Yellow_11







粉々になった雑貨達を集めている間、跡部さんが私に告げた言葉が何度も頭の中で繰り返される。

ここまでされても仕方のないことをした私。

だけどそれは、まだ何かをされても仕方のない私。

千夏は最後にきっと、最も簡単な方法で私に責任を取らせようとしている。














Yellow













11.





「お前は反対するだろうが、俺がここの損害金を出す」

「……きっと、そうおっしゃると思ってました。私が反対したら、母親に知られたくないだろう?って、おっしゃるんでしょ?」


「…そうだ。汚ねぇかもしれねぇが、お前をそう脅すより他に遣り方が思いつかねぇな」

「………跡部さん…それじゃ私…申し訳ないです…」


つまりその言葉は、跡部さんの条件を呑んだという意味だ。

跡部さんもそれは充分解っているだろう、それ以上、私を説得するようなことは言わなかった。


仲の良かった千夏にこんなことをされたと母が知ったらどんな顔をするだろう。

そう思うだけで、辛くてしょうがなかった。

事情を知っていても、千夏が直接、私に危害を及ぼしているなんてことを知られたくはない。

親友が親友じゃなくなってしまった…母が知っていて良いのは、それだけだ。

そう思いながら、私は手の中にある封筒を店内に置いてある自分の鞄の中にそっと隠した。

千夏が落としていった封筒だ。予想はついてる。

これだけは、跡部さんにも知られるわけにはいかない。


「とりあえず、俺が特別業者を呼んでやる。あとの片付けはそこに任せろ。お前は俺を家まで案内しろ。おばさんには俺から説明する。適当な理由をつけて、不良の連中の仕業だとでも言えばいいだろう。損害金の件は俺がおばさんを説得する。それでいいな?」

「…母が承諾するとは、思えませんが…」

「それでも俺は必ず説得してみせるぜ?どうしてもっつーんなら金利なしの借金扱いにするしかねぇ。どのみち、どっかから借りるより他に選択肢がねぇのはおばさんだって解るはずだ」


跡部さんが言うことは、確かにその通りだった。

私は黙って、彼に従うことしか出来ない…なんて情けないんだろう。

私が守らなくちゃいけない母や店を、守りきれないなんて。





やがて、10分もしないうちに業者が来た。

跡部さんから話を聞いた母は、泣きながら跡部さんに頭を下げた。

何年かかっても必ずお返ししますという母に、跡部さんはそれならいつでもいいから、俺は一括払いでしか受け取らないと言い張った。

月々、貯めれるだけ貯めていけばいいという、彼の優しさだと思った。


それでも、彼が帰った後に何も無くなった店を見に行った時、怪我はなかったの?と心配した母に、私は胸が軋む思いだった。





* *





封筒は、夜遅くなってからひとり、部屋に閉じこもってから開けた。

跡部さんには知られてはいけない。これを知ったら、彼はまた私を助けようとする。

ひょっとすると、いくら彼でも、もう千夏に容赦しないかもしれない。

そう考えて隠した封筒の中身は予想した通りの内容で、ワープロ文字で書かれた…きっと法的には何の効力もない物だった。




500万円の請求。

精神的苦痛、自殺未遂による社会的信用を失ったことへの損害賠償金だ。


本来なら、これを払う必要は多分ない…実際裁判をしてみたら払う可能性は高くなるのかもしれないけれど。

千夏はきっと、自分のしたことが公になって刑事裁判になるのを恐れてる。

でも、私がこの要求を呑むことも、刑事裁判を起こさないことも承知してるはずだ。

じゃなきゃ、こんな恐喝のような真似はしないだろう。


だけど、万が一、私が警察に話すようなことがあったら、困るから…。

裁判を起こしたら、その証言自体が影響する可能性があるから…。

周助さんにも、知られたくないから…だから法的手段を取らなかった。


自分なりにやるだけやって、私を痛みつければ、それで良かった。

レースの手袋をしてた千夏。

私がここで騒ぎ立てても、きっと彼女には完璧なアリバイがあるはずだ。

証拠を残さない。ここに監視カメラはない。封書も中身も、どこにでもある物だ。

世間からは、婚約者を奪いたい一心で私の狂言だと取られる可能性が高いことも、たかがこれくらいのことで警察が動き出さないことも、きっと全部、裏の裏まで読んでいる。


安いものかもしれない…これで彼女の気が済むのなら。

きっと安い…私はどんなに苦労しても、彼女にそれを支払う義務があるんだろう…。













早朝のテニスコートは相変わらず静かで、僕はこの時間帯が好きだった。

それも午前10時頃を回ると、さすがに人も徐々に増えてくる。

その人達の中に、僕は毎日、いつの間にか伊織の姿を捜していた。

ちょうど今から一年前に、僕はここで伊織と出逢ったんだ…。


「あのー…すいませんっ」

「えっ…?あ、僕?」


「はいあの、不二選手ですよね!?」

「うん…そうだけど…」


僕が戸惑いながらも頷くと、二人組みの女の子はわっと声をあげて僕にペンと紙を出してきた。


「私、テニスやってるんです!部活で…っ!あ、あの、サイン下さい!あの、いつも不二さんのテニス、見てます!今度の試合、頑張ってください!絶対応援にいきます!」

「ふふっ…ありがとう、頑張るよ」


久々に、心が穏やかになった瞬間だった。

こうして声を掛けてくる女の子は少なくはないけど、彼女たちはまだ中学生くらいだ。

純粋なその視線に、僕も昔はこんなに純粋だったかな、なんて、ふと考えた。




* *




午後からの予定は何もなかった。

家には帰りたくなかったけど、トレーニングばかりするなとコーチに言われている僕が、わざわざ休みの日にジムに顔を出すわけにもいかなくて…僕は結局、自宅に向かった。


今日は千夏も仕事が休みだ…憂鬱な気分は、前と何も変わらない。

だけどあの喧嘩があってから、千夏が僕を問い詰めるようなことはなかった。


玄関の前に立って、溜息をひとつ吐く。

それと同時に鍵穴に鍵を差し込むと、誰か中に居ても必ず閉めてある玄関が、すっと開こうとした。


「…?」


そっと扉を開けると、そこに見慣れない茶色い靴が丁寧に揃えられていた。

中から、話し声が聞こえてくる。

千夏のお母さんだと気付くのに、そんなに時間は掛からなかった。


「―――ると面倒だから、私なりにね…」

「大丈夫なの千夏、そんな…」


「大したことじゃないわよ、ただ、渡してきただけだし」

「まぁあの人にその義務はあるって母さんも思―――ッ!」


そこまで話して、リビングから繋がった廊下の奥にいる僕に気付いたお母さんが、目を真ん丸にして言葉を呑んだ。


「しゅ、周助さん!」

「えっ!?周助!?あ、やだもうこんな時間!おかえり!」

「ただいま…お母さん、こんにちは…お久しぶりですね」

「ほんとお久しぶりねぇ周助さん!最近、テニスの方はどう?」


誤魔化したような様子に、突然僕のことを聞いてくるお母さん。

僕に知られたくないことを話していたような、そんな雰囲気だ。


僕はこの時、得体の知れない不信感を二人に抱いた。

どうしても、彼女らが僕に聞かれたくない内容が、僕にとって喜べることじゃない気がする。

面倒、義務、あの人―――――


「ねぇ周助、今ね、母さんと結婚式のこと話してたの」


嘘だ。結婚式の話なんかじゃない。


「そうなの!そろそろ千夏もあなたも落ち着いたみたいだし、話を進めてもいいと思うのよ」

「でも周助の海外遠征の話が出てるんだよね〜、それが気になるとこ。あっちで式挙げるなんてのも素敵でいいけどね!ねぇ周助、先に籍だけ入れるなんてのもアリだと思うんだけど」

「すみません、お母さん…千夏も………もう少し、待ってくれないかな?試合も近いし、ちょっと今はバタバタしたくないんだ」

「あ…そ、そうよねぇ、周助さん。大事な試合が近いんだった。千夏、しっかり管理してあげなさいね」

「……うん、そうする!あ、母さん帰るの?お昼食べて帰らない?」

「お二人の邪魔はしませ〜ん!」

「なに言ってんのよもう〜!」


会話の節々が白々しくて、僕の不信感は益々募る一方だ。

仲良く親子している二人の……面倒、義務、あの人―――――


それを考えているうちに、千夏のお母さんは帰って行った。

僕は彼女が帰ってすぐ、今聞くのが絶好のチャンスだと踏んで、千夏に近付いた。


「ねぇ千夏」

「ん〜?周助、お昼ご飯は何がいい?」


「なんでもいいよ。ねぇ、さっき本当は何の話してたの?」

「なんでもいいって…じゃあ〜パスタでも作ろうかな〜」


機嫌を装っているようなその声は、僕の質問を無視した。

僕は詰め寄る。

何度無視されたって、引き下がるつもりなんかない。


「ねぇ、何の話?」

「え?…ああ、だから、結婚式の…」


「それは嘘でしょ?それで誤魔化せると思うの?聞こえてなかったわけじゃないんだよ?義務って何?面倒だってなんのこと?あの人っていうのは?」

「ちょっと…どうしたの周助、そんな恐い顔して…っ…」


詰め寄る僕に、千夏は一瞬、怯えたような顔をする。

僕はつい怒ったような口調になってしまった自分に気付いて、少しだけ微笑んだ。


「秘密事なんて僕が喜ぶはずないでしょ?」

「あー………周助には敵わないなぁ…じゃあ白状するよ」


諦めたように溜息をついた千夏は、パスタの封を切って、大きな鍋に水を入れながら、言いたくなさそうに顔を曇らせた。

でもその言い方が、僕には引っ掛かる。

まるで大したことじゃないと、わざわざ僕に思わせようとしている、敵わないなぁ、と言う台詞。

白状する、というその台詞…わざとらしい気がして、しょうがなかった。


「ちょっと仕事でね、元スポーツ選手とモメちゃって。私ね、セクハラされたのセクハラ!でねー、会社に言っても面倒になるだけだしね、私個人に謝罪を求める文書を自分なりに作成して彼側に提出したわけ」


嘘だ。僕にはわかる。


「それでー、謝罪を今申し込んでるとこで…周助聞いてる?」

「そうなんだ…でもそんなの初耳だよ?」

「だって今話したんだもん、そりゃ初耳だよ〜!周助には言い辛くて…だってセクハラだし」


さすが言葉を扱う仕事だけあって、言い訳はいくらでも思いつく。

もしも本当に彼女がセクハラされたなら、僕に一番に言ってきたはずだ。

そして僕の反応を窺ってかかったはずだ。

嫉妬してるか、僕が、自分の為に怒ってくれるか。

嫉妬も、怒りもしない僕を百も承知で、僕を試したはずだ。

そうして思い通りにならないと、またヒステリックに喚き散らす。

千夏は、そういう人だ…そういう人に、なってしまった。

違う………僕が、そうしてしまった。僕のせいだ。


「なんてスポーツ選手だい?」

「そんなこと言えないよ、いくら周助でも」


「じゃあスポーツだけでも教えてよ」

「野球選手。はい、もうこれでこの話はおしまい!」


僕にはなんでも話す千夏が、いきなり守秘義務を通した。

野球選手を選んだのは、人数が多すぎて誰だかわからなくするためなのかな。

…どっちにしたって、結局彼女は僕に何か隠していて、それが僕にとって良くないことだって、すぐにわかった。

良くないことなんて、いくらだって考えられて…でも一番に浮かぶのは…伊織――――

考えられないことじゃない。でも伊織に、彼女に何かしていたら僕は絶対に許さない。


「さーて何パスタにしようかなぁ〜」


そう楽しそうに呟く千夏の背中。

不信感が募って、僕はそれを、ただひたすら見つめていた。





* *




僕はその日、ろくに睡眠も取らないまま千夏の話を頭の中で繰り返して。

ちょっと考えすぎなのかもしれないと思ったり、やっぱり納得いかないと悩んだり…。


でも、伊織に何もしないという条件で僕と千夏は結婚することにした。

その関係をみすみす自分から手放すほど、千夏は馬鹿な女じゃないはずだ。

それに、千夏のお母さんは伊織と僕の関係を知らない。

千夏は両親に話すつもりはないから、僕にも口外しないようにと言った。

全てを打ち明けて楽になって、伊織の元へ行かせたりはしないと。

そう凄んできたのは、千夏のほうだ。


結局、僕の中でも答えはうやむやになった。

第一、僕には伊織の居場所を知る術がない。

それは千夏も同じ………伊織に何も、出来るはずない。


―――結局。

この時の僕は精神状態が普通には保てていなくて、物事をまともに考えることが出来なくなっていた。

今、目の前にある事実だけを見て、それだけを考えた。

他の可能性を広げて、悪い方向に考えることをしなかった。


きっと、嫌な予感から逃げたかっただけなんだ。

一瞬でも頭に過ぎった最悪の事態から、目を逸らしたかっただけなんだ…。

僕は弱い人間だ…誰も守れない。

自分さえ、守れていない…。








その翌日のことだった。



僕は昔お世話になったテニス協会の専務と食事をする為に、寝不足気味の重たい頭を起こした。


コーチとの待ち合わせは午前11時30分に、都心の駅の改札口で。僕は久々の電車に揺られながら、都心の駅に降り立った。


肩と肩が容赦なくぶつかり合う電車が、僕は苦手で。

だから大学に入学した途端に我侭を働いて車を購入したけど、結局、電車を使うことの方が多い日々にくたくたになりながら毎日大学に通った。


少しだけ懐かしい時間を思い出しながら、改札口に向かおうと階段に歩いて行った時。

ふと視線を上げた向かいのホームに、僕の周りから完全に音が消えた。




























「……伊織…」


電車が来る方向を見ながら、大事そうに鞄を抱えている伊織が、そこには居た。

傍に居た女性に声を掛けられて、遠くのホームを指差して、笑って頭を下げている。

そのせいで、顔に流れ落ちた髪の毛を耳に掛けた。

声を掛けた女性が離れていくのと同時に、腕時計を確認する。

そしてまた、電車の来る方向をじっと眺めた。


…信じられなかった…もう二度と、会えないと思ってた伊織が居る。


僕は息をするのも忘れるほど、彼女を見つめた。

だけどそれは刹那…すぐにはっとして、僕は叫んだ。


「伊織!!」


必死に叫んだ僕の声も、周りの騒音に掻き消されて伊織には聞こえてない。

まだ電車の来る方向を見てる。

足元を見下ろして、ゆっくりと、一歩下がった。

僕はそこまで確認してから、伊織の頭上にある8という数字を見て、すぐに人を掻き分けて階段を下りた。









「すみません、ちょっと通して!」


伊織お願い、そこに居て。


「通して!すみません…っ…!」


僕を見つけて。


「っ…ごめんなさい、通してっ…!」


僕を抱きしめて。


「伊織っ…!」


君をずっと探してたんだ、君にずっとずっと、会いたかったんだ…!









懸命に走っている途中で、電車の走る音がした。

8番線に僕がたどり着いたのとほぼ同時に、電車の扉が閉まった。

僕はがむしゃらに、伊織のいた場所に走って行った。

君の姿を見て、簡単に諦めることなんて出来ないよ…!


「伊織!!」


叫んでも、動き出そうとする電車の音に掻き消される。

伊織がいた場所まで走った時、ゆっくりと流れていく電車の窓から、こっちを見ている伊織を見つけた。


目を見開いていた伊織。

僕は伊織に向かって叫んだ。

伊織が見えなくなっても、叫んだ。

………伊織、僕が見えた?僕を、見つけてくれた…?

その瞬間―――我慢していた感情が溢れ出した。

伊織、と叫んで苦痛に歪んだ僕の顔を、行き交う人々は不思議そうに見ていた…。





to be continue...

next>>12



[book top]
[levelac]