Bygones
「伊織…?帰ったで…?」
……
「伊織?おらへんのか…?」
……
Bygones
えーと…たまねぎ買ったし…じゃがいももあるし…
後はビールと…それから…あっ!お肉お肉!!
カレーにお肉ないとかありえないし!!鶏、豚、牛…と。
カレーは全部のお肉混ぜるといいダシが出て美味しいんだよね!
侑士、喜んでくれるかな…?
今日から、私は侑士と一緒に暮らすことになった…所謂、同棲ってやつで…
記念すべき初日の今日、何が食べたい?って侑士に聞いたら、「伊織の作ったカレーがええ」って言うもんだから、近所のスーパーまでいそいそとカレーの材料を買いに出掛けた。
こうしてスーパーで買い物することがこれから毎日続く…そう考えると、私の胸がポッと熱くなった。
そうして買い物を終えた私は、ビニール袋を抱えて侑士のマンションへと向かった。
ふぅ…やっと到着…
鞄の中から、彼とお揃いのキーホルダーと、このマンションのキーを取る。
それを眺めて思わずにんまりしてしまう自分に苦笑しながら侑士の部屋の前に着くと、その表札が「忍足佐久間」になっていて…
またまた顔が緩んでしまう…飽きもせず、その繰り返し。
私は今日からここで暮らすんだ…いやーーっ、やっぱり恥ずかしいっ!
一人ではしゃいで一人で頬を染めながら、その第一歩を踏み出そうと、私はキーをそっと鍵穴に差し込んだ。
侑士のマンションの扉を開けるのは初めてじゃないのに、なんだか妙に緊張する。
「伊織っ!」
「あれ…侑…ひゃっ」
まだ仕事をしているはずの侑士が部屋の奥から掛けって来て、玄関で扉を開け放った状態でいる私の手を強引に掴んで引きずり込むと、そのまま強く抱きしめてきた。
「ちょ…ゆ…侑士?」
「どこ行ってたんや…」
侑士の髪の毛が私の頬をかすめる。
ぎゅっと強く抱きしめている侑士の手が私の肩をきつく掴んで、それに比例するかのように侑士は切ない声を出した。
「ど…どこって…スーパー…だけど…」
「…なんでここにおってくれんねん…お前、4時くらいにはもうおるって言うとったやないか」
「あ…だから…その前にスーパーに…だ、だって侑士、仕事は?」
「早めにあがらしてもろたんよ…今日は…特別な日やろ?」
「侑士…」
「せやのに…帰っても伊織おらへんし…携帯かけても繋がらんしやな…めっちゃ心配やってんで…」
そう言って侑士はゆっくりと身体を離すと、私の顔を真剣な目でじっくりと覗き込んできた。
あ…そういえば、携帯マナーモードにしたままだった…にしても…どうしちゃったんだろ…侑士ってば…らしくないの。
「ごめん、携帯気が付かなくて…でも、心配しすぎだよ、侑士。もっと前向きにね。ふふ」
「んん…そうかもしれへんけどやなぁ…」
「けど?」
「不安やってん…夢みたいやん?俺ら今日からずっと一緒やねんで?」
「……くくっ」
「な!!なんやっ…人が真面目に話しとんのに、お前なに笑ろてんねん…!」
「だって侑士、なんかカワイイ…くくっ」
「なっ…よぅゆわんわっ。もうええわ…さっさとメシ作ったって」
くるっと背を向けてそのままバスルームに向かった侑士に私は思い切り苦笑しながら、はいはいと呟いてそのままキッチンへと向かった。
実は侑士は随分前から、私と一緒に暮らしたいと、何度も何度も言っていた。
無論、私はすぐにでもOKして、侑士とこうしたかったんだけど…うちの父があまり侑士のことを気に入ってなくて…こうして同棲するまでに、随分と時間がかかったのだ。
私の父なんか放っておいて、私は侑士のとこに行きたい!!
…って、それこそ何度も言ったのに、
「嬉しいけどな、それじゃあかん。そんな失礼なことできへんよ。お前のおとんに認めてもらうまで、俺は絶対に諦めへん」
そう言って、毎日のように私の父に頭を下げに来ていた。
そして漸く、許しが出た時、誰よりも喜んだのは紛れもなく侑士で…もしかしたらそれが反動になって、私の姿が少し見えないだけで不安になってしまうのかもしれない…そんな侑士が愛しかった。
「めっちゃええ匂いやなぁ〜…」
生野菜がバターで炒められていく香りに、シャワーから出てきた侑士が嬉しそうに反応した。
その姿は上半身裸で…髪の毛をタオルで拭きながらこっちに向かってきている。
当然、お風呂上りだからメガネはなし。直視したら私がそのまま倒れちゃいそう。
私はすぐに鍋の中へ目線を移して、平静を装って答えた。
「ご注文通り、カレーにするね」
「俺、なんか手伝うことあらへん?」
「いいよ、侑士はテレビでも見て待ってて」
「なんやそれ…テレビ見るくらいやったら、こうしとく」
そう言うと侑士は後ろから、私の腰を抱きしめてきた。
私の髪の毛に侑士の濡れた髪の毛が重なって、少し冷たく感じる。
「もぅ…動きにくいでしょ」
「それでもこんなんしときたいねん」
後ろから私の首に音を立ててキスする侑士。
彼の胸板の体温が一気に私の背中へと入ってきた瞬間だった。
「ん…ちょ…っとぉ…」
「うわっ…何その声…自分、それは反則やで…?」
そうしてキスした首に何度も何度もそれを繰り返す。
その唇がわざとらしく音を立てて、私の身体がぴくんと反応してしまう。
「も…ゆ…侑士っ!」
「伊織…止まれへんよ…」
その声を合図に侑士の正面に無理矢理振り向かされた私は、彼が覗き込むその瞳に胸が圧迫されて、そのまま動けなくなってしまった。
「めっちゃ好きや…伊織…」
「侑…んっ…」
わざと音を立てて降ってくる侑士の唇はまるで映画俳優がするような甘い甘いキスで…
少し触れては離れたかと思うと、今度は食べるように唇を寄せる。
次にはゆっくり角度を変えて、小さく舌を出してから私の唇を舐め取った。
そしてもう一度短くキスしてうっすらと目を開いたかと思うと、今度は私の唇を見つめる…それからやっと、じっくりと深く私の口内を犯していく。
「んっ…ふっ…」
「伊織…かわええよ…」
思わず侑士の首にかかっているタオルを掴んだ私の虚しい抵抗も、侑士はふっと笑って交わしていく。
「んっ…も…侑士っ…!」
「ん…?ああ、せや…カレー、作ってる途中やんな?」
「わ…わかりきってるでしょ!そんなこと!」
「堪忍して、伊織」
そう言ってニッコリ笑うと、私の頭を軽く叩いて、侑士は髪の毛を乾かしに洗面台へと向かっていった。
「もう!色ボケメガネ!!」
「うわっひどっ…今メガネかけてへんやないか!」
遠くから聞こえる侑士の抗議の声が、ムードを一気に吹き飛ばすくらいにおかしくて。
思わずクスクスと笑いながら 私はじっくりカレーを煮込んでいった。
* * * * *
「やっぱ伊織の作ったカレーはめっちゃ美味い!」
「それはそれは…どういたしまして」
ビールで乾杯した後に美味しそうにカレーを食べる侑士の顔がいつになく上機嫌で、私はそれだけでも充分に満足した。
そうして食事を終えてから、リビングにある丸テーブルにお酒とおつまみを移して、私達は静かにBGMを流しながら、今日あったことや仕事のグチなんかを笑いながら話していた。
「あ、なぁ伊織…今日な、俺な、ワイン買ってきてん」
「えっ!そうなの?」
「ん。伊織ワイン好きやろ?特別な日やん…お祝いしよ思てな」
侑士はそう言ってからキッチンの奥へ行ってワインを嬉しそうに取り出しながら、私の前に持ってきた。
「あー!キャンティ!これ、私が好きなの、よく覚えてたね!!」
「伊織のことやからな…どないことでも忘れへんで?せやから、これも」
「きゃーっ!カマンベール!」
「伊織はホンマ、飲兵衛やねぇ」
「う…」
「せやけど…そんな伊織も好きやで…」
侑士はそのまま私の頬に手を寄せてじっと瞳を逸らさない。
付き合い始めて間がないわけでもないのに、私の心臓はドクドクと波を打つ。
「今日はことあるごとに…そうして愛を囁くのね」
「伊織さえエエっちゅんやったら、毎日でも言うけどな」
「え゛」
「ほらな、嫌そうにするやろぉ?へこむわ〜」
嫌なわけじゃない。
だけど、こんなの毎日…私の心臓が心筋梗塞で止まってしまう。
「い、いいから飲も?」
「また誤魔化された…まぁええわ」
ぶつぶつ言いながらグラスを取りに行って戻ってきた時、さっきまで隣に座っていた侑士がさっと私の後ろに来た。
「ええやろ?これくらい」
後ろからふわっと私を包んで、そう耳元で囁く侑士。
「いちいち確認取らなくたっていいのに…ふふっ」
「自分そんなん言うて、俺がいきなり乳揉んだら怒るやないかい」
「あのねぇ!それとこれとは別でしょーが!」
「同じ愛情表現や…わかってないなぁ」
「色ボケメガネ」
「メガネかけてへんやろっちゅーのに…ほれ、乾杯しよか」
少しむくれた顔をして侑士はグラスにワインを注いだ。
トポトポッという音が本当に綺麗で、思わずうっとりしてしまう。
小さくグラス同士を重ねて、小さく乾杯、と言ってから私が一口コクリと飲み込むと、それを見た侑士が突然、私の顎に手を持ってきて上にあげる。
「なっ…なに?」
「ん〜〜〜〜〜っ」
侑士の唇が突然私に触れたかと思うと、ちゅるっと冷たい液体が私の口の中に注がれる。
「んんっ…!!」
「んっ…はぁ…うまいな、このワイン」
「なっ!…なにしてっ…!」
「俺が全部口移しする言うたら、怒るか?」
今にもまた唇が触れそうな距離で意地悪に笑ってそう聞いてきた。
私は正直、こういう侑士の攻めにかなり弱い。
ドキドキが止まらなくなって、侑士と目を合わせるのも困難になる。
案の定、私は目を見開いてその心拍数を悟られないように意地を張って答えた。
「ばっ…バカじゃないの!?」
「ん…まぁ、間違えやないな」
「は?」
「伊織とずっとこないしておったら、俺の脳ミソ、とろけてバカになってまうかもしれへん」
「…は…はい?」
「そしたら伊織、責任取ってな…ええよな?…ん?」
私の目の前にあった侑士の唇はすでに私の耳元へ移動していてワインを口移ししたばかりのそれは少しだけしっとりと濡れていた。
そのせいか、私の耳にチュッと弾けるような音を立てる。
次第に侑士の頭が首筋に渡り、その唇が私の鎖骨まで来たとき、私はそれこそとろけそうで、必死に侑士に訴える。
「ちょ…っ…ゆ、侑士ぃ…私まだワイン…」
「ワイン飲みたいんやんな…?ええで。なんぼでも飲ませたんで」
侑士の綺麗な手がワイングラスへと伸びてそのままコクッと一気に飲み込んで、ボトルからまたワインを足している。
な…なんかタチの悪いおっさんみたいになってるよ侑士!
も、もしかして酔っ払ってる…?
「ね、ねぇ侑士…私のグラスに注いでよ…んっ!!」
「んん〜〜〜〜〜っ」
「んっんっ…」
「ん…はぁ…せやから、ちゃんと飲ませる言うたやろ?」
「もう〜〜〜!!落ち着いて飲ませてよ!!」
「あかんねん…俺、もう我慢できひん…」
そう言うと、侑士は私をそのまま押し倒した。
「ちょっ!!侑士!」
「ええやん…もう…」
「ダッ!ダメだよ!!私、お風呂だってまだ…!!」
「何?まだワイン飲むって?」
「そうじゃなくて!!いや、飲むけど、だからそうじゃなくて!」
「んん〜〜〜っ」
「んーーー!!」
私が侑士の胸をドンドンと叩くと、侑士はその手をぐっと掴んで、ゆっくりと唇を離してから私に本気の顔を向けた。
「…伊織…めっちゃ好きやで…めちゃめちゃ愛してんねん…。このまま俺に抱かれてや…伊織を今すぐ抱きたいねん…ええやろ…?」
こんなことを真面目な顔した侑士に言われて、もうすでに私の脳ミソはドロドロだった。
そうして侑士の舌が首筋から次第に胸へと移動して、私は力が抜けていく。
「ゆ…侑士…ダメだよぉ…」
「まだ言うか…?風呂やったらこの後んが都合ええって」
「もう…バカぁ…」
RRRRRRR.......
侑士が私のシャツの上から静かに愛撫をしているとこの家の電話が鳴り始めた。
「んっ…あっ…侑…士…電話…」
「ええから…ほっとき」
「ででも…大事な…電話…かもしれない…よ…あんっ」
「それやったら今から留守電になるさかい、それに入れるやろ」
「ででもぉ…気が小さい人だったら…」
「はぁ…ようゆわんわ…」
私が近くにあった子機に手を伸ばそうとぐいぐいと身体をずらすと、侑士はムッとした顔をして、その手に自分の手を絡ませてその前進を阻止した。
「あかんよ…今はこっちに集中してや…」
「あ…でも…侑士…」
「自分、ちょっと黙っとき」
少し呆れた表情で侑士は私に激しくキスしてきた。
それは本当に黙らせる為のようなキスで、私は息が苦しくなる。
「んっ…ふっ…んんっ…」
〔ただいま留守にしております…〕
「たまらんわ…その声…今日から毎日、俺が独り占めできんねんな…」
ピーッ
--いないのか、忍足くん!--
「んなっ!?」
「えっ…お父さん!?」
少し離れた場所にある親機から聞こえてくる声は紛れもなく私の父で…その声には未だ侑士のことを完全に認めていないのだというような色が、ほんの少しのせられている。
--もう随分前に伊織はこっちを出たんだが?娘はどうしている。--
「なっ…なんの冗談やねんこれ!!」
侑士はそのまま急いで起き上がって親機の前で電話を取った。
「も、もしもし…?あ、お父さんですか!?…あ、あいや、すんません…いや…今ちょっと電話の近くにおらへんかったもんですから…え…あ、伊織さんですか?あ、今ちょっと買い物に出掛けてますわ。えっ…?あいやっ!僕が行こうとしたんですよ!?い、今から追いかけるとこですねん!え…?あいや、お父さん、大丈夫ですって!!いやいや、そんなんちゃいます!いや、そんな、迷惑やなんて思てませんて!!え!?いや…でも今から来らっしゃるんは…ちょ、ちょっとしんどないですか?え…?は…はぁ…仰ることはよーわかりますよって…あはいほんなら…はい後で」
受話器を置いた侑士はその大きな身長が、二分の一になるくらい肩を落として縮こまっていて…
「侑士…?お、お父さんどうしたって?」
「………どんな生活してるか気になるから、今から来るらしいで」
「ええええええっ!!」
「……………もう……………堪忍してーな…」
「ゆ、侑士…前向きに…ね?」
「…これが前向きになれるかい…へこむわぁ…ホンマ…」
この後、父は夜中の1時までここに居座り、侑士は延々と父の政治論を聞かされるハメになった…。(ごめんね侑士…)
途中、父がトイレに行っている間、侑士はすぐに私の傍へ来て
「さっきの続き、後で覚悟しといてな?」
そう言って困った顔をして、私に短く口付けた。
fin.
[book top]
[levelac]