじゃ、そんなことに……。

高校2年のころの話らしい。雅治はそれ以来、ごくたまにしか尻尾を復活させてない。それがまた「気まぐれですね、まったく!」と柳生先輩にツッコまれる事案となっているのだから面白い。なんにせよ柳生先輩らしいエピソードだと思いながら笑っていたら、ブブブ、とスマホが音を立てはじめた。わたしのスマホだ。
液晶を見て、雅治と顔を見合わせてしまう。一緒になって、ついに吹きだしてしまった。

「ちゅうか、なんでお前のとこにかかってくるんよ」おかしいじゃろ、とぼやいている。笑ったり妬いたり、雅治も忙しい人だ。
「まったく、なにも覚えてないんだから」
「ん? なんのこ」
「もしもしー?」
「よいよい、俺を無視してほかの男を優先か?」

子どもみたいなことを言いながら、バックハグのまま肩にキスをしてくる。わたしが電話をしはじめると、雅治はいつもこうだ……ホント、いたずらっこなんだから。
かと思えば、柳生先輩の声を一緒に聞こうとしているのか、すぐにスマホを持つわたしの手に耳を押しつけてきた。まるで人懐っこい動物みたいで、かわいいところがある。

「もしもし、伊織さん。お久しぶりですね!」
「柳生先輩、お久しぶりです。どうかされたんですか?」
「はい、二次会の件で仁王くんと連絡を取りたかったのですが、つながらないので……ああ、伊織さんとご一緒なのだな、と。しかしですね、私にもあまり時間がなくてですね」
笑いをこらえた。「ありがとうございます。変わりますね」
「おう、柳生。どうしたんじゃ」
「まったく、いるのなら出てくださいよ」
「お前もさっき言うちょったじゃろ。スマホはどっかに置いたままなんよ」

そのどっかとは、洗濯機の上であったり、脱衣所だったり、ひどいときは冷蔵庫のなかだったりする。わたしの部屋に来るといつもそうだ。気が抜けているのか、かなりすっとぼけたところがある。一緒にいないときはすぐにレスが来るのだけど……自分の部屋に帰るとシャキッとするのだろうか。普通、逆じゃないだろうか。なんにせよ、雅治が変わった人であることに間違いはない。

「ふうん、そうか。わかった。あとで俺も調べちょく。ん、すまんの。じゃあな」

ともかく、こういうことが度々あり、それを「面倒じゃ」と言いだしたのは雅治だった。

「終わったが……結局、なんであいつから伊織に電話がかかってくるんじゃ?」
「ねえねえ、雅、ひょっとしてヤキモチしてる?」
「……しちょらん。ただ不可解なだけじゃ」癪に触ったのか、図星だったのか。間がなんともかわいい。
「ふうん? でも言いだしたのは雅治だよ? 呆れちゃうなあ。自分から言っておいて嫉妬するとか」
「じゃから嫉妬しちょらんって……で、なにを呆れちょる?」

そういえば雅治の目の前でかかってきたのは、はじめてかもしれない。提案した本人も、もう10年も前の話だから、覚えてないのだろう。

「あとになってガミガミ言われるのが面倒だからって、柳生先輩とわたしの連絡先を交換させたのは、雅治だよ?」
「え?」

――俺の緊急連絡先じゃ。伊織にかければ、すぐ解決する。
――まったく、あなたという人は……どれだけノロければ気が済むのです。
――別にノロけちょるつもりはないけどのう。俺が見つからんときは、大抵は伊織の傍におるよ。
――ちょ、仁王先輩……。
――じゃろ? 伊織。

よみがえってきた記憶に顔が赤くなりそうだ。あのころのわたしは、とても初々しかった。まだ「雅治」と呼ぶことさえできないわたしに、仁王先輩は当時からずっと、強引で。

「そんなこと言うたかの?」
「言ってたよー」
「なるほど、さすが俺っちゅうとこじゃのう。10年経っても、こうして傍におる」

ぎゅっと、またうしろから強く抱きしめられた。自然と重なる唇に、まだときめきが落ちてくるのだから、まいってしまう。
そういえば、あのときからだ。あらゆる場所で書かされる緊急連絡先を、雅治はいつも、わたしにしていた。それを発見するたびに、嬉しくなる自分がいる。雅治がそうしてると気づいてからは、わたしも緊急連絡先を親から雅治に変えていった。

「ン、雅……チュウしすぎ。アルバムの整理できないよ」
「……今日はもうええじゃろ?」懲りずに、ちゅ、と何度も弾かれる薄い唇が色っぽい。
「ダメダメ。あと少しやって、お掃除だってしなきゃ」
「はあ……真面目じゃのう伊織は。よう俺と付き合ったの?」今度は頬に唇が落ちてくる。はあ、ほだされてしまいそう。
「ふふ。たしかにね。でも、真逆だからじゃないかな?」
「ないとこに惹かれるっちゅうやつか。ちゅうことは、このままキスばっかりする俺に惚れなおすんじゃないか?」
「まったくう、ポジティブだなあ」

くすくすと笑いながら、たくさんの写真をアルバムに入れていく。一昨日からやっているのだけど、さすがに10年分ともなれば、なかなか終わりが見えない作業だった。
写真には、16歳のわたしと、18歳の雅治がたくさんいる。付き合いたてのころは、ことあるごとに写真を撮っていた。

「懐かしいのう。まだ肌がピチピチしちょる」
「雅治はいまもピチピチしてるよ? わたしの若さのほうが際立ってるよ」
「そうか? 伊織は色っぽくなったけどの。じゃから余計に、正月が待ち遠しい」
「ふふ。うん、もう少しだね」

あと少しで、お正月がくる。わたしたちはその日、入籍することが決まっていた。
12月は忙しい。雅治の誕生日もあれば、クリスマスもあと数日でやってくる。毎年恒例の大掃除もあるし、お互い友人やら会社やらの忘年会でバタバタもする。
だというのに、そこに結婚記念日も入れようと提案されたときは、なかなかに驚いた。

――幸せなことは、詰め込んだほうがええじゃろ?

彼は、師走の、忙しいながらも浮かれているこの時期が好きなのだ。もちろん、自分の誕生日があることも関係しているのだろうけど。
正直、年末は掃除や付き合いで忙しい。人の気も知らないで、と言いたくなる一方で、子どものようなウキウキをまとった雅治が、かわいかった。

「伊織も待ち遠しいか? 早く俺の奥さんになりたいっちゅうこと?」
「そりゃあ、そうだよ……ちょっぴり不安もあるけどね?」

写真に映る初々しかった自分たちを眺めながら、感慨深くなっていった。このころに雅治と結婚する未来がくるなんて、思ってもいなかったから。
本当に幸せすぎて、このさきとんでもない不幸が待っているんじゃないだろうか。なんて、いささか嫌な想像がよぎっていくのは、わたしの悪い癖のひとつだ。

「なんじゃ? 不安って」
「あ、むっとしてるー」
「むっとはしちょらんよ。不安っちゅうのが引っかかっただけじゃ。のう、なにが不安なんよ?」

十分に口を尖らせながら、コツン、と額を当ててきた。もうすぐ三十路になろうというのに、いつまでも少年みたいな顔するんだから。

「これから一緒に暮らしはじめるし……ほら、家族になると関係性が多少は変わるでしょう? 結婚は生活だってよく言うし。雅治と喧嘩する時間も増えちゃうかも」
「まあの……」どうやら雅治にも、ぼんやりと思い当たる節があるようだ。「かもしれんが、俺がお前を好きな気持ちは変わらん」知っちょるじゃろ? と、付け加えながら、短いキスが送られてくる。
「ん……知ってる。わたしも、雅治のことはずっと好きだよ?」

わたしの不安は漠然としたものだ。マリッジブルーというほどではないけれど、周りの親戚やら友人やら、「幸せなのは最初の3日だけ」なんて悪態も、よく聞く話だ。結婚をしないと決めている先輩方のなかには、「女が苦労するだけの制度」と辛口なことを言う人だっている。
だからって、それをまるまる信じてるわけじゃない。雅治は、誰よりも素敵な人だって……わたしがいちばん、知っているから。

「俺には楽しみしかない。これから結婚式も、新婚旅行も、目白押しだ」
「もちろん、楽しみのほうが何倍もあるよ! 喧嘩しても、ずっと一緒にこうしているもん」
「俺は伊織に怒ったことなんかないんじゃけどのう」
「はあ? よく言うよー!」

大喧嘩したことは何度もあるくせに、寝たら忘れる体質の雅治だ。それでも、自分が嘘八百を言っている自覚はあったのだろう。はははっと笑いながら、どさくさにまぎれてわたしをソファに押し倒してきた。

「ちょ、なにしてるのー。これから掃除!」
「もうちっとだけ……甘えさせてくれんか」首筋にキスしはじめる始末だ。「伊織はええ匂いじゃのう」
「雅、こら、も……お掃除、手伝ってくれる約束でしょ!」
「む……それを思いださせなさんなって……」

雅治がうんざりしたように体を起こした。ソファから離れてなにをするのかと思いきや、そそくさと冷蔵庫からビールを取りだし、飲みはじめている。
本当に、困った人だ。掃除する気、あります……?

「雅ー? これからお掃除だよ?」
「わかっちょる、飲まんとやっちょられんのよ……」

雅治は、綺麗好きなくせに掃除が苦手だった。この部屋に何日も居座って半同棲状態だからこそ、今年は説得に説得を重ねて、年末の大掃除を手伝わせることにしたのは数日前。
それもこれも、入籍をお正月にすると雅治が宣言したからだ。「忙しい時期だからなあ」とぼやいたら、最終的に「わかったわかった、今年は俺も手伝う」と納得してくれたのだ。
普段はちょこちょこやるくせに、大掃除になると逃げグセがあるのはなぜなんだろう。

「お酒を飲んでる場合じゃないでしょー?」
「……伊織も飲まんか?」
「飲まないよ。飲んだら雅を注意したばっかりなのに、矛盾しちゃうでしょ」

まったく。
カッコつけたり子どもみたいになったり、大掃除よりも雅治のご機嫌のほうが忙しい。だけど、そんな彼だから大好きだな、と思うわたしも大概だろうか。

「矛盾してもええよ? 俺は」

今日は冷蔵庫の掃除をしようと決めていた。キッチンに立っている雅治だ。ちょうどいいと思い向かうと、すかさず腰を抱いてきて、また何度もキスをしてくる。

「もうー、雅ー」
「伊織を目の前に掃除って、味気なさすぎやせんか?」
「おだててもダメー。そんなにくっつき回したら動けないじゃん……ほら、冷蔵庫の電源、抜いて? あれ」

背伸びをしてコンセントに指をさすと、雅治はなぜか、微笑んだ。なにがおかしかったのかわからずに首をかしげると、彼の目がわたしの全身を舐めまわすように見てくる。

「ほう、届かんのか」
「うん、届かないよ。脚立をここまで持ってくるのも面倒。だからほら、抜いて?」
「ぴょこぴょこして、かわいいのう」

言った瞬間、今度は強く腰を抱かれた。おまけに、グリと押しつけるように当たってくるものがある。って、なあ!?

「ちょっ……なにすっ!」
「コンセントよりもこっちが抜きとうなってくる」
「も……雅!」バカすぎでしょ、もう。思わず笑ってしまった。「早くする!」
「おうおう、つれないのう……もっとかまってくれてもええじゃろうに」

ケタケタとふたりで声を立てながら、背の高い雅治がひょいとコンセントを抜いてくれた。
なんだかんだと言いながら、きちんとやってくれるのは、彼の優しい一面だ。

「よし、じゃあまずは冷凍庫の中身をクーラーボックスにどーん!」
「じゃの。はあ、面倒やのう……」
「ぶつぶつ言わない」
「やるだけ褒めてくれんもんかのう」
「いっつも逃げてるくせにー」
「わかったわかった。じゃけど今日は頑張るき、あとでたっぷり甘えさせてくれ」

言いながら、わたしたちはバケツリレーのように食材をだしながら仕分けをしていった。人からのもらいもの、一生食べないだろう親が送ってきた謎の瓶詰め、納豆についている小さい辛子、すぐには捨てる気にならないお寿司についてくる醤油、などなど……いらないものだらけだ。
全部、捨ててやる。でも、そこまではまだいい。問題は、ここからだった。

「これも、雅治のだね?」

かわいいキャラがプリントされた缶詰が、空の状態で入っていた。

「ん? おう、なんかようわからん缶詰」
「なんで、ゴミが冷蔵庫に入ってるのよ、もう」
「食べ終わっちょるのがバレたら、伊織その缶、捨てるじゃろ?」
「捨てるに決まってるでしょー、ゴミなんだから」
「それがどうも、抵抗があるんよ」

これは、わたしが付き合いはじめてから知った、雅治の超意外な一面のひとつだ。彼は動物の形を模したかわいいお菓子はまず食べられない。しかしそれは年々エスカレートし、いまやこの有様だ。

「わかるけど、捨てちゃうね?」
「ああ、かわいそうじゃのう……」言ってるそばから捨ててやった。「よいよい、そんな乱暴に捨てんでもええじゃろ」ゴミ袋を見て、嘆いている。すんごく普通に入れただけなのに。
「あー、これもだ。ピヨまんじゅうは雅がもらったものなんだから、食べたらいいのに」わたしも食べたい気はあるのだけど、食べたいと思うことが少ない。
「無理だ。そんなかわいいもの、俺が食べれるわけないじゃろう」
「はあ、とっくに賞味期限が過ぎてる。もうこれも捨てるからね?」

ため息をつきながらゴミ袋に放ろうとすると、じっ……とわたしの手つきを見る視線に気づいた。余計にため息がでていきそうだ。捨てるものだというのに、捨てるようにゴミ袋に入れたら、またなにを言われるかわかったもんじゃない。仕方なく、静かに、そっとゴミ袋に入れた。やれやれ、気を遣うなあ。

「……かわいそうじゃのう」
「ぷっ」うっかり笑ってしまった。「雅治……ほんっとそゆとこ、かわいいよね」
「逆になんでそんな冷徹になれるんよ」しょげている。
「冷徹って、もう」笑いながら、背中を向けた。冷蔵庫のなかを拭かなくては。「大げさだなあ」
「かもしれんの……じゃけど伊織、結婚してどんなに嫌気がさしても、俺のことは無残に断捨離せんでくれ」

その声がやけに切なくて、ぎょっとして振り返ってしまう。なんで、そんな話になるんだろう。雅治は基本的にポジティブだけど、急にネガティブを発動することが、たしかにある。
今回もその類いだろうか。クーラーボックスのなかを整理している彼は、子犬のような目をしてこちらを見あげていた。

「どしたの? そんなことするわけないじゃん?」
「そうはいうても、一度は捨てようとしたじゃろ。そういうことだけは忘れんのよ、俺」

ドキッとした。なかなかに執念深いところがある。
10年も付き合っていれば当然のように倦怠期もあった。もう戻れないんじゃないか、というほどの大喧嘩もしたことがある。きっかけはわたしの嫉妬だった。倦怠期中だろうが、雅治はいつだってモテるから……言い寄ってきているクラスメイトを邪険にもしない雅治を見て、傷ついていた。まだ心がおさなかったのだ。だから、疑った。
そのとき、つい、言ってしまったから。

――もう雅治なんかいらない!

もちろん、本音じゃなかった。引きとめてほしかった。ひどいことを言ったと後悔するのに、時間はかからなかった。

――俺には伊織しかおらんのに、そんなこと言わんでくれ……頼む。

雅治を試したんだと気づいて、浅はかな自分に嫌気がさした。わたしにとっても苦い思い出をぶり返されてしまい、また、申し訳なさがつのってくる。

「さっきアルバム見て思いだした。学生のとき、そういうことあったじゃろ?」
「雅……」
「いらんとか、こう見えて結構、傷ついたんよ、俺」
「もう、男のくせに、ぶり返して……」
「そりゃ男女差別じゃき」
「うん……そうだね、ごめんね?」

雅治のなかには、まだその傷が残っているんだろうか。立ちあがった彼の目が切なげで、わたしはその頬に手をのばした。こんなに好きな人なのに、捨てようとするわけがない。
ただあのときは、かわいげなく、子どもだっただけだ。

「ホントに、ごめんね?」
「いや、俺もぶり返して……らしくなかった、すまん」

ぎゅうっと抱きしめてくるぬくもりが優しい。ひょっとして雅治は、結婚生活がどうのこうのと若干の不安を感じているわたしなんかより、この10年ずっと、不安を抱えていたんだろうか。

「同じなんよ、伊織」
「へ……?」
「これじゃ、これ」

ピヨ、と言いながら、ゴミ袋に入れたはずのピヨまんじゅうが、雅治の手からむくっと顔を覗かせた。いつのまに忍ばせておいたのか。まさか食べる気じゃないだろうけど。

「今日までこうしてずっとお前と一緒におったのは、お前がかわいくてたまらんから」
「雅……も、なに、急に」
「急にじゃない。いつも思っちょる。じゃから俺ら、結婚するんじゃないんか?」
「……ん、そうだね。わたしだって、あのときの言葉、本音じゃないよ?」
「わかっちょるよ。それでも、堪えたんよ」
「うん、ごめんね……」
「いや、もうええ。10年も前のことじゃっちゅうのに、いまさら謝ってほしいわけじゃない。悪かった、変なこと言うて」

ぶんぶんと首を振ると、雅治が優しい笑顔で頭をなでてくれる。この手にいつも癒やされてきた、わたしの10年。

「これからも絶対に捨てん。約束する。じゃから伊織も、約束してくれんか?」
「ふふ。それをお正月に誓いあうんでしょ? あと、結婚式でも!」
「ああ、だな。じゃけど、いまも誓いあいたい。最高のムードやからの」

落ちてくる唇が優しくて、そのままとろん、と控えめに絡んでいく舌が愛おしい。
掃除をしなくては、と、どこか頭の片隅で思っているのに、まったく雅治にはかなわない。
結婚生活にたいする不安は、案外こういう幸せな不安なのかもしれないと、このとき思った。

「ふふ、とまらなくなっちゃう」
「やの……このままベッドに行きたいが……」
「ダーメ!」
「よのう……」

微笑みあって、もう一度だけキスをした。くすくすともれるお互いの声が交差していく。
ねえ雅治、ふたりの10年は、長かったようで短かったね。

「雅治のこと、絶対に捨てないよ。約束する」
「ん……俺も、離さん。なにがあっても」
「ふふ、嬉しい。ね、愛してるよ、雅治」
「ああ、俺もだ。一生、添い遂げような?」

このさきまた10年、20年、30年と、節目のたびに、誓いあおう。
あなただけが、わたしの人生だと。





fin.



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[levelac]




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