キスの魔法_05







私が貴方に愛されたこと、きっとずっと忘れません…

私が貴方を愛した瞬間を、貴方もどこかで覚えていて…













キスの魔法












5.





走り去る私を部長はあの教室から見ていただろうか――――?

この時間にこうして突然雨が降るなんて、まるでこうなることが最初から決まっていたかのようで…それならどうして、あんなに苦しまなければいけなかったのか…


いろいろな想いが駆け巡って、それをまた雨音がザワザワと掻き消す。






最低な昨日から、たった一日過ぎた放課後…


私は深呼吸をひとつして、誰も居ない教室で手塚部長が来るのを待っていた。





やがて、静かに教室が開かれて、私はそれに見向きもせず背中を向けたまま小声で言った。


「呼び出したりして、すいません」

「いや…待たせたな」

「…何か 用事があったんじゃないんですか?」

「ああ…お前に呼ばれる前に、他の人間にも呼ばれていた…」

「…そうですか…部長、モテますからねっ!ふふっ」


そう言って私は無理に声をあげて笑った。

私のその発言を、部長がどんな顔をして聞いてたのかなんてことを考える余裕は、私には無かった。


「…」

「…」


少しの沈黙が私にはとても辛くて、重たくて、私はそれを引きずるように、ゆっくり部長に振り返った。


「部長の…部長の気持ちは…本当に…本当に…嬉しかったです」

「…」


ひと言ひと言ゆっくりと噛み締めるようにそう言った時、部長の瞳が少し動いた。

そして静かに私を見据える。


「でも…私、その気持ちに、…応えることが出来ません」

「……そうか…」


たっぷり10秒は過ぎてから、部長がやっと声を出した。

フッと下に視線を落として、また私に視線を戻して…部長の目の動きを見ているだけで、私は胸が締め付けられる。


「…私…桃が、…好きです」

「…そうか…」


ゆっくりとした部長の静かな頷きに私は耐えれず涙を流す。

どうしてこんなに切ないんだろう、私はこの人のこと…好きじゃなかったはずなのに…


「部長…」

「…なんだ?」

「私が今 泣いているとしても それは部長のことが…好きだからじゃありません」


自分が誰の元へ行きたいのか、本当は誰を求めているのか。

そんなことを考えていたら、きっとこんなことは言えなかった。

それでも今までずっと想い続けていた彼を、裏切ることなんて出来なくて… 



「…ああ」


自分を納得させるように見えた部長の表情に、私の涙は容赦なく頬を伝っていった。


「2週間前と…昨日と…私と部長の間に起こったことは…」

「…」


「全部…全部忘れて下さい」

「…」


「私の…弱さが出ただけです」

「…佐久間、それは…本気で―――」


「本気です!!…っ…嘘じゃないです…っ」

「……わかった。それなら、もう泣くな」


肩を揺らして視線を外した私に、部長は優しくそう言った。

その教室に私の泣く声だけが寂しく響いて、それが余計に、自分を愚かにさせる。


「…あんなことをして…すまなかったな…」


喉の奥からやっと出したような部長の声は、痛々しく私に突き刺さって。

その声を聞いた感情の波に私が耐えれることなど、出来るはずがなかった。


「…失礼しますっ!」


そう言うなり乱暴に部長に頭を下げて、私は教室から走り去った。



今頃、気が付いた…ううん気付いてた…?




―――手塚部長…一瞬でも…私は貴方と愛し合いました。




私は心の中で叫んだ。

走りながら、叫んでいた。

それでも、桃を裏切ることは出来ない…桃は、ずっと私のこと見てた。

それに気付いてて、私は知らん顔してた。



「―――なんで俺じゃないっ!!」 

「…俺はお前が居れば…何もいらないから…俺の…俺だけの伊織でいてくれ」



昨日、そう桃に言われて私は心底…自分を憎んだ。

これからは桃だけを愛して、桃だけを想う…私は昨日、そう誓った。

人の気持ちはゲームじゃない。

それを私は簡単に捕らえて、結果、同時に二人の人を傷つけた。

ごめん…桃…ごめんなさい、部長…。

こんなにも最低な私を……許してくれますか―――?






+ +






「全部忘れて下さい」


忘れられると思うのか。

それはあまりに残酷な言葉だ。


「昨日のことは、本当に、すいませんでした」

「どうして、お前が謝るんだ」

「…」

「悪いのは、俺のほうだ。だから俺は今日、お前に…」

「いえ…謝らせてください。そのかわり…」

「…」

「全部忘れて下さい」

「…桃城…」

「伊織との間にあったこと、全部忘れて欲しいんです」

「…忘れられると思うか?」

「伊織は忘れるって言ってます」

「…」

「それじゃ…失礼します…」


桃城はそのまま帰って行った。


そうした桃城との話し合いの後に、佐久間にまで忘れろと言われ、俺は…苦しくて…切なくて… 

自宅までの帰り道、吐きそうになるほど胸を掻きむしった。


いつの間にか降り出した雨の音が俺には全く聞こえなかった。

ふいに立ち止まって壁に手をついた時、俺の動きが完全に止まって…

俺は…この上ない…失望感を感じていた。




「…風邪…ひくよ?」


その声に気が付いてふと顔を向けると、 そこには吉井が、俺に降る雨を避けてくれていた…


「うち、ここから近いの。知ってるでしょ?」

「…吉井…」


吉井が俺を静かに見つめる。

どうしてお前がそんなに辛そうな顔をしているんだ…。


「せっかく傘持ってるのに、それじゃ意味ないじゃん。バカ手塚」

「…吉井…どうして…」

「周助の家に行こうかと思ってたんだけど…予定変更」

「…」

「うちに来て?」

「いや…」

「いいから!」


いつも元気で明るい吉井が感情的に声を荒げて、俺は自分が今酷い状態なんだろうなと、実感していた。


「…もう、見たくないよ…こんなの…」

「…すまない…吉井…」


泣きそうな顔をして俯く吉井に俺はどこか暖かいものを感じて、こいつの優しさに甘えようと、一緒に彼女の自宅へ向かった。


「手塚…苦しい?」


タオルで頭を拭いて落ち着いたら、吉井が紅茶を淹れてくれていた。

その紅茶を飲んでいた俺に、吉井が突然、話を切り出す。


「…ああ…」

「…伊織ちゃんもさ…苦しいと思うよ」


「…佐久間は…桃城が、好きなんだそうだ」

「そう…言われた?」


「ああ…本人が、そう言った」

「…うん…それも、嘘じゃないだろうけどね」


「…吉井…俺は…」

「間違ってたよ、手塚の行動は」


俺が聞こうとしたことを聞かなくても答えてくれる。

俺がこんなに弱っているからなんだろうか…?

吉井は昔から、こうして俺を支えていてくれてたような気さえする。


「……そうか」

「うん…でも…伊織ちゃんが一番、間違ってる」


「もう…いいんだ吉井…」

「本当にいいの?」


「…ああ」

「…それなら、それでいいよ」


吉井はそれから何も聞いてこなかった。

彼女のその気遣いが、俺には本当にありがたかった――――。








+ +








2ヶ月後―――――






あの一件の騒動をきっかけに、私はテニス部のマネージャーを辞めた。

あれから2ヶ月、私は同じ学年の桃と海堂くん以外のテニス部員と滅多に顔を合わせることなく、淡々と時間が過ぎていった。



そして今日、桃と私は久しぶりのデートで…。


「伊織さぁ、こういうの着たら似合うんじゃねーかー?」


私のお気に入りのショップでマネキンが着ているピンクのキャミソール。

それを桃はまじまじと見ながら真顔でそう言った。


「え〜っ。キャラじゃないよぉ!」

「まぁなぁ…この服カワイイもんな」


「ちょっ!!それどういう意味!?」

「んだよ、自分が言ったんだろ〜?」


「誰もカワイイのがキャラじゃないとは言ってないじゃない!桃のバカ!」

「はははっ!ムキになんなって!!冗談だよ〜。冗談」


桃との時間は、最高に楽しい。

こうして付き合っている今でさえ友達だった頃となんら変わりない日々だけど、それでもやっぱり、何かが違う。

私は彼に、守られている…そう感じて心がふわっと暖かくなる。


「にしても、お前がいない部活は寂しいよ」


街中を歩いていた時に、桃が突然切り出した。


「しっかり!千夏ちゃんが、いるでしょ?」

「…にしたって…千夏先輩も、辞めさすことないのにな?」


「千夏ちゃんは、正しいよ」

「でもちょっと…やりすぎじゃねぇ?」


「またそんなこと言って〜!千夏ちゃんに言いつけるよ?」

「ばか!無理だって!不二先輩に何されるか!!」


そう。

みんなの反対を全く聞かずに私に辞めるように言ったのは …千夏ちゃんだった。



===


「…悪いけど…今はちょっと…伊織ちゃんの存在が、困るわ」

「うん、わかってる…ごめん…」


「みんな、反対してる」

「…本当?」


「でも私は、伊織を部活に入れた責任がある。だから辞めさせるのも、私よ」

「うん…」


「…みんなが忘れた頃にさ…」

「…?…」


「また、戻っておいでよ」

「…千夏ちゃん…」


「桃と手塚は、大丈夫だから。きっとすぐ、元に戻るから」

「うん…ありがと千夏ちゃん…」


===



千夏ちゃんは、きっと私のことを考えてそう言ってくれた…。


手塚部長と桃との間は今はもう大丈夫だと、こないだ千夏ちゃんからメールを貰った。

桃は自分から部長のことは話さない。

私も、部長のことを聞く勇気なんて、とてもじゃないけどあるはずなかった。


部長に会わなくなってから、2ヶ月…私はテニスコートの近くを放課後に歩くことは絶対にしなかった。

その行動は無意識で、部長をこの目に映すことをまるで恐れているようだった。

今でもたまに、夢を見る――――

部長の声が私を呼んで、そのまま深く口付ける…夢見る度に、最低の女だと自覚して… その夢から覚めると、バカみたいに泣きじゃくる。


そんなことを思い返して少し切なくなった私に、桃が手を差し伸べてきた。


「…?」

「手…繋ごうぜ、なぁ?」


「…うん!」

「よし。その笑顔だ!」


ぎゅっと握ったその手を桃がぶんぶんと振って街を歩く。

私は「恥ずかしいよ!」と言いながらも、密かな幸せを感じていた。

私は今、桃だけを見てるね…心の中で桃にそう呟いて、くすっと一人で笑った。

そうして桃が私の手を取ったまま、その道を右に曲がった時…


「って!」

「わっ!」


人にぶつかってしまって…すぐに謝ろうと相手の顔を見上げると


「すみませんっ…大丈夫です…か…?」


そこに居たのは


「…桃城…佐久間…」


紛れもなく、彼だった――――――――





to be continue...

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