13_決断のとき








「…伊織…っ…お前、なん…」

「はあ…っ…黙ったままなんて、酷い…」


「……」

「…何も言わずにわたしの前から、消えようとしないでよ…っ」















Manic Monday -決断のとき-















システムの人から話を聞いたわたしは、すぐさま会社を出て侑士の自宅マンションへ向かった。


システムが管理していた会社員データを無理に見せてもらったのだ。

意外に近くに住んでたんだな…と、関係ないことをふと思った。


マンションに到着してインターホンを押すと、すぐに扉が開けられて。

侑士は目を真ん丸にして、ラフなスタイルでわたしを呆然と見ていた。

息切れを起こしているわたしに、彼がやっと発した言語はわたしの名前だった。


「……ああ、そろそろあいつのPCにも流れとる頃か、異動通知。仁王から聞いたんか?」

「違う…でも問題はそんなことじゃない」


「俺な伊織、苦手やねん。お別れ会みたいなん…せやから…」

「侑士だったんじゃない!」


彼の言葉を遮って声をあげたわたしに、侑士はまた目を丸くした。

でもそのすぐ後…眉間に少し、皺を寄せて…。


「…なんのことや?」

「真実を知りたいからって、侑士が部長室に入っていくとこまで尾けてた人がいるの。それでその会話を、一部始終聞いてた。…聞かせてもらった、わたしも」


「………システム部か」

「…わたしのこと守ってくれたのは、本当は…っ――!」


あなただった…。

その思いが氾濫して、わたしは思わず侑士の胸に抱きついていた。

じわじわと目頭が熱くなって、それに比例するように彼を抱きしめる力も強くなる。

そんなわたしを懐かしく思ったのか…侑士はやがてぎこちなく、わたしの背中に手を回してきた。


「嫌だよ…行かないで…」

「そんなんしたら即刻クビんなる」


「侑士と離れたくない!」

「なんやあ、7年会うてなかったやないか」


「意地悪言わないでよ…!」

「くくっ…な、もう二度と会えへんようになるわけとちゃうで…」


そっと、わたしの頭を撫でる。

その温もりは、7年前から何も変わってなかったように思えた。

いつもこの温もりで、彼はわたしを守ってきてくれていたような気さえする。

7年前にそれを手離したのは、わたしだ。


ずるずると泣いているわたしに、侑士は軽く笑って、背中を叩いた。

彼からゆっくり離れた体の距離は寂しくて、思わず首を振った。

でも次の瞬間、わたしの唇の傍に、触れるだけのキスが振ってきて。


「…っ…」

「…堪忍。またしばかれんように軽うしたつもりやけど…最後くらい、ええやろ?」


「最っ…最後とか、言わないでよ…」

「なあ、伊織…キスしといて矛盾しとるけど…お前の恋人は仁王やで」


「…っ…」

「…もう仁王んとこ、戻りい」


穏やかにわたしを見下ろした侑士は、微笑みさえ見せてそう言った。

でもその表情は、どこか、切なくて。

本気でそう言っているのか、それとも格好つけているだけなのか。

わたしには、恐らくその両方だと思えた。


「な、お前のこと本当に守ったんは俺やと思うって言いかけたやろ?さっき。でもな…それはちゃうよ」

「…っ…でも…」

「お前が話を聞いた、システムの人間にはそう見えたかもしれん。せやけどな、仁王やって同じや。俺が言うたことに嘘はない。あいつは最初から最後まで、お前のこと信じとった。ほんまやで」


突然、真剣な表情になって侑士はわたしに聞かせた。

侑士が話したことは、わたしを困惑させるのに十分な内容だった。


「お前の取調べな、仁王が部長に頼み込んで、あいつがやったんや」











◇ ◆ ◇











伊織が、帰って来ん…。

そればかりが俺の頭の中で回っちょった。

会社の忘れ物にこんなに時間が掛かるもんじゃろうかと、不安になる。

事故に遭っちょるんじゃないかとか、余計なことを考えては頭を振った。




そういう不吉なことを考えるのは、あの日からずっと繰り返されたことじゃった。

伊織が諜報員じゃないかと突きつけられた時…伊織の身が心配になった。

疑うとか、疑わんとか、そんなことよりも先に…取調べられる伊織の姿を考えては、俺は頭が痛くなりそうじゃった。


「叶野部長、佐久間の取調べは俺にやらせてもらえませんか?」

「だめだ。お前らの関係を俺が知らないと思うなよ仁王。そもそもそれがこの結果を生んでる」


「じゃからこそ、ですよ。俺は騙されて相当頭にきちょる…」

「…仁王…?」


「俺にやらせてください部長。甘やかしたりせん…絶対です」

「……いいだろう。但し監視してるからな」


怒りに満ち溢れた表情を作って、俺は叶野部長に詰め寄った。

そうでもせんと、伊織の取調べはこっちが雇ったその筋の連中がやることになる。

多少引っ叩かれるくらいのことがあってもおかしくはない。

あいつらは甘くない…しかも二人がかりじゃ。

伊織に出だしはさせん。絶対に。どうせやるなら、俺がやる。


それであの日…本当は抱きしめて宥めてやりたかった伊織の首を、俺は壁に叩き付けるようにして軽く絞めた。


―……この為に、俺と寝たんか…―

―…っ…雅…っ…離し…っ…―


―答えろ…情報が欲しくて、俺と寝たんじゃろう…!―

―…っ…本気で…言ってるの……?―


あそこまでして、あそこまで言わんと叶野部長が今にも連中を送り込んでくるかもしれん。

……それだけは絶対に、避けたかった。


涙に濡れた伊織の顔が、未だ俺の心を締め付ける。

あの日からずっと…俺はそれを夢に見ちょった。


当日は幾度となく、掲げられた証拠を見ては、伊織を疑い、首を振り、どこかで信じて…その晩にその夢も、記憶をもが…結果、伊織を監禁した翌日からの俺を突き動かした。


「一日考えた…俺の結論は、伊織なわけがないっちゅうことじゃ」

「当然や。仁王、こうなったらやるしかないで、俺とお前やったらなんとかなるやろ。お前は伊織と付き合っとる。せやから派手に動けへん…」

「…じゃな。どうすればええ?」

「簡単や。それなら俺が派手に動いて部長の目を逸らしたる。お前は営業しとるフリして自分の自宅PCと、俺の自宅PCを徹底的に調べるんや」


「その間の仕事はどうするんじゃ?」

「そんなん、月方と栗津でなんとでもなる」


多少横暴な手じゃったが、俺は忍足と無我夢中になって犯人探しに時間を費やした。

その結果、俺は起動時に発生するおかしな作動音に気付いた。

忍足から電話があったのは、丁度その時じゃ。


「…忍足、どうもお前さんのパソコンも俺のパソコンも様子が変ぜよ」

「やな…こっちもあがったで。多分おかしなソフトがダウンロードされとるはずや。調べてみ?そのダウンロードされとる日付と時間、うちの事務所で誰が自由に動ける状態やったか…」


「…吉井で決まりか?」

「うちの事務所で自由行動出来るほど暇なんはあいつくらいしかおらんやろ」


「……あの女を地下に呼んどきんしゃい」

「そうしたいとこやけどな…さっき早退したらしいで。もう行っても無駄やと思うわ…多分、自宅マンションはもぬけの殻やろ」


悔しさを壁に叩き付けても、後に残ったのは虚しさだけ…その気持ちは、伊織が解放されてから俺を避けるようになって余計に強まった。

俺の話に聞く耳さえ持とうせん伊織を強引に抱き寄せても、目の前に掲げられるのは完全な拒絶のみ。


そして今日は、俺の慕う叶野部長までが会社を去って行った。

…部長の最後の言葉が胸に焼きついちょる。


「世話になったな、仁王…」

「……俺の責任じゃっちゅうのに、なんで部長が責任を取るんですか」


「お前の責任は俺の責任だからだよ…」

「……」


「…なんてな、格好の良いこと言いたいとこだけどな」

「……」


叶野部長は俺を見た。

その表情は、俺が見てきたどの部長の表情とも違うものじゃった。

疲れ果てたような、かと思えば、ほっとしたような…常にDDBでがむしゃらにやっちょった部長のそんな顔を、俺は見たことがなかった。


「仁王」

「はい」


「…俺はな、お前が思ってるような人間じゃないんだよ」

「…どういう…」


「強くない…目の前の力に平伏すことだってあるってことだ」

「……」


「友達を大事にな。…元気でやれよ」

「……」









それが数時間前…ついさっきは、突然伊織が俺の元に戻って来た。

これまでの経緯を頭の中で巡らせて、結局思うのは、部長は本当は何が言いたかったんじゃろうか…ちゅうこと。


いろいろと引っ掛かる…たどり着きたくない疑惑がじわじわと沸いてきた。

叶野部長という、大きすぎる存在…スパイ疑惑そのものが、囮じゃったとしたら。

そして一番引っ掛かる、「友情」の二文字…。


その時、俺の携帯が鳴った。

伊織からだとすぐに気付いて、急いで電話に出た。


「伊織か?」

「あ…雅治…ごめん、遅くなっちゃって…もうすぐそっち着くから」


「大丈夫か?何しちょった?」

「……なんかいろいろ整理してたら、事務所が懐かしくなって、しばらくデスクの上で考えごとしてた」


「…そうか…今、どこにおるんじゃ?迎えに行く」

「え、いいよ!だってもう、近くだし…ほら、近くのコンビ…」


「ならそこで待っちょきんしゃい」

「え…雅治…っ」


強引に電話を切って、俺は急いでマンションを出た。







* *







「あ…雅治…」

「なんか、買ってくか?」


「ううん。大丈夫。…帰ろ?」

「おう…」


そっと握られた手はやけに冷とうて。

人影が少なくなった歩道に入った瞬間、俺は伊織を抱きしめた。


「わっ…!」

「……心配、かけよって…」

「ご、ごめん…雅治…」


おどおどと言葉を返す伊織の髪に、そっとキスをする。

だがその瞬間、俺の心臓が波打ち始めた。


「……」

「…雅治?どうかした?」


「いや…どうもせん。さ、帰るぜよ」

「うん」


そう言いつつ、もう一度伊織の手を取りながら、俺は狂おしい程に胸を焦がしちょった…。




伊織の髪の毛から、忍足の香水を感じたせいで…。











◆ ◇ ◆










侑士も、雅治も…わたしを守ることだけ考えてくれていた。

一方のわたしは何も知らないで、自分勝手な想像で突っ走って、結局本当の気持ちが見えていない。

自分でもわからない…誰を愛してるのか。誰が必要なのか。


我侭に生きるなら、どっちも必要だと言い切れる。

雅治も好きで、侑士も忘れられなくて。

でもそんな勝手なことってあるだろうか。そんなの酷い。


「伊織」

「…っ…ごめん、考えごとしてた」


「おう…いろいろ考えたいこともあるじゃろう。大変な数ヶ月じゃったからの」

「…うん」


夜…ベッドの中でただわたしを抱きしめていた雅治は、わたしの頭をそっと撫でて、ゆっくりと唇を寄せてきた。

素直に愛しいと思う。首筋にかかる息も、触れた唇の温かさも。


「…お前さん、知っちょったんじゃろう?」

「…え?」


「俺は今知った…忍足が関西支社に異動じゃって。パソコンに会社から異動通知のメールが届いちょった」

「……っ…」


首筋のキスから顔をあげて、雅治は真面目な表情を向けてそう言った。

驚いたフリをしなくちゃいけないのに、硬直してしまって動揺することしか出来ない。


「…そろそろ、決断のときじゃろう、伊織…」

「…どういう…っ…」


言葉は詰まって…涙が溢れ出た。

雅治も侑士も、わたしの気持ちは疾うに見抜いてて。

それなのに怒りもせず、ただ、わたしを受け入れようとする。

どうしてこんなに素敵な人達が同時にわたしを求めるのかすら、わからない。


「お前さんがシャワーを浴びちょる間、忍足に電話した。明日、東京駅から12時発の新大阪行きじゃ。お前さんが思うようにしたらええ」

「雅治…わたし…っ…」

「今日が最後になるかもしれんなら、抱きしめて眠るくらい、許しんしゃい…」


力いっぱいわたしを抱きしめて、背中を撫でてくれた。

はっきり出来ない自分に腹が立ってしょうがなかった。

もう、自分を消してしまいたい―――。











◇ ◆ ◇











仁王から電話があったんは、夜の11時を回った頃やった。


≪水臭いのう忍足。俺に何の挨拶も無しに大阪か?≫

「急やったでなあ。まあ、お前と打ち上げもしとらんし、今度出張で大阪行く時は電話でもしてーな。飲もうや」


開口一番、「もしもし」も言わんとそう言った仁王に、俺は適当な言い訳をしたった。

言い訳やっちゅうことくらい、仁王もわかっとるはずや。


≪やの…。のう、お前さん…俺に隠し事しちょらせんか?≫

「ん?なんのことやろか?」


≪…どうもしっくりこんのじゃ…部長の退職≫

「はあ…まあお前部長好きやったしなあ。俺は別に普通やと思うで。あの人が責任者やったんやし、責任、問われてもしゃーないやろ」


あくまで冷静を装って答える。

仁王がすんなり騙されてくれるとは思わんかったけど、まともに聞くよりも、推測の域を超えん程度がええ。


≪……そうか、まあええ。ところで明日は何時に経つんじゃ?≫

「昼の12時ぴったしや。あ、でも見送りとかやめてや。俺な、結構あかんねんそういうの、弱いねんて」

≪さあどうかの。お前の一番大切な人間が、行くかもしれんぜよ?≫


冗談まじりにそう言うたら、とんでもない返事が戻ってきよった。

俺は思わず絶句してまう。


「……何言うとんや仁王」

≪何も…ただ、本人次第っちゅうことを言いたい。お前さんが余計な手回しせんでも、あいつが俺のことを本当に好きなら戻って来ちょったはずじゃ≫


「…何のことやねん」

≪格好ばっかりつけなさんなっちゅうこと≫


恐らく、伊織が喋ったっちゅうことはない。

せやけど仁王にはわかるちゅうことか。


「お前かて格好つけとんちゃうわ。ほなな。もう切るで」

≪おう…元気での≫


仁王との電話は、考えてみれば仕事以外でするんは初めてやった。

勘のええヤツ…なんでもかんでも見透かしよって、やっぱ気に入らんわ。


「…ぐちゃぐちゃ言うて、結局この電話やって余計な手回しとちゃうんか」


ひとりやっちゅうのに俺は思わず呟いて、携帯を眺めて苦笑した。










◆ ◇ ◆










泣き疲れたわたしは、雅治の腕の中で少しだけ浅い眠りについていた。

浅い眠りだったからこそ、雅治がベッドから出て行ったことに気付いたのだ。


しばらく戻ってこない彼が心配になって時計を見ると、夜中の3時で。

そっとベッドから降りてゆっくりと寝室の扉を開けると、リビングから微かな灯りが揺れていた。


雅治はソファに座って、わたしに気付く様子もなく、何かをじっと眺めていて。

その表情は酷く切なげでもあり、少しだけ微笑んでいるようにも見えた。

そして、手の中にあるその何かを、何度も何度も小さく揺らして。


なんだろう…?そう思ってしばらく見ていた。

すると暗闇の中でも、何かが時々周りの灯りに反射して光ったのがわかった。




あんな本物の輝きを、わたしはガラスケースの外からしか見たことが無くて。




…それが何か気付いてすぐに、わたしはベッドに潜り込んで、また泣いた。

―――――紛れもなく、今日が決断のときなのだと。





to be continue...

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