キスの魔法_07









時々思い出しては、自分の愚かさを悔やんだり…

でもそれは…きっと私に必要な大事な出来事だったんだと

貴方は優しくそう言ってくれる―――












キスの魔法













7.





「くすっ。悪いコだね」


翌日の午後。

5時限目の授業を受けずに屋上にいる私の後ろから、からかうような明るい声がした。


「…不二先輩…」

「ん〜っ。いい天気だね」


そう言って伸びをすると視線を合わせない私に、不二先輩は小さくため息をついて、私の隣に座った。


どうしてここに不二先輩が来るんだろう…?

私がいるのを知ってて…?


「伊織ちゃん、昨日…」

「はい?」


何の前置きもなく話し出した不二先輩に、私は少し警戒した。


「あの時のこと、思い出してたでしょ?」

「…あの時…?」


「2ヶ月前の、うちの部室騒動」

「…思い出してません」


くすっと笑って、悪びれた様子もなくそう私に聞いてくる不二先輩が…私は怖かった。


どうして不二先輩は、最初から私たちの仲を掻き乱すようなそんなことばかりするんだろう。

最初の溝口先輩との噂…昨日の誘い…今の質問…


そんな不二先輩の言動に私がイラつくのは、きっと指摘することが全て当たっているからかもしれない…。


「くすっ…そう…でもあの時は…大変だったみたいだね」


まるで他人事のように言う不二先輩が、私には理解できなかった。


「…反省してます…英二先輩に、すいませんでしたって言っておいて下さい」


不二先輩と…こんな話はしたくない。


早く終わらせたいばかりに、業務的に私は答えた。


「……自分で言いなよ」

「えっ…」


不二先輩の声が少し低くなり、その表情から笑顔は消えていた。

いつもとは違う不二先輩の冷たさに、私は一瞬たじろいだ。


「あ…合わせる顔…なくて」

「それは手塚と桃にでしょ。英二は関係ないんじゃない?」


いつになく厳しい不二先輩のその表情と発言に、私は悔しくて肩が震える。

不二先輩に対して悔しいわけじゃない。

まさに真髄をついてくる不二先輩に、何もかも見透かされている自分の弱さを自分で感じて…それが分かって悔しかった。


「…すいません」

「それは手塚と桃に。僕にじゃない」


ことごとく私を否定する、不二先輩の視線は、真っ直ぐどこかを見つめていて…私がそっとその先を見た時、風が足早に通り過ぎた。

その風の音と感触に私は自分の心が揺らされたようで…堪えきれない感情が胸から這い上がってくる感覚に襲われた。

そんな私に気付いてか、私の背中を、不二先輩が優しくぽんぽんと叩いた。


「しっかりしなよ」


やっと微笑んだ不二先輩に私は妙な安心感があった。


今なら全部、聞けるかもしれない…ずっと、気になってた…。


「不二先輩…」

「ん?」


「どうしてですか?」

「何がだい?」


「どうして、あの時あんなこと…私に…言ったんですか?」

「………手塚と溝口さんのこと?」


あの日、不二先輩にああ言われたことで…今の私があるような…ずっとそんな気がしていた…あの話さえなければ…

不二先輩は、一体何の為に、私を苦しめるのかわからなかった。


「…それも…昨日のこともです!どうしてあの時、私達を一緒に誘ったんですか?どうしてあの時、あんなこと言い出したんですか!?不二先輩は知ってるじゃないですか!!千夏ちゃんや英二先輩から全部聞いてますよね!?」


段々とその憤りを感じながら、私は感情的に言い放った。


一体何の為に…どうして私達を…


「…嫌いだから…かな」

「え……?」

「曖昧な伊織ちゃんがね。僕は嫌いだから」


先輩の突然の告白に、私は固まって絶句した。


「…わからない?…僕にとって桃は大切な後輩。僕にとって手塚は大切な友達。二人が同じ人を好きになって、二人は自分に正直に行動した。でもそれを受け止める君が曖昧で、どっちつかずだと、僕は二人のどちらかが幸せを勘違いしているようで、無視できないし、祝福できない」


不二先輩の言っていることに私は 唇を噛み締める。


「……伊織ちゃんは人のせいにするね」

「…そんなっ」


人のせいにすると言われた事で、私のちっぽけなプライドが傷付く。

咄嗟に出た言い訳の始まりを、不二先輩は私の目を見ることで黙らせた。

私が言葉に詰まったのを見てそっと目を逸らすと、また正面に向かって先輩は自分の手を握り締めながら話しだした。


「…僕の前の彼女ね…同じだったんだ…」

「…え…?」


先輩の手を握る力がさっき以上に込められている。

私から見ても、それははっきりと分かる程だった。


「僕と付き合いながら、違う人に恋してた。その相手も彼女のこと好きで…僕はそれがわかってても、彼女を手放さなかった。ううん…手放せなかったんだ…。自分が自分で嫌になったよ…そして…そうやって自分を偽って…僕を好きだと思い込んで…情だけで付き合ってる彼女に対しても………僕は、本当に嫌になったよ……でも、本当に本当に…好きだった…」


その告白に、私は何も言えなくなった…目を見開いて、私は不二先輩を見たままで…息をするのも、忘れるほどの衝撃。


不二先輩が…前に同じ経験をしてたっていうの?


「…千夏は知ってるよ。…その時、僕を支えてくれたのが千夏だったから。僕は段々、彼女の優しさに惹かれていったんだ。一番辛かったのは、千夏かもしれないね…だから千夏も、今回のことは放っておけなかったんじゃないかな…?…最終的にはね…僕は振られちゃったんだけど…ふふっ…でも…前の彼女にね待ってる僕らが本当に切なくて本当に辛かったんだってこと知って欲しかった。それだけは、絶対に…今も、忘れて欲しくないと思ってる」


不二先輩は…私に気付いて欲しかった?

それで…??


「彼女も自分から逃げてた…あの時貴方があの場所にいなければ…あの時貴方があんなこと言ったから…ってね。伊織ちゃんの場合、それが僕だ。あの時、僕があんな話をしなければ…僕が、あの時誘わなければ…」

「…!」

「あの時僕があんな事を言わなかったら、手塚とああならずに済んだと思う?」

「っ…それは…」

「遅かれ早かれ、君の気持ちがその状態なら、こうなることはわかってたことだよ」

「……」

「あの事態は僕が生んだものでも、手塚や桃が生んだものでもない。伊織ちゃん、君が、呼び寄せた運命だよ。君自身の、その想いが」


どうして千夏ちゃんが不二先輩を好きなのか、私は分かった気がした。

皆を後ろから見守っていて…背中を後押ししてくれる…本当に、優しくて…本当に…素敵な人なんだと思った。


「そうだよね?桃」

「!?」


不二先輩が後ろも振り向かず、突然に桃の名前を出したことで、私は咄嗟に後ろを振り返った。

そこには気まずそうな顔した桃が、半開きになった屋上の扉をゆっくり開けて、その姿を覗かせた。


「気付いてたんスか…」

「くすっ…まぁね」

「桃…どうして…」

「お前が授業出てないから…話したいこともあったし…」

「じゃ、僕はこれで…」

「えっ…」


不二先輩は私に笑顔を向けたかと思うとすっと立って、私を見下ろす。
 

「伊織ちゃん?」

「えっ…はいっ」


「君もね…僕にとって、大切な大切な後輩だよ?」

「…不二先輩…」


不二先輩の笑顔は本当に綺麗で…私は自然と立ち上がって先輩に頭を下げた。


「ふふっ。今日は本当にいい天気だね…」


先輩は静かにそう言うと、そのまま扉に向かって歩いた。

桃の横をすれ違う時、先輩が桃に何か言った。

距離があって私には全く聞こえなかったけど、桃の肩をぽんと叩いて不二先輩はそのまま階段へ消えていった。










「桃…話って…?」


私は桃にゆっくり近付いて、そう切り出した。

桃の顔を見ていると、胸がざわついて煩かった。


「…俺さ…お前のこと、…マジで…好きだったよ」


瞬間的に私の顔を見て、優しい表情でそう言った。

好き…だった…と。


「お前も…俺のこと…マジで…好きだったんだよな」


何も言えず首を振った。その行動は無意識で…そう言われることがわかっていながら、それを否定しているかのようだった。


「不二先輩との話を聞いたからじゃねぇ……俺、最初から今日は言うつもりだったんだ」


今から桃に言われることに、なんとなく予測が付いた私は、俯いて歯を食いしばる。


「…やめようぜ、もう…」

「っ桃…」


「俺が好きなった女は、今のお前とは違う女だ。俺は…他の男を想ってるような女は要らねぇ…要らねぇよ…」

「桃…私は…」


「もうこれ以上俺に嘘つかないでくれ!!俺も、もう自分に嘘つきたくねぇ!だからお前も俺に正直になってくれよ!!自分にも、もう嘘つくなよ!!」


私の言い訳を桃がそう叫んで制した時、彼の頬に …一筋の涙が伝った。


「俺…ずっと気付いてたんだ…なのに…気付かないフリしてた俺はお前にずっとそうだった…手塚部長のことだけじゃない…その前のことも…お前が俺のこと好きって知ってた。気付いてたのに…俺は…俺は何も言えなかった」


桃の頬を何度も伝う涙が…哀しくて…

私は桃のその想いに、自分の愚かさを…嫌というほど思い知った。


「ずっとそうだ…今回のことだって…俺はお前と手塚部長が、死ぬほど好き合ってるって気付いてた!!!苦しくて辛そうな二人を、ずっと知ってて、でも気付かないフリして、俺は…っ…俺っ…」


私は涙を堪えきれずに、桃のその言葉を聞きながら両手で顔を覆って泣いた。


桃…ごめん…桃が悪いんじゃないのに…私…本当に…本当にごめん…ごめん…桃っ…!!


「…俺は最低だった…でもこれ以上、自分に嘘付きたくねぇ…お前のこと、好きだよ…だから…お前にも嘘付いて欲しくねぇよ…昨日、部長とお前見てて…俺な…伊織…」

「うっ…うっ…最低なのは…私っ…うっ…私だよ…っ!!」


桃の言葉に私の泣き声が重なって…桃は私の肩にそっと手を置いた。


「なぁ伊織…顔上げろって…こっち…向いてくれよ」

「だって…」


ぐずぐずと泣いている私を、桃は明るい声で慰めてくれた。

桃に言われて、顔を上げると桃は笑顔で私を見ていて…



「なぁ不二先輩さ…」

「え……?」

「さっき、俺に言ったんだ」

「…」

「強くなれ、桃。って」

「…強く…なれ…」

「そう…まぁ…俺はさ…好きな女 苦しめるほど、悪趣味じゃねぇし…お前が本当に好きなのは…傍に居て欲しいのは俺じゃねぇだろ?」


明るく優しく満面の笑みでそう言う桃に、私は心の中で何度も何度も懺悔した。

彼を裏切りたくないと思った末の私の取ってきた行動は、結果として…彼を一番残酷に裏切ったのだ…。


―――――私はそのまま暫く泣いた。

桃が困ったように私の肩に手を置いて、慌ててなだめている間、私はその優しさに―――最後の最後まで甘えて泣いた―――。

















〔放課後、校舎裏に行けよ?これは俺からの最後の我侭だ〕


屋上で桃と別れる前に、桃は私にそう言った。

そこに待ち受けている出来事が何であるかはすぐに理解できて、私は複雑な表情で桃に静かに頷いた。

そんな私を見て桃は、「それじゃ振られっぞ〜!」と悪戯っぽく笑って、そのまま屋上から去っていった。


…私は教室には戻らなかった。

6時限目も屋上で、今までのいろんな事を思い浮かべては涙ぐんだ。

そうしてチャイムが鳴った時「ありがとう」と心の中で呟いて、私は校舎裏へ向かった。


校舎裏には誰も居なかった。

私はそのままそこに座って、彼が来るのを待っていた。

校庭から聞こえるサッカー部の練習の声…音楽室から聞こえてくる綺麗な音色の楽器達が、私の心を穏やかにする。


いつからだったっけ…?こんな情景も感じられなくなってたのは…?


そんなことを考えて、そっと空を見上げると、私の後ろで人の気配がして、私はゆっくり立ち上がる。


「佐久間…」


呼びかけられたその声に私は思わず目を瞑った。

私はその感情を懸命に抑えて、ゆっくりと彼に振り返った。


「部長…私…」


私が深呼吸をして、そっと言葉を吐き出すのと同時に、部長はそれを遮るように私の腕を掴んで引き寄せ、強く、強く抱きしめた。


「もういい…何も言うな…っ」


部長のその声に、その想いに、堪えていた感情の波が一気に溢れ、私は部長の胸の中で、声を殺して泣きじゃくった。


部長は何も言わず私を抱きしめたまま、私の頭を撫でるように指に髪を絡ませた。

部長の腕に力が入るたびに、その掌が私の髪を通じてきゅっと軽く握られる。


「…お前のことを考えない日など…一日もなかった…」


途切れそうな声でそう言って私から身体を少し離すと、肩を抱いたまま私を見つめた。


「…お前が…好きだ…」


前にも言われた言葉なのに、あの時とは色を変えて私の心に届く告白…


「私も…手塚部長が、好きです…」


私がゆっくりとそう言うと、部長は初めて、私の前で静かに微笑んだ――――。











「電話が…?」

「ああ。昨日の夜、桃城から電話があったんだ」


部活が始まるまでの少しの間、私と部長は校舎裏で座って話していた。


「…桃は、なんて?」

「…お前のことが好きかと聞いてきた」

「…」



===


「…部長…伊織のこと、本気で好きですか?」

「…それを聞いたら何か変わるのか…」

「…変わりますよ。あいつを幸せに…してくれますか?」

「…桃城…!?」

「約束して下さい…あいつを一生守るって…じゃなきゃ俺だって…部長にあいつを渡すわけにはいかねんスよ…」

「…どういうことだ」

「俺は…手塚部長…部長だから決心できました。今日のあいつ見てて…俺はもう…これ以上自分を嫌いたくないんスよあいつが本当に好きなのは、手塚部長です…でも…約束して下さい」

「…」

「あいつのこと、泣かせたりしないって…幸せにするって…一生守るって…俺に約束してくれますよね?」

「……ああ、約束する」

「…っはっ…ははっ…ですよね!やっぱそうこなくっちゃ!」

「桃城…」

「部長!…明日の放課後、校舎裏に来てください。俺からの…大事な大事なプレゼント…受け取って欲しんスよ…!」


===




「…桃が…そんなこと…」

「…揺らぐか?」

「えっ…」


そう言われて、私が困った顔をして黙っていると、部長がふと 空を見上げて呟いた。


「佐久間…俺は桃城と同等になれただろうか?」

「え…部長…?」

「それとも…桃城に勝てたか?」

「…あっえっと…」

「今答えを出さなくてもいい。…これから、じっくり教えてくれ…」


部長はそう言うと、私の頬に片手を寄せ、あの日のような、優しく触れるキスをして…


「もう…どこにも行くな…」


そう言って、そのまま静かに…そっと私を抱きしめた。








* *







「伊織〜!聞いてくれよ!」

「え〜〜〜…またなの…?今日は何?チュー?ハグ?」


元気いっぱいの彼の声が隣の教室から聞こえてきて、私は表面、ウンザリしながら心の中で喜んでいた。


それは最近、桃に新しい彼女が出来たから。

この頃は毎日、わざわざ私のとこへやってきておノロケを展開しては帰っていく。

千夏ちゃんがいなくなったかと思うと、今度は桃の番だなんて。


「お前、3年が卒業して、部長が居ないから寂しいんだろ〜?」

「っるさいなぁ!テニスコートに行けば会えるもの!!」


「きゃーっ!ムキになっちゃって伊織ちゃんてば!」

「桃ぉ〜〜〜!!」


そう言って私をからかう桃を見ていると、あんなことがあったなんて嘘のようだと、ふと懐かしく思ったりする。






あれから1年半――――

保健室で起こった、あの…キスの魔法のおかげで…

私は今も、規律正しい堅物の彼に 厳しく優しく守られている…。
























fin.




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