おさないふたり


またかと思いながら見た招待状に、今回参加しようと思ったのは、何故だったんだろう。

「あんな、少数やと何回もしとるんやけど、今回のは本格的にやることにしてん」
「ふぅん」
「やからなるべく来て欲しいのよー。伊織どうせ正月は実家に戻ってきてるやん? あと、今回はアレや、タイムカプセル埋めたやん、みんなで!」
「ああ、二十歳になったら掘り起こそうとか言うてたやつやんね?」
「それそれ! あれさ、そのまんまやん。ダッレからも集合かけんし学校も声かけやんから。言うてるうちにうちら今年三十一やで!」
「何年寝かせとんねんっちゅう話よね。ええ加減やわあ」
「やろ? せやからアレ掘り出して、ほんで、飲み行くっちゅう流れなんよ。楽しいって絶対!」
「まあ、なあ……」
「各クラスの担任のセンセも呼んでんねん。久々に会いたいやん?」
「まあなあ……」
「ええ返事待ってるからねー伊織! よろしくね!」

小学校からやんわりと付き合いが続いている友人からの、突然の電話だった。
関西訛りが耳にこびりついて、さすがに東京に十年以上もいると、耳が標準語に染まっているのだなと思う。

同窓会は一月二日に行われる予定らしい。
中学、高校の同窓会はたまに聞くけれど、小学校まで遡る同窓会自体に珍しさを感じた。
加えて、確かにタイムカプセルの行方も気になる。
正月はさすがに大阪に戻っていることだし、しかも二日となれば意外とぽっかり予定が空いていたりする。
そんな行き易さのお手頃感と、あの頃しか覚えてない子供の顔した同級生達がどんな風になっているかの興味も湧いていた。






そこは二次会などで使われそうなお洒落なパーティ会場だった。
扉を開ける前から、わたしは些か緊張していた。
中学、高校で一緒だった面子はともかく、小学校以来の同級生もたくさんいる。
一瞬、誰だろう? と首を傾げてしまいそうな人も多く、会場入りしてからしばらくは落ち着けなかった。

「伊織、来てくれたんや!」
「あ、久しぶり! こないだは電話ありがとうね」

誘ってくれた友人が、ようやくわたしを見つけてくれた。
タイムカプセルを開ける時には参加しなかったので、すっぽかしと思われたのかもしれない。

「よう来てくれたわー、タイムカプセルから出てきたものの中に、伊織のあったんよー」
「え、なにっ。怖いっ。何入れたっけわたしっ」
「これ」
「…………」

目の前に出されたのは、ビニール袋に入った体育用の赤白帽だった。
帽子の後ろ側に、平仮名でしっかりとわたしの名前が刻まれている。

「きったな……」
「伊織って昔からこういうとこあるよね」
「こういうとこってどういう意味よ」
「面倒臭いことは適当になるってことやわ。なんでもええから手元にあるもん放り込んどけって思たんやろどうせ」
「うう……」

恐らく当たっているので何も言えない。
ケラケラと笑う友人を横目に、わたしはそれを乱暴にバックに押し込んだ。
帰ってから、捨てるか否か悩むところだ。

「まあでもええ思い出やん!」
「まあ、ポジティブに考えればそうなるかな」
「そうそう、前向きに……あれ、あれあれまさか!」
「へ?」

会話もおざなりに、友人の視線がわたしの後方へ流れた。
誰か来たのだと思って振り返った刹那、わたしの目は真ん丸になったに違いない。

「誰かと思ったら佐久間やん」
「忍足……」
「忍足くん来てくれたんやあ!」
「来たでー。久々やなあ」

すっかり大人になった忍足侑士がそこに居た。
淡い気持ちが一瞬にしてよみがえる。
まさか、この人に会えるとは思ってもいなかったからだ。

「謙也がしっかり動いてくれたんやなー」
「せやねん。謙也からめっちゃ誘われてわざわざ来たで……あれ、あいつ何してんねん」
「早速女の子口説いてんちゃう?」
「アホやな相変わらず……」

わたしの友人との掛け合いを終えて、忍足はしっかりとわたしを見てきた。
徐々に徐々に、胸が波打つ自分に戸惑う。
なんということだろう。二十年近く経っているというのに、こんな感情が湧いてくるなんて。

「久しぶりやな、佐久間」
「久しぶり……ホンマに。元気、しとったの?」
「見ての通り、めっちゃ元気」
「大きゅうなったなあ、忍足」
「お前は親戚のおばはんか」
「ははっ。やーでもホンマ、だって転校してから全然やん」
「そやんな。二十年経つんやもんな。お前も大きゅうなっとるで」
「あははっ」

わたしの初恋で……カウントに入れてもいいなら、初めての彼氏だった。
とは言っても、当時は小学六年生。何もしていないのだけど。

「あと、めっちゃべっぴんさんになってる」
「え」
「俺もええ男になっとるやろ?」
「それ引き出すために言うたんかーい」
「ははっ。まあええやん、あっちで飲もうや」

忍足がわたしを促して、わたしは勧められたままビールを受け取った。
向い合って着席して、しっかりと顔を見つめる。
あの頃の面影を残したまま、忍足侑士はめちゃくちゃいい男になっていた。

「忍足は今、なにしてるん?」
「外資系」
「なんかカッコええなあ。東京?」
「東京。別にカッコようないよ。佐久間も東京やんな?」
「そう東京! あれ、なんで知ってんの?」
「さっき他の子に聞いてん。大学で東京に上京したって」
「そうそう、そやねん」
「水臭いなあ。連絡してくれたら良かったんに」
「あはは……」

曖昧な笑みを返すしかない。
連絡先知らんし! と元気よく返すことが出来ないわたしは臆病者だろうか。
自分だって、何の連絡もしてこなかったじゃない、と責めてしまいそうで。

「やけど忍足、お医者さんならんかったんやね」
「親見ててなろうと思えへんかったからな」
「ふふ。おじちゃん残念がってない?」
「オトンは別に最初から継いでもらう気なんてないって。それに、姉ちゃんちゃっかり医者んなっとるから」
「あそうなんや」
「そ。やで、俺は出来損ない」
「あははっ。そんなことないって」
「まあ、俺の話はええよ。佐久間は何してんのん?」

忍足侑士がうちの小学校にやってきた時、彼はそれまでの転校生の誰よりも注目を浴びた。
美しい顔立ちに、家は金持ち。スポーツも出来て、背が高くてスタイルも良くて頭も良くて、ヴァイオリン習ってるとか訳のわからないステータスと、すでに学校では人気者だった謙也の従兄弟という肩書き。
絵に描いたような転校生の登場に、クラスの男子はやっかみ、はたまたクラスの女子が発狂したのをわたしはよく覚えている。わたしも密かに発狂していた一人だったからだけど。
あの頃のクラスの女子はほとんど、忍足侑士が好きだった。

「わたしはウェブ系」
「ITやな」
「せやね、流行りの」
「目ぇ悪なりそ」
「悪いねんこれがー。あれ、そいや忍足、メガネしとったやんね?」
「あーあれな、ダテメガネやってん」
「え」
「知らんかったやろ? あん時、俺完全に中二病やったから。別に目ぇ悪ないんよ」
「えー信じられへんっ! なにその嘘っ!」

両想いだと噂が立ったのは、いつ頃だったか。
そんなこと周りが噂しなくても、わたし達はとっくにお互いが気づいていた。
子供同士のテレパシーは意外と侮れない。



卒業式のあの日、わたしは忍足が先に帰らないで欲しそうにしていて、案の定こっそり「話がある」なんてメモを渡されたから、友達や親にいろんな理由をつけて体育館の裏へ行った。
学校から帰るようにという放送委員の放送後、ようやく忍足がやってきた。

彼はわたしに声もかけずに、ランドセルから小袋を取り出した。
『これ、佐久間に……』と渡されて、わたしは素直に舞い上がった。
好きな人からの贈り物は、いつだって女の心を高ぶらせる。わたしの幼心も、その瞬間だけはすっかり女になっていた。
中身は、当時流行っていたミサンガだ。あの頃はプロミスリングと言っていたっけ。ピンクを基調とした、かわいいデザインだった。

『俺のもあんねん』

と、当時の忍足は自分の足首につけたプロミスリングを見せてくれた。彼のはブルーを基調としていて、ひと目でわたしとおそろいだとわかるデザインだった。
きっと忍足曰く、中二病をこじらせた小学生が一生懸命カッコつけたに違いない。
でもわたしはそれにまんまとうっとりした。世界一の幸せ者だと思った。

『忍足と、おそろいなん?』
『せや。やで無くさんといて』
『うん、無くさん。ありがとう忍足』
『うん……それでな、佐久間……俺』

一歩近付いてきた忍足が見たこともないくらい強張った顔をしていて、わたしの胸の高鳴りも大変なことになっていた。
告白される、そう思ったからこそのませた感情と、漫画で見たような展開に。

『俺、明日東京に引っ越すねん』
『へ』

だけどその告白は、予想外のものだった。
小学生のわたしにはあまりに衝撃的すぎて、深く傷ついたのを覚えている。

『佐久間のこと、ずっと好きやった。今ももちろん、めっちゃ好きや』
『嘘……や』
『嘘ちゃうよ、ホンマに好きや』
『ちゃう、そうやない! 引っ越しの方や!』
『あ……それは、それはホンマや。黙っててごめん……』

順番がぐちゃぐちゃで、予想していた告白が訪れても、わたしは感動があまり出来なかった。
嬉しいはずなのに、辛くてたまらなかった。
当時のわたしにもっと語彙力があったならば、こう思っただろう。
なんて、やるせないの。

『わたしもずっと、好きやったのに……』
『うん……ごめん』
『嫌や、わたし離れたない』
『俺かて……離れたないよ、佐久間』

辛かったのは、きっとわたしより忍足の方だったと思う。
あの日の忍足は、その視線にたくさんの想いを込めてわたしを見ていた。
だけど子供だったわたしは、自分の気持ちばっかり押し付けた。

『なんで今日言うんっ』
『……ごめん』
『そんでなんで、今日好きやとか言うんよっ』

泣きながら責めることしか出来なかった。
もどかしい気持ちをうまく伝えれるほどの力は、当時のわたしには無かったから。

『そんなん、佐久間のこと誰にも渡したないからに決まってるやろ』

カッコつけの忍足は、そんな風に返してくれたっけ。
その一言で、わたしはすぐに静かになった。やっぱり子供は単純だ。

『……忍足』
『絶対迎えに来るから、待っとって?』
『……ホンマ? 約束よ?』
『ホンマ。約束する』

忍足はわたしの手を、躊躇いがちに取った。
強く強く握って、まだまだ泣きじゃくるわたしの声を静かに聞いていた。やがて、握られたその手はゆっくりと忍足の口元へと流れていった。
忍足は、徐々にあげられていく自分の手に戸惑うわたしの目をじっと見つめた。
そのまま、指先にしてくれたキス。
頬や唇へ到達する勇気はきっと小学六年生にはなかったのだろう。
おさなかった忍足の告白とあの指先へのキスは、思い出すと本当に可愛くてたまらない。

忍足は覚えているだろうか。
この風貌からして、きっとずっとモテモテ街道だったろうから、すっかり頭から抜けてしまっているかもしれない。

「忍足はそんで、ずっとテニスやってたん? ほら、小学校ん頃、結構すごかったやん」
「俺は中学も高校もめちゃめちゃすごかったで。謙也に聞いたらええわ。あいつホンマ何してんや」
「はいはい、今度暇な時聞いとくわ。せやけどホンマ、昔っから自信満々やね、忍足は」
「いやあ、それが上には上がおんのよ。俺はそれを東京に行ってから痛感したんや。話すとめっちゃ長なるから割愛するけども……」

彼が引っ越してからも、しばらく文通や電話をしていたものの、子供の遠距離恋愛などたかが知れていて、いつの間にか連絡は途絶えた。
所謂、自然消滅というやつだ。
今の小学六年生がそんなことを言い出したらちゃんちゃらおかしくて笑い飛ばすだろうけど、自分のことを振り返れば全然笑い飛ばせないなと思う。

ちなみに、素知らぬ顔してあれこれと聞いているけれど、わたしはしばらく忍足のことを引きずっていた。
高校を卒業するまで、その名声は大阪で何度も聞いたし、盆や正月にはこっちに戻ってきていることも知っていた。
それでも、会うことはなかった。
子供というのは妙なことを気にするもので、なんとなく、会わないほうがいいと思っていたし、会うのが気まずかったのもある。

初恋だから……はたまた、迎えに来ると言ったのは忍足の方なんだから……そんなひねくれた心理かもしれない。

「あれー、忍足やん!」
「うわホンマやあ!」
「あれ、ほんでお前佐久間やん!」
「うわホンマやあ!」

と、忍足と話が盛り上がっていたところで、すっかりお酒が入ってしまっている同級生が割り込んできた。
彼らは中学生の頃も同級生だったので、大人になってからの変化もそこまで驚きはない。
少し残念、と心のなかで独りごちながら、こちらに向かってきた連中の顔ぶれをよくよく見て居心地の悪い気分になる。

メンバーの中に、中学生の頃に付き合っていた人物が居たからだ。
彼とも、何があったというわけではないのだけれど……初キスの相手、ではある。

「え、佐久間いんの?」

奴め、白々しく、覗きこむように足早に来たではないか。
ふふん、どうよ、いい女になったでしょ? なんてね。浅ましいにも程があるか。

「みんな久々やね」

わたしはするりと交わして、女子の多いグループへ移動しようとした。
体の関係があったわけじゃなくてもそれなりに付き合った元カレがいるのはどうにも落ち着かない。
加えて、酔っぱらいはタチが悪い。

「あれ、お前らさ! 付き合ってなかった!?」
「え」
「……」

え、とわたしを見たのは忍足だ。
お前ら、とはその元カレとわたしのことだから。
当然忍足は知らない事実……全く、今ここで暴露しなくたっていいだろう、と発言した奴のデリカシーの無さに呆れる……昔からやんちゃだった、この人は。

「へえ、そういう関係やったん?」
「まあホンマに昔の話やけどな。ほんで別に何もしとらんっちゅう話。な、佐久間!」
「うんまあ、せやね。はは」

忍足と元カレが話してる。
いやどっちも元カレか……なんというか、ものすごく複雑な気分だ。
どうでもいいけどわたしに同意を求めないでください。

「お前勿体ないことしたなー! 佐久間は人気やってんで意外と!」
「ちょ、あんた誰が意外とよ」
「俺は全ッ然好みちゃうねんけど、中学ん時とか結構佐久間ファンおってん!」
「あんたな、余計なこと言わんでええねん」
「へえ。佐久間モテたんや」

忍足は冷やかしの目でわたしを見た。まるで他人事のようなその態度に、些かむっとしてしまう自分がいる。
そこにすかさず、また違う連中が群がってきた。
面白そうな噂話をしているところに集まる人というのは、どの宴会にも存在する。

「忍足はあっち行ってもモテモテやったやろ」
「いやそんなことな」
「うっそやん! 俺、高校ん時に謙也に見せてもらったことあんねん」
「ちょお待てお前何言い出す」
「忍足の彼女の写真。お前自慢気に謙也に送ったことあったやろ!」
「やめてやめてやめて、そんなことしたことないっ」
「めっちゃ可愛かってんその子が!」
「あかん、やめろっ」
「雑誌とか載るような子やってんな? な?」
「いやまぁ……いや、昔の話やて」
「お前相変わらず腹立つ男なんやなー」
「いやあ、そういうとこあるよな俺」
「否定しろや!」

元カノ自慢を懐かしむように、どこか嬉しそうに反応している忍足に、わたしはつい黙りこんでしまった。
すっかり、あの時のことは忘れてしまっているのだろうかと思うと、これまた結構切なくなった。
あなたもわたしのこと「好きや」って言ってくれたことあるんだよ?
遠い昔のこと過ぎて、覚えてないのかもしれないけど。
あのプロミスリング、そういやこの元カレが嫉妬したから外したんだったっけ。
忍足は、いつ外したんだろう……。








当然のように、二次会はカラオケに強制連行させられた。
一次会で帰ろうと思ったのだけど、後半に話した女子達も誘ってくるし、特に翌日予定があったわけでもないので、そのままの勢いで参加することにしたのだ。

しかし酔っ払ったおっさん連中の中には品がない人間も多く、独身のわたしは家庭のある女性たちよりも圧倒的に飲まされていた。

「ごめん、わたしちょっと風あたってくるわ」
「佐久間さん大丈夫?」
「大丈夫大丈夫、具合悪いとかちゃうから」
「こっそり帰ってもええからね、うまいこと言うとくから!」
「あははっ。ありがとう」

優しい同級生と話して癒やされた自分に苦笑しながら、タバコとお酒の匂いでこもった部屋からそそくさと飛び出した。
大型カラオケ店の入り口を出たところで外の空気に触れて深呼吸する。
そのあまりの気持ちよさに、こっそり帰ってしまおうかとも思ったけれど……バッグを部屋に置きっぱなしにしてしまっている。無念だ。

「佐久間」
「えっ」

うなだれそうになったその時だった。
抜けだしたことを咎められてしまうのかとびっくりして振り返ると、そこに忍足がいた。
わたしの顔がよほど驚いていたのだろう、忍足は吹き出した。

「なにその顔めっちゃおもろ」
「びっくりさすからよ!」
「ごめんごめん、帰ろうとしてたん?」
「いやその……風にあたりたかっただけ」
「さよか。よう飲まされとったもんな……ほなこれ、余計なお世話やった?」
「へ?」

よく見ると、わたしのバッグを忍足が持ってきてくれていた。
わあ、と歓声をあげると、忍足は苦笑しながらわたしの頭にそっと触れた。
それがあまりに自然で、温かくて。

「やっぱり帰りたかったんやん」

すっかり大人びたその言動と優しい声色に、わたしは急に息苦しくなった。
聞かされたくもなかった元カノ話と、わたしの話への他人事みたいなあの反応と、何にも覚えて無さそうな雰囲気とか、いろんな感情が、気軽に触れてきた忍足の手のひらのせいで一気に持ち上がってきたのかもしれない。
みぞおちのずっと奥底にあって、噴出するはずじゃなかったのに。
引き出したのは、忍足だ。

「別にそういうんちゃう」

少しうるさそうに見えただろう。
わたしは忍足の手をやんわり避けるようにはらった。
忍足が目を真ん丸にしてわたしを見下ろす。
昔から天邪鬼なところがあるのはわかっていたけれど、ちょっと露骨だったかもしれない。
うわー、やってしまった、ヒステリック……と後悔してももう遅い。

「何ピリピリしとるん?」
「してへんよ」
「してるやん、十分感じ悪いで」

呆気に取られた忍足が遠慮もなくずけずけとそんなことを言い出すもんだから、引きさがれなくなったところもある。
どうせ感じ悪いですよ、ああむかつく。酔ってるから素直な感情出過ぎてる、自分でもわかってる!

「酔うてるからちゃう? ごめんね感じ悪うて」
「ちょお待って佐久間、なにその感じっ」
「もう帰る」
「ちょお待ってってば」

歩き出したわたしに、忍足は慌ててついてきた。
忍足も帰るつもりだったんだろうかと、どうでもいいことが頭をもたげる。
こんな女、相手にしなきゃいいのにと思う一方で、少しだけ嬉しい気持ちもあった。
女心は複雑とは、よく言ったものだ。

「なんよ、方向こっちなん?」
「逆方向や。せやけどこんな深夜に女一人で帰せるほど現代っ子やないねん俺は」
「大丈夫、襲われたりせえへんから。ほなまた」

片手をひらひらとさせて足早に去っていこうとした。
これ以上忍足とあれこれ繰り返してたら大喧嘩になりそうな気がしたからだ。
小学六年生のチープな想い出を覚えてないのかと、アラサーが乙女全開でぶちまけてしまいそうで、そんな醜態だけは、忍足の前で晒すわけにはいかなかった。

「待てって佐久間っ」
「ひゃあ!」

しかしその手首は、しっかりと忍足に掴まれた。
そのまま路地裏に引きこまれてすっかり酔いが冷めてしまいそうになる。
あの時、強く握られたその感触とは全然違った。
大人の男の力の強さに、ただただ驚いた。

「ちょお忍足なにすっ」
「むしゃくしゃしてんの自分だけやと思てんのか」
「えっ……」

ようやく手を離した忍足が、口を一文字に曲げてわたしを見下ろす。
あの頃の忍足の顔が脳裏に浮かんで、全然変わってない、と思った。

「俺かて全然おもんなかったわ……何あれ、あんな奴と付き合ってた? 俺と文通やめて?」
「は……」
「俺の後に付き合うならもっとええのおったやろ。いや俺よりええのはおらんやろけど」
「ちょ、ちょお待ってよ忍足、あんた好き勝手言うとるけど」
「なんや文句あんの?」
「自分かて鼻の下伸ばしてモデルと付き合ってたんやろっ」
「モデルちゃうしっ! ちゅうか高校生の時やで! いつまでお前のこと思いつめたらええねんっ」
「あんたから電話してこんようになったくせしてようそんな」
「嘘つけお前がいきなり手紙寄越さんようになったからやんか!」
「絶対嘘や。あたし待ってたもん手紙!」
「俺かて待ってたわ! 電話もしたで! せやけどオトンが怒るとかなんとかっ」
「忍足の電話してくる時間が遅いからやっ」
「部活が夜中まであったからしゃーないやないかっ! 俺それ手紙に書いたよな!?」
「そんな日記みたいなこと書いたとか書いてへんとか覚えてへんわっ」
「またそうやって傷つくこと言いよるっ。とにかくな、お前が俺を振ったんや!」
「なんでそんな嘘つくんよっ。忍足がわたしを振ったようなも」
「ほな証拠や! これが!!」

まくし立てていた忍足が、煤けたようなミサンガを目の前に出してきた。
これはひょっとしてひょっとしなくても、あの時のプロミスリングだ。
思わず手を差し出すと、忍足はむすっとしたままそれを手渡してくれた。

「こ……まだ、持ってたん?」
「……持っとったよ。どーせお前、持ってもないやろ」
「いや……それは」
「知っとったわ。謙也にずっと教えてもらっとったからな」
「え」
「あいつと付き合い出したことも、聞いとった。そのうち俺が渡したミサンガ、お前の手首から消えたんも……」
「嘘……」
「嘘やないわ。そらさすがに高校あがってからまで、聞いたりしてへんかったけど……せやけどずっと引きずっとった。俺は……」
「いや、わた、わたしだって!」
「お前よう言うなあ? すぐあんなポンコツと付き合い出しといてどの口が」
「すぐちゃう! あれやって中二の時やし、それに、そ、それでも忍足のこと気になってたもんずっと! テニスで名前聞く度に、どうしてるかなって!」
「ふーん。電話してもこんかったくせに」
「そんなん電話とかしにくいやないのっ! でもホンマやもんっ」
「ほなミサンガどうしたん」
「……それは……その」
「どうしたん? 聞かせてえよ」
「だから……その、ポンコツに……」
「嫉妬されて、捨てたんやろ?」
「いや、捨てたりはさすがにっ」
「でも手元にないんやろ。ええよ、そんなん、持ってる俺んがおかしいねんから」

切なげな、ふてくされたような顔をして横を向いた忍足は、いい歳した大人の男なのになんだか可愛くて、わたしからすれば少年にしか見えなかった。
今ならわかる。忍足の気持ちを代弁できる。
なんて、やるせないの。






正月早々の深夜のバーには、忍足とわたししか居なかった。
そもそも正月から営業してくれていること自体ありがたい。

「じゃあすぐ切れたってこと?」
「そや。もう練習がむっちゃくちゃやってん俺の行った中学。ちゅうかそこの部長がホンマにむちゃくちゃやって、練習中に切れてもーた」
「黙ってたんだ」
「言えへんやろ……まあ佐久間は自ら切ったみたいやけど」
「うるさいなあ」
「おおかた、面倒臭かったんやろ、あのポンコツが」
「そうそう、あのポンコツがね」
「佐久間って昔から、面倒臭いことは適当になるよな」
「む……」

おかしい。
なんだか聞いたことのあるフレーズだなと思ったとき、あっと思い出した。

「そういえば忍足はさっ」
「えっ、なに。なに急にはしゃぎだして」
「タイムカプセルなに入れてたの?」
「俺なに入れてたか全然覚えてへんのやけど、名前ないガラクタん中のもんやと思う」
「でー、なにそれ味気ない」
「佐久間は?」
「ふふ、見て見て」

わたしはバックからビニール袋に入った赤白帽を取り出した。
忍足が咄嗟に仰け反って、すごい顔をする。

「きったな!」
「せやろ! これやっぱ捨てるべきやんね」
「これも面倒臭いから適当になっとるええ証拠やわ」
「それよ。同じこと言われて、これ思い出してん」
「なんやこれ……あれ」
「ん?」

ビニールの上から赤白帽をいじっていた忍足が、何かを見つけたように声を出した。
なんだなんだと、一緒になって覗きこんだら、内側の赤色、ちょうど天辺にあたるところに、なにやら書かれていた。
それは、わたしの目をひん剥かせるには十分だったし、忍足を笑わせるには最高のネタだった。
侑士、伊織とかかれた上に、ハートがついた傘。
そう、誰もが一度は書いたことのある、あの落書き。

「ひゃーっ!」
「ぷふっ、マジかこれっ。いつ書いたんっ」
「全っ然覚えてへんっ! でもきっと最後の体育の授業の後に決まってる」
「そらそうや、これで赤組になった時、最悪やんっ」
「ちょおこれ」
「ちょ、写真とらせてっ」
「やめっ、しばくで忍足っ」
「なんやあ佐久間、俺のこと侑士って呼びたかったんや? 呼びたかったんやろ伊織?」
「やめてよやめてっ、あかんって!」

忍足とわたしのやりとりを、紳士的な笑みで見守るバーテンダーがすっと奥に消えた。
やってられない、と思われたのかもしれない。
少し大きな声を出したわたしを、忍足は「静かに静かに」とたしなめるけど、完全に面白がっている。

「恥ずかしいことしてるわ、わたし……」
「ええやん。俺結構嬉しい」
「アホ」
「どっちがや。まあでも同窓会、来てよかった。伊織とも会えたし」
「もう恥ずかしいからやめてって」
「ええよ? 俺のこと侑士って呼んで」

少し意地悪に、でも優しく微笑んでわたしを見る忍足に、わたしは突然、また息が詰まりそうになった。
はっとして目を逸らしてみても、もう遅いのかもしれない。
忍足はすっかり大人になってて、女の心の動きなんて、お見通しかもしれないから。

「……佐久間?」
「飲み過ぎたかなー」

覗きこんできた忍足に、急に、胸が高鳴りだす。
これはまずい。こんな気持ちは、久々だ。
……ただ懐かしむだけじゃなくて、わたし、また恋をしてしまいそうになっている。

「なあ」
「うん?」
「お前忘れてへん?」
「え」
「俺、まだ持っててんで? ミサンガ」

ゆっくりと顔をあげると、さっきまでの意地悪な顔はどこへやら、忍足はすっかり大人の男の顔をしていた。
いい歳して、顔が熱くなってくる。お酒のせいだけじゃないのは、認めざるを得ない。

「そら、持ってたからって、忘れたことなんか片時もあらへん、とか言うつもりはないけどやな」
「だってそれ、嘘になるもんね?」
「まあ、そうやな……せやけど」
「けど……?」
「惚れた方の負けやなって、思う。今更やけど」

ゆっくりと、わたしの手に重ねられた大きな手。
あの時よりもずっと優しく、静かに握りしめられて、そのまま、徐々に彼の口元にあげられていく。
嘘みたい……覚えてたんだ……こんな男の人、この世にいるんだ。

「臆病すぎて、ここに触れるのさえ怖かった」
「忍足……」

指先に、丁寧なキス。
あの体育館裏の春の匂いに包まれたような錯覚に陥って、年甲斐も無く、わたしは俯いた。
ただ、指先にキスされただけなのに。

「調子ええこと言うてもええ?」
「なに……?」
「遅なったけど、迎えに来た」
「うわ、めっちゃ調子ええ」
「やで言うたやん」

嬉しそうに笑う忍足が可愛くて、覚えてたことが嬉しくて、涙が出てきそうだった。

「あの日からの俺らの時間、もっかい取り戻してみいひん?」
「……同窓会って、こういうのありがちだよね」
「焼けぼっくいか……まあ、そうやな」
「迎えに来たんじゃなくて、勢いじゃないの?」
「あかん? やって、一番大切な思い出やもん、しゃーないやん」
「彼女いそう」
「おるよ」
「えっ」
「今この瞬間から、佐久間が彼女になってくれるやろ?」

今度はしっかりとわたしを引き寄せた大人の忍足は、わたしの唇をめがけてダメ押しの一言。

「忍足……」
「俺……もう離れたないよ、佐久間」

……惚れた方が、負けだ。



fin.
Thanxs 2,000,000 hit !



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