ノー・エスケープ


ひらひらと舞い落ちる桜が目の前を通り過ぎていった。
ふと顔をあげるとすでに満開をすぎた葉桜が風に揺れて、何枚もの桜をその身から剥がしている。
「もうそろそろお開きにせんと、こんなんなるで」と言われているような気分になってチラリと横を見るも、そんなこと微塵も考えてないような飄々とした顔と透明感のある顔が揃っとった。

「さて、どうするか、やの」
「残ったのは僕らだけだね、どうする忍足?」
「んー、そやなあ」

飲みたりん、というのが俺、仁王、不二の意見やった。せやけど意見が一致したのはこの3人だけ。
U−17(アンダーセブンティーン)の同好会は昼の12時開始やった。いまは夜の8時。夕方4時に二次会で残ったのは9人。そこから、「さすがにもう帰る」となったのが6人。とくに用事もなく、まったく酒に酔うこともなく、残ったのが俺ら3人やったっちゅうわけや。

「自分ら、このへんの店とか知っとる?」
「適当なところに入ればいいんじゃない?」
「俺もあんまりこのあたりは詳しくないんやが……1店舗だけ、知っちょる店がある」

成人してから何度も飲みで顔を合わしとる仁王と不二やけど、こいつらの酔ったとこなんか見たことない。まあそれはお互いさまや。俺も仁王も不二も、そこそこ飲んでも酔えへん体質のおかげで、8時間ぶっ通しで飲んでもこの有様。
っちゅうのに、この歓楽街に詳しくない俺らがただ歩きながら店を探しとったところで、仁王がスマホを取り出して、なにやら検索しはじめた。

「お、あったあった。有効期限もばっちりやのう」
「なん? サービス券かなんか?」
「ん。会員制ラウンジなんやけど、まあ、なかなかええ雰囲気でな」
「僕たち3人でいい雰囲気にする必要って、あまりない気がするけど……」ごもっとも。
「そう堅いことを言いさんな不二。誰が俺ら3人って言うた」
「え?」
「この店に行けば、女がわんさかおるぜよ」

仁王のそのニヤリとした顔と発言に、しらっとしたのは俺だけやなく、不二も同じやった。
お前……もうそんなん、20代で楽しみ尽くしたんちゃうの。

「いいよ、僕はそういうのは」
「俺もええ。わざわざ行ってもこっちが気い使って終わるだけや、たいてい」

俺と不二がきっぱりと断ると、仁王は「は?」と返してきた。「お前ら勘違いしとらんか? キャバクラやないぞ」
「じゃあクラブ?」発音が平坦なほうのクラブで不二が問いかける。
「すっかりおじさんやな、忍足も不二も」
「お前と同い年やっちゅうねん」
「相席居酒屋って知らんのか」
「え?」
「は?」

今度の「は?」は俺の番やった。
聞いたことはあった。要するに店側が安く運営できるキャバクラみたいなもんや。
女性客は完全無料につられて何人かで入ってくる。男は女に会いたくて、その支払いを全部男が持つのを承知で入ってくる。男女グループ同士で相席マッチングさせるシステムで、ここ数年で急成長したジャンルの出会いの場、それが相席居酒屋や。
聞いたことあるってわりに、えらい詳しいな、俺……。

「まあ、ものは試し。この時間まで散々むさ苦しい連中と飲んだんやし、女おったほうが気分もええやろ」
「いや、仁王、ええって……」
「僕も興味ないなあ」
「どうせお前ら……俺もじゃけど、女もおらんし。誰に文句言われることもないわけじゃし」

俺と不二の言うことにまったく耳を貸さず、仁王はすたすたと歩きだした。
不二と顔を見合わせたものの、小さくため息をついた不二も無言で歩きだす。
ま、社会見学か。と思って、俺も結局ついていった。
店内は、薄暗い照明がゆらゆら揺れていた。想像しとった相席居酒屋とは程遠い、いかにものラグジュアリー感。円形ソファやテーブル席、バーカウンターまで設備されとって、まるでニューヨークのパーティー会場や。都会のど真ん中やとこうなるか、と思いつつ、店員には「マッチング決定までこちらの席でお楽しみください」と中央からは少し離れた場所に通された。
その後ろで、男女の楽しそうな会話が聞こえる。

「へえ、メッセージアプリを入れてないって、めずらしいですね」不思議がっとる女の声。
「俺、ああいうの嫌いなんだよね。なんか厄介事に巻き込まれそうでさ。ああいうシステムが日本の陰湿さを増長させてるよ」偉そうな男の声。
「まー、そういう意見もあるかもねー」さっきの女の声。
「……それはメッセージアプリがあるから、いじめが起こるってことですか?」やけにつっけんどんな女の声。「どういう根拠があって?」またつっけんどんな女の声。あれ、なんやキレてはる?
「根拠とかそういうんじゃないけどさー」偉そうな男の声。

って、全然楽しそうとちゃうやんけ。
思わずそっと覗き見ると、眉間にシワをよせた女の人が、目の前の男を睨むように見ていた。
男のほうは3人おったけど、いまや完全にその女と男しかしゃべってない。間に割って入っとったと思われる女は「まあまあ」と苦笑いを浮かべてキレかけとる女をなだめようとしとる。その横にさらに女がおるんやけど、全然聞いてないのか、スマホをいじりだしとった。

「メッセージアプリで不穏な事件があることは理解できますが、それはメッセージアプリのシステムの問題ではなく、使う側の問題じゃないですかね」
「あのシステムが使う側の問題を考えなくさせてるよ」
「いや、普通の人が使えば普通に便利なだけなんですけど。それをシステムのせいにするのは責任転嫁じゃないですか」
「便利なのが手放しにいいってわけじゃないでしょ、だって」

めちゃくちゃ喧嘩腰なんやけど、相席居酒屋ってこんなの? いやこんなんちゃうよな。周りめっちゃひいてるやん。こんな気分悪くなるために来たんちゃうやろ、みんな。
ああ、端っこの女、完全にスマホでなんか映像を見だしたで。

「忍足? どうかしたんか?」
「ああ、いやちょっとな……不穏な……」
「ねえ仁王。あの人たちかな? 僕らの相手」

不二の声に振り返ると、えらいケバくて露出の高い姉ちゃんたちがこっちに向かってきとった。
うっわ、あの女どもの相手すんの? 無理や、キャバクラと変わらへんやないか。

「すみません、席を変えてもらえます?」

そう思ったとき、近くの店員を捕まえて、さっき仲介に入ろうとしとった女がピシャリと言った。まだそこに男3人おるのに、すごい度胸やなあの人。
店員は困惑した顔で「ちょっとお待ちいただけますか」と眉を八の字にしている。
あれ……でもこれ、チャンスちゃう?

「あの」
「え?」
「俺らでどうですかね」

気づいたら、俺はそう言っとった。
立ち上がってほかの席に向かってナンパしとる俺を覗き込んだ仁王と不二が、「よくやった」と言っているような視線で俺を見据えとった。





まあつまり、仁王も不二もあのケバい姉ちゃんたちは勘弁やったっちゅうわけやな。
困り果てた店員をなんとか言いくるめて、俺らは奥まったところに位置する円形のソファ席で、希望どおりのマッチングを果たしとった。
男3人、女3人で固まって座った距離感が、いかにも相席居酒屋っぽい。結局、こうやって手っ取り早い合コンするための店なんよな、ここ。

「ほんじゃまあ、自己紹介から。俺は仁王雅治」
「不二周助です」
「忍足侑士です」

斜め前の、度胸ある女の人がわずかに首をゆらゆらさせてなにか期待するように俺らの顔を見ていく。きょとんとした俺らを気にもせず、彼女は声を発した。

「3人合わせてー?」
「……え、なに期待してはるん」
「あれ、言わないのかな」
「ちょっと千夏さん……」ついさっきまでキレとった人が、笑いをこらえながらたしなめる。
「パフュームです! みたいな!」満面の笑みでボケてはる。
「くくっ。それ言うなら、そっちじゃろ」
「もう千夏やめてよホントにー」
「ごめんごめん」
「ふふっ。面白い」
「ノリがええ人らでほっとしたのう」

どこにでもこういうムードメーカーはおる。
おかげで、自己紹介の堅苦しさからくだけた笑いが広がって、全員が肩の荷をおろした。
だいたい、飲みやのになんで緊張した気分で飲まなあかんねんって話や……まあせやけど、ものは試しっちゅう仁王の誘いに乗ったのは、悪くなかったかもしれん。非現実感が、ちょっとおもろい。

「ええと、わたしは吉井千夏です」と、ノリがよくて度胸のある女の人が言った。
「あたしは柚子っていいます」さっきスマホでどうでもよさそうにしとった女の人。打って変わって、めっちゃ目をきらきらさせて不二を見とった。なるほど、そこはもう納得したわ。好きにしてくれ。
「……」で、さっきキレとった人。

え、なに黙ってんの。

「……あの、名前、聞きたいんやけど」

俺が問いかけると、彼女は本気でいま気づいたみたいな顔をして俺を見た。

「あっ! ごめんなさい。あ、わたしは、佐久間、佐久間伊織って言います!」
「なんで苗字、2回言うたんいま?」
「いやなんかちょっと! わかんないっ」

俺のツッコミに笑いそうになりながら、せやけどさっきとは別人みたいに微笑んで、佐久間伊織さんは俺から目を逸らして照れくさそうに、酒を口に運んだ。
めっちゃキツい人なんかと思ったけど、なんや、めっちゃかわいらしいやん。さっきのあれはなんやったんや……? まあさっきのは、相手も悪かったけど。思ったよりっちゅうか、すんごい穏やかそうな人やな、こうやって見とると。

「のう、千夏さんはいくつ?」
「へ」

直球で、仁王が千夏さんに視線を送る。お前な、それ千夏さんにしか興味ないって言うとるようなもんやぞ。周りのレディに失礼やろ……。

「うーん、ひかないかな」
「ひかんひかん。聞かせて」

せやけど全然、そんなこと気にしてなさそうに不二だけを見とる柚子さんと、まんざらでもないような千夏さん。伊織さんはニコニコとその様子を見ている。やっぱ穏やかな人や。俺が逆の立場やったらちょっとイラッとするけどな。

「えっとね、こっちの柚子が32で」
「ちょっとなんで勝手に言うの!」
「あ、でも僕らと同い年だね、柚子さん」
「え、あ、そうなんだ! 不二くんと……」

不二だけちゃうくて、俺らもなんやけど……不二もめっちゃええ感じに見てるやん。
もう好きにしてくれ。そこはもう成立やな、はいはい。

「それで、こっちの伊織さんが34で」
「そう、わたし34歳」へえ。伊織さん年上や。俺らの2コ上か。
「で、わたしが27歳」
「おい」
「おい」

すかさず伊織さんと柚子さんからのツッコミを受けて、千夏さんはケタケタと笑った。

「ははっ。千夏さん最高じゃのう」

仁王がめっちゃツボっとる。別にそこまでおもろいボケとちゃうけど、たしかに心得とる。せやけど、仁王がツボっとるのは、たぶん、千夏さんになんやろう。

「あ、仁王さん笑ってくれたー。嘘です、37歳です」
「おうー、お姉さんじゃ。もっと若いかと思ったんじゃけど」

たしかに、若く見える。それはええけど、伊織さんもお姉さんやで仁王。伊織さんにも構ったれよ。こっちがソワソワするわ、まだ会ったばっかりでそんな露骨なロックオンすんなや。

「てか仁王さんてどこ出身? うちの地元の口調にそっくりだよ」
「おー、そうなんか。千夏さんはどこ?」
「山口!」
「おうー、そうかそうか」
「仁王さんは?」
「知りたいか?」
「え、知りたい」
「じゃあ、席替えで俺のとなりに来て」
「えっ」

女性全員がポカンとしたのも気にせず、仁王はじっと千夏さんだけを見つめた。
もう好きにしてくれホンマに……と思って、俺は黙って席を立つ。

「はい、千夏さん。俺と交代」
「は、はい、すみません……」
「気にせんとき。ほな、伊織さん、よろしく」

伊織さんのとなりに座ると、その反動で揺れたソファがいっそう沈んで、伊織さんは困ったように身を縮めた。俺がこの人の相手せんと、もう全然、成立せんやんけ。





「伊織さん、趣味とかあるんですか?」
「あ……えっと、基本、インドアで」
「へえ、そうなんや?」
「ゲームとか、あ、音楽とか映画観るのも好きです」
「あ、俺も映画好き」
「忍足さん、どんな映画観るんですか?」
「ラブロマンス。男でこれ言うと、だいたい気色悪がられるんやけど」
「いやいやっ。趣味なんだから、いんですよ!」

いかにも合コンな他愛もない話で、俺と伊織さんは健全にその場を楽しんどった。
仁王の衝動ではじまった席替えから約30分。となりに座る仁王と千夏さんがきゃいきゃい言いよるその奥で、不二と柚子さんはじっと見つめあいながら会話しとる。
不二……お前なんだかんだ言うとったけど、めっちゃ来てよかったと思っとるやろ。まあええけど。
せかやら、めっちゃ健全なのは俺らだけ。
伊織さんは、俺がたいてい気味悪がられる趣味にも、にこやかに対応してくれる。仁王と不二には心のなかでいろいろ言うた俺やけど、ぶっちゃっけ、俺もこの人でよかったわ。
居心地がええ。年上効果もあるんか、落ち着いて話を聞いてくれはるし。なんか否定したりしいひんし。や、さっき別の男にはすごい剣幕で否定しはってたけど……。

「変わった趣味やったら、実はもういっこあって」
「え? 忍足さんの趣味? なんですか?」
「ひかんでや?」
「ひかないですよっ。そう言われると逆に期待しちゃうけど」
「いや俺な、ビックリマン好きやねん。昔っからあのシール集めて、いまも持っとる」

居心地のよさにかまけて、子どもっぽい趣味を暴露したら、伊織さんが目を点にして固まった。
……え、めっちゃひいてるやん。あかん、これは完全にひかれとる。

「あ……あ、やっぱそんな小学生みたいなん、ひくか」
「違うの、忍足さん」
「いやいや、ええんよ」あんまり伊織さんが優しいから、口を滑らした俺がアホやったんや。
「違うんだってば!」
「え、なにっ」

目を見開いて、ものすごい顔でこっちを見る。あかん、俺さっきのメッセージアプリ状態になるんちゃうかこれ。ようわからんけど怒られたらどないしょうっ。

「大好きなの」
「は……」え、お、俺のこと? い、いきなりそんな待って。ドキドキするやん、やめて。え、なんで俺、ドキドキしてんの。
「だから!」
「ちょ、ちょ待って、酔うてはる?」
「酔うてない! わたしも、大好きなの、ビックリマン」
「えっ!」

アホな勘違いして体温があがっていく俺に、その言葉はもっと衝撃を持って振ってきた。
思わずあげた歓喜の声に、自分でもびっくりするくらい舞い上がっとる。
ビックリマン好き? ホンマに言うてる? こんなことある?

「……ホンマに、伊織さんも?」
「うん! 奥が深いよね!?」
「うわあ、そんなことまでわかっとるん!?」
「だってあのシールの後ろに書いてあるテキストのセンスったらないよ!」
「ストーリーもすごいもんな!?」
「すごいすごい! ええー、こんなこと共感してくれる人が!」
「お、俺もびっくりや!」ビックリマンだけに!

いつのまにか、俺らは手を握り合って感動を伝え合っとった。テンションあがりすぎて。
お互い、それに気づいて、1秒くらい見つめ合った。気づいた瞬間に、またお互いがはっとして手を離す。
しょ、初対面の女の人の手ぇ、握ってもうた……なにしてんや、俺。あかん、調子狂った。

「あ、堪忍」……嬉しゅうて、つい。
「いや、いいんです。はは……」

ぎこちなく態勢を整えた伊織さんが、片手でパタパタと顔をあおぎだした。
胸の高鳴りが騒いできとるのは、十分に自覚しとった。いやいや、俺もうええ大人やん。手ぇ握ったくらいで、中学生やあるまいし。

「あー……えっと、伊織さん、ほかにはどんなこと好きなん? なんか俺ら、趣味合いそうやない?」
「あ、うん。えっと、えっとね、そうだな……あ、リアル脱出ゲーム!」
「リアル脱出ゲーム……」

あかん、行ったことない……。俺らの趣味が合うんは映画鑑賞とビックリマンだけか……。
いやけどビックリマンだけでもすごないか? 32年生きてきて、ビックリマンが大好きな人に会ったの俺、はじめてやで。

「へー、伊織さん脱出ゲーム好きなの?」
「え、そうだよ?」

と、若干の落ち込みと高揚感をないまぜにしとったら、仁王とイチャイチャしとったはずの千夏さんが話に入ってきた。
なんでこんなに気が合った瞬間に邪魔してくるんや、お姉さん。仁王とよろしくやっとってよ。
そんな俺の気もしらんと、千夏さんはずけずけとこっちに体を向ける。

「わたしそこの社長知ってるよ。こないだチケットもらった」
「ええええええっ! すごい!」
「ほう、千夏さん、顔が広いんじゃの」
「えーなになに、脱出ゲーム? あたしもそういうの好きかも」
「ふうん。柚子さんも興味あるの?」

いつのまにか不二と柚子さんまで入ってきとった。お前ら完全に俺の邪魔しにかかってきとるやろ。俺にも伊織さんとふたりでもう少しベッタリ話させてくれや。これからもっと共通点を探していくとこやっちゅうねん。

「仕事の関係で会ってさー」千夏さんは何食わぬ顔でつづける。「こないだ誘われたんだ。ほら、チケット2枚」と、財布をまさぐって掲げてきた。
「誘われた……?」ピク、と仁王の眉が動く。
「うん。気が向いたら誰か誘ってでもいいから来てほしいって。そのあとご飯に行こうって言ってたから、またなんか情報仕入れたら教えてあげるよ伊織さん」
「えーマジで! 超うれしい!」

と、伊織さんが両手を合わせて子どものようにテンションをあげたときやった。
仁王が、そのチケットを千夏さんの手からぶんどった。

「わあっ!」
「ダメじゃ」

またしても仁王の奇行(って、言うてしまってええやろ、もうこれは)に、今度は全員がポカンとする。お前……なにを怒ってんねん、32にもなって。

「これは脱出ゲーム好きな忍足と伊織さんで行きんしゃい。千夏さんはダメだ」
「え、なんで?」困惑しとる千夏さんが、呆気にとられて仁王を見上げる。

あんまり年上やと、こういう男のかわいい嫉妬に気づかんもんなんかもなあ。
あとな仁王、脱出ゲーム好きなのは伊織さんで、俺は別に好きでもなんでもないっちゅうか、行ったことないし、やでな……。けど……。

「じゃあ柚子さん、今度、僕と行こう? 脱出ゲーム」
「えっ、ホント!?」
「うん、忍足たちとは別のに行こう? ふたりで楽しめそうなところ」

もう好きにしろ。

「ねー、仁王さんなんでー……」
「とにかく、ダメじゃ」
「なんか怒ってるー……なんでー」

お前たちも、もう好きにしてくれ。

「ほな伊織さん、お言葉に甘えて、行こうや、これ」
「あ……はい! ぜひ」

俺も、好きにするで。





週末、都内某所のでかいライブハウスで俺らは待ち合わせとった。

「忍足さん!」
「おお、伊織さん! 堪忍、ちょっと迷ってしもて」
「ここ広いし、ちょっとわかりにくいもんね。あ、はい。これチケット」
「ああ、ありがとう。やっぱり伊織さんに預かってもらっとって正解やったわ。俺やったら失くしとったかも」
「えー、そんな感じに見えないけど」
「いやあ、これでもええ加減なとこあんねん」

ホンマは、もし伊織さんの気が変わったら、彼女が誰かと行けばええって思ったから預けとった。
あの日は全員で酒入っとったで、みんな気分もあがって、さほど好きでもない相手がめっちゃ好みに見えたりすることもある。
せやから、よう考えたら違うってなったのに、チケット俺が持っとったら伊織さん、せっかくの大好きな脱出ゲーム来れへんし。そんなんちょっと、かわいそうやし。

「今日はなんか、こないだとは雰囲気が違うね、忍足さん」
「あ、ホンマ? 伊織さんも、ちょっと違うかもな」

こないだはワンピース着てはったけど、今日はちょっとふんわりしたシャツにふんわりしたパンツで、ラフに決めとった。あの日も綺麗やったけど、今日の伊織さんはもっと素を出してくれとる気がして、余計に綺麗に見える……ちゅうか、ちょっと嬉しい。
せやけど伊織さんは、どう思っとるやろ。俺は変わらず、やっぱりなんか、この人のこと、好みやなあ……。なあ、伊織さんは俺のこと、男として見てくれてる?

「あんまり、スカートとかはかないんだよねー」
「そうなんや? よう似合っとったけどね」
「え、そうかな」
「うん。あ、ちゅうかそうか、ああいう場所に行ったってことは、気合い入れたっちゅうことか」
「あ、いやっ」
「そんで? 今日は気合い入ってないってこと?」

俺が探るように覗き込んだら、伊織さんは、ぎょっとしたように目を逸らしてうつむいた。
少しだけ深呼吸をするように、こくっと頷くようにして、その伏せた状態のままつぶやく。

「こ、これでも気合い、入れてきてるんだけど」
「……くくっ」
「え、なんで笑うの!?」
「いや、そんな顔でそんなん言われたら、ちょお舞い上がるなあって」
「……も、忍足さんからかうのナシ!」

パシッと軽く俺の腕を叩いて、伊織さんは急ぎ足で会場に向かった。

「あ、伊織さん、待ってえや」

うわあ……俺ら、めっちゃええ感じちゃう?
あかん、これからようわからんイベントに参加するっちゅうのに、なんやものっそいソワソワしてきた。






そんな女子高生みたいな気分も、会場入りして、なんか紙切れみたいなのを手首に巻かれて、どえらいオープニングがスクリーンに映し出されるまでのことやった。
会場には想像以上に人が押しかけとった。慣れとる伊織さんの誘導で、俺らは会場のなかでこのゲームから脱出するまでの流れを聞いた。

「つまり諸君は、機密文書を手に入れなければならない!」

どっかで聞いたことのあるような声優の迫力ある声で、それがこのゲームのゴールなんやとわかる。世界観も作り込まれとって、案外ちゃんとしたイベントなんやなと、妙に感心する。
スタートの合図とともに、一斉にわらわらと人が動きはじめた。伊織さんが俺の腕に触れながら、「忍足さん、先にこっち行こうよ」と服を引っ張る。
おお……なんかええな、これ。いや、すごいええぞ。最初のデートとしてはめっちゃええ選択やった気がする。仁王、お前のちっちゃい嫉妬に俺、感謝するわ!

「伊織さん、慌てたら危ないで?」
「だけど、時間制限もあるからっ」
「ああ、そなんや」
「忍足さんすごいのんびりしてるー。結構、難しいんだよ?」
「そうなん?」
「あ、見てあれ、1つめの謎だ!」

伊織さんが壁に貼り付けられた暗号みたいなのを指差した。
なにやらアルファベットと数字が羅列されとってえらいことになっとる。
伊織さんがうんうん唸りだした。周りの人らもなにやらスマホを出して調べとる。
はー、なるほど。謎解きやねんな、つまり。難しいって伊織さん、言うてはったけど……これって……。

「10403の素数は101と103やから……」
「え、忍足さん暗算?」
「ああ、数学好きやからね、俺」
「え……すご」
「伊織さん、これわかったわ。文章んなっとると思う。とりあえずこれと、あっちにもあるのは、『スタッフ』『ほうこく』『うえ』『の』って暗号文やね」
「えええええっ! はやっ」

1ブロック先にある張り紙にも似たような暗号があって、それも指差して答えると、伊織さんが驚いて声をあげた。
完全な素因数分解の暗号と、また別に違う暗号もあったけど、案外さくっと解けたで?

「ちょ……頭よすぎ、忍足さん」
「ええ? いやこんなん、誰でも解けるやろ」
「いや……次元が、ちょっと……」
「まあええから、次いこか」
「あ、うん!」

次からも多少は悩んだものの、1つわかったら簡単やった。解読された文章は、『に』『このみ』『まで』『のぼれ』。わかったのはええけど……なんのこっちゃ。

「忍足さん、全然わかんないや、わたし」
「うん、いまんとこ俺もわからん。でも解読だけはできるわ」
「それがすごい……だって1番だよ、ここまで来てるの」
「みんな、慣れとるわりに遅ない?」
「忍足さんが早すぎなんだってば!」

さらに俺らは先に進む。また暗号や……どこまで続けるねん、これ。えーっと?
『すき』『と』『して』……すき、と、して? ホンマ、なんのことや。

「ようわからんな。ここには『すき』ってのと接続詞の『と』『して』しかない」
「……忍足さん、もしかしてこれ……ここまであったアルファベット順に、並べ替えるんじゃないかな?」

伊織さんがはっとして気づいて、これまで集めた暗号文を並べる。
へえ、めんどくさ。
せやけどようやく見えてきた。俺らはそれを、声を揃えて読み上げとった。

「このみのスタッフにすきとほうこくしてうえまでのぼれ」





……は?

「す、好きと報告って……」伊織さんが顔を赤くしはじめる。
「あかん、間違ってたんかな」
「いや、こんな綺麗な文章になってるなら、これしかないと思う」
「いやいや、いくらなんでもこんなセクハラみたいなことするかいな?」
「可能性はあるよ」ギラ、と伊織さんの目が光る。

ああ、そうか……千夏さんのことセクハラとまではいかんけど、強引に誘っとった社長の会社がやることやでな。可能性は、あるか?

「てことは……」

俺と伊織さんは、ふたりで近くにおるスタッフを見渡した。
ちょお待て、無理くり好みの人を見つけて「好き」って言わなあかんってこと?
なんやこの、恥ずかしいを通り越した、とてつもない罰ゲームは……。

「ど……どうしようか」伊織さんは、ますます顔を赤くしとる。
「そ……どっちか代表が、やらなあかんってことやよね?」
「たぶん……」

俺がやるか? いやいやそんな、伊織さん以外の人に伊織さんの前で「好き」とか言うなんてごめんやで、いくらゲームでも。
せやけど、伊織さんがほかの人に「好き」って言うのも……なんか、なんかちゃうやろ! いや知らんけど!

「おた、お互い行こうか、忍足さん!」
「え」
「だってほら、そっちのほうが確実じゃない?」

どういう意味の確実なんや……ようわからんけど、伊織さんはそう言って、覚悟を決めたように背中を向けて歩き出した。
まあたしかに? こんなんゲームやし、真面目に考えてどうすんねん。わかっとるよ、俺かて。
よっしゃ、やるしかないんやんな。別にええわ、「好き」なんて減るもんちゃうし、しかも伊織さんあっち行ったで、この告白が見られることもない。
俺は意を決して歩き出して、いちばん近くにおった女性スタッフに声をかけた。

「あの」
「はい」
「す、す……」
「……はい?」

あかん、言葉が出てこうへん。しかもこの女の人、めっちゃニヤニヤしとる。
これだけでもう、正解やったんやとわかるけど……言わな次の段階に行けへんのよな?
言えや忍足侑士。「好き」や。「好き」って言うたらこのゲームの次の段階にいけるんや。簡単や、たった二文字やないか。伊織さんが大好きな脱出ゲーム、ここで終わらせたら忍足侑士の名が廃るやろ。

「す……」
「……す?」

スタッフさんは辛抱強く待ってくれとった。せやけど、全然、俺の口が動いてくれん。
ああ、あかんか。俺、変なとこでクソ真面目やからな。わかっとる、そういう自分がおること。やって、嘘でもそんなん、想っとる人がおるのに、想ってもない人に言いたかないねん!

「すんません、やっぱええです」
「え!」

くるっとスタッフさんに背中を向けて、完全に敗北感を味わった俺は、伊織さんの背中を探した。モタモタしとったせいか、わらわらと何人か、すでに集まってきとる。
自然と人がむらがっとるところを見ると、そこに、伊織さんの姿があった。その目の前に、男のスタッフが笑顔で突っ立っとる。遠目から見ても、まあまあなイケメンや。参加者がやりやすいようにしとるのはわかる。せやけど俺は、弾かれたように足を早めた。

「えーっと、す、す」
「伊織さん!」

すでに告白しようとしとる伊織さんの背中に、思わず声を張った。イケメンスタッフが俺を見てぎょっとしとる。お前どうせいままで散々「好き」って言われまくってきた人生やったやろ! 仕事でまでそんなモテたいんか殺すぞ!

「えっ? あ、忍足さん!」

伊織さんが俺に振り返った。まだよな? まだ言うてないよな? そんな、俺以外の男にそんな言葉、聞かせてないよな? ていうか、こいつのこと好みやから選んだん!?

「ひょっとして終わったんですか?」
「ちゃう、でも、言わんで!」
「え」
「言わせたないねん!」

イケメンスタッフが、とうとう目を丸くして俺を見とった。周りにむらがっとった女の人たちは、口々に「好きです」「はいどうぞー」「好きです」「はいどうぞー」って、あっさり立入禁止の階段に通されとる。
わかった、そういうからくりなんやな。全部わかった。せやけどあかん、これだけは。

「忍足さん……?」
「俺が、言う」
「はい?」
「伊織さんのはほかの誰にも、聞かせたないから。やで、俺が言う」
「え……」
「好きや」

困惑の色を見せていた目が、大きく見開かれた。
人前でなにしてんのか、自分でもようわからん。せやけど絶対にその言葉を聞くのは、聞かせるのも、俺やないとあかんし、伊織さんやないとあかん……。絶対に。

「好き」
「ちょ、忍足さん」
「好きなんや」
「ちょっと、待って」
「好き」

くり返される一方的な告白に、すぐそこにおるイケメンスタッフが、苦笑しはじめた。
一歩だけ俺らに近づいて、いまにも笑い出しそうな顔で告げる。

「えーっと。もうおかわりのようなので、進んでもらっていいですよ?」

真っ赤になってうつむく伊織さんの手を引き寄せて、俺はずんずんと、その誘導に進んで行った。





結局、機密文書を受け取るために必要な暗号文は、最後まで解くと『LOVE』やった。
伊織さんだけやなく、俺まで顔が熱くなりながらその合言葉をゴール前のスタッフに告げると、「脱出おめでとうございます」とにっこりと頭を下げられて、「はいどうも」としか返せへんかった。

「忍足さん、今日は、ありがとうございました……」
「ああいや……なんか、こんな脱出ゲームやとは、思わんかった、ね」
「そう……ですね」

食事でもして帰ろうや、って、言うつもりやったけど、なんとなしそんな空気とちゃうかって。
衝動的にした告白が、タイミング的に早すぎたんか、それとも、会って2回目で気味悪がられたんか……。
俺かて、全然そんなん、言うつもりなかったけど。しゃあないやん、暗号文あんなやったし、どうしても、俺以外の男にそんなん言うの、聞きたなかったし……。
ああ、俺もう、すっかり惚れとる。言葉にした途端、身に沁みて好きになってもうた。

「……家まで、送ろか?」
「それは、大丈夫です」
「あ……そっか」

そんなことすら拒否されるとか、もう情けない。せっかく恋の予感しとったのに……いや、もう恋しとったのに、いきなり玉砕って、目も当てられん。
くっそ仁王……全部お前のせいにしたる。こんな頭わいとるような脱出ゲーム押し付けよってからに……!

「でもあの……」
「ん?」

縮こまっとる伊織さんを見下ろすと、うつむいて深呼吸をくり返しとった。
あれ、なんかこんなシーン、さっき見た気がする。入場前……伊織さんと俺、ええ感じやって思った、あのとき。

「どないした? 大丈夫か?」
「忍足さん」
「うん?」
「あれは、ゲームだからですか」
「は?」
「その、ゲームだから、言ったのか、それとも……」

伊織さんの言わんとしとることが伝わって、急に心拍数があがりだす。
どういうつもりで聞いてんの? なあ、伊織さん。俺、本気にするで?

「ゲームだからならわたし、すごく不愉快」
「えっ」
「だってなんかもてあそばれてる感じだし、会って2回目でわたしみたいなの、そんな、そんなわけないし。だからやっぱり忍足さん、ふざけてたんじゃないかって。こんな歳になってそんなからかわれかたするの、結構、傷つくんです。なんかいろいろ期待してたから、余計にもう、怖いから、失恋とか。傷つきたくないし!」
「ちょ、ちょお待て、待て、伊織さん、落ち着き」

なんやこの人、スイッチ入るとめっちゃ急にキレだすな……いつもあんな穏やかやのに。俺そんな、ふざけた男に見える? 俺ってそんな、信用ないんかな。
もてあそんでるわけないやろ! 俺かてどんな思いであんなことしたと思ってんねん!

「だって……!」
「伊織さん」
「えっ」

そっと、伊織さんの肩に触れた。体が硬直して、まっすぐに俺を見つめる。
その瞳がぐらぐら揺れとって、いまにも泣き出しそうやった。
……あかん、わかってたけど、何度も再確認してまう。会ってたった2回で、俺、この人のこと、もう好きや。

「嘘ちゃうよ」
「え……」
「ゲームやから言うたんやない。ゲームやったとしても、言わせたなかった。俺も伊織さん以外の人に、言いたなかった」
「忍足さん……」

ようやく、力が抜けたみたいに伊織さんが笑った。大きな目が、さらに揺れた。
その視線に、めっちゃ好き、一緒になりたいって、俺の心臓が、訴えかけてくる。

「わたしも、好きです」
「……伊織さん」
「好きです、すごく、忍足さんのこと」





座敷の上やから遠慮がないんか、ひと通りネタバレを聞いた仁王が、だらっと壁に寄りかかった。
伊織さんと想いが通じ合ってから、さらに1週間が過ぎとった。

「やーっぱり、行かせんで正解じゃったの」
「だから雅治、それ誤解だって……」

2回目に会った千夏さんは、仁王の呼び方が変わっとった。
いや、あの脱出ゲームした感じやと、仁王の勘は当たっとる。誤解ちゃうやろ、ええ歳して鈍感な人やな。

「僕たちのとは全然、違うね」
「違う! あたしたちめっちゃホラーだった! でも楽しかったね!」
「ね。また違うの行こうか?」
「うん!」

不二と柚子さんの距離も、めっちゃ近くなっとった。
なーんやみんな、俺らよりも何歩も先に進展しとる感じやな。スタートダッシュ早すぎやろ。いや、俺が遅すぎなんか?

「まあ、好きにしたらええわ」
「でもみんな、元気そうでよかった!」

ニコニコと友人を見る伊織さんのとなりで、俺は目の前の連中に遅れを取っとる自分に、どうもしっくりきてなかった。
せやけどこんなこともあるんやな。あの日に出会った3人は見事にうまい具合にハマったってことや。いうて、俺と伊織さんは、キスもまだしてへんけど。

「ほな、近況報告は終わったで、帰ろ、伊織さん」
「えっ!? もう帰るの!?」

立ち上がった俺に、その非難めいた言葉とはうらはらに伊織さんはバッグを手にする。
ぷぷ……そういうとこ、めっちゃかわええ。なんだかんだ言うて、伊織さんは俺のこと、「好き」やもんな?

「もう1時間はおったやろ。もうええやん」
「でも……わたし千夏さんと柚子さんに会うの久々なんだけどな……」
「久々って、たかだか2週間ちょっとやん」

俺との時間のほうが多いからって、そんな寂しそうな顔せんとってほしいわ。それに見てみ、あのほかの女どもの目。伊織さんのことなんて、なーんも気にせんと彼氏に首ったけやで。女の友情っちゅうのも、結構いい加減なもんやな。

「じゃねー、またね伊織さん!」
「また飲もー! 今度は女同士で!」
「怖いなあ……なに話すの? みんなで」
「俺はどんな話されても、自信があるのう」

柚子さんが適当にあしらって、千夏さんが意味深な言葉で手を振って、不二が全然、怖くもなさそうに微笑んで、仁王はしれっと決め込んだ。
アホどものアホな会話を無視して、俺は伊織さんの手を取った。
これまでの会計は済ませとったで、あとで文句言われることもないやろ。

「忍足さん、なんか急いでる?」
「急いどるよ」
「ええ? なんかあるの?」
「そやね。伊織さんにとってはひょっとしたら脱出ゲームんなるかも」
「え?」

店の外に出て、しゃん、と背筋を伸ばす。
伊織さんの困惑も無視して、俺、今日めっちゃ決めようと思ってんねん。
どんなに伊織さんが嫌がっても、逃がす気ないでな。覚悟はええよな?

「せやけど、俺からは脱出できへんよ」

引き寄せた体をきつく抱きしめて、俺ははじめて、その唇に触れた。





fin.
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