この恋の根源


【決定論】─自然や歴史の諸現象の生起は、外的な原因(神・自然・因果性・社会関係など)によって究極的に規定されているとする考え。人間の意志・責任や行為の意義については否定的になる傾向がみられる。
【非決定論】─人間の意志は他のいかなる原因にも支配されず、自身により決定されるという立場。


土曜の深夜0時。我が氷帝学園に忍び込む為、わたしはこっそりと家を抜け出た。氷帝に通っている自分が、とても恵まれていると思う瞬間だ。さすがにこの時間になると、教師も誰一人と居なくなっている。強固なセキュリティに怠けてなのか、警備員はいない。氷帝に通って6年目のわたしには、セキュリティはさくさくっとすり抜けられる。おかげで、1階にある保健室前廊下の裏口の鍵を拝借してスペアキーを作ることもできた。
そっと元の鍵を元の場所に戻す。これで完了。とはいえ、ついつい泥棒のような足取りで歩いてしまう自分に苦笑しながら、目的の視聴覚室前に到着した。悪いことをしようっていうんじゃない。ここにある高性能のプロジェクターと、その専用のバカでかいスクリーンを使用して大好きな映画を観るのが目的だ。『学業のため』というまともな理由がなければ使用許可がでないこの機械の申請を出すことをためらって、こんな計画を思いついたのは先週のこと。戯言を並べて申請を出す面倒臭さより、こんな犯罪めいた行動のほうが自分を突き動かすのだから不思議なものだ。
現場について、スマホの点灯を頼りにプロジェクターを見つけて用意する。

「ん……、うまくいかないな」

一点集中の明かりでは時間がかかって、スムーズに事が進まなかった。そうしてプロジェクターと格闘しているさなか、後ろ側にあるドアが静かに開いた。その音に、大げさなほどに全身を震わせて振り返った。

「え、誰や」

相手もびっくりしている。恐怖も手伝ってライトを向けると、黒髪の長身がそこに居た。

「まぶしっ」
「え、忍足くん?」
「ちょ、それ下げてえよ、まぶしい」
「あ、ごめん!」

背が高いせいなのか、氷帝が誇る全国レベルのテニス部のレギュラーだからなのか、それともイケメンだからなのか、とにかくその人が忍足侑士だということは、すぐにわかった。

「お前……佐久間やんな?」
「ば、バレた?」
「1年んとき、同じクラスやったしな」

暗闇の中、そっと近づいてくる忍足侑士。見つかってしまったという焦りに、体中が熱くなる。どうしよう、こんなこと跡部にチクられたら、わたしは終わりだ。

「あの、これはその、あの」
「ひょっとして俺に言い訳しようとしとる? そんなんええよ、お互い様やっちゅう話やで……多分やけど」
「え」

笑って、わたしが怯えないように、忍足侑士は更に近づいてきた。スクリーンに照らし出されているブルーの光が彼に当たって、その顔を綺麗に映し出す。
ああ、この人……やっぱりイケメンだ。

「映画、観たくてその……申請面倒くさくて」
「あー、やっぱりそうか。俺もやねん、俺もそんなとこ」
「そうなの?」
「んん、観たいもんがラブロマンスやから、全然申請通れへんのよね。せやから、この始末や」
「あ、ははっ。嘘みたい。同じこと考えてる人がいたんだ」
「言うても俺、結構前からちょいちょい忍び込んでんねん。佐久間は今日が初めて?」
「うん、こないだ思いついちゃって」
「さよか。俺は半年前くらいから。せやけど今日は先越されてもうたなあ」

と、彼はラブロマンスばりばり、というような映画のDVDを掲げて笑った。同じ理由だとわかって、つられてわたしも笑った。

「こんなことあるんだ。あ、どうしよっか。わたしが観たいのはこれ」
「へえ? うーん、全然知らん映画やなあ。ほな今日は譲るわ。佐久間んが先やったしな」
「いいの?」
「もちろん。せやけど、一緒に観てもええ? それ、観たことないし」
「いいけど……これ、ラブロマンスとは程遠いよ? 多分だけど」
「見た目からしてそんな感じするなあ。せやけど俺かてせっかく来たもん。一緒に観せてえよ。それともあれか、一人やないと観れんようなやっばいシーンでもあんの?」

ニヤッと探るような視線を向けた忍足侑士に、呆れた空笑いがこぼれていく。

「それは観てみないとわからないけど……あ、でもこれも一応、恋愛を考える映画な気がする」
「そうなん? それはラッキー。ほんなら、それ貸して。俺がプロジェクターにかけたるわ。自分はそこ座っとき」
「いいの? ありがとう」
「どういたしまして」

いつもは中央にある長テーブルと椅子は、両脇に避けられている。少し冷たい床の上、壁に背もたれながら足を伸ばして待っていると、準備を終えた忍足侑士はなんの躊躇いもなく横に座ってきた。

「これ、食う?」
「ん?」

リュックの中から出してきたのは、コンビニで売っているポップコーンだった。なんとなく、変わり者だと勝手に思っていた忍足侑士に親近感を覚えてしまう。

「忍足くんって……意外とベタなんだね」
「ほっとけ。映画といえばポップコーンやろ」
「うん、まあそうだよね」
「あと、お茶もあんで。飲む? 1つしかないから、アレやけど」

ペットボトルのお茶を、少々遠慮がちに差し出してきた。
この人……そういうの気にするキャラなの? ちょっと意外。

「ありがとう、でも口つけちゃうのは、アレだよね」
「んん、そういう意味でアレって言うたけど、俺は別に気にならんよ。あー、佐久間が嫌やったら、このお茶ごとあげる」
「え、いやそれは悪いよ……ていうか」
「ていうか?」

優しいんだな、この人。妙な気分になっている自分が今から発する言葉に、ためらいを覚えた。

「……わたしも別に、気にならない」
「お、さよか。ほな自由にしよ」

さっきよりも優しくなった声で、忍足侑士はポップコーンとお茶を中心に置いた。置いたとたん、ポップコーンを口に放り込んで、本当に自由にペットボトルのお茶を飲んだ。
それ、あとでわたしが口をつけても、いいんだよね……?

「えっと、字幕でいい?」
「ん、字幕がええ」

いいのかな、本当に……忍足侑士はいま、どう見てもメガネをかけていない。コンタクトをしているのだろうか。

「あのー、視える? 大丈夫かな? 今日メガネ、してないみたいだけど」
「ああ、あれ伊達メガネやから」
「えっ」
「そやろ、俺もしばらくしてから気づいてん。俺めっちゃ視力ええのに、なんでメガネしてんやろって。あ、伊達メガネしとるやんって。しばらく忘れとってさあ」
「ちょっと、なにその話」

映画よりもその謎の話が気になって、なんの気もとめずにお茶を口に含んでいた。わずかに気にしていた関節キスをなんなく終えてしまった自分に驚くと、忍足侑士は満足そうに笑った。

「ちょっと距離、縮まったな?」
「あ、はは……」
「よっしゃ、映画観よか」

再生ボタンが押されて、映画鑑賞が始まった。舞台はロッキー山脈の山奥。ニコール・キッドマン演じる謎の美しき逃亡者グレースが村中の人にいじめられる映画だった。スタジオを石炭の白線だけで仕切った、小道具も最小限しかない、舞台というより稽古場のようなセットの中、異常な集団のストーリーに魅了されていく。その映画が終わる頃には、すでに3時半を回っていた。

「どわ……」
「マジか……」

観終わったわたしたちは、あまりの衝撃度に感嘆の声を漏らしていた。

「ちゅうか佐久間なあ」
「うん?」
「これのどこが恋愛の物語なん?」
「ん、いや、恋愛を考える物語だって言ったよ、わたし」
「どっちでもええっちゅうねん。こんな深夜にめっちゃへこむわ」
「え、でもでも、ちょっとスカッとしたよね?」
「うーん。やけどそれまでのモヤモヤが酷いやん」
「モヤモヤがあるから、スカッとに繋がるんだよ」
「こんなん観る佐久間は、かしこなんやろなあ。哲学的っちゅうかさあ」
「いや、かしこじゃないよ。哲学は選考してるけど。でもね忍足くん、この監督の作品に、基本的に愛はないと思うの」
「え。ないんやんけ」
「うん。だって、彼の前作、ダンサー・イン・ザ・ダークだよ? あるわけない」
「うわー、もう俺、あれめっちゃ……ああ……そうか、あの監督なんか。納得した。それはそうと、次はこれ観よな?」

さも、当然のことのように、忍足侑士が『ベティ・ブルー』というタイトルのDVDを掲げる。

「次って……」
「今日は佐久間のに付き合ったやん? 次は俺のに付き合ってよ。あ、つまみとお茶、次は佐久間が買ってきてな」

なんだかデートみたい、という言葉はすんでのところで飲み込んだ。こんなバカみたいにモテる人に、まんまとそんな言葉を投げてはいけない。

「来週も来るんやろ? 俺も、毎週土曜は来てんねん。次は俺の番な?」
「うん、わかった。じゃあポップコーンとお茶はまかせといて」
「おっしゃ。今日と同じ時間でええ?」
「うん、同じ時間で」
「ほな、約束な」
「うん」

自然と交わされていた約束に少し戸惑いながらも、大きなスクリーンで映画が観れる時間は手放したくないと思った。
ていうか……自分も暗い映画好きなんじゃん。





それからというもの、土曜の夜になると深夜0時に校門の前で待ち合わせ、二人で視聴覚室に忍び込んでは、交代に映画を見せ合うことが当たり前になっていった。お互いの映画好きが手伝って、日曜に一緒に映画を観に行くこともあり、いつの間にか下の名前で呼び合うようなくすぐったい仲だ。その頃にはすっかり、わたしは侑士に恋していた。

「最近、やっぱちょっと寒くなってきたよね?」
「ホンマなあ。ちゅうか伊織、ちょっと薄着すぎやわ。もっと着て来んとあかんよ」

お忍び映画鑑賞会がはじまってから半年が過ぎた。秋から冬へと変化し始めた夜の空気は、段々と身体を震わせるような寒さと香りを漂わせている。

「来週からはきっちり着てくる」
「そうしい。ほな観よか。今日はどんなん持ってきたん?」

わたしの好みも、だんだんと侑士の好みに合わせるようになってしまった。今日はずっと観たいと思っていた『ピアノレッスン』だ。ダーク目とはいえ、これも立派なラブロマンス。鑑賞中、侑士をそっと横目で見ると、ポップコーンを運ぶ手が口の手前で少し止まって、またそれに気が付いたかのように、ポップコーンを口に運ぶ。その姿に苦笑してすぐにスクリーンに目を移すと、ヒロインが相手役の男性に、後ろから抱きしめられていた。官能的なシーンで、なんとなく妙な気分になる。侑士と一緒でもすっかり見慣れている官能シーンだというのに、回を重ねるたびに、トクトクと胸が高鳴ることを抑えられない。まるでそれをあざ笑うかのように、窓の隙間から、冷たい風が舞い込んでくる。来週からはもっと厚着をしてこなくては、と反省しながら、両腕をクロスして寒さを凌いでいたときだった。

「……俺らもああする?」
「え?」

侑士がわたしを見ていた。目が合うと、優しく微笑んで。着ていた薄手のコートを脱ぎ、わたしの正面から羽織らせるようにかぶせた。

「え、いいよ、悪いよこんなの」
「薄着してきた伊織が悪いねん」

たくましい両腕が、ゆっくりと開いて。侑士はわたしだけを見ていた。

「……侑士?」
「ああしとこって言うたやん。おいでよ」
「え……っと」
「来うへんなら俺から行くわ」

さっと立ち上がり、わたしの後ろに回って座ると、そこからゆっくりと、優しくわたしを包み込んだ。

「あ……」
「どない? あったかい?」
「あ、あったかい……」

きゅっと抱きすくめるように、わたしの肩に回された、侑士の両腕。

「上映中やから、終わるまでこんままな?」

いつも壁だったわたしの背もたれが、侑士の胸板に変わっている。侑士の香りが全身をまとって、心臓が音を立てて、その振動が体中を熱くした。侑士は上映中と言っていたけれど、もう、それどころじゃなくなってきた。懸命に映画に集中しようとしても、なにも頭に入ってこない。おまけに映画のシーンはちょうど、さっきよりも激しい官能のシーンだ。一流の俳優陣が繰り広げるラブシーンに、体がだんだんと疼いていく。侑士、どんな顔してこれ、観てるんだろう。

「なん……?」
「え、なんって、なん?」

侑士の顔を思い浮かべて、なんとも恥ずかしい妄想をしていたわたしがゴソゴソしてしまったせいなのか、肩を抱く侑士の腕の力が、優しくわたしを揺さぶった。

「なんやソワソワしてはるから」
「ごめん、上映中だから、静かにしてます」
「……してみる?」
「えっ……」

肩の上に置かれていた侑士の右手が、わたしの左頬を包んだ。そっと横に持ち上げられると、侑士の唇が、乾燥したわたしの唇に、静かに落ちてきた。唇が離れても、目を逸らすことなんかできなくて。黙って侑士を見上げると、彼は少し微笑んだ。そして、なにも言わずにもう一度、キスを落とした。その唇が少しだけ開いて、また閉じて。角度を変えながら何度も何度も、唇を寄せ合った。

「伊織……どないしょ、止まれへん」

映画の音だけが流れる真夜中の視聴覚室で、繰り広げられているこの行為がなんだかとってもいやらしく。

「うん、わたしも……」
「映画も観たいけど……伊織とのこっちんが、もっとええ」

額同士をくっ付けて、ニッと笑いながら言った侑士に、わたしは自分から口付けていた。

「侑士、これ、もう一回観なきゃだね」
「せやなあ」

すでに、映画はただ流しているだけのような状態だ。しばらくキスを繰り返していたおかげで、すっかり話が飛んでいる。

「ねえ、いつから想っててくれたの?」
「最初から好きやったよ」
「えー、それは嘘」
「なんでや。伊織と俺は、こうなる運命やったって最初から思ったんやで、俺」

額にキスして、侑士は大真面目にそう言った。

「哲学的には、それは決定論ってやつだね」
「そ。俺と伊織は最初から結ばれる運命やったんや」
「それはそれで、少し悲しい感じもするかも」
「ええ? なんでえ?」
「侑士の意思で、わたしを好きになってほしいから。だからわたしは、逆説を唱えたい」

すでに決められた運命というのも、確かにうっとりする。でも自分の意思とは裏腹な感じがするというのは、わたしがこじらせすぎなんだろうか。

「アホやなあ。俺の意思が伊織を好きやないとこうならんやん。せやけど、神様も俺と伊織以外には考えつかんかったっちゅうことで、どないでっしゃろ」
「そっか、決定論と非決定論が混ざって侑士とわたしってことなのかな」
「いやまあ、哲学の話されても、俺はようわからんけど……ええやん、俺、伊織がずっと好きやった。あの日から、もう来週会うのがめっちゃ楽しみで、これでも我慢したほうやっちゅうねん。それじゃあかん?」

難しいことは抜きにしよう。侑士がわたしを好きでいてくれた。その根源はどうだっていい。

「あかんくない。超うれしい。大好き」
「……俺も」

飽きもせず触れ合う唇から愛が伝わる。その事実が、なにより大切だ。





fin.



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