Love for 10.




その月日には、抱えきれないほどの想い出がある。

かけがえのない、君と…共に過ごしてきたその時間さえ、愛してる。






Love for 10.






綺麗な朝だった。

窓際では涼しげな緑が露をつけて元気に伸びている。

その上には大きなシーツと、ベランダに掛けられた大きな羽毛布団。

あれを買ったのは確か三年前だった…ふたりで、お金を出しあったんだっけ。


思い出しただけで、顔が綻ぶ。

ただでさえ引越でお金を使い込んだというのに、「引越と同棲祝いや!」なんていきがっちゃって。

何万円もするセミダブルの羽毛布団を買った。


思い出して、「なつかし…」と呟いた直後だった。

テーブルの上に置きっぱなしにされている携帯くんが、ブブブ…と体を揺らしている。

ひょいと顔を覗かせてみると、液晶には『吉井千夏』と出ていた。


わたしの知らない女だ。

昨日の今日でこれだもんな、と溜息。

まあ、彼氏がモテるというのは、悪いことではないけれど。


携帯くんを持ち上げて、わたしはてくてくと風呂場まで歩いた。

日曜の朝からゆらゆらとのんびり湯船に浸かっている、君のご主人に会わせてあげよう。

そんなことを頭の中で携帯くんに言いながら。


脱衣所では、少しの鼻歌が耳に届く。

どうやら彼はご機嫌らしい。

わたしは何の躊躇いもなく、思いきり風呂場のドアを開いた。


「お?」

「鳴ってる」


「鳴っとるみたいやな」

「ん」


入浴剤の色はなかった。

浴槽の色のせいなのか、お湯はまさに、「限りなく透明に近いブルー」だ。

長い足は伸ばし切れないからか、浴槽の上にあげられている。


「いや…ん、やなくて、出てくれたらええやんか」

「出れないよ。女の子だもん」


わたしのその発言で、侑士がきょとんとする。

出れない理由を悟ったせいか、それとも、わたしのそんな一面を久々に見たからだろうか。


「……はあ、さよか。昨日の子やろか」

「知らない。吉井千夏って人だよ」


「あー、俺も知らんわ」

「はいはい。あ、切れた」


侑士とごちゃごちゃ言っているうちに、携帯くんの動きが止まった。

それなら、もうここに用はない。

わたしは風呂場のドアを締めようとした。


「伊織?」

「ん?」


「…怒っとるん?」

「怒ってないよ?なんで?」


「いや、ヤキモチやったら、可愛えなって…なあ?」

「はいはい。妬くような時代はとっくの昔に終わってるし」


呆れたように言うと、「可愛げないやっちゃな」と冷めた返事が戻ってきた。

嫉妬じゃない、それは本当だ。

彼が幾度となく行く合コンに、わたしは反対したことがない。

ちゃんと行く時は嘘を付かずに行ってくれるし、合コンに行ったところで、そこに自分よりイイ女がいたらしょうがないと思っている。

もしも、合コンに行くのを反対したとして、そしたら侑士は行くのを止めるだろう。

でも、合コンに行かずしても、自分よりイイ女が現れることなんていくらでもあるのだ。

むしろ、合コンよりも変哲のない日常の方がその確率が高いと思っている。

だから、嫉妬じゃない。行けばいい。これからも、そうすればいい。


だから合コンに行ったその翌日に、こうして電話が掛かってくることは今まで一度じゃ済まない。

特に侑士はモテるから、メモリーには何百件もの女の子の電話番号が登録されてる。

今回の女の子はその一部。


いや、まあそもそも、ここまで来て電話が鳴ってると伝えることもなかったのだけど…放っておけば、良かったのだけど。

ただ、なんとなく…ちょっと、面白くなかったのだ。

あれ?うーん、嫉妬じゃないけれど。


「なあ、伊織」

「ん?」


「そこ、開けっ放しでそんな突っ立っとられたら、俺、寒い」

「あ…失礼」


「待って。伊織も入らん?朝風呂気持ちええで」

「ええー…」


「ええやん。入ろうや。ふたりで入るん、久々やし」

「んー…そだね。いいよ」


真っ黒な髪の毛を少しだけ濡らして、にっこり笑う侑士は綺麗。

長い間一緒に居てもまだまだ見惚れてしまうことのある彼と、たまにはセックスなしで裸体を重ねるのもいいだろう。

確かに久々だ…と思ったら、無性に二人で湯船に浸かりたくなってしまった。


「熱くない?」

「大分ぬるなっとるやろ」

「あ、うん…ちょうどいい」


ぱっと裸になって、足先からゆっくりと侑士の待つ湯船に入った。

向い合うようにして、侑士と対極に座る。

ざぶんと波打つお湯が、少しだけ侑士の顔にかかった。


「さっきのは、昨日の子やわ。思い出した」

「ん?ああ、そうなんだ。昨日は楽しかった?」


「まあ、普通にな。彼女おる言うたら、大ブーイングやったけど」

「えー、また言っちゃったの!」


侑士は、自ら合コンに行くことはまずない。

人数合わせで誘われて行くことばかり。

友達を大事にする人だと言うことを、わたしはよく知っている。

だから、女の子から連絡があっても、冷静で居られるのかもしれない。

電話番号の交換を断るなんて、空気を読める人ならまずしないから。

わたしが嬉しいのは、そうして交換した女の子から連絡があってその時は相手をしても。

自分からは女の子に絶対連絡をしないこと。

意外に、こう見えて真面目なんだよね。


「いるんですかー聞かれたら、おるって言うやろ普通」

「普通言わないよ〜。そういうとこKYだなー」


「お前、おらんて言うて欲しいんか?」

「んー?侑士がいいならどっちでもいいよ?」


自分の気持ちを曝け出さず逃げるようにそう言うと、侑士はふっと笑って、「なんやねんそれ」と言いながら、湯船の中にあるわたしの手を握った。


「…おらん言うて、その気にさせたら面倒臭いだけやん」

「てかさあ、侑士、何回行った?今まで」


「ん?合コン?」

「そー」


うーん、と唸りながら、一瞬空を見上げる。

窓からは、眩しいくらいの太陽がわたし達を見ていた。


「付き合い多いでなあ…20回近くちゃう?」

「ね、それだけ行った合コンで、一人もいなかったの?」


「なにがや?」

「だからー、彼女おらんねんって言いたくなるような女の子よ」


侑士は、それを聞いて目を丸くした。

居たとして、言うわけないだろうと思ってるのかもしれない。

でも、気になる…それに侑士は、わたしに嘘をついたりしないから。


「お前なあ、何言わせたいねん」

「いや、そうじゃなくて…ちょっとホントにどうなのかなーって思ってさ」


別に、甘い台詞を吐かせようなんて気はさらさらなかった。

ただ本当のとこ、どうなのか知りたくて。

表情を見たいだけだった。

でも侑士の表情からじゃ、結局何も読み取れないや。


「…な、伊織、こっち来て」

「え?」

「おいで…こっち。背中向けて。俺に寄りかかるみたいにして、な?」


侑士の手がすーっとわたしの腕に伸びてきて。

くいくいと引っ張られて、わたしは湯船の中でぐるりと体勢を変えた。

侑士の胸に、わたしの背中がぴったりとくっ付いて。

侑士の首筋に、わたしは鼻先を掠める。


「どしたの…」

「なあ伊織、俺ら付き合って何年?」


「えーと…今年、25になるんだよね、うちら」

「せやな」


「じゃあ…もう10年だ」

「な…すごいわあ、10年やで?」


そう、わたしと侑士は、付き合って10年目に突入した。

中学三年生の時に出会った忍足侑士。

初めて二人きりになった教室で、侑士に告白されたのはもう10年も前のこと。

あの頃と、今のわたし達の違いは何だろう?

セックスするようになったこと。くだらない嫉妬をしないようになったこと。

束縛しないようになったこと。お互いが気遣えるようになったこと。

求めるだけじゃなくて、与えるようになったこと。

…数え上げればキリがない。

きっと、悪くなったとこだっていっぱいいっぱいあるのに、それは、不思議と思い浮かばない。

わたしの調子がいいだけかな。


「10年かあ…なんで侑士、よそ見しないでここまでこれたかなー?」

「どういう意味やそれ。俺がよそ見しそうやってこと言いたいんか」


「しそうだよ〜。女の子に超優しいから、学校じゃタラシとか言われてさー」

「くくっ。その度に伊織、泣きよったなあ。あの子と話すのやめて、言うて」


墓穴を掘ってしまうなんて…恥ずかしい思い出の引き出しを開けられた。

「そんなの覚えてない」と知らないフリをすると、侑士は笑いながらぎゅっとわたしを抱きしめる。

それが、すごく愛しいって言ってくれてるみたいで、なんだか馬鹿馬鹿しいほどに、愛し合ってるんだな、なんて思ったりして。


「何回泣かせたやろ、俺」

「数え切れないくらーい」


「なあ、ホンマ。せやけど伊織も俺んこと泣かしたで」

「…数えるくらいじゃん」


ぼそぼそっとそう言うと、今度は侑士が誤魔化すみたいに、わたしの耳を口で弄ぶ。

思わず漏れるくすぐったい声。そして、首筋に流れていくキス。

弾く唇の甘い音にうっとりして。思わず目を閉じた。


「伊織よりええ女なんて、俺、見たことないよ」

「なーにいきなり、なに言ってんの侑士。頭大丈夫?」

「まあそう誤魔化さんと聞きいや」


突然の甘い囁きに笑うと、侑士は「はいはい」と宥めるような顔をして。

余計にわたしをきつく抱きしめた。

どうしよう、今でもドキドキする。


湯船の中で直接触れる侑士の手は、滑らかで心地良くて。

ふっと微笑んで、キス。何度もそれを繰り返す。

濡れた手でわたしの頬にそっと触れて。

閉じていた目を開けて、しばらく侑士と見詰め合った。


「合コンでなあ」

「うん」


話し始めた侑士に合わせるように、顔の向きを元の位置に戻した。

侑士は手で掬ったお湯を、何度もわたしの肩にかける。


「付き合ってどのくらいって聞かれるやん?」

「うん」


「10年やって言うと、みんなちょっと引きよるねん」

「あはは」


「せやけど、みんな言うんや。よっぽど好きなんだねえって」

「あー、うん。傍から聞いたらそう思うよ」


そうだろうなあ、なんてぼんやり。

そう、ぼんやり聞いていたから。


「あれ?伊織はちゃうん?」

「え?」


ふいを突かれた質問に思わず振り返る。

だけど侑士はからかうでもなく、真面目な顔してわたしを見ていた。

飽きもせず、また動悸が走ってしまう。


「いや…違うってことはないよ」

「ん…でも俺な、言われて思うんや。よっぽどどころとちゃうんやろなあって」

「……」

「実際な、多分伊織おれへんかったら俺、死ぬやろ?」

「まったそんな…」


そんなこと言われたら、とろけてしまいそうになる。

思わず赤くなったわたしの顔にも、侑士は何食わぬ顔して。


「10年も一緒におってやで?で、同棲も3年目や。今時の男にしては珍しく、女は伊織しか知らんで俺」

「えー、ほんとにい?」


「あほか」

「あはは」


ここぞとばかりに悪戯っぽく言うと、侑士は笑いながら返した。

本当だと思う。テニスと、わたしと。彼はいつもどっちかだった。

浮気する暇も、あったかもしれないけど。

ありえないって言い切れる…なんでだろう。本当のことはわからないのに。


「せやけど、他の女とヤりたいとも思わんって、なあ?ほとんど病気やろ。結局俺、女は伊織だけでええっちゅうことやん」

「なーにその、すっごい告白!」


「お前味気ないな?お前はどうやねん」

「ん〜?うん、侑士だけでいいよ、わたしも」


からからと笑いながら言うと、侑士は呆れたような表情で。

だって10年も経って、本気で愛の告白なんて、恥ずかしい。

さっきから、その方向に持っていこうとしている侑士には申し訳ないけど。


「…本気で、聞きたいんやけどな」

「や…なに、どうしたの?」


「たまにはええやん。こういうムードも大事やろ?」

「まあ…うん」


抱きしめていた手を緩めて、今度は腕を撫でていく侑士。

重なった指先がそっと絡められて…ああ、そういうムードだって、再確認。

たまにはいい、か…うん、確かに。

こんな風に愛を囁き合うことさえ、少なくなってきてるこの頃だから。


「ちゃんと、好きだよ。…じゃなきゃ一緒に居れないし」

「めっちゃ?」


「めっちゃあ」

「愛してる?」


「愛してる…よ?愛してないと思った?」

「思てない…やって、俺もめっちゃ愛しとるもん」


お互いがにこっとして、どちらからともなく重ねる唇が、少しだけ熱い。

こんな風に何度もキスをしてきて、だけど10年、何度しても飽きなかった。

運命なんじゃないかって、本気で思う。


「普通なあ」

「ん?」


「10年も付き合っとったら、別れたりくっ付いたりするやん?」

「あー……そうかもね」


「絶対言わんかったな?お互い。なんでやか…『別れよう』、だけは」

「うん。なんでだろうね」


嫌になるくらい喧嘩もしてきて。

何度も泣かされたり、怒らせたり。

収拾つかなくなるくらい、いがみ合って、音信不通な時だってあった。

だけど、今までずっと、「付き合って」きた。

ただ漠然と、ああ、10年よく一度も壊れなかったな、と思う。


「無意味、やからやな、多分」

「ん?」


わたしの脚と、自分の脚を絡めるようにして遊びながら侑士がそう言った。

なんとなく、わたしは少しだけ体勢を横にして、侑士の胸に添い寝してるような格好になる。

それに構うことなく、侑士はわたしの髪を何度も撫でた。


「例えば別れたとしても…お互い…ちゅうか俺は、やな。俺は、伊織しかおらんし。…別れたとこで、意味ないわ。どーせ、伊織しか好きにならんのやし」

「…ばかー…恥ずかしいよ。もー…」


「あれ?今そういうこと話すムード作ったんちゃうかったっけ?」

「そーだけど…」


「なんやあ、伊織は?俺も照れたいわ」

「そ…っ」


嬉しそうに笑う侑士はわたしの額にキスをして、聞かせてと言わんばかりに耳を傾ける仕草をする。

なんだって今日は、こんなにいちゃいちゃしちゃってるんだろう、わたし達。


「わたしだって…侑士しかいないって思って、今日まできたよ」

「今日まで?明日からはどーやろか?この先は?」


「えー…もーどこまで言わせたいの?きっと、この先、ずっと。侑士…一筋…です…」

「くくっ…最後の方、よう聞こえんかったけど…俺も同じ気持ちやで」


「もーなんなのこれー!」

「ええやん、な?めっちゃ愛し合っとる証拠や」


少年みたいに笑った侑士は、そう言って何度もキスをしてきた。

その直後、彼から十年分の愛を受けて。


「これからもずっと、伊織だけを愛しとるって、俺、誓うで」

「侑士――?」





翌日わたしの左手薬指に、初めてダイアモンドが輝いた――。




fin.




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