プレーン・ラブド








「おまえ忍足センセのことスキなんだろー!」

「ちょ、やめてよ!!かえしてよ!!」

「けー、チビー!取れねえだろー!取れねえ取れねえ!オレが味見してやるよ!」

「かえしてよ!!バカ!!もっ……かえせ!しね!!」

「うっせ−ブス!」


……まーたやっとるであのふたり。


「かえせって言って――!!」

「ブースブ……げっ!!」

「コラア!やめアホ!!」


俺の姿を見つけた途端に手に持っとったそれを投げて、小学四年生の男の子は途端に垂直んなった。

今更遅いっちゅうねん。


「お前またいたらんことしよったな?」

「してねえよ!」

「う、うっ……ふえっ……」


一方、いじめられとった女の子のほうは俺の姿を見つけた途端に、安心したように泣き出した。

可哀想になあ。でもこれは男心やねん、今は全くわからんやろうけど。

なんなら、センセもまったくわからん。なんでこう、遠回しな表現すんねやろな。


「泣いとるやないかルオン!!」

「すぐ泣く!うぜッ……ってえ!」

「謝れ」


内心、泣き出した女の子を見て慌てとるくせに悪態をつきよる。

まさかこんなことになるとは思ってなかったんです、とでも言わんばかりやけど、これいつもの展開やろ。

ええかげん学習したらどないやろか?

あ、ちなみに俺が今叫んだのは、おかしな語尾とちゃうくて、あれがこの悪ガキの名前やったりする。

ルオンて……最近の小学生はどえらい名前の持ち主ばっかりやで、ホンマ驚くわ。


「ぜってーウソ泣きだし!」

「やかましいわ。お前本気で泣かしたろか!謝れ!」

「オレ悪くねーし!」

「アホか!どう見てもお前が悪いやろが!」

「ちげってセンセ!オレ、かえそうとしたのにこいつがバカとか言うから!!ブス!」

「やめ言うとるやろっ」


飽き足らず暴言を吐く。なんちゅうやんちゃ坊主やろ。

俺はこんなやったかなあとぼんやり頭の片隅で考える一方で、ルオンにはどんなお灸を据えたろかとも考えた。

さっき一回しばいたからなー。最近の親は手えあげるとすぐにぎゃーぎゃー言うてくるし。


「だってこいつセンセのことスキなんだぜ!」


と、突然脈絡のないことを言い出す。だっての接続詞間違っとるやろ。

まあ、それがお前がいじめたくなる理由っちゅうのは、俺にはわかるけどな。


「ちがっ……!」

「ウソつけウソつけウソつけだってこないだグランドんとこで相合傘かくれて書いてたのしってんだぜ!」


なにが、しってんだぜ!や。

それにしてもなんで小学生ってこんな早口なんやろか。

全く句読点入ってへんけどよう息続くな。


「ちがうもん!ちがうもん!」


女の子は必死に抵抗や。俺にバレるん恥ずかしいんかな。かわええなあ。


「あのなあルオン、やったらなんやねん」

「え!なにってだって、キモい!!」


……それしか言い返すことないんか。


「ルオン、とりあえずお前、コート外5周や」

「えなんで!え、え、えなんで!」

「じゃかあしい。はよ行け。行かんのか?行かんのか?」

「いいいいいいたいいたいいたい!いきますいきます!いきますー!!」


耳を引っ張ったらひいひい言いながら走り出した。

はあっと溜息をつきたいのを抑えて、ルオンが行ったとこでくるりと振り返って微笑む。

堪忍なあ……センセもさすがに、小学生には手ぇ出せへんのよ。高校生でも多分キッついわ。


「ノン、これ、センセに作ってくれたん?」


せやけど女の子には優しくせなアカン。特にこんな女の子らしい女の子にはなあ。

あ、ちなみに今のも変な出だしとちゃう。この子の名前や。

ノンて。ノン。かわええけどな……うん。


「……セ、センセ……クッキー、すき?」

「おう〜!めっちゃ好き。くれるん?」

「た、たまたままママとつくったから!」

「そうなん?ありがとう。お昼ごはんのとき食べよっかな。おおきにね。ママにもよろしく言うとってな」

「うん!」


『ま』が一個多い気がしたんやけど、そこはスルーしたった。

しゃがんで頭を撫でたったら嬉しそうに笑って練習に戻ろうとするノン。ええ子や。ホンマ。

せやけどどうにもこうにも俺の中にひっかかることがあって、ホンマは言わんでもええことなんかもしれんけど、でも言うとかなと思うと、結局むずむずしてきて、俺はノンの手を掴んで引っ張った。


「ノン!」

「っ、え?」

「あんな……死ねとか、口に出すんはやめよ?な?」

「…………」

「ノンはせっかくかわええ女の子なんやし、まあせやからっちゅうわけやないけど、今日のはルオンが悪いで?せやけどどんなに腹が立っても、言うたあかんことっちゅうのがある。相手が気にする気にせんの問題やなくて、や。な?わかるよな?」

「……う、うっ……」

「泣かんでええねん。センセ怒っとるわけとちゃうんよ?せやけど心配なんや。そういう言葉に敏感に反応出来る子になってほしいんや。思いやりって言葉知っとるやろ?ノンには女の子らしくおってほしいんや。センセ、女の子らしいコが好きやから」

「う、うんっ……うっ……」

「今日はつい言うてしもたんよな?わかるよ。ノンはええ子やもんな。せやから今度から気をつけような?さもないと…………」

「?」

「あんななるで?」


ノンのもちもちの肌が俺の指先を見つけてヒュッと笑う。

そこにおったのは――


「何やってんだよー!ちゃんとボール見……こらあ〜!聞いてんのかナビトー!!」


俺よりドスのきいた声出しとる、伊織さんやった。

……どいつもこいつも、なんちゅう名前。





「忍足くんそれってさあ、わたしのことバカにしてるよね?」

「してませんよ。ただなんちゅうか、分かりやすい例やったかな、と」

「カー!」


青少年テニスキッズスクール。

週に数回、参加したいキッズだけが参加するっちゅうなんとものんびりしたスクールが近所に出来た。

お約束は練習時間以外あんまり無い分、それが逆にええんか、これがゆとり教育ちゅうことなんか、意外にもちゃんと毎週同じ顔ぶれが揃う。

当時大学生の俺が家庭教師みたいなノリで面接受けて、もう一年が経とうとしとる。

俺は日曜担当。

週に一回っちゅうペースが心地ええし、ストレス解消にもなったりで、就職してからも続けとるバイトや。


「で、それがクッキー?美味しい?」

「ん〜、粉っぽい」

「ママと、ってのは嘘かー。かわいいねえ!モテるねえ忍足センセ!しかもヤキモチまで妬かれちゃって!」


小学生にモテたとこであんま嬉しくはないんやけど、まあええか。

伊織さんはしれっとした俺の表情にも気付かんと、なんやか嬉しそうに休憩中の子供らを見とった。


「ルオンなあ、ノンが好きでしゃあないんやろなあ。いっつもいじめとる」

「いじめてるねー。いじめない方が好かれるのにね」

「どうにもならんのんやろね。素直になれんのんやと思いますよ、あの年頃の男の子は」

「いいねえ。わたしも恋したいなあ。彼氏欲しい」

「俺も彼女欲しい」

「忍足くん、別に困んないっしょ!」

「まあ、選ばんかったらね」

「ですよねー」

「冗談ですよ。困っとるって」

「ていうか忍足くんもあんな感じだった?」

「スルーかい。いやあ、それ今日考えとったんやけど、俺、結構素直やったと思うんよなあ」

「へえ」

「……あの、興味ないんやったら聞かんといてもらえます?」

「興味ないなんて言ってないじゃんか〜!」


笑いながらどさくさに紛れてクッキーを口にくわえた伊織さんは、粉っぽ……と呟いた。

せやから言うたでしょ。


「ちゅうか伊織さんね」

「ん?」

「もうアレなん?近所歩くときはもうどうでもええの?」

「は?」


俺の唐突な質問に、伊織さんは貪っとったクッキーを落としそうになりながら俺の目をまともに見た。

油断すると何かを見透かされてまうんやないと思うほどの鋭い視線。

時々、伊織さんはそういう目をする。その度に、俺は目を逸らさずにはおれんようになる。

……なんか怖いやん。なんかようわからんけど。


「え、それはどういう意味?」


ああ、なんの話振っとったんか一瞬忘れとった。あかんあかん。


「やってそのカッコのまま来るやろ?ここに」

「え、なんかダメ?」


伊織さんの家はこのスクールから徒歩5分のとこにある。

鋭い視線は消えた。


「いや、ほんでまた、そのカッコのまま帰るやろ?」

「え、そうだけど」


ちなみに俺の家はスクールからチャリンコで5分のとこにある。


「ノーメイクやしー」

「だって汗かくじゃん」

「……まあ、そうなんやけど」


言うてもムダなんかこの人……と思ったらなんやもうどうでもようなってきた。

伊織さんは一年前、俺がこのバイトを始めたときから一緒に働いとる、同じくバイトの日曜担当のセンセ。

20代後半の立派なアラサー。やけど、見た目はめっちゃ若い。

テニスの腕前はまあまあなくらいで、子供もそんなに好きやないのに、何故かここで働いとる。

ストレス発散になるんやと、前に俺と同じこと言うとったかな。

いつだってノーメイクやし、いつだって姉御肌やし、なんちゅうか、悪く言うたら色気のカケラもない。

せやけどめっちゃええ人。それはホンマに。さすが俺より年上や〜、思うこともしばしば。

でもなあ……もうすぐええ歳になるわけやし、やからこそ、女らしさを忘れたアカンと俺は思うわけや。

余計なお世話なんやろうけども……彼氏出来へんと嘆く前に、そこからちゃうかな。どうやろ?


「まさかやけど、仕事ん時は……」

「おのれ。そこまで腐ってないぞ。ちゃんとメイクしてます。ばっちりスーツも着てますー!だけどさー、休みの日にまでメイクなんかしたくないっての。お洒落はともかく、ここはテニスする場所だし。相手は子供ばっかで、別にいい男がいるわけじゃないしー?」


含みのある視線で俺を見て、ニヤニヤと口元を歪ませる。


「あれ、怒ってええとこですか?」

「ははは。いや、あのさ忍足くん、そう言うけど、わたし、案外モテるんだよ?」

「離婚した子供の父親にでしょ」

「男であることに間違いはない!って、それここのスクールだけのことじゃんか!」

「まあそうやけどね……せやけどまあ……伊織さんの何がええんか全くわからんな」

「おいー。言いすぎだぞー!」

「ははは。まあまあ、堪忍堪忍」


ケタケタ笑いながらサンドイッチを頬張る伊織さんは、ぐしゃぐしゃの髪を解いて結びなおしたとこでもうひとつクッキーを盗んで食べた。

ホンマにこの人、彼氏作る気あんのやろか?





あれ……?


「いや、違うんですよ。その分の発注は以前お話したとおりの金額でやっていただ……あ、いえ、あの、話が違うというよりも……いえいえ、そういうわけじゃないんです!あのっ!あっ……」


月曜の仕事帰りやった。

駅から降りて、なんとなーしぼやっとした気分で散歩したなってチャリ押しながら歩いとったら、前方で聞きなれた声がした。

その人影は、がっくりと肩を落としとる。

見慣れん格好しとるから一瞬気付かんかったけど。


「伊織さん……?」

「わ、忍足くん!びっくりした!どうしたの!?」

「いや、どうしたって、俺もこの辺やし……」

「ああ。あそっか。そうだよね。奇遇だね」


我に返ったように、伊織さんの見開いた目は徐々にいつもの大きさに戻っていきよった。

はー、知り合ってから一年、初めて見たわ……化粧しとるとこ。

なんだかんだ言うても、実はべっぴんさんやから想像ついとったけど、この人やっぱり、綺麗やわ。

せやけど、疲れとるなあ、この精気なくしとる顔……大丈夫かいな。

ますます男が逃げていきますよ?


「ですね……ちゅうか、どうかしはったんですか?」

「え、なんで」

「いや、めっちゃ落ち込んどる感じやったから」

「ああ……いや、もう、上司と得意先とで板挟みなわけよ……」

「はあ……」

「てか、忍足くんさ」

「なんでしょう」

「ヒマ?」

「え」

「飲み行かないですか?オネーサマと」

「はあ?何が悲しいてアラサーと」

「てんめーやんのかこのやろーっ」

「クチ悪っ!もうちょっとお上品になれんのんですか」

「あはは。まあ堅いこと言わず。行こう行こう!」


いきなりのお誘い発言に、一応、困惑した(フリをした)。

一週間に一度は顔を合わす伊織さんとは気の知れた仲っちゃあ仲やし、飲みに行くんも初めてとちゃうけども、この成り行きですぐにでも返事してもええもんかと……。

いや、伊織さんが俺に全く興味が無いのは百も承知でお互い様なんやけど、油断したら惚れられてまうんちゃうかと些かうぬぼれとる自分もおる。

それだけは勘弁や。バイトやりにくなるし、この人とは変わらん関係でおりたい。


「さあどこにするかな」

「俺、明日も早いんやけどなあ」

「えー、あかんのお?せっかく仕事が早く終わったんだから付き合ってよー!」

「……まあ……ええですけど」


いつものノーメイクじゃない伊織さんにじっと見つめられて、あまりにその距離が近すぎて、実はこの人、若干俺のこと好きなんちゃう?とか思ったり。

いや、もちろん、俺のうぬぼれは人より強いし、ちゅうか男なんかみんなそんな生き物や。

でももし、もしも伊織さんが俺のこと好きやったとして……。






*






「でさあ、ブチョーのヤツがまたいけすかないわけ!」

「はあ」


愚痴る女はろくでもない。

それが酔っ払いやったら尚のこと……。

うん、好きやないな。

一瞬とはいえ、どえらい勘違いしたな俺も。女は好きな男の前でこんな風にはならん。普通の女なら。

せやのにまだまだ付き合ってやってもええと思えるのは、この人の人徳やと思う。


「忍足くんはさー、会社でヤーなこととかないの?」

「ありますよそら。ヤーなことだけだらけですやん。バイト先でだってありますやん。まああそこは比較的楽ですけど、せやけど親会社――」

「――でも全然愚痴んないね?立派だあー。忍足くんの会社なんかさ、わたしよりもキビシーそうなのに」

「スルーやな……」

「え?」

「いや。……や、厳しいんは、どの職業も一緒やと思いますよ」

「てか誰かわたしに素敵な人を紹介してくんさい」

「またその話か」


口を開けばやないけども、この人はとにかく恋愛に飢えとる。

誰かなー……誰……跡部はアカンやろなー、いくらなんでも。

宍戸、鳳、岳人……あかん。どれも伊織さんと合う気がしいひん。


「まあ言うだけタダだしね……。てかさ、いやあのさ、わたしさ、根本的に何か変えなきゃいかんのんではないかと」

「はあ」

「ダメなんじゃないかと、思っているんですよ、最近」


突然敬語になるのは一応仕事仲間っちゅう関係やったりするからやろうか。

ダメやなんて、いつも言うとるでしょ。女を捨てたあかんねん!


「変わりたいならまあまず自己啓発とかしてみたらどないでしょ」

「ジコケイハツ?ようわからんのですが」


突然関西弁になるのは、一応、俺との付き合いが長いことがあったりするからやろうか。


「いや、ってかあれですよ。女としてさー。なんというかね。なんというか。キャラもいけないんだろうけども、今更変えれないじゃないですか。忍足くん、ねえ?」

「せやけど俺、伊織さんのキャラは男受けええと思いますけどね」

「いいですよ。それで終わるんですよ。あとはおっさんしか寄ってこないんですよ。わたしの魅力がないばっかりに、紹介してもらったとこで……積極的にならなきゃいけないのかな」

「そのネガティブオーラがあかんのやって。男の前で酔っ払って泣き出したりしとらんでしょうね?」

「え!しますけど!」


ぎょっとするように俺を見て、俺はその返答にぎょっとして見返した。

あかん……なんもわかってないわこの人。なにさらしとんねん。


「そんなんしたあきませんよ」

「なんで?だってストレス溜まったら泣きたくなるんだもん!お酒飲んで、いつのまにか泣いてることある!」

「うっとおしいわ。それ男ひきますって。てか俺と飲んだってそんなんなりませんやん」

「まあ忍足くんとのお酒は楽しいからね!」


どさくさに紛れて嬉しいことを言うてくれる。


「そらどうも。やけど泣くなら、俺みたいな興味ない男の前だけにしとった方がええんちゃう?いきなりデートで泣かれたらたまらんわ。いくら酒が入っとってもね」

「そうなんだ……だからダメだったのか、今まで」

「いやそれだけやないやろけど」


ほかにもあんのかーい!と笑いながら俺を見て、ぐびっと酒をひっかけた。

そういうとこやろ、と言う気も失せるほど伊織さんらしくて、思わず笑けてまう。

でもまあ、早く伊織さんにも幸せになってもわらんとあかんしな。


「そうやなあ……魅力っちゅうよりも常に最高の自分って意識するだけでちゃいますよ。なんかせなあかんって思いは結局ストレスんなるで、したいことを行動にしとったほうが、そんな疲れた顔さらけださんでもええようんなるし……したら、ええ人が声かけてくれるんちゃいます?」

「へえ……なんか忍足くん、いいこと言うじゃん」

「まあ、俺、ええ男なんで」

「なるほどね」

「え、突っ込みなし?」

「そうかあ……じゃあやっぱり泣きたいときは泣いたほうがいいってことだ。好きな人とのデート中でも」

「いや、あかんて」

「だってしたいことを行動に……」

「泣かんでもええように日々行動すんの!」


結局俺の真面目な意見はスルーされて、最後まで笑いに変えられていった。

なんちゅうか、久々に楽しい飲みをした……そんな気分やった。






「忍足センセさ!」

「なんや」

「佐久間センセとつきあってンの?」

「は?」


数人の生徒がむらがって何かと思えば、や。

キッズスクールは小学六年生までが所属できる。

せやけどもう小学六年生ともなると、エロ本も読みまくっとる時期っちゅうこともあってか、いきなりそういう質問をしてきよることがある。これも初めてのことやない。


「図星!図星!」

「誰がやねん。なんでそんな誤解されるんやろか」

「えーだって忍足センセさ、佐久間センセとよく漫才やってんじゃん」

「やったことないわそんなん」


どっちかの口調が関西弁やと、「掛け合い」が「漫才」になる東京人の短絡的な思考回路をどうにかしてくれ。


「えーでもでもでも、佐久間センセに聞いたら、あーそうだよ!って言ってたよ」

「言ってた!」

「めんどくさかったんちゃうか」

「図星!図星!」

「やっかましいなあ」

「ねえケッコンすんの!?いつ!?ケッコンすんの!?」

「もうええから練習戻――」

「――忍足先生〜!」


ガキんちょの思い込みほど面倒臭いもんはない。

何を言うてもこいつらの頭ん中じゃ俺と伊織さんは付き合っとるんやろうし、そうあってほしいんやろう。

せやけどいくらなんでもこのタイミングで、伊織さんから声がかかったら余計面倒臭いことになるやんけ。


「ひゅーひゅー!」

「ひゅーひゅー?なに?なんで?」


あんたのせいや。


「どないかしたんですか?」

「うん、えっとですね……」

「ひゅー!」

「やかましいわボケ!はよ練習戻れ!」

「図星ー!図星ー!」


子供らは俺が怒るといつもは縮みあがるくせしよって、今日は弱味でも握ったような顔して逃げていきよった。

まったくなんなんや……ちゅうか最近の子供でもひゅーひゅー言うんやな。


「何が図星?」

「付き合っとることになっとるようです、俺ら」

「あー、ああ。さっきの話か」

「さっき話したんかーい……」

「まあいいじゃん。面倒臭いし」


そんなことやと思いました。


「で、なんです?」

「ああ、うん。来週の土曜、飲み会だって」








*







「もっと前もって言ってもらわんとー」

「あれー、忍足くんも遅れちゃうのか……じゃあ佐久間さんとマネージャーだけんなっちゃうな」

「え、マネージャーも来るんですか?」

「うん、今回はねー……めずらしく佐久間さんが来るから、来たくなったんじゃない?」


事務所で専務と話しとって、なんとなし気になる言い方やなと思った。

来週の日曜、スクールのスタッフの飲み会があることになったらしい。

伊織さんは平日夜中まで仕事しとるせいで、だいたい金曜に開催される飲み会には顔を出せん。

やけど今回は土曜日っちゅうことで参加するんやろう。

けど、なんでマネージャーが、伊織さんが来るから来るってことになるんや?


「あれー?忍足くん知らない?」

「え」


考えとることがそのまま顔に出とったんやろう。

専務は俺の顔を見ながら、こそこそと耳打ちするように言うてきた。


「あのふたり、もうすぐ付き合うんじゃないかって」

「え」

「むしろもう付き合ってんじゃないかって」

「え?」

「とにかく、すごくいい感じらしいよ」


ちょお待てちょお待て。

こないだまで誰かええ人紹介せえ言うてたのはどこのどいつや。

そんな話、微塵も聞いたことないし、そんな雰囲気、一切感じたこともないんやけど。


「ホンマですか?」

「うん。みんな知ってるよ。だからむしろアレだよね。忍足くんも遅れるならちょうどいいかもね。ふたりには」


他のバイトの連中も、専務も俺も、仕事の関係やらプライベートの関係やらで、飲み会の開始時間には間に合いそうになかって、マネージャーと伊織さんだけが最初集まるやろうっちゅう話。

バイトに手え出すマネージャーって……なんか気にいらんな。

しかも、スタッフの飲み会に本社の人間が来るとか……私情挟みすぎちゃうやろか。

そんなに会いたきゃ自分から誘えばええやろ。

ちゅうかもう付き合ってんのやったらふたりだけでデートしたらええ話やし。

なんやふたりのいちゃいちゃに付き合わされる感じが、どうも気分悪いわ。


「へえ……そうなんや」

「だから、いいんだよ僕らはさ、ゆっくりで。そういうことならさ、仕事片付けて、ゆっくり行ってあげようかなって思っちゃうよね」

「別に思いませんけど」

「え」

「はは。冗談です、冗談」


……冗談ちゃうわ。

なんや……こないだの飲みん時の話は、なんやったんや。

彼氏欲しいって、もうそういう人おるんやないか。

俺が誰か紹介したらどうするつもりやってん。

とっくに恋愛満喫しとったんやん。せやったら俺がこないだ熱弁したんはなんやったんや。

アホくさ。

何が、自己啓発や。


「まあそういうことだから」

「はいはい。ほな戻ります」


内心、妙に渦巻く黒い影を感じながら背中を向けてドアを開けた瞬間、同時のタイミングを見計らったように事務所のドアが開かれよった。

瞬間、大人気ない感情が襲ってくる。

自分のペースを狂わされたことによる、しょうもない苛立ち。


「わ!びっくりした、忍足くんか」

「……お疲れさん」

「お疲れ……あ、忍足くん最初から参加できそ?飲み」


ぶっきらぼうになってまう態度に、そんな自分に、いつもの調子の伊織さんに、なんやしらん、無性に腹が立つ。

どないしたんや俺。そんなに怒ること、ちゃうのに。


「どうやろね。デートもあるし、もしかしたら行かれへんかも」


なんで俺いま、しょうもないウソついたんや?


「あらそれは残念」

「ふうん。それはどうやろ」

「え?」


言い逃げやなんて、カッコ悪。

ちゅうかなんで……伊織さん、俺に隠しとったん。

ちゅうかなんで……こんな朗報を、俺はむっとして聞かなあかん?






どうでもええよ。

どうでもええけど、やったらあの話はなんやったん?って思とる、それだけや。


「え、専務9時?」


うん、ごめんねー。もうついた?先に行っててよー。

と、専務は悪びれもせず仕事を言い訳に遅れる気満々やった。

ぐっと頭をあげてビルを見上げる。

このビルの5階の居酒屋で6時から行われとるはずの飲み会。

俺の情報が正しければ、中にはマネージャーと伊織さんだけ。

ふと携帯に目を落とせば、7時55分。

ホンマはもうすっぽかしたろって思てた。

せやけどなんや気になって。なんちゅうか、なんとなしやけど。


「……はあ……めっちゃ気まずいやんけ」


こないだ、伊織さんにああいう態度を取ってから、取ったまま会ってない。

あの後の練習は別々のコートやったし、なんや俺もようわからん怒りがあったせいで、挨拶もせんまま着替えてとっとと帰った。

ホンマやったら、「ほんとのとこどうなん?」ちゅうて聞くくらいが普通の友達やと思う。

せやけどどうにもそういう気分にはなれへんかった。

隠されとることが、気分悪うてしゃあなかって。

ちゅうか、別に俺に言う義務もないねんけど、せやったら、いかにも、の「彼氏いません。どうしたらいい?」っちゅう態度取らんかったらええやんけ。

……とか、考え出したらまたむっとしてまう。

一回、このピリピリした感情をリセットするために俺は頭を振りながら、ビルの5階を目指した。


「いらっしゃいませ」

「あ、すんません……予約で来とるテニスキッズスクールの……」

「ああ、はい!お連れ様……あ」

「あ、忍足くん!」

「マネージャー……あれ」


店員さんに席に通してもらおうと靴を脱ぎかけたとき、マネージャーがレジまで来た。

この様子はどう見ても今から帰るっちゅう雰囲気なんやけど、どうしたもんやろか。


「いや、あのさー、今日土曜日だったでしょ。忘れててさあ。2時間制限だったみたい。だから場所変えてみんな待とうって、佐久間さんと」

「はあ……みんなは次の場所わかるんですか?」

「決めてから連――ちょ、大丈夫佐久間さん?」

「だいじょぶ」


後ろからのそおっとやってきた伊織さんは、いつになく顔を真っ赤にして、ふらふらとレジに寄りかかった。

ようやく頭をあげて俺を見る。


「あ……忍足く、お疲れ様ー」

「お疲れ……大丈夫ですか?伊織さん」

「結構飲んじゃってさ」


マネージャーがぼそっと謝るように、少し言い訳めいて教えてくれる。

あかん人やなホンマ……好きな男の前でそんだけ酔っ払うんちゃうわ。


「だいじょぶ……背え高いなあ忍足くん」

「どうでもええし」

「あ、俺が会計すませとくから、ふたり、先に降りてていいよ」


丁度エレベーターが来たことにマネージャーが気を使って、俺らはその言葉に甘えてエレベーターに乗り込んだ。

ふらつく伊織さんの腕を引っ張って1階までのボタンを押す。

いつになくキメ込んどるワンピースに、どういうわけか白けた気持ちんなった。


「どんだけ酔っ払ってんねん」

「だってさあ、話し込んじゃっ……」

「……てか、伊織さん、目え赤ない?」

「目?あー……はは。赤いか。やー、やっぱお酒入るとダメだね。泣いちゃって」

「は……泣いた?」

「うん、なんかマネージャーにいろいろ聞いてもらってたら、泣きたくなっちゃって。マネージャーがまたいいこと言うんだわー。だから涙がさ、こう、止まらなくなっちゃったりしてね」


ふふふっと嬉しそうに笑う伊織さんを見て、こめかみを押されたような痛みが走った俺はようやく気付いた。

このたまらん気持ち。

この人のこんな酔っ払った姿。泣いとったんやろう姿。俺は見たことがない。

バイト先では、一番仲ええはずの俺を押しのけて、滅多にバイト先に来んマネージャーに、そんな醜態さらしとる。


「……れ?忍足くん?」

「ちょお黙っとって」

「え」


エレベーターから降りて、俺はまた伊織さんの腕を引っ張って路地裏に入った。

どっかの店のエアコン室外機が置かれて生暖かい風が舞っとるような、暗い場所。

どっかの古びた日本映画でヤンキーがヤンキーにボコボコにされるような場所。


「あ、もしもしマネージャーですか。あーすんません。伊織さんがなんやもうめっちゃ吐きそうんなってて、どえらい具合悪そうなんでちょお吐かせたり水飲ませたりして落ち着いてからそっち行きます。あ、多分もうすぐ他の連中来ますんで、店見つけて入っとってください。俺らもすぐ行きますんで。はい、はい、はいすんませんよろしくー」

「……忍足くんあの……わたしそんなに吐くほど酔ってな……」

「わあっとるわそんなこと」

「え」

「せやけど酔ってんやろ?泣くくらいしんどいことあってんやろ?癒されたいんやろ?慰められたいんやろ?ええこと言うて欲しいんやんな?」

「なになになになにどうし……ッ!」

「泣いたらえんちゃう?めっちゃ泣きやすい状況やと思うねんけど、いま」

「お、おし、えっ……忍足くん……ど……」


俺は伊織さんを引き寄せて抱きしめた。

全然興味なかった伊織さんが、いきなり俺の嫉妬で女になる。

なんやねん、そんなばっちりメイクして。なんなん。なに気合い入れてんねん。


「俺と付き合っとんちゃうかったん?」

「ええ!?」

「子供らにそう言うたん伊織さんやろ」

「い、いやそれはほら、あの……」

「泣くんは俺の前だけにしとけって言うたでしょ」

「そ……でも、したいこと行動しろって言ったの……忍足くんじゃん」

「あーせやった。やから俺もしたいこと行動しとるんやわ。泣いたらええねん。いつも仕事大変そうやな。頑張るんやで。よしよしなでなで」

「適当すぎる!それに、泣けって言われて泣けるわけじゃないし!」

「さっきまで泣いとったんやろ?それとも俺が相手やったら泣けんのか」

「ちょちょ、ちょっと待った。ちょっと離して」

「嫌や!」

「ちょ、なんなの!?嫉妬!?」

「……っ」


図星ー!図星ー!

子供らの声が頭ん中に蘇ってくるようやった。

だって、こいつマネージャーのことスキなんだぜ!……やったらなんや。

え!なにってだって、キモい!!……今ならわかる。そのもどかしさ。

ホンマにキモいんは誰かを好きな彼女やなくて、誰かを好きな彼女に嫉妬しとる自分や。

なんでか腹立つ自分がわからんで気色悪いで、そうとしか表現できんねや。

わかる、わかるでルオン!お前の名前どういう由来やねんホンマに。


「忍足くん……?」

「……嫌や。あんな酔っ払ったとこ、他の男に見せんといてください」

「……それ、って……」

「俺にも見せたことないような顔、他の男に見せられたら、たまらん……泣くんは、俺の前だけにしてください」

「告白……してますか?」

「全ッ然興味ないわアラサーなんか」

「じゃあ離せよ」

「嫌や」

「なんだよカワイイな!離せよ!」

「じっとしとって!認めたないけど、そういうことやと思うから!」


深呼吸して、俺の胸に押し付けとった伊織さんの頭をゆっくり離した。

肩と腰に手を回したまま、伊織さんを見下ろしたら、あの視線が俺に突き刺さった。

全てを見透かされてしまいそうな、鋭い、目を逸らしたい視線……なんやもう最初から、予兆あってんか、俺……見つめられて、逸らしたなるって。


「ダメだよ忍足くん」

「え」

「ちゃんと見てよ。ちゃんと言ってくんなきゃ、わたし、受け止められない」

「……っ……認めたないって、言いませんでした?」

「じゃあ忍足くんの前じゃ泣かない」

「好きです」

「早っ」


笑った伊織さんの顔はめっちゃ綺麗で、はは、ははって笑うたびに、その目からは涙が零れる。


「伊織さん……?」

「いや、嬉しいなあって……告白なんて、ここ数年はなかったし」

「……それ、カビ生えとるってことですか」

「おいー!」


ぷっと吹き出した俺に、伊織さんはきゅっと腰に手を回してきた。

こんなに突然、女って変わるんやな……やっぱり怖い生き物やわ。


「マネージャーからも、なんもないっちゅうこと?」

「え?なんでマネージャー?あるわけないじゃん」

「……めっちゃ急接近って噂やけど」

「それはー……無謀な恋のお話に、付き合ってもらってたからかもね」

「無謀……」

「お互い、素直じゃなかったということではないでしょうか」


言いにくそうに顔を俯かせた後、手持ち無沙汰のように目の前の俺の胸に頭を埋めてきた。

俺も伊織さんも、小学生のこと言えたことやないって話か?


「でも、したいこと行動したおかげで、なんか、こんな嬉しいことになったので、忍足くんからのアドバイスは、わたしにとって非常にいい結果を生んでくれました、はい」

「言うわりに、全然素直やなかったけど」

「人のこと言えるんデスカ?」

「俺、気付いたん今やし」

「あーそー」

「……次からはホンマの図星ーやな」

「はい、ですね」

「頼むからもう少し女の子らしくしてください。俺は彼女には女捨てて欲しないんです。カビも生えてほしないし」

「はあ?死ね!」

「あー!もう最悪や!!」

「ところで忍足くん」

「はい?」

「キス、しようとしてない?」

「……図星ー」


掛け合いしながら段々と頬に触れていった俺を見過ごしてくれるかと思いきや、素直やない俺らはシリアスを誤魔化しながら触れ合った。

柔らかい唇からは、完全に口紅も取れとって。


「……酒くさ」

「おいー。ムードムードー!」

「あ、ほなテイク2ね」

「……っ、もう……」

「ん、かわええ」

「……っ、ちょ、何回っ……」

「もう少し、ちゃんと癒したるから」


後ろでうるさい室外機が、どこまでもアツい夜やった――――。



fin.
Link Memorial with Dandelion




[book top]
[levelac]




×