Yellow_03
君が苦しいのかなって考えると…少しだけ僕の胸が苦しくなるんだ…
それは…君と初めて会ったときのことを…想い出す時も…同じで…。
Yellow
3.
「伊織…?」
突然の千夏の質問に、私の視線は千夏ではなくそこに焦点を合わせようと必死に何かを探しているように動いた。
この表情をもうあと何秒か見つめられたら、きっと後戻りは出来ない。
咄嗟にそう感じた私は、すぐに顔を俯かせて…千夏の周りから視線を伏せた。
そんな私に対して、千夏が心配そうに声をかける。
「ぷっ…あはっ…あはははははっ…何言ってんの千夏ってば!!」
「えっ…伊織…?」
私は芝居を打った。
心底おかしいというように声をあげて笑い、耐えられないというように千夏の顔を困り果てたような笑顔で見つめ、私は千夏のコーヒーに、傍にある砂糖を大袈裟に取って何杯も放り込んだ。
「ちょっ!!何するのよ!伊織っ!」
「あははっ…千夏さぁ、マリッジブルーかなんか?疲れてるんじゃない?」
「えっ……」
「そういう時はね、糖分をたくさん摂らなくちゃダメよ?スポーツ記者なんだから、それくらい、知ってるわよね…ふふふっ」
「伊織、誤魔化さないで。私、真面目に話してるの」
「私も大真面目よ。全く千夏ってば、どうしたらそういう心配に繋がるわけ?」
「…それは……」
「はいはい、よくわかるよ。周助さん格好良いし、すっごいモテると思う。だから、千夏が心配性になっちゃうのも無理ないけどさぁ…わかってるでしょ?千夏と私の男の人の趣味って…昔から合った試しないじゃない。でしょ?」
事実、中学の頃からの親友である千夏と私は、好きな男性が全く違うタイプで 重なることなんてまずなかった。
TVに出てくるタレントや俳優にしたって、いつも格好良いと思う人は違っていた。
それだから余計に、私は今回のことが悔やまれてしょうがなかった…だけど…そんな想い、千夏は知らなくてもいいことだと心底思う。
知ったからと言って、どうなるものでもないし…それに…千夏が辛くなるだけだ。
そして私は余計惨めで…余計に辛い想いをする…それだけの結果しか見えてこない。
ここで千夏の質問を肯定することで、その先にある未来が明るいとは到底思えなかった。
それならば、例え千夏の考えていることが変わらなかったとしても、…否定しておくことが絶対的に正しいと思った。
「そうだけど…」
「だけど何?」
「それだって…いつもつけてるじゃない…」
「え?…ああ…これ…!!」
「ただ誕生日プレゼントに貰ったもの…そんな風につけてるのって…やっぱり…」
「違うよ〜。私ね、忘れっぽいの、これだって、先週つけてそのまんま。お風呂にまで一緒なの。すっかり外すの忘れちゃってるのよね」
「…本当に…それだけ…?」
「ごめん!千夏…嫌な想いしちゃうよね、こんなの…」
「あっ!!違うの!!そうじゃなくて!!」
「外すね。ごめん」
そう明るく言って、私はパッとそのブレスレットを外した。
羽織ってきた薄手のコートのポケットに、それを乱暴に放り込む。
それを見た千夏は、何か言おうとしたままやっと笑顔を見せた。
「なんか…ごめん…本当、伊織が言う通り、少し疲れてるのかな?私」
「そうみたいね。ふふふっ。全く、何を言い出すのかと思ったら」
「ん…ごめん…あ、お詫びに、ここは私が奢る!」
「当然ね♪」
そう笑って、私は震える手を懸命に抑えて紅茶を口に運んだ。
暖かい液体が体中に流れて、それだけで落ち着きを取り戻せそうだった。
「それと、ブレス、つけててよ。なんか外させるなんて、私がすごいバカみたいじゃない」
「え…あははっ。ん、気が向いたらつけるね」
お互いがお互いを探り合っているかのようなこの会話に虫唾が走ったのはきっと私だけではなく…千夏も同じ想いだっただろう。
そして私達は、紅茶とコーヒーの香りを楽しみながら、冗談みたいに明るく話した。
まるで学生の時に戻ったような気分になって…そして、よく笑った…。
しばらく話して、千夏の私への疑いは完全に晴れたと私は確信した。
…それはすでにもう、この時点で……私達の「親友」の定義は、違うものへと変化していたのかもしれなかった―――。
* *
「伊織ちゃん、今日も来なかったね」
「…うん、昨日も電話したんだけど、完全に寝込んじゃってるみたいなのよね」
キッチンで朝食を作りながら、千夏はため息をつきながら僕にそう言った。
その慣れた手つきに、彼女はきっといい奥さんになるんだろうな…なんて、他人事のように考える…。
千夏と出会ったのは、仲良くしている記者の人との食事がきっかけで。
その食事に遠慮しながらもついてきた千夏と、僕は自然に付き合うようになっていた。
そうして僕と千夏が付き合い始めて半年もしないうちに、千夏は僕との結婚話を毎日のように出してくるようになった。
僕の中で、千夏は可愛い恋人で、そうなれればいいって本当に想っていたけれど、まだ早い――――そういう気持ちが先に立って、決断出来ないまま、時間は過ぎていった。
それから一年経たないうちに、千夏が僕の部屋に住むようになって、僕はきっと、彼女と結婚することになる。そう思うようになっていた。
そして彼女ともゆっくり話し合って、結婚を決めたその次の週には千夏の親友が伊織ちゃんだと知って、僕は妙な胸の苦しみを覚えた…。
その苦しみの原因が、どうしてかなんてこと…僕は考えようとはしなかった。
考えたくなかった…?…もしかしたら、そうなのかもしれない。
「もう一週間目じゃない…?伊織ちゃん、来なくなって」
「…うん、そうね」
つい先週まで、朝のストリートテニス場で毎日のように会っていた伊織ちゃんがどうやら体調を崩したみたいで、僕の目にはすっかり姿が見えなくなっていた。
「ねぇ千夏。伊織ちゃん、一人暮らしだったよね?大丈夫なのかな?病院とか行けるくらいの気力もないんだったら、いつまで経っても治らないよ」
「…やだ周助…伊織、何年一人暮らししてると思ってるの?大丈夫よ…」
「そう…。それならいいんだけどね」
「周助が心配しなくったって、伊織だって誰か居るんじゃない?」
なんとなくだけど…この時の千夏の口調に、少しだけ棘の様なものを感じた。
僕は、そうだねと軽く笑って、そのままトレーニングジムへと出掛けた。
「おっ!不二くんお疲れ様!」
「お久しぶりですね。お疲れ様です」
ジムから出ようと僕が支度をしていると、久々に会ったジムのトレーナーが僕に声を掛けてきた。
「なんか、また筋肉ついたって感じだな?いい体に出来上がってきてるね!」
「ふふっ。トレーナーの方にそう言ってもらえると、信憑性があって嬉しいな。次の試合も負けられないから。パワーつけなきゃって、思ってるんですよ」
「そうだね!君なら次もきっと勝てるよ!…ああでも、風邪には気をつけるんだよ」
「あ…そうですね…僕の知り合いも…風邪をひいて寝込んでいるみたいで」
「今、流行ってる風邪ね、酷いらしいよ〜。手洗いうがいはしっかりするんだよ!」
「ご忠告ありがとうございます。それじゃ僕はこれで」
そう言って、僕はそのままジムを後にした。
その帰り道、僕はさっきのトレーナーとの話が気になって、ふと財布を取り出した。
僕が手にとったのは、その財布の中にある…伊織ちゃんの名刺…。
本当に…大丈夫なのかな…。
そんなことを考えながら、彼女の名前を見つめていたら、僕はいてもたってもいられなくなった。
もしかしたら一人で本当に苦しい思いをしてるかもしれない…
僕は自分の立場を考える暇なく、すでに走り出していた。
前にテニス場で、あのマンションに住んでいるんです、と彼女から聞いたことがある。
その記憶を頼りに、僕はその場所まで走っていった。
彼女のマンションの前まで来て、「佐久間」のポストを見つけて部屋番号を見た。
それから僕は近くの薬局でいろんなものを買い込んで、彼女の部屋の前に立った。
僕は一体何をしているんだろう…そんなことを考えながらも、ゆっくりとチャイムを押す。
「…はい…」
今にも消え入りそうな声で、玄関口のスピーカーから声が漏れた。
「伊織ちゃん?周助だけど…大丈夫??」
僕がそのままスピーカーに向かって話しかけると、ガチャっと受話器を置く音が聞こえて…
「周助さん!?」
勢いよく僕の目の前のドアが開かれたかと思うと、伊織ちゃんが目を見開いて僕を見ていた。
慌てて僕に「どうしたんですか!?」と言った伊織ちゃんは、大荷物の僕に気が付いて、また慌てて僕を中へと入れてくれた。
「す、すいません、散らかってますけどあ…しかも私…こんな格好で…」
「風邪ひいてるんだから、当たり前でしょ。ごめんね何だか…逆に気を使わせてるよね」
「い、いえそんなっ…それより…どうしたんですか…?」
「伊織ちゃん、ずっと体調悪くて寝込んでるって、千夏が言ってたから…ちょっと心配になって」
「……あの、私、大丈夫ですから」
「どこが大丈夫なの?食べてないでしょ?酷い顔してるよ?」
「あいや…ちゃ、ちゃんと食べてますっ…!だから…!!」
「いいから。横になってて」
ひどくコケて、真っ青な顔した彼女の顔を見て、僕は辛くなった。
そのまま彼女の腕を掴んで、すぐ傍にあるベッドに座らせて、厳しく彼女を見下ろした。
すると伊織ちゃんは、渋々というような顔をして、無言で横になる。
「いいコだね」
僕はそう言って微笑んでから、キッチンへと向かった。
「しゅ、周助さん…?何を…?」
「お腹に優しいもの、作ってあげるから」
「そっ…そんないいですから!本当に、申し訳が――――っ」
「寝ててくれる?」
僕がまた厳しい表情でそう振り返ると、伊織ちゃんは「う」と唸ってまたベッドへ潜り込んだ。
そんな伊織ちゃんが可愛くて、僕は思えず微笑む――――。
……いけない……と心が僕に、話しかけた瞬間だった。
簡単なたまごおじやを作ってから、いつの間にか寝ていた伊織ちゃんに、僕はそっと「おやすみ」と囁いてから置手紙を残してそのまま自宅へと帰った。
「どこ行ってたの!?」
僕が帰ってシャワーを浴びてからリビングに戻った時、千夏が突然、僕にそう怒鳴ってきた。
「え…?」
「どこ行ってたか聞いてるの!今日、ジムの帰り、一体どこ行ってたのよ!」
見ると、彼女の手の中には僕の財布の中にあったレシートがしっかりと握られていて。
「伊織ちゃんの家だよ…心配だったから、様子を見に行ったんだ」
「どうして…どうして周助がそこまで心配する必要があるの!?」
「ねぇ千夏、伊織ちゃんは千夏の親友でしょ?そんな言い方…」
「話を逸らさないでよ!私の質問に答えて!!」
ここ最近、千夏はこうして情緒不安定になり、イライラすることが多くなっていた。
マリッジブルーなのかと…僕はずっと思っていたけど…。
「千夏の親友ってことと…僕にとっても伊織ちゃんは大切な友達だから…心配で様子を見に行ったんだよ。ろくに食べてなかったみたいだから、簡単なもの作って、それでそのまま帰ったよ。それだけ…」
「それだけのこと、どうして私に今まで隠してたの!?それに…そういうのやめてよ!伊織が誤解したらどうするのよ!!」
「………ねぇ、もう満足した?」
「…何よ…それ…」
「僕は別に、隠してたつもりなんかないよ」
「…嘘…」
「嘘じゃないよ。隠すつもりなら、レシートなんか残してないよ」
「……ごめん……私……ちょっとどうかしてる…」
「…いろいろ忙しくて、不安定な時だからね…今日はもう、ゆっくりしたら?」
「ん…」
千夏の様子が最近変なのは…僕も気付いてなかったわけじゃない。
でもそれが、僕はただのマリッジブルーだと思っていて…。
まさか親友同士が仲良くお茶した翌日からの事だったなんて、僕は全く知る由もなかった――――。
* *
すっかり体調も良くなって、私は何日か前からストリートテニス場に顔を出していた。
私の家のテーブルには、周助さんが残していった手紙がまだ置かれていた。
普通はすぐに捨てるような物だってことはわかってはいるんだけど…彼の優しい書体とその文面に、私にはこのメモを捨てることなんて
とてもじゃないけど出来なかった…。
伊織ちゃんへ
たまご嫌いじゃなかったよね?おじやを作っておいたから、目が覚めたらちゃんと食べるように!
しっかり食べてしっかり寝ないと、いつまで経っても良くならないよ?
それから、冷蔵庫に買って来た飲み物を入れておいたから。
水分もしっかり摂ること!風邪薬も一緒にここに置いておくね。
きちんと朝と夜に飲むんだよ。良くなったらテニス場においでね。
僕も千夏も、待ってるよ。
周助
周助、と書かれている文字を見て、やっぱり私は彼が好きだと思った…最後に書かれている「僕も千夏も」に苦笑して、少し涙目になりながら、千夏は幸せだな… なんて考えては自分に活を入れる毎日…。
「あっ…いけないっ…」
出掛けに玄関で思わずそう呟いて、私はチャラっという音とともにそれを押し込んだ。
千夏が気にするといけないと思って、私はテニス場に向かう前に、必ずブレスレットを外して、ポケットへ入れてから向かうようにしていたのだ。
テニス場に付くと、この頃は私よりも二人は先に来て、ラリーをしている。
いまだに胸を痛めるその光景…私はその光景というより、もう胸を痛めることに慣れてきているような…そんなことをふと思う。
練習をしている二人の間に私の視線が注がれて、それに気付くのはいつも千夏の方だった。
千夏が私に気付いた後に、周助さんが私を見てニッコリとする。
「伊織ちゃん、結構上達してきたね」
「えっ、本当ですか!?」
千夏が飲み物を買ってくると言って、自動販売機に向かって行った後、ベンチで汗を拭いていた私に、周助さんがそう褒めてくれた。
「うん。すっごく良くなってきたと思うよ。僕も鼻が高いな」
「えっ…どうして…周助さんが?」
「えっ…ひどいな…君のテニスがうまくなったのは、僕が教えたからじゃないって言いたい?」
「えっ…あっ…いやいやいや!違います!!そういう意味じゃ!!」
「ふっ…くすくすっ。やっぱり伊織ちゃんは面白いね。ふふ」
「あっ…周助さん!またからかいましたね!?」
「あはははっ…ごめんごめん」
「もーーーーーーーぅっ!」
こうしてじゃれあってるような事が、周助さんにとっては楽しいことになるのかな?
…私にとっては、酷く切ないことなんだけど…な…
「楽しそうね、二人とも」
「あ…おかえり千夏…あははっ。だって伊織ちゃんね…」
「もう!いいですよ周助さん!わざわざ言わなくっても!!」
「え〜いいじゃない伊織〜教えてよっ!」
それが私の日課で…それが私の試練だなんて、悲劇のヒロインぶったりして…。
いつになったらこの気持ちは…収まりつくんだろうな…。
「ねぇ伊織、ちょっと話があるんだけど…いい?」
そうして朝が淡々と過ぎていく中で、いつかの日みたいに、千夏が私にそう話しかけてきた。
「うん、いいよ!あ、また喫茶店行く?」
「…ううん。ここでいい」
先に帰ると行った周助さんのいないテニスコートのベンチで千夏は深刻な顔をして、私にそう言ってきた。
前と同じ…胸騒ぎのする千夏の表情に…私はゆっくりと促した。
「…千夏…?」
「ごめん…こんなこと言いたくないけど…私…伊織のこと、信じてない」
「……え…?」
突然の千夏の思わぬ告白に、私は言葉を失った。
「伊織は…前に話したとき…周助のこと、なんとも想ってないって言ってたけどあの時は納得するような事…私…言ったけど…やっぱり全然、信じてない」
「ちょ…ちょっと待っ―――」
弁解…言い訳…とにかく話を誤魔化そうとした私を遮って、千夏は信じられないことを私に言った。
「来ないで欲しいの」
「…え?…」
「もう…ここに…来ないで欲しい…」
俯きながらそう言った千夏を私はまじまじと見つめた。
その頼みごとは、あまりにもないんじゃないか…そう思った私の行動だった。
「…何…それ…」
「伊織見てたら不安でしょうがないの!!伊織が全然そんな感情持ってなかったとしても!!……すごい酷いこと言ってるの、わかってる……最低だって…わかってる…だけど、私達が結婚して落ち着くまで、来ないで欲しいの!もう周助に…会って欲しくないの!!」
涙をボロボロと流しながらそう訴えた千夏の目は本気で…私は何も言えなかった。
最愛の人を…想えば想うほど…不安要素は募っていく…。
その形が、そのまま声になって現れたような…千夏を見ていると、そう思った。
「ブレスだってそうよ!伊織、本当は――――!!」
「千夏、もういいよ…ごめんね…私…しばらく、来ないから…」
こんな理不尽な申し出を 私は気が付いたら承諾していた。
そして私はその日から…ストリートテニス場へは行かなくなった――――。
to be continue...
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