愛の存在証明を








「…浮気したらどうするか?だと…?」

「はい。私がもし浮気したら、部長、どうしますか?」


「別れる」

「…あ…そうですか…」














愛の存在証明を













あれからもう10年もの月日が過ぎて…今や部長は日本を代表するプロテニスプレイヤー。

そして、私はその彼女…



手塚部長と私は学生時代からお付き合いしている。 

昔の同級生達からは「冗談でしょ?」なんて言われながらも私の気持ちは全く冷めないし、勿論、それは部長も一緒だって信じてる。


「どうした?具合でも悪いのか?浮かない顔をして」

「…そうじゃなくて…もっとこう…なんかあるじゃないですか〜!『それでも俺はお前を手放せるはずがないだろう!伊織!』とか〜」


私がそういうと、部長はあからさまに溜息をついた。


「……手放せないはずがないだろう。そんな不純な女と付き合っているつもりは毛頭ない。どんな理由であれ、他の男と触れ合うなど問題外だ。それともそんな事をする予定でもあると言うのか?」

「そんなわけっ―――!」


「なら、そんなくだらない事を聞くんじゃない」

「…ごめんなさい」


あんなに困難で、あんなに切なくて苦しい想いして、やっと一緒になれた私達なのに…浮気したらダメなわけか…やっぱり。(というか部長だって私を桃から略奪しておいて…まぁいいか)


私がこんなことを、突然部長に聞いたのも、あの千夏ちゃんがデレデレで私に話したことがきっかけで。

そう、千夏ちゃんと不二先輩も…今だに関係が続いている。

……というか、結婚している。


どっちかと言えば、こっちのほうが“冗談”みたいな話だよね。


===

「こないだね、周助に、私が浮気してたらどうする?って聞いたの」

「うわっ…不二先輩によくそんな怖いこと言えるね…」


「怖いかなぁ…?それでね、そしたら周助、何て言ったと思う?」

「不二先輩のことだから…相手の男を黒魔術で呪った挙句に縄でぐるぐるに縛り付けてギロチン台の上に……」


「ちょっとアンタねぇ、周助のことどう思ってるのよ!!」

「あ…ご、ごめん…」


「ったく…あのね、周助ね、『それでも僕は、千夏を手放せないだろうな』って言ったのよ!きゃーっ!!」

「…きゃーって…にしても不二先輩って…本当に千夏ちゃんをメロメロにさせるよね」


「もうもうもう、すっごく愛しくなっちゃってぇ〜うふふ」

「結婚して二年でその状態、褒めてあげるよ、千夏ちゃん」


「ねぇ、手塚に聞いてみなよ」

「えっ…!部長に!?」


「うん、同じような事言ってもらえたら、かなり嬉しいでしょ!?」

「…手塚部長が…『伊織を手放せるわけないだろう…?』……………きゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」


「ちょ、ちょっと伊織!うるさいよ!!」

「早速今日にでも聞いてみる!!ひゃーーーっ!!」

===


と、いうわけ。

千夏ちゃんと不二先輩のラブラブっぷりを、こんな堅物の人が真似できるはずもないのに私は何を期待していたんだろう…いつもこのパターンで撃沈しているような気がする。


「…もうこんな時間か。伊織、そろそろ帰ったほうがいい。俺が家まで送ろう」

「…はーぃ…」


部長の一人暮らしのマンションに毎日のように通っている私を、部長は週末以外の日に泊めてくれた試しがない。


私のしている仕事の朝が早いことと、職場までの交通の便が部長のマンションからでは少し不憫だということに気を使ってくれているのはよくわかる。

それでも…「今日は帰さないっ!」とか言われてみたい時だってあるのに…。


そんな事をぐるぐると考えて落ち込んでいると、部長がふっと私を抱き寄せた。


「そんな哀しい顔をするな。明日また、来ればいいだろう?」

「…!…はい」


ぎゅっと私を抱きしめる部長の手の温もりと、その優しい言葉に私は思わず頬が緩んだ。

そのまま部長がそっと私の唇に触れる。

私は、この瞬間が、大好きで大好きでたまらない。

私と部長にとってキスは、とてもとても…特別なものだから。


部長と結婚すれば…毎日こうしていられるのかしら…?


結婚という二文字が、最近、頭をちらつくようになった。

お互いを知るためには充分な時間があったし、もう、そういう年だとも思う。

でも、そういう話が出てきたことは今まで一度だってなかった。


…私達…もうそろそろ…いいよ…ね…??


私は部長の背中に手を回して、ぎゅっと抱きしめて、部長の唇が離れてから少しすると彼を見上げて、さらっと言葉を発してみた。


「結婚でもすれば、毎日こうしていられるのにな♪」


私の口から結婚の二文字が出た途端、部長の表情が強張った。

きっと他の人にはわからない程の微妙な変化。

でも、私にはわかる!この顔は明らかに動揺している!!


「…っ、さぁ、駐車場まで急ごう。あまり遅くなると明日の勤務に差し支える」


…部長?………その態度………もしかして



はぐらかしているんですか…?







* *







翌日、私はいつものように部長に貰った合鍵で部長のマンションにお邪魔した。

昨日の部長のはぐらかしのおかげで、私は朝から仕事が手に付かなかった。

部長がトレーニングから帰ってくるまでの間、私は無心で料理を作った。

そしてあれは私の勘違いなのだと私は信じ込もうとしていた。



その時、カチャ、とドアの開く音がした。



あっ…部長が帰ってきた!


私はそれまでの考えも全部、無理矢理に吹き飛ばして、部長の元へ駆けつけた。


「お帰りなさい!!」


そう言って部長に抱きつくと、部長は驚いた顔して私を受け止める。


「どうしたんだ…今日はやけに…機嫌がいいんだな」

「ふふっ。新婚さんごっこです!!」


私が考えに考え抜いた作戦、その一。

これでもう一度部長の反応を確かめる!!

私はぱっと身体を離して、すぐさま部長の表情を見た。

すると部長は私から顔を背けてスタスタとリビングへ向かって行く。


「今日、不二に食事に誘われたんだが、外で済ませないで良かった。こんなに美味そうな料理を、食べないわけにはいかないからな」


そう言って部長は“不自然に”微笑むと、そのまま浴室へシャワーを浴びに行ってしまった。



…やっぱり…は…はぐらかしてるの…?



私は憂鬱になりながらも部長に「美味そう」と言われた料理をテーブルに並べて、部長がシャワーからあがるのを待っていた。


部長は浴室から出てくると、まずは決まってTV前のソファに座る。

そこでTVをつけてニュースを見ながら、一日の流れを把握するのが彼の日課だ。


私はそのTV前の、ソファに座る部長の指定席にこっそり今日買って来た雑誌を置いた。


部長がシャワーからあがってきたのに気付いて、私は料理の並べてあるテーブルにさっと座る。

部長は案の定、TV前のソファへと向かった。そして…


「………」


部長はその雑誌を眺めてしばらく固まると、くるっとTVから離れ私のいるテーブルへと向かってきた。


「…食事にしよう」



……はぐらかしている……。



そう、その雑誌とは、CMでもお馴染みのあの結婚情報誌だ。

これが私が考えに考え抜いた作戦そのニだったのに…


「…部長…」

「ん?どうした」


食事をしながら、私が部長に話しかけると部長の表情が少し怯える。

この感じ…私が部長に何か言うのを恐れているようなこの雰囲気。

例えば今まで喧嘩した時だって部長はここまで動揺しなかった。


「私とは…考えてないんですね」

「…何が…だ…」


その動揺の色が口調にまで出てきた。

部長に限ってこんなことは…滅多にない。

そんな部長の思いを察した私が、ここに居ることを耐えれるはずもなかった。


「…もう…いいです…」

「どうしたんだ、伊織」


「もういいです!!部長なんか知りません!!」

「おいっ…!伊織!!ちょっと待て!待たないか!!」


私はガタンッと椅子を倒してそのまま部長のマンションから飛び出した。

部長の声が後ろから聞こえて、私を追いかけているのがわかった。

私は近くにある非常階段から駆け下りて、そのまますぐにタクシーに乗った。






*  *






「もーーーー!やってらんらい!!」

「おい伊織、お前ちょっと飲みすぎだぞ…舌回ってねぇじゃねぇかよ」


タクシーに乗って、私は飲めもしないのに浴びるようにお酒を飲んだ。

飲まずにはいられない程に私は自暴自棄になっていたのだ。

一人で飲んでいると、桃が偶然電話をかけてきて…私はタチ悪く、桃を強引にこの場まで誘ったのだ。


「何言ってんよ〜…っ…ほら、桃ももっと飲むぉ〜」

「…わかったわかった」


「大体、なんらのあれは…私と結婚したくないならさっさと別れればいいじゃん!」

「部長だって、何か理由があるんだって」


「結婚しちゃくない理由なんてひとつじゃないのーーー!!」

「ないのって…いや…」


「じゃー桃は、今付き合ってるあの彼女…結婚出来ない理由があんの?」

「バカ言え!俺はあいつがめちゃくちゃ好きだ!!もうすぐプロポーズしようと思って…あ…」


「………」

「あいやっ…あっ…わっ!伊織!!バカ!!お前っ!!」


桃の発言でどん底まで突き落とされた私は、目の前にあるワインのボトルを抱えてラッパ飲みした。


「ぷぅはぁ〜…ぐあっ…」


視界がぐるっと一周する。


「もう帰るぞ伊織!!送ってやっから!ほらっ!立てよ!!」


桃は私にそう怒鳴って、私を無理矢理立たせると強引にタクシーの中に連れ込んだ。


私のマンションに付くと、桃は私をおぶって 私の部屋の前まで連れて行った。


「ほら、ついたぞ伊織!暗証番号は!?」


タクシーに乗っている時から、ふわふわと頭の片隅で聞こえる桃の声。

聞かれていることもはっきりわかる。だけど頭がぐらぐらしていた。

私はぼそぼそと呟くように桃の質問に答える。


「1007…」

「…ぷっ…部長の誕生日かよ…」

「あっ…う…ううるさい桃〜!」


恥ずかしくて少し目が覚める。

この暗証番号は、部長と私と身内だけの秘密だったのに…


「あれ…お前、電気つけっぱじゃねーかよ」

「えーーーー…電気代勿体ない…」


よっぽど考え事をしていたせいなのか…いつもでは考えられないミスを犯している自分も恥ずかしい。


「きゃっ!!」

「あぶなっ…!!」


桃が玄関を開けて私の部屋に入った途端、片手で私をおぶっていた桃の体勢がぐらっと崩れて、私は桃の背中から横にずれ落ちそうになった。

桃は咄嗟に私を抱きしめ、その衝撃を和らげてくれた…はずが…

気が付くと私と桃の唇が重なっていて…私と桃はお互いにびっくりして目を見開き、咄嗟に顔を離した。


「わ、悪りぃ…」


桃が気まずそうに私を見てそう言った時、私達の背後で声がした。


「何をしているんだ…お前達…」

「ぶっ…部長!!」

「…!!部長…」


そこには部長が私達を見下ろして、しっかりとその状態を捕らえていた。

それと同時に、私は電気がついていた理由がわかった。


「いや、部長!!ちょっと待って下さい!!これは―――!!」

「帰ってくれないか、桃城」


桃が必死に弁解しようとする…これじゃまるで…あの時の逆だ。


「部長!話を聞いて―――!」

「帰れと言っているのが聞こえないのか?」

「…わ…わかりました…」


部長の凄味に負けた桃は私に心配そうな顔して、肩を落としながら部屋を出た。


「…俺と喧嘩をして…もう桃城か?」

「…帰って下さい…」


私の酔いは一気に冷めていた。

部長に言われたその言葉が私には無性に腹が立って、思わず言った自分の言葉に自分自身でも驚いていた。


「…」

「言い訳する気も起こりません。浮気したらどんな理由があろうと別れるんでしたよね?それならこれがいい機会です。いっそのこともっと早く――――」


素直じゃないと心から思う。

いつだって私は素直じゃないから…部長と付き合う時だってあんなに遠回りをしたのかもしれない。

それがわかっていても、性格というのは、なかなか直らないものなのか。

部長との別れなんて考えられないのに、私はそんなことを口走っていた。


「…っ!」


私がまだ話している途中に座り込んでいる私の手を乱暴に引っ張った部長に、私は目を丸くした。

長い間一緒に居て、部長が私に対してこんなに力を込めたことはなかったから。


「許さない…」

「ぶ…部長…?」


部長の顔は、他の人が見てもそれとわかるほどに、感情的な怒りを出している。





「俺から離れることなど…許さない…っ!」


部長はそう声を荒げると、私をそのまま押し倒した。


「あ…ぶ…部長っ…」


次々と服を脱がされて、私は戸惑いが隠せない。


「んっ…んんっ…」


強引に唇を塞がれ、乱暴に全身を包まれる。


あの…部長が…怖いと感じる…こんなに乱暴なことする人だったの…?


冷たくて硬いフローリングの上で私は部長に激しく抱かれた。


「愛している…っ伊織…っ」


私の中で部長が揺れているその最中に、部長が私に言った言葉…その声がとても切なくて…私は確かに愛されているんだと…強く…深く感じた。


「私も…愛してます…」








* *








「トレーニングの関係で…二年間、カナダへ行くことになった」

「…二年間…カナダに…?」


部長と私は寝室に居た。

部長があの後、私を優しく抱きしめて、そのままここまで抱えてくれたのだ。


「ああ…お前との結婚は…考えていなかったわけじゃない。だが…お前も仕事が軌道に乗っているこの時期に…俺のことでチャンスを逃して欲しくない」

「部長…」


私は仕事が好きだった。

念願だった会社に合格した時、誰よりも喜んでくれたのは部長だった。

その職場に就いて、今やっと、ずっとやりたかった仕事に たどり着けそうな時期だった。


「だから、結婚は待って欲しい。俺が帰って来てからでも遅くはないだろう?」


部長はいつも…優しい。

ちゃんと私のことをしっかり考えてくれているのに…私は本当に…バカだ…。


「…部長…私が、部長に付いて行きたいと言ってもダメですか?」


自然と出てきた言葉だった。私の中では、それが当たり前であるように。


「…!し、しかしそれではお前の仕事が…」

「…私は部長の傍に、居たいんです」


本心だった。

仕事は勿論大好きだけど…私にはもっと大切な人がいる。


部長は私の目をじっと見つめて、そのまま私を抱き寄せた。

深く深く私に口付けて、「結婚して欲しい」と耳元で呟いた。

私は何の躊躇いもなく、そのまま静かに頷いた。


部長はそれを確認したかのように、私にまたキスを落とす。

大好きな部長とのキスはいつだって私を熱くする。


「んっ…部長…」


何度も角度を変えて私を求める部長の唇がふっと離れると、部長は少し躊躇したように私にゆっくりと語った。


「頼みがいくつかあるんだが…いいか?」

「…?何ですか?」


不思議に思ってきょとんとした。

部長からそんなことを言うなんて、滅多にないことだ。


「その…いい加減、『部長』と呼ぶのはやめないか?」

「えっ…」

「その呼び方が慣れていて、呼びやすいのかもしれないが…」


部長は私から目を逸らして言いにくそうにそう言った。

そんな部長が可愛く見えて、私はふっと微笑んだ。


「…国光さん…でいいですか?」

「…ああ」


照れくさそうに頷いた部長…国光さんの表情が少し赤くなったような…勘違いだとしても、それは私にとって、本当に嬉しいことだった。


「好きです。国光さん」


私がそう言って微笑むと今度はしっかりと私の目を捕らえた。


「…それと…だな…」

「はい?」


「もう二度と、あんな無茶をしないでくれ」

「あ…すみません…」


お酒のことで、国光さんにしっかりとお灸を据えられた私は しょんぼりしてそう呟く。

桃との誤解ももう解けた後とは言え…持ち出されるとやはり辛い。


「今回の事はよくわかったが…俺は…俺はお前をもう二度と…」


そう言って私をまた抱き寄せた。

その手から伝わる力が、さっきよりも強く激しく感じられる。


「…国光…さん…?」

「手放したくはない…昔のような…あんな想いはしたくないんだ…」


私の胸の中がズキンと波打った瞬間だった。

その声があの時のように切なくて、あの時のように苦しそうだったから…。


「お前を一生守る…お前を泣かせたりしない…俺は桃城にそう約束した。…俺の傍に…ずっと居て欲しい…。もう…二度とお前と離れたくはない…」

「…はい…一生、傍に居ます…」


きっと私は知っていました―――。

気が付くのが遅かったけど…あの時、初めて触れた瞬間から、私の中で貴方以外の人を深く想えるはずがないと…それはこの先も一緒です…一生…貴方だけを愛しています…。
























fin.
Count Number 5656:Request from M様



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