SAY YES



 あたしは今日、仁王くんに告る。
 なぜかって、今日が4月1日だからだ。


SAY YES


 恥の多い人生だった。

「ねえちょっと、柳生くん聞いてよっ」
「どうしたのです。 また仁王くんに騙されたのですか」
 柳生くんは呆れたように眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げた。 端正な唇からは、ふう、とため息。
 ちょっとこの反応はいかがなものか。 まるで、騙されたあたしのほうに落ち度があったみたいな……
「だって! ひどいんだよ、今日英語の抜き打ちテストがあるって言うから、もうあたし超ビビッてさ、」
「それで徹夜で勉強されたのですか?」
「……や、徹夜……ってほどじゃないけど……、でもビビッてめちゃくちゃ勉強して、」
「ほう、そうですか、」柳生くんは静かに微笑むと、「それならむしろ感謝するべきではないでしょうか?」
「はあ?! なっ、なんでよっ」
「佐久間さんは普段めったに勉強なさらないのでしょう」
「ぐっ……」
 なんで知ってるの? と思ったけど、それは言わないでおいた。 恥ずかしくて。
「仁王くんは、きっとあなたのためを思って……」
「えー、まさか、そんなこと」
「わたしは彼のやさしさを知っています。 むやみに嘘をつくような…」
「仁王くん、何をしているのですか!」
「!?」
 その声が後ろから聞こえたから、あたしはびっくりして振り向いた。 えっ、柳生くん?! が二人???
「また佐久間さんにイタズラをしているのですか。いい加減にしたまえ、」
「あっ!!」
 またやられた! と思って前に向き直ると、さっきまで柳生くんだった仁王くんがかつらを取ったところだった。
「ハハハ、バレたナリ」
「ちょ! なっ、なっ、……っ」
 頭がドカンと音を立てたかと思った。 なんなんだ、この男はっ!!
 何が「わたしは彼のやさしさを知っています」だ! よくもまあ、いけしゃあしゃあと……
「お前さんはほんま、退屈せんのう」
 仁王くんはさも可笑しそうにニヤニヤ笑っている。
「なっ、なっ、ひっ、ひど!! ひどい!」
 わたしはドンドン足を踏み鳴らして悔しがった。 なんだってこう、いつもいつも騙されるんだろう。

 こんなのは序の口も序の口で、中学1年の時から仁王くんに騙されつづけて約6年。 我ながら情けない。 いい加減学習しようよ自分、と自分にツッコミたい。 
 柳くんみたいにデータ取ってないから、正確に何回騙されたのかは分からないけれど、もしちゃんと数えたら、きっとゆうに1,000回は超えてるんじゃないかと思う。 それくらい、仁王くんは息をするようにあたしを騙してきたのだ。
 なかでも酷かったのは、高1のあたしの誕生日のときのことだ。 仁王くんは、プレゼントと称し、ファミハのとろけるプリンだと偽って、中身だけを卵豆腐とすり替えて冷蔵庫に入れておいたのだ。 ファミリーハートのとろけるプリンはあたしの大好物で、当然あたしは大喜びで食べた。 口の中に入れてから、卵豆腐だと分かった時の衝撃は、もうとても言葉では言い表せない。 あたしは卵豆腐が死ぬほど嫌いなのだ。 あんなに腹が立ったのは、仁王くんに騙されてお弁当を全部食べられてしまった時以来だった。(なんだかあたしがすごい食いしん坊みたいだけれど、食い物の恨みは恐ろしいのだ。)
 その時だって、悪いのは絶対に仁王くんなのに、仁王くんだけでなく他のみんなまでゲラゲラ笑ってあたしをバカにした。 頭が悪いことで有名な切原赤也までもが、「食べるまで気づかないなんて馬鹿でしょ」と言ったのだ。 あたしを指さして笑いながら! まったく、失礼にもほどがある。

 最上級……いや、最悪にひどかったのは、高2の夏。
 仁王くんは深刻な顔であたしに耳打ちした。
「野球部の鈴木、知っちょろうが?」
「え、うん、そりゃ知ってるけど、」
 野球部の鈴木くんといえば、エースで4番、背は高いし笑うと爽やかだしで、テニス部の面々に勝るとも劣らない人気を誇っている。 バレンタインのチョコランキングでも、幸村くんの次ぐらいにもらっているという噂があるほどだ。
「あいつ、どうやらお前さんに気があるらしいぜよ、」
「ええ? うっそぉ! そんなんあるわけないじゃん、また騙そうったってそうはいかないよっ」
「ほんまじゃき。 嘘じゃー思うなら、よう気ィつけて見てみんしゃい」
 仁王くんの顔があんまり神妙だったから、あたしはドキッとしてしまった。
 鈴木くんとは、1年の時に文化祭の実行委員会が一緒になったことがあって、まあちょっと仲良くはなったものの、それ以外ではほとんど話したことはなかった。 しかし委員会の繁忙期には夜遅くなってから一緒に駅まで帰ったりして、なかなかイイ雰囲気じゃん、などと勝手に浮かれたりしたものだった。
 仁王くんに言われてから鈴木くんに注意してみると、気のせいかよくこっちを見ているような気がした。 そしてあたしが見ると、パッと目を逸らす。
 あれぇ? と思うことが増えた。 これは、もしかしてもしかして……、
 そう思っていたら、仁王くんが言ったのだ。
「お前さん、鈴木んことどう思っちょるんじゃ」
「えっ、ど、どう……って、」
「あっちはマジじゃき、ハッキリしてやらんといかんぜよ、」
「ハッキリ…?」
 仁王くんはやはり真顔だった。
「野球部はこの夏が勝負なんじゃけぇ、野球に集中させちゃらんとのぅ、」
「……そっか、」
「プリッ」
 確かに、エースで4番、チームの中心選手の鈴木くんが、他のことに気を取られていたんじゃ困るだろう。
 そうは思ったけれと、まだ半信半疑だったあたしは、モヤっとしながらも特に何もしなかった。
 ところが、いきなり鈴木くんからラインが来たのだ。(委員会の時に交換したけれど、委員会が終わってからは全然連絡したことはなかった。)
『ちょっと話があるんだけど、明日いい?』
 この少し強引な感じが鈴木くんらしい。 どちらかというと、ぐいぐい引っ張ってくれるタイプだ。
 あたしはもちろん『いいよ』と返事をし、場所と時間を決めた。
 翌日の昼休み、あたしは大急ぎでお弁当を食べてしまうと、屋上へ行った。 そこを指定されたからだ。
 まだ夏の初めで、日差しは強いけれど気持ちのいい風が吹いていた。 でもあたしは、そんなことにも気がつかないくらい緊張していた。 男の子に呼び出されて二人で会うなんて、初めての経験なのだ。
 鈴木くんはあたしより少し遅れて来て、挨拶もそこそこに、いきなり切り出した。
「あの、さ。 話っていうのは、その……、」
「う、うん、」
 鈴木くんがとっても深刻そうな顔をしているから、あたしは超ドキドキしてしまった。
 これは、もしかして、もしかして、本当に……?
 男の子に告られるなんて、16年の人生で初だ。 こんなとき、どうしたらいいんだろう?
「ごめん!!」
 鈴木くんは、顔の前でパン、と両手を合わせた。
「……は?」
「俺さ、悪いけど……、佐久間の気持ちは嬉しいんだけどさ、俺、お前のこと、友達以上には見れないんだよ、」
「はあ? あたしの、気持ち……?」
「それに今は野球のことしか考えらんねーからさ。……ほんっと、悪い! ごめんな、」
――、」
 あたしが頭真っ白になっているうちに、鈴木くんは勝手に言い訳し、爽やかに謝ってさっさと立ち去ってしまった。
 ――え、一体どういうこと……? あたしの気持ちは嬉しいって、……どんな気持ちよ、
 呆然と立ち尽くしていると、どこからか、くつくつと押し殺した笑い声が聞こえてくる。
 いやーな予感に支配されつつ行ってみると、やっぱりと言うかまたしてもと言うか、給水タンクの影に仁王くんが座り込んで、肩を震わせていた。
「ちょっと……、どういうことよっ」
「くっくっく…、ほんま、伊織は退屈せんのぅ、」
「やっぱりアンタの仕業かっっ!!」
 仁王くんは「プリ」と言うこともできないくらい、涙を流して笑いころげた。
 怒り心頭に発す、とはまさにこのことだ(と、あとで柳くんが教えてくれた)。
 この一週間ばかりのドキドキそわそわ、ラインで約束してからのウキウキ、そして屋上でのときめきは何だったのだ。 人生初の告られ体験を返せと言いたい。(あとで愚痴ったら、柳生くんが「厳密には告られていないのだからその表現は適切ではない」とご丁寧に指摘してくれた。)
 というか、人生初の「告られ」ではなく「フラれ」体験になってしまったのだ。 これはどう考えてもおかしい。 なぜあたしがフラれなければならないのか? 告るどころか好きになってもいないのに。
 しかし仁王くんはしれっと言ったのだ。
「ええ練習になったじゃろ? これからフラれた時のための練習じゃ。なかなかできん、貴重な体験ぜよ」
 何と口の減らない男か。 これほどふてぶてしい奴が他にいるだろうか。

 そうして、この寛大なあたしも、ついに堪忍袋の緒が切れた。
 おのれ仁王…!! 騙されっぱなしにしておくものか…! やられたらやり返すのだ。 目には目を、だ。


***


 あたしは今日、仁王くんに告る。
 なぜかって、今日が4月1日だからだ。
 仁王くんは365日いつでもあたしを騙してきたのだから、本当は別にこの日じゃなくてもいいはずだけど、健全な良識を持ち合わせているあたしにはハードルが高い。 この日なら、良心の呵責もなく騙せるというわけだ。
 この日のために、計画も練ったし練習も重ねてきた。 間違っても告白の途中で笑いださないように、むしろ涙の一つもこぼせるように、鏡の前で一生懸命練習したのだ。
 それでも、前日にラインで「話があるんだけど、明日、部活の後いいかな」と送ったときは、正直言ってかなり緊張した。

 部活の間は忙しくて(言い忘れていたが、あたしは男テニのマネージャーだ)、その後のことまで考えている余裕はなかった。 何しろ立海テニス部は全国区だ。 入学式の前から新1年も練習に加わっているし、春休みと言えど年度の変わり目は本当に忙しいのだ。
 やっと夕方になって部活も終わり、後片付けをし、もろもろの雑事を済ませて最後に部室を出ると、仁王くんがクラブハウスの壁にもたれて立っていた。
 部室のすぐ脇に、大きな桜の木がある。 今まさに満開の桜から、仁王くんの上にはらりはらりと花びらが散り落ちてくる。
 それは絵画のように美しい風景だった。
 あたしが思わず立ち止まって見とれていると、仁王くんがこちらに歩み寄ってきた。
「おう、お疲れさん、」
「っ、あ、うん…、お疲れ、」
 なんだか、いつもより笑い方がやさしく見えるのは、……きっと桜のせいだろう。
「どうする? モックでも行くか?」
「あ、ううん。 ここでいいよ、」
 もうみんな帰ってしまって、近くにいるのはこの桜だけだ。
「……で? なんじゃ、話って」
「あー…うん、」
 あたしはうつむいて深呼吸をした。 大丈夫大丈夫、あんなに練習したんだから。 落ち着け、落ち着け、
「あの、あのね、」
 あたしは思い切って顔を上げた。 緊張のあまり涙目になっているのを自覚する。
 仁王くんはあたしをじっと見つめていた。――うわっ、なんなのだ。 なぜこういう時に限ってそんな顔をする?
 はからずも、かあっと顔に血が集まり、暑くもないのにじっとり汗ばんでくる。 動悸はさっきからずっとヤバい。
「あの…、あのね、あの……あたし、……に、仁王くんのこと、……」
 がんばれ自分! 
 今までの、あの屈辱にまみれた腹立たしい日々を思い出すのだ。 健全な良識や感傷に負けるわけにはいかない。
 あたしは目をぎゅっとつむった。 本当は目を見つめて言うつもりだったけど、もう無理。
「あの、あの、ずっと……、ずっと前からっ、その、す、スキデス! つっ、つき、つき合ってくださいっっ」
 言った!! 全然練習どおりにいかなかったけど、言った、言い切ったぞ!
 はーっ、と息を吐いて、さて仁王くんの反応を……と思ったとき。
 視界がさえぎられ、身体がふわっと包まれた。
 ――え?
「俺も好きじゃ、」
 声が近い! と思ったら、抱きしめられていた。 仁王くんに!
「ずっと、好きじゃった」
「はああ?!」
 思わずドンと突き飛ばした。――何ですってえ?! シナリオと全然違う!
「なっ、何、何を、言って…るのかなっ」
 仁王くんはちょっと驚いたような顔をして、
「なにって…、俺も好きじゃー言うたんじゃが…」
「は、何を…何言ってんの、何言ってんのっっ」
「伊織こそ何を言うとるんじゃ。 お前さんが先に告ったんじゃろうが」
「っ、……うそ、でしょ、」
 あたしは今、どんな顔をしているだろう。
「嘘なんでしょ? 騙されないよ! だって今日はエイプリルフールだし!」
「エイプリルフール?」
 仁王くんはキョトンとした顔で首をかしげた。 あくまでもしらばっくれるつもりか!?
「そうだよ! 今日は4月1日だよ! 嘘ついてもいい日なんだからねっ」
「…………」
 仁王くんの顔が、少し変わった。
 桜の花びらが、はらりはらりと舞い落ちる。
「本当だと思った? あたしが仁王くんを好きなわけ、ないじゃん! いつもいつも、ひどいことばっか、……」
「…………」
 ずるいよ、仁王くん。 なんでそんな、
――ピヨ、」
「い、いつも、騙されてるから……、お返しだよ……、」
 なんでそんな、
「そうか、」
――っ、」
 桜が、舞い落ちる。 はらり、はらり。 仁王くんの上に。
 ずるいよ、仁王くん。 なんでそんな、……
「だ、だって、いつも、仁王くんが……っ」
「それはすまんかったのぅ、」
 仁王くんが、ふっと微笑った。 
 ずるいよ、仁王くん、
 なんでそんな、哀しそうな顔するの?

 仁王くんが立ち去った後も、あたしはその場から動けなかった。 まるで足に根が生えたみたいに。
 はらり、はらり、
 ああ、桜の花びらが、なんてきれいで、なんて悲しそうに散っていくのだろう、……


***


 翌日から、仁王くんはあたしを一切からかわなくなった。 それどころか話もろくにしない。 挨拶だけはしてくれるけれど、その時も寂しそうに唇の両端をちょっと上げるだけ。 あんまり露骨だから、他の部員たちも変だと思ったらしい。

「喧嘩でもされているのですか、」
 柳生くんが眼鏡を光らせて訊いてきた。
「ううん……、ケンカじゃない、よ、」
 ケンカのほうがまだましだ。
「おや、そうですか。 それならどうされたのです?」
「うーん……、あの、仁王くんに訊いてみた?」
「はい、訊いてみましたが、……」
「何て言ってた?」
 柳生くんは答える前に眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げた。
「いえ、特に……、何もないと言っただけです」
「ふうん、」
 柳生くんにも何も言わないなんて、そんなにショックだったのかな。 あの仁王くんが…?
「何があったのですか?」
「うーん…、あの、実は……」
 迷ったけれど、あたしは柳生くんに打ち明けることにした。 ちょっと一人で抱えているのはしんどかったから。
 でも「好きだ」って言われたことは話さなかった。 恥ずかしかったこともあるし、それに、なんとなく、話してはいけないような気がしたから。
 話し終えても、柳生くんは表情を変えなかった。
「なるほど、そんなことがあったのですね、」
「あたし……、ほんの、冗談のつもりだったんだけど、」
「そう…ですか、」
「でも、なんかさ、仁王くんすごい深刻な顔っていうか……、なんか、全然、怒ったり笑ったりしなくて……、」
 そうだ、あたしのシナリオでは、仁王くんは騙されて怒るはずだったのだ。 怒ってる仁王くんを指さして笑ってやる予定だったのに、
「大丈夫ですよ。 きっと明日には元通りになっていますよ」
「そうかなぁ……、」
「はい、きっと」
「あたし、謝ったほうがいいのかな、」
 柳生くんはにっこり笑った。
「それを決めるのはわたしではありません」


 そうこうするうちに入学式や始業式も終わり、あたしたちは3年になって、クラスも新しくなった。
 桜もすっかり散ってしまった。
 それでも、何日経っても仁王くんは変わらなかった。 相変わらず、あたしには挨拶とか必要なこと以外はまったく関わってこない。 そして、明らかに元気がなかった。 校内で噂になるほどに。

「ねえ、仁王くん最近どうしちゃったのかなぁ」
「元気ないよねー」
「なんか好きな子にフラれちゃったとかって聞いたけど……」
「えーっ、マジで?」
「マジマジ。 チャンスかもよー」
「なーんかさ……、今の仁王くんって……、ねえ?」
「うんうんうん! 分かる分かるー! なんか支えてあげなきゃーみたいな?」

 そんな声が聞こえるようになり、実際、今まで以上に仁王くんに告白する子が増えたらしい。(これは丸井くんの証言による)
 それもうなずける、とあたしは思った。
 とにかく今の仁王くんは寂しげではかなげで、支えてあげないと倒れそうな、そんな危うい雰囲気なのだ。 それは女の子たちの敏感な部分を刺激するのには十分だった。
 ましてやあたしは、その原因が自分だと分かっているのだから、なおのこと平静ではいられなかった。
 しかも仁王くんは、いくら告られても全部その場で断ってるって聞いたからなおさらだ。
 どうしよう、どうしよう、
 あたしの軽率な嘘のせいで、仁王くんがあんなに傷つくなんて、……そんなつもりじゃなかったのに。 いつも仁王くんがあたしにやってたみたいに、ちょっとからかって、いつものお返しだよって笑って、仁王くんもすぐに笑って許してくれるって、思っていたのに。
 仁王くんがこんなに傷つくなんて、想像もしていなかった。
 あたしは、なんて酷いことをしてしまったのだろう。
 なぜ、あんな馬鹿なことをしようなんて思ってしまったのだろう。……

 散々思い悩んだ末に、やっぱり謝らなきゃいけないという結論に至った。
 突然そう決めたのが4限目の英語の時間で、一度決めたらもう居ても立ってもいられなくなって、昼休みになると同時に教室を飛び出した。 そしてほとんど走るようにして屋上へ向かう。 きっと仁王くんはそこにいると思ったから。
 果たして仁王くんはいた。 いつものように、ダルそうに給水タンクにもたれて座っていた。
 あたしが息を弾ませながら近づいていくと、仁王くんは黙って立ち上がってこっちへ歩いてきた。 でもあたしの顔を見ようともしない。 明らかに、あたしを無視してドアのほうへ向かっている。 あたしがこんなに泣きそうになってるのに、……
 すれ違ったとき、あたしは叫んだ。
「仁王くんごめん!!」
 仁王くんの足音が止まった。 
「ごめん、ほんとに、ごめんなさい。 ひどい嘘、ついて……、ほんと、ごめんね、」
 振り向いたけれど、仁王くんは振り向かない。 あたしは仁王くんの背中に訴えた。
「ごめんね、……あたし、まさか、仁王くんが、あたしのこと好きだなんて、ぜんぜん……」
 仁王くんの背中がピクッと動いた。 そうしてゆっくり振り向く。 すこぶる不機嫌な顔。 もしこれが漫画なら、顔の上半分にはタテ線、頭には血管マークがあるだろう。
「……何を言うとるんじゃ」
「え、だから……、ごめんって、」
「俺が、お前さんを、好きじゃと……?」
「え、だって、あの時、」
「あの日はエイプリルフールじゃろうが」
「…………」
 今度は「何言ってんの」とこっちが言う番だ。
 もしあれが嘘なら、一体どうして今まであんなにヘコンでいたのか、説明してもらいたい。
 ――とは思ったけれど、あたしはグッとこらえた。 とにかく今は、自分のほうが立場が弱いのだ。
「あー……、そう。 んじゃ、それは取り消すよ」
「プリッ」
「えーっと…、じゃあ、許してくれるってことで、いいのかしら?」
「なんでじゃ、」
 依然、仁王くんの機嫌は悪い。 でもあたしは、こんなふうに話せているだけで、もう目的の半分以上は達成した気分だった。
「え、だって、謝ったし…」
「お前さんの言うことは信用できん」
――、」
 アンタにだけは言われたくない、と喉元まで出かかった言葉も、あたしはすんでのところで飲みこんだ。
「……じゃあ、どうすれば許してくれるの?」
「お前さん、ウソ発見器って知っちょるか?」
「はあ?」
 急に話が飛んで、目を白黒させているあたしにお構いなく、仁王くんは続ける。
「あれはのう、こっちから質問して、全部に『はい』で答えるんじゃ。 その時の脳波とか脈拍数とかを見て、嘘つきよるかどうか見極めるんじゃ、」
「あー、なんかテレビで見たことある、……けど、それが……?」
 意味が分からず「?」をいっぱい飛ばしていたけれど、仁王くんは至極まじめな顔。
「じゃけえ、今からお前さんをテストするぜよ」
「は、テスト? なんで? つか何のテスト???」
 マジで話のつながりが見えないんですけど……、ほんと、何言ってるのこのヒトは。
「俺がする質問に、すべて『はい』で答えんしゃい」
「えええ? ……だって、でも、ちょっと待ってよ、ウソ発見器なんかないし。 脳波とか脈拍数とか……」
 すると仁王くんは、あたしの手首をつかんだ。
「脈拍はこれで分かるぜよ。 汗かいちょるとかも分かる」
「っ、ちょっ!!」
 何を言って…、
「1問目。 お前さんは高校生ですか」
「えっ、ちょ、何? 何言ってんのっ」
「じゃけえウソ発見器じゃ。 ちゃんと『はい』で答えんしゃい」
 仁王くんはすました顔で、さっきの質問を繰り返した。
 わたしは納得がいかないながらも、罰ゲームみたいな気持ちで答えた。 今回ばかりは、先にわたしのほうが悪いことしちゃったという負い目があるから、そこまで邪険にもできない。
「……はい、」
「2問目。 お前さんはテニス部マネージャーですか」
「はい」
 仁王くんはニヤリと笑った。 久しぶりに見る顔だ。
「おんや? ちょっと脈拍数上がったぜよ。 嘘なんか?」
「んなっ、何、言ってんのよっ」
 だいたいさっきから何なのだ、このワケの分からないゲームは! こんなので嘘が分かるわけないのに。
――こっからが本番じゃけぇ、」
 手が、ぐいっと引かれたと思ったら、仁王くんの胸にドンとぶつかっていた。
「これでもっとよく分かるぜよ、」
「っ!!」
 背中に仁王くんの腕を感じる。 なっ、何これ!
 しかし文句を言う前に、仁王くんが言った。
「伊織は俺が好きか?」
「っ、なっ、」
「質問にはすべて『はい』で答えるんじゃ」
――っ」
 何それ! 何その謎ルール! 罰ゲームにしても謎すぎませんか。
 固まっていると、背中の腕に力がこもった。――うわっ、……
「早よう答えんしゃい」
「…………」
「聞こえんぜよ」
「はい!!」
 くっくっく、と押し殺した笑いが聞こえる。 それと連動して仁王くんの胸が揺れる。
 ……何なの、これは、もう、……
「伊織は俺とつき合いたいんじゃろ?」
「っ……」
「聞こえんのう」
 もう我慢の限界だった。 ドン、と仁王くんの胸を両手で突いて押しやる。
「もう、やだっ、何なのっ」
 こんなのおかしい、と言おうとしたけれど、言えなかった。
 仁王くんの唇にさえぎられて。
――
 触れた唇は、すぐに離れて、またすぐに重なった。
 膝の力が抜けて、がくんと膝をつく。
 仁王くんはキスしたまま、背中を支えてくれた。

 頭に靄がかかり、思考も何もかも奪われる。
 ぜんぶ、どうでもよくなっていく。
 今までさんざん騙されてきたことも、
 仁王くんのあの告白が、真実だったのかエイプリルフールの嘘だったのか、なんてことも、
 あの時の仁王くんの哀しそうな顔は、
 なんで今、こんなに切ない顔をしてわたしにキスしてるのか、……
 
 もう、何だっていい。
 仁王くんがどう思っていたって構わない。
 薄れゆく意識の中で、最後に考えたことは、ウソ発見器のルールなんて関係なかったんだってこと。
 結局、何がどうなっても、わたしの答えは「はい」だった。

 それ以上考えることを放棄して、あたしは仁王くんの背中にぎゅっとしがみついた。……
 




'21.04.17.



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