恋の祭典


太陽の日差しが窓から一直線に床を照らしていた。この季節が、俺は嫌いじゃない。
このところは異常気象がバカみてえに汗をかかせやがるが、夏になるとアクティブなイベントが目白押しだ。海に盆休みにフェスに肝試しにキャンプに登山にバーベキュー、スイカ割りに流しそうめん、アユ釣り川釣りカブトムシ土用の丑の日……とにかくなにをやっていても気持ちがいい。
俺には似合わないものもいろいろあるが、これが、やってみるとなかなか楽しいじゃねえの。

「そや、なあ跡部ー」
「アーン? どうした、忍足」
「今週、近所で祭りあるやん。あれ行かへん?」
「は?」

シャワー室から出てきた忍足が、唐突に誘ってくる。
そういや、「祭り」なんてのも夏の風情だな。だが、なんでこの俺が忍足と祭りに行かなきゃならねえんだと思うと、疑問の声が漏れでちまった。

「いやいやわかる、わかるでえ。なんでお前と祭りに行かなあかんねんって思ってんやろ? 俺も同じ気持ちや」
「だったら誘ってんじゃねえよ」
「せやけどさあ、景ちゃん。夏といえば恋の季節でもあるやろお?」

ニヤニヤと、上半身裸の忍足がじっとりと俺を見てくる。景ちゃん、だと?
待て……まさか忍足。これまでまったくそんな素振りを見せてきやがらなかったが……貴様、俺のことをそういう目で……!

「いやいや、誤解すんなや。誰もお前と恋したいなんて思ってへんで? 気色の悪い」
「ああ……ああ、そうか。それならいい」心底、安心した。まぎらわしい。なにも言ってねえのに、よく考えてることがわかったな。
「顔面蒼白でインサイトせんでくれ、なに見られとるか怖いで。お前のほうがホモなんちゃうかと思てまうわ」
「俺はホモじゃねえぞ!」
「俺もちゃうわ! でかい声でなにを宣言してんねん。そうやなくてな、こないだ呉服屋で、手塚に会うたんや」

呆れたような声を出して、忍足はようやく服を着はじめた。
ほう? 呉服屋で手塚に会っただと……?

「……それとこれと、どういう関係があるってんだ?」






じーっと見つめてくる跡部にゾッとした気分になる。俺の乳首、黒うないよな? どっちかっちゅうとピンクやよな? やのになんでそんな目で見られなあかんねん。
と、言いたいのをぐっと堪えつつ、こないだ手塚に会ったことを思い出しとった。
それは1週間前のこと……。

「やはり全体はこの山吹色がよいでしょうか? 着た感じだと、どうも俺にはそれがしっくりきているような気がします」
「はあ、そうですね。しかし手塚様、まだ高校生でいらっしゃいますよね?」
「はい、高校3年生、17歳です。それがなにか?」
「いえその……もう少々、若々しいお色でも、よいかなと思いまして……」
「しかしここに帯が紫だと、さらにしっくりきているように思いますが。この紫の羽織物もいいですね」
「は、はあ……」

姉ちゃんに頼まれて注文しとった浴衣を取りに行ったら、そこに、手塚がおった。
黄みがかった、せやけど若干くすんどるような浴衣に、紫の帯と羽織物を合わせて、店員さんとなにやら真剣にコーディネートの相談をしよる。
いやいや手塚、店員さん、言いにくそうにしてはるけど、それ、どっからどう見ても……。

「手塚ー?」
「ん……ああ、忍足じゃないか。どうしたんだ、こんなところで」
「それはまあ、こっちのセリフなんやけど……いきなり堪忍な。お前それで頭巾かぶったら完全に水戸黄門やで」
「なにっ……。それはあの水戸光圀、すなわち徳川光圀のことか」

すなわちっていう必要ある? ほかにおらんやろ。

「まあ……そうや、助さん格さんおったら完璧や」たぶん、せやからしっくりきたんやろう。見慣れた感じっちゅうことや。
「そうか……そんなつもりはなかった」

なんや知らんけど、へこんどる。手塚、周りの全員が気づいとるのに、お前、めっちゃフケ顔やって、誰もつっこんでくれへんの? かわいそうやから俺がつっこんだろかな。

「忍足は、なにをしにこんなとこにいるんだ?」
「ん……まあせやから、それはこっちのセリフなんやけど……。姉ちゃんに浴衣の引き取りを頼まれてん。おつかいみたいなもんや」
「そうか。弟というのはいつもそうして長子に支配されるのだな。俺はひとりっ子だから、よくわからないが……」
「いや別に支配されとるわけや……まあええわ、お前はなにしてんのん」

失礼きわまりない、すっとぼけた手塚の言うことを無視しつつ、本来の質問に戻った。
いつも思うんやけど、部長ってどいつもこいつも天然ばっかちゃうか? これテニス部の特徴なんやろか。

「ああ、今度、祭りがあるだろう。この周辺で」
「ああ、あるかもな、そういや。結構でかい祭りやんな?」
「そうだ。あの祭りに、大切な女性と参加することになってな」
「……た、大切な女性?」

ひとつめ。まず祭りには「参加」するって言わへん。日本語どうかしとるでお前。
ふたつめ。手塚に恋人がおるやって!? あの堅物の手塚が!? めっちゃビックニュースすぎるやろ。なにをなんの前触れもなくぶっこんできよるねん。
みっつめ。まさかお前それで、浴衣で彼女とデートしようとしとる!? それを買いに来たっちゅうこと!? て、ててて手塚ってそんなことしよるん!? うそやん、めっちゃかわいっ。

「どうしたんだ忍足、目の玉がひんむかれているぞ」
「そ……いや、ちょおびっくりしてもうて……ああでも手塚、それやったらホンマに、その浴衣はやめたほうがええわ。ジジイにしか見えへん」
「な……俺はまだ高校3年生で17歳だが?」
「知っとるわ! そういうこと言うてんちゃう。要するに彼女と浴衣デートなんやろ?」
「デート……女性と日時を合わせて会う約束をしている。それをデートというなら、デートなんだろう」
「それをデートっちゅうねんアホかお前! ええか、そんな格好で行ったあかん。それで行ったら横を歩く彼女が気の毒や。それで彼女が青いチェックの浴衣やってみい、うっかり八兵衛んなるで」
「ん? それは俺がか? それとも彼女がうっかり八兵衛になるのか?」
「彼女じゃ! てかどうでもええねんっ。ええから、もっとシュッとした、カッコええの着ていきい。俺がコーディネートしたるわ」
「なに、いいのか忍足? 時間は大丈夫なのか? お姉さんに連絡をしなくてもいいのか?」
「やかましい! 余計なこと心配せんと、俺の言うとおりにせえっ」

俺らの会話を横で聞いとった店員さんは肩を震わせながらどっか行った。このアホ相手にしとった店員さんも大変やったやろう。ここは俺が引き受けるわ。
なんにもわかってない手塚がどんなデートしでかすんか、もうこの選んだ浴衣を見ただけで心配になって、その日、俺は夕方遅くまで手塚の浴衣を選んどった。

「……ちゅうわけや」
「手塚が……うっかり八兵衛だと?」
「いやそこちゃう。それからうっかり八兵衛になんのは彼女のほうや。話聞いとったんかお前」
「つまり手塚に女がいるというわけだな」

話し終えると、跡部はまたインサイト状態で左手を顔面にくっつけとった。
だいぶん前からこのポーズなんやけど、いったいなにをインサイトしとるんやろか。
ちゅうかテニスんときでも大概やのに、日常生活でもそれやるってもう、病院行ったほうがええで、やばいヤツやから。

「跡部、そんなポーズとってもなんも見えんやろ?」
「ああ、なにも見えやしねえ」
「せやろなあ、いくら跡部でも想像のなかでスケスケ、ツルスケ、ならんよなあ? なあ、ツルスケのツルってなんなん?」
「そうか、手塚に女が……」
「都合悪くなったら流しよるよなあ、お前」
「でかしたぞ忍足。さすがの俺も、この好奇心を止めることはできなさそうだ」

跡部はまんまと俺の話にのっかった。





まったく尋常ではない人の多さだった。都心に訪れると、こうなることはわかりきっていたというのに、なぜ俺がこんなことに……。そもそも、仁王と丸井と赤也が3人で祭りに行くというから、ろくなことにならんと思って来たというのに。

「真田と二人でこんなとこ歩くじゃーなんじゃ、はじめてよのう?」
「ああ、そうだな……前は立海レギュラー全員だったはずだ」
「やの。それがどうも面倒じゃったから今回は丸井と赤也を誘ったっちゅうのに、まさかドタキャンされちまうとは……まあたぶん、お前のせいじゃけどの」
「なぬっ。俺がなにをしたと言うのだ!」

前回は深い紺色の浴衣を着ていたはずの仁王だが、今日は新調したのか、黒地に斬新な白い柄の入った浴衣を着て、俺に悪態をついている。こちらは中学の頃から着ている黒地にとんぼの模様がついた浴衣だというのに……小癪な。なにをウキウキしておるのだ、こやつ。

「ここに来ただけで十分、なにかしちょる。お前は俺らのことを疑りすぎじゃき。祭りに行くっちゅうだけで、なんも悪さはせんっちゅうのに」
「悪い予感しかしないに決まっているだろう! お前と丸井と赤也だぞ! 学生の身分ということも忘れて、不埒な問題を起こされたらたまらんのだ! テニス部の存続に関わる! だいたい、その浴衣はなんだ!」
「ええ浴衣じゃろう。姉ちゃんに選んでもらったんよ。それで? 不埒な問題っちゅうのはどういうこと? お前、ただ単に嫉妬しとるだけなんじゃないか?」
「嫉妬!? 嫉妬だと? はっ……愚かなことを言うな仁王。なぜ俺がお前などに嫉妬などせねばならん」
「女にモテんから」
「なんっ……なんだと! 貴様! もういっぺん言ってみろ!」
「ほーう? モテるっちゅうか? それならどっちが早く女をナンパできるか、賭けてみるかの?」
「む……ほ、ほら見ろ! 言わんこっちゃない! お前たちどうせ、そういう不埒な遊びを計画していたのだろう! 高校にあがってからというもの、口を開けば女、女と!」
「そうはいうても真田も男じゃろ? 欲しいんじゃないか? 彼女」
「なっ……! なにを言っておるのだ! そんなものはいらん! いいか、今年は高校最後なのだぞ! テニスに精を出さんでどこで出すというのだ!」
「じゃから、女で……」
「キェッ……な、そういう意味の精ではない! 馬鹿者が!」
「いや、誰もそこまで言うちょらんじゃろ。不埒なことばっかり考えとるのはお前のほう……ん?」

まったく不埒な……んんんんいや、ふしだらと言ってしまっていい! なんとも破廉恥なことばかり言う仁王に説教を垂れていると、仁王がなにやら俺の後ろ側を見て、固まった。

「なんだ仁王、どうしたのだ」
「真田……お前、振り返ってもええけど、叫ばんようにしんさいよ」
「なんだというのだ! まわりくど……!」

ニヤニヤとしはじめた仁王に苛立ちがつのり後ろを振り返ると、そこに、なんとも斬新な柄の、だが洒落ている浴衣を着た手塚がいた。それだけはない……人ごみのせいか、こちらに気づきもしない手塚の横には、控えめに手塚の袖を握りしめている、女子がいた。
女子……女子だと!?

「伊織、大丈夫か? 人ごみだ。不安なら手をつなごう」
「え……国光……人前だけど、いいの?」
「なにを言っている。人前だろうがふたりきりだろうが、お前が不安なときは俺に遠慮なくつかまれ」
「……ありがと、国光」

な……なんちゅう会話をしとるのだ手塚! それは、それはどういう意味だ!?
貴様の声、よく通るので丸聞こえだぞ! ふたりきり!? ふたりきりになることがあるというのか、その女子と!

「ははっ。手塚、えっらい決めこんどるのう。浴衣も手塚が選んだとは思えん柄だが、よう似合っちょる」
「ににににに仁王、そんなことではないだろう、重要なのは!」
「そこまでおめかししてデートしちょる女がおるってことを言いたいんよ、俺は。真田、お前、テニスでもプライベートでも、手塚に負けたの?」
「キッ……!」

叫ぶ寸前で、仁王に後ろから口を強くふさがれた。

「手づっひほんががと!? へひはは! へひははへひはははへひははふんふぉるー!」

手塚に恋人だと!? 
けしからん! けしからんけしからんけしからんたるんどるー!

「ふぁいふふぁほほひふぁごふごふふぁいごふぁとふぁふぁってふぉるふぉか!? ふぇふぃふふぁふぉうふぃふぁがごっ! ふぉんふぁにぶふふふふふぁふぃふぉ……!」

あいつは今年が高校最後だとわかっているのか!? テニスはどうしたのだ! 女にうつつを抜かしとる暇など、お前にはないはずだ! 完全にプロに転向してお前は、世界へ旅立つのではないのか!

「真田、心の声がほとんど出ちょるうえに、俺の手がお前の唾液で汚れるから、ちと落ち着きんしゃい」
「ぐふぉ……」
「はずすぜよ? 黙っときんさいよ?」

もう息が苦しくなってきたところで、仁王がようやく俺の口から手をはずした。俺の浴衣で手のひらをゴシゴシと拭っている。しかしそんなことを気にしてなどおれんかった。
なんとか憤りを抑えて肩で息を整える。
なんたることだ……なんたる屈辱か……俺は、このあいだの練習試合でも手塚に敗北したというのに……手塚にはあのころから女がいたというのか!? お……女がいる手塚に、女のいない俺が負けたというのか!

「面白そうじゃし、ちょっとついて行ってみんか?」
「なっ……」
「あー、まあその様子じゃと、俺らだけにじゃなく手塚にも嫉妬しちょるようだから、別にお前は帰ってもええけど。俺は行く」
「ま、待たんか仁王!」

なにかの間違いだ。間違いに決まっている……そうだ、俺は決して手塚が恋人とどこまで進んでいるのかを確認しに行くわけではない。間違いを証明するために行くのだ! 決して……決してこの動揺は、嫉妬などではない!





真田はずーっと落ち着かん様子で、やる気満々で俺についてきた。
プライベートでも負けちょる、ってヤジに憤慨したんじゃろう、面白すぎる。
それにしても手塚に彼女とはのう……俺も最近、女とは付き合っちょらんから、ちと羨ましい気もする。浴衣デート、ええのう。夏の恋っちゅう感じで。

「花火は何時からだ、伊織?」
「19時だよ! 国光と花火を見れるなんて、嬉しいなあ。夢みたい」
「夢ではない。ここにこうしているだろう?」
「うん……ふふ。だってふたりで歩くのも久々だもん。国光、忙しいから」
「すまないな。だがいつも、心は一緒だ」
「……も、国光、さらっとそういうこと言うんだから」
「なぜだ? 本心を口にしてはいけないのか?」

おうおう、甘い甘い。手塚はなーんも計算してないんだろうが、こっちは砂を吐きそうだ。
見てみんしゃい、彼女もさることながら、真田の顔が真っ赤になって青筋を立てとる。ようそんなにいろんな感情がないまぜにできるもんやのう。
しかし……この距離、加えて真田のいまにも叫びだしそうな状況、手塚が察知して一瞬でも振り返ったら、すぐに気づかれちまうだろうな。うまいこと身を隠せたら、もっと楽しめそうなんだが。
なにかええもんはないかとキョロキョロしとったら、そこに、またド派手なオーラを身にまとった男を見つけた。おかげで、となりにおる黒髪と、しっかり目が合った。

「あれえ、仁王やで、跡部」
「アーン? なんだ、真田もいるじゃねえか」
「のう真田。跡部と忍足に気づかれたぞ」言うちょるそばから、氷帝の二人が近づいてくる。
「むむむむ、手塚……」
「おい真田、聞いちょるか?」

ポンポンと肩を叩くと、真田は鬼の形相で振り返り、さらに跡部と忍足を見つけて複雑な顔をしていた。跡部も忍足も、周りの女の視線をくぎ付けにしちょる。そういう二人を見て、複雑なんじゃろう。真田、あきらめんさい。あっちはまるでホストクラブじゃき。

「ねえ国光、なんか美味しい匂いがしてきたね?」
「ああ、そうだな。あっちには人だかりができている」
「気になる! 見に行く?」
「ああ、かまわない。食い意地がはっているんだな、伊織は」
「な!? 別に美味しい匂いがしてるからじゃないよ!? 人だかりが気になるから!」
「腹が減るというのは人間の基本的な欲求だ。隠すようなことではない」
「違うって言ってるじゃん!?」

手塚は声がでかい。間近で聞いて、跡部と忍足が気づいたように視線を送ってきた。ニヤリとした跡部の顔に、勘が冴えていく。

「ひょっとしてお前らも手塚を探しちょったんか?」
「お前らも、ということは、お前らもなのか? 仁王よ」
「ちと、面白そうでのう」真田が。
「お、お前たちは手塚を尾行していたのか、跡部、忍足!」
「いや尾行っちゅうか……俺のコーディネート、手塚の彼女が喜んでくれとったらええなあって。こんなに人がぎょうさんおると思わんかったから、見つけれてラッキーや」
「コーディネート……? 忍足が選んだんか? あの浴衣」
「おお、そやで? 仁王もええの着とるなあ?」
「お前には負ける。なるほど、そういうことじゃったか」

忍足から簡単な経緯を聞いて、ますます笑いそうになった。
手塚がそこまで気合いを入れちょるっちゅうことを、真田はとなりで理解しとるんかしとらんのか、顔が爆発しそうなくらいに膨らんでいきよる。
そんなことはまったく気にもとめんと、「手塚を見失うぞ」と声をあげた跡部が足を踏み出した。全員で、それについていった。

「どうした真田、なにをそんなにキレてやがんだてめえは?」
「女など、たるんどるではないか……!」
「ま、てめえにゃ縁のない話だろうからな」
「なんだと貴様!」

前を歩く真田と跡部の声もでかすぎる……手塚にバレやせんかとヒヤヒヤしとると、すぐそこに、キャラクターやら狐の面やらが売っている店を見つけた。

「忍足。あれ、ちと買いに行かん?」
「え。お面? なんでや」
「あいつらアホじゃろ、全員」
「んん、それは否定しやん」じゃろ?
「このままじゃバレるのも時間の問題じゃ。手塚にバレんように、なるべくあの男の弱みを握りたいからのう」
「お前……それどういう心理状態なんや」
「イリュージョンに役立ちそうじゃろ?」
「試合中に恋心イリュージョンして役に立つんか? あとお前、イリュージョンやめたんちゃうかった?」
「立つんよそれが。手塚ともしもやりあうことになったとき、油断させられるじゃろう。なんにもわかってないのう、忍足は」
「……お前も都合の悪いことは流すタイプやな」
「プピーナ」

忍足のツッコミを無視しながら、俺らはそそくさと売店に向かった。





あかん、めっちゃおもろい……。笑うたら殺されそうやからなんとか笑い声をあげんようにしとるけど、目の前の真田がまっことおもろい顔で、それやのに口調が怒っとる。

「仁王……なぜ俺の面はこれなのだ!」

バカボンのパパのお面をつけた真田は、ぷるぷる震えとった。

「いちばんピッタリじゃと思うての。その口調にも」
「それはどういう意味なのだ!」
「おう、じゃけそれよ、それそれ」

俺と仁王は、真田とは違う意味で、ぷるぷる震えとる。仁王のやつ、自分は狐にしとって、跡部にはアンパンマン、真田にはバカボンのパパをわたした。
俺はあやうくセーラームーンにされるところやったから、急いで仁王と色違いの狐にしたった。一緒に行ってよかったわ……。
跡部はなんのためらいもなくアンパンマンをつけて「いちばん人間らしくていいじゃねえの」と言っていた。ホンマ、アホにも限度があるで跡部。

「ちょ、ちょっと国光? もう花火はじまるよ」
「ん、しかしだな。これを見逃すわけには……」

すっかり手塚と彼女のことを見失ってからほどなくして、俺らはふたりを見つけとった。えらい人だかりで、そこでは大食いのロケが行われとった。
仁王のお面作戦のおかげか、人が多いせいか、割とすぐそこにおるのに、手塚はこっちに一切、気づく様子もない。
さて、大食いは屋台に定番のたこ焼き対決。あんな小さいもん、あの連中にしたらアホほど食えるんやろうし、なんとなく食い方が雑で、俺はあんまり見る気がせえへんかったんやけど、手塚の足が止まっとったっちゅうわけや。手塚の彼女は困惑して、目の前の大食い合戦よりも、じっと手塚を見あげとった。

「ねえ、いつまで見るの? はじまったら、綺麗に見れる場所で見れないよう」
「あともう少し、大丈夫だろう。まだ18時55分だ」

いや、あと5分しかないで、手塚……。
ぐいぐいと、彼女は手塚の腕を引っ張っとるけど、手塚はビクともしやん。
ちゅうか……手塚、こういうの好きなんや? めちゃめちゃ意外やな。なんでや? テニスにも全然関係ないし、お前自身、そんなドカドカ食うタイプでもないやろに。
せやのに、いつも表情を崩すことないあの手塚が、興奮しとるってわかるほど見入っとる。

「素晴らしい……どうすればあの熱いたこ焼きを、あんなに素早く噛みほぐし胃の中に入れることができるのだろうか。伊織、不思議じゃないか?」
「不思議だけどさあ。ねえ、国光……」
「なにかゾーンがあるのだろうか。熱さを感じない、口のなかに特別なゾーンを作りだすことができるのではないだろうか」

いや手塚……それたぶん、ずいぶん前から用意されとるから、冷めてんちゃうかな。水もあるし、流し込んどるだけやで、たぶん。なんでもゾーンに置き換えるん、やめたほうがええで。あと彼女、怒ってんで。

「よくもあれだけ食い物を粗末にできるもんだな」
「いや跡部……お前がそれ言うても説得力が」
「実にたくましい連中ではないか。やはり精神統一があの胃袋を作るのだ!」

あかん……たのむわ、バカボンのパパで「のだ!」って言うの、もう勘弁してや……。
おい仁王、お前、責任とれよ。俺が吹き出して真田に殴られたらお前が責任とれよ!?

「じゃけどそろそろ、彼女、怒りださんかのう」
「まあ俺が女だったらキレちまうな。立ち止まって見るほどのものじゃねえ。それにもう勝敗が見えてるじゃねえか」
「跡部、インサイトで胃袋見るのやめたげて」

ほんで、なんだかんだ言うてめっちゃお前も夢中やん。あとな、アンパンマンの顔でたこ焼き見てんの、ちょっとまぎらわしいで。あかん……こっちもわろてまいそう。跡部にバレたらグラウンド何周させられるか……。

「美しいな……やはり勝負というものは、なにを見ても輝いているのだな。俺もああでなくてはならん! ならないのだ!」

もうやめろって真田……! いまなんで言い換えたん!





実に美しい……大食いをしている女子のなかに、ひときわ輝いて見える女子がいる。食べ方も上品だ。ほかの連中はソースを口のまわりにベトベトとつけているが、彼女だけが慎ましやかに、しかし上位をキープしてたこ焼きを頬張っている……。
ああ、ああいう女子が俺の傍にもいてくれたら……はっ! 俺は、俺はなにを考えているのだ! 女など……俺にはテニスがあるではないか! こんな連中に触発されてはならんぞ真田弦一郎!

「ねえ国光、もう58分……」
「伊織。俺は、大食い選手権を録画して見るほど、大食いに魅了されている」
「えっ……ああ、そうなんだ。いやそうだったとしても、今日は花火……」
「しかし俺は忙しい。なかなか時間が取れないのは、お前もよく知っているだろう」

そうだ手塚、お前は忙しい身だろう。生徒会長も勤め、海外遠征にも赴き、さらにテニス部の部長。だから俺は言っているのだ! 恋人とイチャつく暇などないだろう!

「あーあー。もうアカンわ、あいつ」
「手塚も焼きが回ったようだな」

そうだ。たこ焼きに夢中にはなっても、女にうつつを抜かしておる場合ではないぞ手塚。だいたい、俺ですらこれまで一度も女子とは……せ、接吻すら交わしたことがないというのに。お前はどこまで進んでいる!? 無我の境地になったことがあるのではないだろうな! そ、それだけは許さんぞ手塚! けしからん、けしからん、けしからんたるんどる!

「知ってるけど……」
「こんな胸が熱くなる試合を目の前で見ることはそうそうできない。あと20分もあれば終わるだろう。花火はそのあとでもゆっくりと見れる。花火のクライマックスは最後の5分程度ではないか?」
「……」
「だが大食いのクライマックスはこれからなんだ」

手塚だって男だ、女子に発情くらいはするだろう。しかし、しかしだ手塚。お前たちのクライマックスはまだまだ先だと信じているぞ! そうでなければ俺がお前にテニスで負けたなど……こんなことが幸村にでも知れてみろ。恥の上塗りではないか!





「バカじゃないの!」

なんか知らんけどバタバタしちょる真田の様子をこっそり動画で録っとるときやった。
手塚の彼女が、とうとう怒りを爆発させた。手塚に「バカ」と言えるっちゅうのも、なかなかすごい。が、これは手塚が悪い。

「伊織? なにを怒っている?」
「なにを怒ってるかって!? 忙しいの知ってるよ! その忙しい合間をぬって会ってくれたのもわかってる! だけど、その忙しい合間をぬって国光が大事にしたいのは、わたしとの時間より、大食い大会ってことでしょ!?」
「なに……? 誰もそんなことは言っていないだろう?」

いーや。さっきからそう言うちょった。俺には彼女の気持ちが痛いほどわかるのう。
女心がわからんヤツっちゅうのは、本当に厄介じゃ。これだから、手塚に彼女がおるっちゅうのが異様に感じたんよのう。
おっと、となりの真田が驚いてバカボンのパパ面がずれちょる。はははははは。これはいい。さっそく柳生に送っちゃろ。

「もういいよ国光のバカ! わたしひとりで花火見てくる!」

笑いを堪えながら真田ばっかり眺めとると、ドンッと強い衝撃が俺の腕に走った。
なにごとかと思ってすぐに見ると、手塚の彼女だった。しかもその反動で、こけそうになっちょる。

「おっと、大丈夫か?」

反射的に手を差し伸べた。急に狐の面に抱きとめられた手塚の彼女は、いまにも悲鳴をあげそうじゃ。
その口を、化粧が取れんようにそっと手でふさいで、そのまま「シーッ」と彼女の唇に人差し指をあてながら、怖がらせんように、面をとった。

「す、すみません……っ」
「ええんよ、無事なら。怪我はないかの?」

これで手塚にバレてしもうたやろうけど、もう面白いもんは録れたから、まあええじゃろう。





「た、たるんどるー! 仁王!」
「なっ……なんじゃ、大声を出しなさんなっ。彼女がびっくりするじゃろう」

仁王に抱きとめられている手塚の恋人は、仁王が面をはずした途端、顔を真っ赤にして仁王の顔をまじまじと見ていた。
こういう……こういうところがあるのだ仁王には! なんだかよくわからんが色気をバカみたいに振りまきおって、すぐに女を夢中にさせる、危険な要注意人物なのだ仁王は!
いますぐ離さんかその女を! その女は、手塚の恋人なのだぞ! だいたいそんなに気安くすぐに女に触れおって! 破廉恥にも程がある!

「人の女に手を出すなど、俺が許さんぞ仁王!」
「誰も手を出しとりゃせんじゃろう。危なっかしいから受け止めただけじゃき」
「す、すみません、わたし……あの、そろそろ離していただいても」
「ああ、ええんよ。このバカボンのパパのことは放っちょいて」
「なっ!」

すっかり面をはずすことを忘れていた俺は、面をはずして、なぜかずっと肩を震わせている忍足に押し付けた。貴様、さっきからなにを震えておるのだ。けしからん!

「そ、そうじゃなくて……あのっ」
「ん? おお、女の子の匂いがするのう、ここまで近づくと」

仁王がぎゅっと、さらに力を強めて手塚の恋人を引き寄せた。けしからーん!

「ひゃっ!」
「仁王、貴様、離れるのだ! いい加減にせんか!」

背中をつかみかけたとき、それよりもすばやい動きで、仁王の首根っこが何者かにつかまれ、ヤツは手塚の恋人から引き剥がされた。

「どういうつもりだ、仁王」

手塚が、仁王に怒りをあらわにしていた。





うわあ、めっちゃ面白い展開になってるやん。こんなん全然、期待してなかったんやけど、予感があれば来てみるもんやなあ。単純に、俺、手塚の彼女がどんな人か見てみたかっただけやねんけど。うん、可愛らしいお嬢さんや。
たぶんやけど、仁王もわかっとって、くっつきまくったな。あいつホンマ、悪どいわ。

「どういうつもりっちゅうても……」
「俺の大事な人を助けてくれたことには礼を言おう。しかし、そんなにいつまでも抱きしめている必要があったとは思えないのだが」
「そうだ仁王! お前というやつは本当にたるんどる!」
「少し黙っていてくれないか、真田」
「な……っ」

さすがの跡部も、俺のとなりで「くっくっく」と笑っとった。
真田からしたら手塚の肩を持ったっちゅうのに、この男、ホンマ不憫やし、滑稽や。

「抱きしめてやることもせんと、ほったらかしにしちょった男が、よう言うのう」
「なんだと……」
「おいおい仁王、やりすぎや。謝っとき」

いたずら好きの仁王がクソ真面目な手塚に挑発しよったで、俺は止めに入った。
もう少し楽しませんさいよ、忍足。っちゅう声が聞こえてきそうなほど、仁王が危うげな視線を送ってきよる。まったくホンマに……悪ガキかお前は。

「そりゃえらい、すまんかったのう、手塚」
「……わかったのなら、いい」
「わからんけど」

ぼそっと言った仁王の言葉に眉間にシワを寄せた手塚やったけど、「もうやめとけ、仁王」と、跡部があいだに割り込んだ。役者はそろったっちゅうやつ?
しかし跡部……なにしだす気や……? 頭ふいたこと言うなやお前?

「手塚、偶然じゃねえか」
「本当に偶然なのか、跡部。その中途半端にかぶっている面はなんだ」
「アンパンマンっていうらしいぜ。ふっ。なかなか人間らしいじゃねえか」
「跡部、それはヒーローでありアンパンであって、人間ではないぞ」
「なにっ……そうなのか!?」

あかん、あかんやめて。その冷静なツッコミ、跡部には酷や!
「え?」と声を出さんように、手塚の彼女がひいてはる。そらそうや。あんなあ彼女さん、部長を彼氏にすると、こうなるで。テニス部の部長は、とくにやで。

「まあそれはいい。手塚よ、さっきから様子を見てりゃ、てめえはなんにもわかっちゃいねえようだから、俺が教えてやる」
「アンパンマンを知らなかったお前に、わかることがあるというのか」めっちゃ痛いとこ突くやん、手塚。さすがやわ。
「減らず口をたたいてんじゃねえよ。いいか。仁王に嫉妬するくらいその女が大切なら、自分の好きなものに夢中になる前に、女が好きなものに集中しろ、手塚よ」

ピク、と手塚の眉が動く。はっとしたように、手塚の彼女は跡部を見た。
跡部……お前、ときどきホンマにびっくりするくらい、大人の顔見せよるよな。お前のそういうところが、かなわんって思うねん。基本はアホやと思うけど。

「伊織の、好きなもの……?」
「はっ……これだから。わかんねえらしいぜ、教えてやれよ、女。お前はなにが好きだ?」

パチパチと、遠くから花火の音が聞こえはじめとった。
この花火を綺麗に見える場所で、手塚と一緒に見たかったんやろうになあ、彼女。かわいそうに。
跡部に話しかけられた彼女は、うつむいて、それでもゆっくりと呼吸をするように、言った。

「く……」
「く?」
「くに……」
「くに……国立か?」
「バカ! 国光のことが好きに、決まってるじゃん!」

だーっと、顔が赤くなっていく。真田の。いやいや、なんでお前やねん!
そこは手塚でええやろ! まあ、この男が赤くなりそうにないのは百も承知やけども……。
ちゅうか、この展開で「国立」って言うわけないやろ! こっからめっちゃ距離あるやんけ! どんだけアホなんやこいつ。

「さっきは俺が好きそうじゃったけどー」と、悪ガキの仁王が茶化す。
「ち、違います!」

手塚が、また仁王を見てムッとしよる。そこは反応、早いんやな……。

「仁王、伊織は俺が好きだと言っている。ちょっかいを出すのはやめてもらおうか」
「プリッ」
「そうだな伊織?」
「だ、だからそうだって……でも、でも国光の気持ち……」
「なんだ?」
「ときどき、わかんなくなっちゃうんだよ、わたし……」

あーあ。うつむいてもうた。かわいそ、彼女。
俺も手塚が相手やったら、絶対同じこと思いそうや。こいつ全然、笑わへんし、付き合っとっても、あんま楽しくなさそうやもんなあ。あと、なんかアホやし。

「すまない。俺は大食いが好きだが、お前のほうがもっと好きだ、伊織」あたりまえやろ。大食いと比べる時点で間違っとるわ、ボケ。
「そ……だったらちゃんと、もっとわたしのこと、見てよ」
「見ている、いま、こうして」

やれやれ……見てられへんのやけど……こっちは。まあなんか、仲直りしたんやから、ええか。
と、思った直後やった。手塚が、このとんでもない人ごみのなかで、彼女の頬をなでる。そのまま、唇を寄せた。
うっそお……キス……しよった、こんな人前で! あの手塚が!

「く、国光……っ、ちょ」
「これは俺の気持ちだ、伊織」

ちゅうううっと、今度は両手で彼女の頬をはさんで、キスをした。
わ、わーっ! なんななななん、何回くり返すん!? あかん、ホンマに見てられへん!
こっちの顔が真っ赤になってまうわ!





「キエェェェェェェェェ!」

たたたたたたたるんどる! たるんどるぞ手塚ー! と、バカみてえな声で真田が騒いでやがる。キスのひとつやふたつでなにを大騒ぎしてやがんだか。
呆れた俺と仁王は、真田をとっつかまえてずるずると引きずった。さっさと立ち去ってやらねえと、せっかくのふたりの時間が台無しになる。

「許さんっ! 手塚、貴様、許さんぞ! なんたることだ! そんな破廉恥なことばかりしていて、テニスに身が入るものかー!」
「お前に許してもらう道理はない」
「国光、ちょっと、待っ」
「もう一度だけ、許してくれ」

まったく、お熱いじゃねえの。キスの音がこっちにまで聞こえてきそうだぜ。やるじゃねえか、手塚。てめえには照れとかいうもんはねえんだな。どこまでもぶっとんでやがる。
興味本位だけで来たようなもんだが、まあ、あの女が手塚を夢中にさせてるってことだけは、よくわかった。

「国光……あの人たち、いいの?」
「かまわない。俺はいま、お前しか目に映していたくない」

ったく、聞いてらんねえな。
手塚よ。お前にそういう女ができたことは、悪いことじゃねえな。真田はどうにも納得がいかねえみてえだが、俺は応援してやる。
だが次に俺がお前と戦うときには、テニスではもちろん、プライベートの充実感でも勝たせてもらうぜ。

「たるんどるぞ手塚ー! 女にうつつを抜かしとるような貴様には、俺は絶対に負けんからなー!」
「もうやめんしゃい恥ずかしいっ」

……真田には今度、女でも紹介してやるとするか。





fin.



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