shout! shout!




ベッドの軋む音に合わせて、伊織さんの声がよう響く。ずっと控えめやったのに、最近めっちゃ大胆になってきてんの、なんでなんすか。って、聞けたら楽やけど……。

「はっ、ああっ……あん、ああっ、光くんっ」
「ンッ……伊織さん」
「もっと、奥、ちょうだい……あ、ああ」
「……余裕、あるんすね、ずいぶん」

こっちはもう限界やけど……、そんなん、絶対に口にしたない。俺は彼女の両足を持ちあげて、自分の肩に乗せた。
伊織さんにこんな恥ずかしいカッコさせんの、俺だけやって信じるように。

「ああっ……!」
「……音、出しすぎちゃいます?」狂いそうんなるわ、マジで。
「そんっ、だって……気持ちい……!」
「我慢せんで、イッたらええでしょ、伊織さんっ……」

好きや……伊織さん……。
唇を重ねながら、その想いを言葉にはせずに愛を伝える……伊織さんはそのまま、腰をうねらせながら、果てた。
ぐったりとした体を抱きしめながら腕枕すると、伊織さんはほんの少し、微笑んだ。フリルのついたレースの下着に、透けるワンピース型のキャミソール。ちょっと前までユニクロで売っとるような部屋着で寝とったのに、ここ最近の彼女はめまいがするほどセクシーで。
めちゃめちゃ興奮する一方で、妙な気分になる。

「伊織さん、最近、ちょっと大胆んになってんちゃいます?」
「え? そ、そうかな……んー、はしたない、かな?」
「いや……そんなことないっすけど」

はじめて会ったのは、大学に入ってすぐ。謙也さんの女友達で、俺より1つ上の先輩。音楽が好きで、俺がブログで音楽ネタをちょこちょこ書くのを知っとって、声をかけてくれた。そのころから、気づけば伊織さんを目で追うようになって1年後、告白して付き合うことになって、8ヶ月が過ぎていった。
もうすぐクリスマス。このあいだ伊織さんの誕生日があったばかりやけど、当然、クリスマスプレゼントも贈りたい。そろそろ、ペアリングとかわたしてもええんちゃうかなと思ってふと見たときに気づいたのが、1ヶ月前。彼女の左手薬指に、指輪の痕があった。そのときはそこまで気にせんかったけど、その痕は、会うたびに俺の視線をうばって、胸をしめつける。
っていうか、正直それだけちゃうしな……。

「いくらくらいするんっすか、こういうの」
「え、あ……」

ひらひらのキャミソールのなかに手をつっこむと、さっき脱がしたときにも見た派手な下着に欲望がまた膨れあがりそうになった。
なんなん、このストーンがついたエロい下着……。

「光くん……」
「さっき終わったばかりやのに、誘ってんの伊織さんのほうっすから」
「そんなつもり……な」
「……こんな、濡らしてんのに?」
「あ、んっ……光くんっ」
「ええっすよね? もう1回」

声も前より激しくなったし、おねだりも大胆になってるし、終わったあとは食事をつくってくれることもあって、やけに、優しい。

「伊織さんっ……」
「はあ、う、あっ……ね、ねえ光くん」
「なんっすか……」せやからつい、乱暴に抱いてしまう自分がおる。
「つ、次……んっ、いつ、会える?」
「土曜……あー、夕方から予定入ってるんで、それまでになりますけどええですか?」
「ん、あんっ……もち、ろん……はあ」セックス中に、なんで急にそんなこと聞いてくるんやろ。こういう普通の会話が出てくるようんなったのも、最近や。さっきも思ったけど、ずいぶん余裕あるんっすね。「ゆ、夕方に解散、で、いいんだよね?」
「かな?」その質問に、チクッとまた胸が痛む。わざわざ何度も確認してくるの、なんなんすか。
「わかった……あっ、う」
「……夕方から、なんかあるんすか?」
「えっ」
「ほかの人と、遊ぶんすか」男と、と言いたいのを、なんとか堪えた。
「あんっ……あ、遊ばないよ。んっ、あ、だめ、イッちゃ……」
「ええですよ……イッて?」

この1ヶ月、俺は嫉妬で伊織さんを抱いとるようなもんやった。





周りから見たら順調やってことくらいはわかっとる。ぶっちゃけ、俺のほうが惚れまくっとることも、自覚しとる。伊織さんは、これまでの彼女となにもかもが違う。単純にええ女やし、優しくて、包容力もある。大学からこっちのせいか、基本、標準語なのも新鮮で、かわいい。
そのせいなんか、モテるのもわかっとるから、全然ポジティブになられへん。どう考えてもおかしいやろ。なんなんや、あの指輪の痕。

「なんか最近、派手になってきたんすよ、いろいろ」
「いろいろってなんやねん」
「まあ……いろいろっすわ。妙に、優しさも増しとって。やましいことでもあるんちゃうかな、とか」
「そら考えすぎちゃう?」
「そうやとええですけどね」

謙也さんが残り少ないコーラをずびずび言わせながら飲み込んでいく。なんで、こんな1ミリも頼りにならん先輩に相談してしまうんか、自分でもわからんけど……まあこの人、伊織さんの友だちやし。あと、東京の忍足さんがいとこで仲ええから、又聞きの貴重なアドバイスをもらえることが何度かある。
あの氷帝の天才さんは恋愛に詳しいっちゅうかなんちゅうか……謙也さんじゃとても思いつかんやろうことを、さらっと教えてくれる。ま、謙也さんフィルターかかっとるから、どこまで忍足さんが言うたことかわからんけど。

「まあ、あいつかわいいもんなあ。大阪のやんちゃな姉ちゃんたちと違うってとこも、モテるから心配なんやろ、財前」
「モテるとかモテへんとか、心配とかってより、ただなんとなし、引っかかるってだけっすけどね」
「いやいや、それめっちゃ心配しとるんやん。ちゅうかお前、伊織が浮気するようなヤツやと思うんか?」
「そんなん、思ってませんけど……」

謙也さんに言われるまでもなく、想像以上に、自分が弱い生き物やったんやと思い知らされとる。指輪の痕とか……俺があげたもん、ちゃうわけで。けど、謙也さんに指輪の痕がどうこうやなんて、そんなことまで言いたないし。

「あれー、光じゃん」
「え?」
「ん……お、千夏ちゃんか」
「謙也さん、また会いましたね」
「ホンマやな。偶然が多すぎや」

背中から声をかけてきたのは、高校時代の元カノやった。付き合ったのも1年程度やけど……それでも、俺と伊織さんよりは長い。
大阪は広い街やっちゅうのに、なんでわざわざこんなとこで偶然に会うんやろか。ちゅうか、またって。謙也さんと前も会ったんかな。どうでもええけど。

「相変わらず、二人は仲よしなんやね?」千夏が謙也さんを見て笑った。
「俺はどうでもええんやけどな、財前が俺のこと好きすぎるんやわ」

千夏とは、自然消滅やった。盛り上がったのは最初だけで、マンネリ化して、千夏が浮気して、俺は当然、愛情が冷めていって……そういやそれも、付き合って半年くらいからやったっけ。
まさか伊織さんも……俺に飽きてほかに男とかつくったりしとるんちゃうやんな?

「今日、呼び出してきたん謙也さんですけどね……」
「余計なこと言わんでええっちゅうねん」

会話をしとるあいだも伊織さんのことが頭から離れへんかった俺は、なにげなく千夏の手を見とった。違和感が頭をもたげて、思わず目をこらす。千夏の右手の薬指に、小さな石がついた指輪が見えたせいで。
呆れた女や……付き合っとったときも思ったけど、別れてまでも思うことになるとは、思わへんかった。

「お前な、それなんでまだつけてんねん」
「え? あー、これ? そうそう、光がくれたやつやんな!」
「え、え? なんの話や」

俺は謙也さんに相談はするっちゅうても、あんまり具体的な話はしてへん。なんの話かわかってない謙也さんが俺と千夏の顔を交互に見る。
そうや……あれは俺が付き合っとるときに千夏に贈った指輪。安モンや……それはそれとして、めっちゃ嫌な予感がしてきてんけど……マジで、なんなん。

「だってかわいいんやもん。さすがに左手にはつれけれないけどさー。いまはファッションリングとして活用させてもろてますー」もともとファッションリングみたいなもんやし、一定、理解はできるけど。普通せんやろ。
「女ってそういうとこ、ホンマにがめついよな」
「がめついんちゃうわ、ドライなんや。カッコええように言うてや」
「はあ、なるほどな。財前がプレゼントしたモンか。けど千夏ちゃん、それ、いまの彼氏、嫌がらへんの?」

そうや。嫌な予感はそれや。女っちゅうのは、そういうとこがある。
それだけならまだしも……。

「そんなん右手やし、別にそんなんわざわざ元カレからもらったもんとか言うわけないやん、謙也さん、なに言うてはんの」せやな。千夏は右手。けど、伊織さんは……。
「あとで知ったら傷つくで、彼氏。ま、俺の知ったこっちゃないけどな」
「ホンマそれ。じゃあたし行くねー! 謙也さんも光もまたねー!」
「おう、またな!」去っていく千夏にコーラの空カップを振りながら、謙也さんは、ぼんやりとつづけた。「女っちゅうのは、男の嫌がること平気でしよるなあ」
「……それは伊織さんも、同じかもしれへんっすわ」
「は?」

猜疑心で頭んなかがおかしなる。もし、千夏と一緒やったら?
……前の男からもらったもんを、まだ左手の薬指につける時間が、伊織さんにはあるっちゅうことか?





具合が悪くなりそうな想像をしたまま、そこから数日が過ぎた。
約束しとった土曜日で、せっかく伊織さんに会っとるっちゅうのに、今日はキスのひとつもしてへんし、そろそろ17時になろうとしとる。

「ねえ、光くん」
「ん、なんすか?」
「今日……もしかして機嫌、悪かったりする?」

たいした会話もしてへんし、ふたりでボケッとバンドのライブビデオ見とっただけ。いつもならもう少しくっついたりするのに、数日前のことが頭をよぎりまくっとるせいで、つい、素っ気ない態度になった6時間。
伊織さんの不安げな顔が、俺の心をかき乱していく。その顔は演技なんか、それとも、俺が勘づいたかもしれんって、焦っとるからですか?

「……なんでですか?」
「え……あ、いや、なんとなく」
「悪くないっすよ、別に」
「そっか、ん……なら、いいんだ。はは、ごめんね?」

昼から会って、もう6時間経つっちゅうのに、いまさらそんなこと聞いてくんのもイライラする。
……ちゃう、伊織さんにイライラしとるわけやない。俺は、伊織さんを追求する勇気もないくせに、いろいろ勝手に決めつけてイライラしとる自分にイライラしとる。
アホか……イライラが多すぎや。それもイライラするしな。

「伊織さん」
「うん?」

前の男の話なんか、聞きたないから問いかけたこともなかった。それでもこないだから、見たこともない影が伊織さんの周りにうろついとるような錯覚に陥って、そいつを目で追っとる。年上なんやろかとか、東京のヤツなんやろうとか……。その薬指の痕は、その男のものなんか、とか……。
今日やって、めっちゃくっきり残っとる……本人は気づかれとると思ってないんやろか。

「ひゃっ、えっ……光くんっ」
「ええでしょ。俺、伊織さんの彼氏なんやから」

気づいたら、手首をつかんでソファに押し倒しとった。胸が苦しい。聞きたくても聞けへん。そんな情けないとこ見せたら余計、彼女が離れていく気がする。

「で、でももう……時間っ」
「早めに終わらせますわ、それで文句ないっすよね?」
「え、あ……ちょっ、いっ」
「じっとしとってください」

潤いもそこそこのままねじ込んで、伊織さんの顔が歪んでいく。痛がっとるってわかってんのに、こんな愛し方しかできへんとか……それも全部、伊織さんのせいやから。

「ひ、光くんっ……う、う……」

首に舌を這わせて、涙目の伊織さんを見おろす。男ってホンマ、しょうもない生き物やな。乱暴にしとるのに、最愛の人は痛がってんのに、体はアホほど興奮しとる。

「好き……光くん」
「え……」
「好き……」

その瞬間、燃えあがっとった体が、冷えた心に飲みこまれた。苦しそうな顔で、とろけたような目で俺の名前を呼んで、しっかり見つめて、「好き」って……。

「あ、あれ……」

一気に力が抜けていった。体中に流れる血の沸騰が収まって、冷えすぎて凍っていくような感覚やった。虚しさが残る。聞けば、ええだけやのに……。
しぼんだ俺を体で感じたんか、伊織さんが戸惑いの表情を見せた。どんだけやねん俺……無理やりしといて中折れって、死ぬほどカッコ悪いやろ……こんなん、いままでなかったっちゅうねん。

「……俺、帰りますわ」
「えっ、光くんっ? ま、待って」

自己嫌悪で吐きそうやったから。
伊織さんを抱きしめていた体を離して背中を向けると、悲痛そうな伊織さんの声が、頭のなかにこびりついた。





余計、嫌われたやろ、あんなん……。
いや、ちょお待て。余計ってなんや。ほかに男がおるって、俺が認めたら終わりやのに。
今日もあった、あの指輪の痕。香水も変わった。付き合いはじめたころより、ファッションも洒落はじめて……。
後悔ばかりが全身を支配しとった。約束の時間はとっくに過ぎとる。今日は友だちと焼肉に行く予定やったけど、どうせ5、6人集まる。みんなには悪いけど、ドタキャンした。
もうこんな疑いを向けたままで、伊織さんと付き合っていくんは無理や。めっちゃらしくない選択しとる。それでも、止められへん。
伊織さんのアパート近くにある駐車場で、俺は身を隠して待った。18時過ぎたころやった。伊織さんがアパートから出ていく姿を見つけて、胸の奥が痛みだす。「遊ばないよ」とか、言うとったくせに。そんな些細なごまかしさえも、許せんようになってくる。
彼女は、ピンクのロングワンピースにパンプスを履いて颯爽と駅に向かっていった。化粧もいつもよりしっかりしとるし、髪の毛も巻いとる。そんなん、俺の前ではせんやろ。
せやけどいちばん俺を動揺させたのは、左手薬指にはめられとる指輪やった。やっぱりや、と思う。俺とおるときだけ、してなかったんや。
ほどなくして、伊織さんは駅のロータリーでキョロキョロと左右を見渡した。車を待っとるんやとわかる。それだけで、鼓動がどんどん早くなっていく。彼女を尾行して、知らんほうが幸せなことをわざわざ知ろうとする。傷つくってわかとっても伊織さんの背中から視線を逸らすことができへん。
そこから数分後……一台の車が、伊織さんの目の前に止まった。ダークグレーのレクサス。ヤクザか、とツッコみたくなるような車から降りてきたのは、見覚えのある襟足で……。

「堪忍なあ、お待たせ」
「ごめんなさい、わざわざ迎えに来てもらって」
「ええねんええねん、気にせんといて」

遠く離れた場所におったのに、会話が聞こえてくるようやった。穏やかな、ゆっくりとした関西弁。謙也さんと同い年のはずやのに、もっと年上ん見える。
なんであんたがここにおんねん……東京の人やろ? それともまさかあんたが、伊織さんの元カレなん?

「ほな、いこか」
「うん」

なんの抵抗もなく、伊織さんは車の助手席に乗りこんだ。男は後部座席のほうを見て、一瞬、顔をしかめつつも運転席に乗りこんだ。
長身、美形、シュッとした出で立ち……何度か会ったことあるけど、その姿を見るのは久々やった。
氷帝の天才……忍足侑士。





耳に突き刺ささっとるピアスだけが、めっちゃ熱い。
じんじんじんじん、さっきからここだけ40℃くらいの熱だしてんちゃうかと思うくらいや。

「え、えっ!?」
「遅いっすね……こんな時間までそんなカッコで、どこ行っとったんすか」

遠巻きに俺を見つけた伊織さんは、驚愕した顔でその場に立ち止まった。いうても、距離なんかほんの5メートル程度。彼女のアパートの下で、ガラの悪そうな男が何時間も酒飲んで座っとるっちゅうのに、さすが大阪、誰も通報せえへん。

「光くんっ……ど、どうし」さすがにまずいと思ったんか、はっとしたように、慌てて駆け寄ってくる。かわいい顔して、大胆なのはセックスだけちゃうんやな。
「は? 俺、合鍵ももらってへんから入れへんから。ここで飲むしかないんすわ」
「そ、そうじゃなくて……予定は? え、ねえ、どれだけ飲んだの」
「見たらわかるっしょそんなん、ここにあるだけっすわ」

足もとにはビールとチューハイの缶が10個以上は転がっとった。
あのあと、忍足侑士と伊織さんのあいだになにがあったかやなんて、想像するのは簡単なことやった。それをつまみに約4時間、俺は飲み続けとる。

「ねえホントに、どうしたの……そんなにお酒、強く……」
「どこ行っとったんか聞いてんねんけど、答えたくないっすか」
「え」
「なんやねん、その指輪」

伊織さんがまた、驚愕の表情を見せて、慌てはじめた。詰めが甘いってこういうこと言うんよな。それとも、あの天才に酒飲まされてほろ酔いか? 酔って判断つかんのか。
伊織さんはとっさに左手の薬指から指輪を抜き取って、それをバッグにしまった。めっちゃいまさらやねんけど……笑えるわ。

「あの、いまのは……」目ン玉が、泳いどる。
「冗談やないわ……東京の天才と大阪の天才で二股っすか」
「へ?」
「あんた、天才フェチでもあるんすか。ああ、東京にはもうひとり天才おりますよ、紹介しましょか。ちょっと忍足さんとはタイプ違うやろけど。まあ俺と忍足さんも全然タイプちゃうし、伊織さんは天才やったらなんでもええんやろ」酔うといつも以上にしゃべるんは、俺の恥ずかしい酒癖や。
「ひ、光くん? なに言って……」
「どこまでしらばっくれる気なんすか」

動揺が見てとれる。綺麗なカッコして、綺麗な顔して、卑怯やろ……なんでそんな切なげな目で、俺を見てきてんねん。

「な、なか、入ろう? とりあえず、ね?」
「……入ったら、俺、伊織さんのこと犯しますよ」
「なっ」

鍵穴に鍵を挿しこんだまま、伊織さんは俺の言葉に固まった。その拍子に、また左手の薬指に見えるはっきりとした痕が、俺の胸をえぐっていく。

「ちょっ、光くんっ……」
「ええ加減、俺も限界っすわ」

夕方、そうしたように。
強引に手首をつかんで、部屋のなかに入った瞬間、俺は伊織さんを押し倒した。冷たいフローリングの上で真下になった伊織さんの顔が怯えとる。

「ひ、光く……」
「どういうつもりなんすか」
「ちょっと待って、なんか、誤解っ」
「なにが誤解か教えてほしいっすわ。なんで今日、忍足侑士と会っとったんすか!」
「えっ……!」
「見られてないと思っとったんでしょ。なんであの人がわざわざ東京からこっちに来るんすか」伊織さんに会いに? ……ええ加減にしてほしいわ。
「ち、ちが……光くん、怖い、やめて……っ」

ぽろ、と伊織さんの目尻から涙がこぼれる。押さえつけとった両手首から、俺の力が一気に抜けた。怯えさせたうえに、怒鳴り散らして、泣かせた……。
この人と付き合えることになったとき、それだけは絶対にせんようにって誓ったのに。傷つけたない。絶対にこの人だけは、傷つけたないって……せやけど、俺がめちゃくちゃ傷ついてるんすよ……伊織さん。

「はあ……卑怯やわ、泣くとか」
「ごめん、あの」鼻をすする音が切ない。泣きたいんはこっちなんすけど。
「さっき隠した指輪、なんなんすか」
「だから」
「元カレからのプレゼントっすか? そんで? 忍足さんが元カレ?」
「ちが、違うよっ」
「ずっとつけとるでしょ、ここ1ヶ月くらい。俺が気づいてないと思っとったんすか。いっつもいっつも指輪の痕つけて」
「そ……それは」

ようやく床から起きあがった伊織さんは、口もとを隠すように手を当てた。
泣いて、さっきまで赤くなっとった顔が、真っ青になっていく。笑わせんなって……いまさら遅いって。もうバレとるから。

「下着も派手んなって」
「え……」
「服かて、そんなん着てへんかった。パンプスも。やけにめかしこんどるなって、思ってましたよ、最近」
「光くん……」

そうなんやろ? わかってましたよ。どうせ、浮気や。俺かてそんなんされるん、はじめてちゃいますから。
千夏もそうやった。俺のなにが不満やったんかわからんけど、浮気されとった。せやから、俺から連絡を途絶えさせたんや。

「この1ヶ月、妙に優しいっすよね。香水も変わったし」
「……だって」
「やましいからですよね? そんで極めつけが、その指輪の痕に、今日のことや!」

千夏のときは、一瞬で恋心が冷めたっちゅうのに……伊織さんには嫉妬ばかりが沸き起こる。この人は絶対にそんな人やないって思っとったのに。せやから惹かれた部分やってある。
けど……伊織さんだけは……浮気されとっても、離したない。ああくそ、どないしたらええんや俺……こんなことばっかり、付き合う女にくり返されて。

「俺に不満があるなら、言うてくれたらよかったやないですか」
「光くん、あのね」
「はっきり言われたらそら、多少は傷つくかもしれへんけど」
「こ、この指輪は」震える手で、バッグから指輪を取りだしてきた。マジか、この人……。
「それ、どういうつもりで俺に見せてんすか」
「ずっと、つけてたよ、この1ヶ月」
「は? ああ、あっさり認めはるんや。まあそうですよね。もう俺にバレたんやし」隠す必要もないですもんね。
「でもこの指輪は、元カレとかじゃ」
「ああ、ほな忍足さんから改めてもらったりしたんすか」
「聞いて、ひか」
「こんなに傷つけられるくらいやったら、不満、まるごと言うてくれたほうがマシ……!」
「これは自分で買ったの!」

え? と目をまるくして、「どんな言い訳してくる気ぃすか」と聞き返そうとしとるあいだに、伊織さんは勢いよく立ちあがって、部屋のなかの小さい引き出しを開けはじめた。
「もう、もう最悪っ!」と言いながら、ずかずかと大きな足音を立ててこっちにやってくる。手には1枚の紙切れ……それを、バンッとまた大きな音させて、俺の目の前に叩きつけるようにして見せてくる。

「え、は?」
「よく見て! ほら!」指が折れてしまいますよ、と言いたくなるほどに強く、その紙の上を指さしとる。
「通販の名前もあるでしょ!? 宛先はうち! 納品書、佐久間伊織様になってるよね!?」
「え、あ、はい……」伊織さんのヤケクソ剣幕に、すんません、と思わず言うてしまいそうになる。
「金額はここ! 12100円!」
「は、はあ」
「ピンクゴールドリング! これが商品名!」
「……」そう、みたいですけど……。
「自分で買ったの! 日付、見てよっ!」

俺は黙って、日付を見た。ほとんどちょうど、1ヶ月前……。間違いなく、この指輪の納品書らしいけど……いや、どういうことっすか。

「注文日、これ……わたしの誕生日の、1週間後」
「……え」
「誰かからプレゼントされたら、こんなの持ってないでしょ? だから、自分で買ったの!」

それがどうやら本当のことらしいとわかるまで、30秒は使った。酔ってたせいもあるかもしれへんけど……。

「え、なんで……」
「光くん……わかんない?」
「そんなんわかるわけ」
「ほしかったんだよ! 光くんから、誕生日にもらいたかった!」
「え」
「ほしかったんだもん! だから、悔しかったの……元カノさんにはプレゼントしてたのに、わたしには、くれなかったから!」
「えっ!?」

そこから15分程度、俺は伊織さんの話を聞くことになった。
どうやら、誕生日から1週間後、伊織さんは謙也さんやらほかの女友達やらと大学の同級生で飲みに行ったとき、偶然、千夏に会ったらしい。

――へえ、先輩が光の新しい彼女なんだ。
――こ、こんばんは。
――あははっ。めっちゃあたしと違うタイプやー。まあでもそうなるかあ。光のこと傷つけてしもたからなあ、あたし。
――え?

「浮気したんですって、あっさり言ってきたの」あっけらかんとしてた、とつづけた。千夏の言いそうなことや。
「そんで……ほかにもなんか、言われたってことっすか」
「……ん」ぎゅっと唇をかみしめた。さっきも見た、悔しそうな表情やった。「この指輪、もらった直後やったんでって……」

めまいがしそうになる。あの女、ホンマ昔から言わんでええことをベラベラしゃべる女やったけど、そのデリカシーのなさに最初は惹かれたんやから、俺もどうかしとった。

――誕生日プレゼントに指輪もらって、そのあとすぐ。けどもったいないやないですか。全然、気持ちが残ってるとかちゃうんで、気にせんとってくださいねー!
――あ、うん……大丈夫。

「わたし、光くんにもらった誕生日プレゼントが不満だったわけじゃない。あれだってすごく、嬉しかったけど」
「……それ聞いて、なんで自分には指輪やないんやって、思ったってことです?」
「……悔し、くて……」

それを機に、謙也さんを通じて、伊織さんは忍足さんのアドバイスを聞くようになったらしい。俺を夢中にさせたい、もっと好きんなってほしいっちゅう伊織さんの切実な願いに、忍足さんは真面目にアドバイスした。

――んー、まあ手っ取り早い感じで、色気。
――い、色気、ですか。
――せやね。やっぱり色気は大事や。そろそろ交際8ヶ月っちゅうことやから、ちょっとしたイメチェンもええかも。香水変えてみたり、服、変えてみたりな。
――服……香水。
――あとは、年上なんやから、大人の色気だしたらええと思うで? エッチのとき、控えめな声とか出してへん?
――えっ……!
――おい、侑士。お前なんちゅうこと聞くねん。
――いやいや謙也……大事なことやねんで? そういうのも男としては寂しいもんやろ? もしも財前がマンネリを感じてんのやったら、そういう変化でまた一気に惚れなおすやろ。
――まあ、わかるっちゃ、わかるか?
――そう、なんだ……。
――ん……せやけどねえ、佐久間さん。
――は、はい。
――自分が想われたいって思うんやったら、まずはしっかり、相手を愛すことからはじめなあかん。ひとりよがりはようないで? 相手の立場になって、めいっぱい愛さな、な?

リモートで、謙也さんと三人で恋愛相談したらしい。
ちゅうか……エッチのときの声がどうとか、絶対に聞く必要ないやろ……あのボケ、先輩やけどはったおしたろか。俺の伊織さんになにセクハラしてくれてんねん。ちゅうかなに聞いてんねん。
ホンマ、次に会ったらしばいたるからな……まあでも、おおまかにはわかったわ。

「ひょっとして、やから、最近やけに優しかったんすか?」
「……だって、光くんの立場になったら、こうしてほしいかなって」俺を理解しとったってことや……。全部、ピンポイントやったし。
「……ほな今日、会ってたのって」
「たまたま東京に来るってことだったから、謙也くんと三人で……お礼も含めて、食事してきただけ。今日も結局、相談しちゃったけど……」光くん、なんか冷たかったから……つづけながら、伊織さんがはっとする。「ていうか、光くん、わたしのあと、尾けたってこと?」
「あ、いや、それは……」

あかん、尾行がバレる。ごっつい気持ち悪い真似しとることは自覚しとるし、こんなん嫌われたら……。
いや、ちゅうか、紛らわしすぎやって……。いや、待てよ? けど謙也さんは、俺の相談も、聞いとったやんな?

「あの人……どういうつもりやったんや」
「え?」

こないだ千夏に会ったとき、指輪の件も知らん顔しとったやん。けど、なんや、さり気なく、注意しとったような気も……。

――あとで知ったら傷つくで、彼氏。ま、俺の知ったこっちゃないけどな。

千夏に指輪、はずさせようとしとった、とか?

「うざ……」
「え?」
「ああいや、謙也さんのことっすわ。伊織さんの相談、一緒に聞いとったんでしょ? それやったら、俺に言うてくれたって」
「それは、口止めしてたよ、もちろん」
「え……」
「だって、自分で買った指輪を彼氏からもらったって妄想してつけてるなんて、惨めすぎるじゃん、わたし……」

ぽろぽろ、とまた、伊織さんの目から涙がこぼれ落ちた。はあ、とため息がでそうになる。伊織さんはもともと、引っ込み思案なとこがあるのはわかっとった。自分よりも相手を優先して、自分の気持ちを押しこめる。
それやから、俺が守りたいって思ったのもあるけど……あるんやけど、さ。

「言うてくださいよ……俺、いくらでも買いますって」
「言えないよそんなの、だって、光くんは元カノさんには、自主的にあげたんでしょ?」
「……負けたみたいんなるってことすか」
「そうじゃんっ」
「そんなわけないっしょ」
「だって!」
「俺、あいつが浮気したから別れたんです。せやけど伊織さんが浮気したかもしれんって思っても、絶対に離したないって思ったんすよ?」

震えていた体を引き寄せて、強く抱きしめた。今回のことがもしもホンマに浮気やったとしても、俺はたぶん、許しとった。嫉妬で気が狂いそうやったけど……狂ったとしても、伊織さんをほかの男にわたすとか、考えられへんでしょ……。

「光くん……」
「好きやって、あんまり言わんから……不安にさせて、すんません」
「好き……って、言ってくれるの?」
「好きに決まってるやないですか。好きやから嫉妬するんでしょ。頭、おかしくなりそうやった、この1ヶ月」
「嫉妬……したんだ」

ふっと、微笑むような吐息が聞こえる。少し体を離してその顔を覗きこむと、伊織さんは泣きながらも、はにかんどった。
はあ……なんかしらんけど、1周回って、腹が立ってきたわ。

「うざ……」
「ひどい……」とか言いつつ、嬉しそうやけど。
「指輪、自分で買って左手薬指につけるとか、ダサすぎっすわ」
「ごめん、わかってる……もう言わないで」
「しかもたいした金額ちゃうし」
「も……だって、自分用だもんっ」
「……めっちゃアホらしいから、ブログネタにしてええすか?」
「なっ……やだ! 絶対や……ンッ」

真っ赤になった伊織さんの開いた唇のなかに、俺は熱いキスを送った。かわいすぎやって……ブログネタにしたら、めっちゃキレられるやろけど……ちょっと思う。それくらい怒ったり本音を言い合ったりしたほうが、俺ら、ちょうどええんやないすかね、伊織さん。

「光くん……ン」
「夕方、中折れしたぶん、取り戻してええすか」
「う……うん……」
「痛くして、堪忍っすわ……今日はめっちゃ、優しくしますから」
「光くん……」
「それで俺の愛が伝わったら、明日、一緒に買いに行きましょ」
「え」
「ペアリング」

その誓いを立てるためにも、俺らの証も一緒に左手の薬指に、つけたらええでしょ?





fin.



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