XOXO_02


2.


二次会で引き出物を開封する人は必ずいる。
わたしはそんな人たちの表情を見るために二次会に出席していた。

「コレ本当にビューティフル。アリガトー。みんなチョー喜んでマス」

わたしがつくったワイングラスを掲げて、アンジェラさんは笑った。

「すごく好評だよ! 本当にありがとう!」
「お役に立てて、よかったです。ご結婚、おめでとうございます」

新郎の秀一郎さんにも喜んでもらえて、本当によかったと思う。会場で引き出物を開封している人たちも目がきらきらしているし、絶賛の声だって聞こえてくる。
わたしはこの瞬間のために、この道を選んだんだ。

「よかったら最後まで楽しんでいってね。料理も美味しいから、たくさん食べて!」

秀一郎さんに言われて、料理の並ぶカウンターへ向かった。並べられている料理はどれも綺麗に盛りつけられていて、思わず「綺麗……」とそのまま口ずさんでしまうほどだ。
それにしてもこの料理、どこかで味わった気がする……。
見た瞬間に感じたその疑問は、料理を口に入れてすぐに解けていった。
絶対そうだ。これはあの高級フランス料理店『ラ・シック』のシェフのものだ。
急いでスマホを取り出して料理を撮影しながら辺りを見渡してみる。数年前に本で見た不二シェフがこの会場にいるかもしれないと思うと、妙にそわそわしてきた。『ラ・シック』には一度しか行ったことがない。だけどあんなに美しい料理を見たのは、はじめてだった。その上、味も絶品だったから本当に感動した。
もしも会えたら、そのことを伝える準備だけはしておかなくちゃ。あ……でも不二シェフって、どんな顔してたっけ? 表紙の内側の著者欄みたいなとこでしか見てないから、すぐにはわからないかな。
頭のなかであれこれ考えながら歩いていたわたしの目に飛び込んできたのは、汚れた食器が並ぶ横に、無造作に放り投げられている引き出物だった。





「お疲れさまです」

背中ごしに聞こえてきた柔らかい声に、わたしは泣きながら振り返った。

「え……」

泣いているわたしの顔に硬直した表情を見せたその人は、もう一度「え?」と言いながら続けた。

「どうして泣いているんですか? というかどうして勝手に……」

勝手に、と指さしたその先にあったのは、わたしが丹精込めてつくったワイングラス。秀一郎さんとアンジェラさんの結婚式の引き出物だ。だから勝手にと言われても、元はわたしのだったわけで……。

「こんなとこに棄てられているから……」
「うん?」
「外から引き出物が見えたんです……」

外からたまたま、この引き出物の袋が見えた。ここが厨房だということは、汚れた食器を見ればなんとなくわかった。まるで、同じ汚れた物だと言わんばかりに引き出物が投げられていた。こんなところに、わたしが1脚1脚、丹精込めてつくったワイングラスが、棄てられていた。
だから、涙が止まらない。

「いや、これは僕の……」
「あなたが!? ひどい……!」

悲痛な胸の内と頭を一緒に上げてみると、優しそうな顔をした男性はわたしを覗き込んでいた。こんなに優しそうな人なのに、引き出物を棄てたりするんだと思うと、とても悲しくなる。
だけどこの人、どこかで見たことがあるような……。

「あの、棄てたわけじゃないんです。僕、今日の二次会の料理をつくってて、それでここに置いていただけで……」
「え……じゃあ、棄ててたわけじゃ……」

……なかったんだ。それよりも、「二次会の料理をつくった」って言った。言った、絶対に。

「だからそうじゃないんです。というか、棄てたりしませんよ、こんな素敵なグラス」

目の前でグラスを掲げている人が不二シェフだとわかった瞬間、わたしは目がはち切れるくらいに彼を見つめた。
どこかで見たことあると思ったら、あの本の著者欄だ。整った顔立ち、やっぱりうろ覚えだったけど、コックハットしているときと、全然、印象が違う。写真ではちょっぴり怖そうだったけど、実物はこんなにふんわりした雰囲気の人だったんだ。それにいま、素敵って言った。あらゆる高級食器をたくさん使ってきている有名シェフが、素敵だって。

「素敵、ですか?」
「え、うん。とても素敵だと思う……けど」
「本当ですか?」

我慢できずに「それ、わたしがつくったんです!」と打ち明けると、困り果てていたシェフの顔が、やっと笑みをこぼした。

「あ、やっぱりそうなんだ……」
「え、わかってました!?」
「うん、そうかなって」
「やっぱりわたしの、こう、みなぎるものが作品に込められてるんですかねー!」

褒められて伸びるタイプなんてふざけてる、と師匠はいつもわたしを叱るけれど、実際わたしは、褒められないと生きていけない、師匠に言わせればふざけた人間だったりする。
もっと褒めて欲しい。しかも褒めてくれる人が不二シェフなんて、ものすごく認められた気分!

「だから泣いてたんですね。はい、これ使って」

さらりと内ポケットからハンカチを取り出して、不二シェフはわたしに手渡した。

「すみません誤解して……あの……ご飯、とっても美味しかったです」
「ああ、それはよかった」
「というか、あなたが二次会の食事の、シェフでいらっしゃるんですか?」

念のために再確認……たぶん、間違いないと思うけど。

「うん、そうだけど……」
「ってことは、あの、超有名レストランのラ・シックにお勤めだったシェフですよね?」
「え……」

驚きと同時に困惑した表情の不二シェフに、さらにテンションがあがってしまう。
やっぱりそうなんだ! なんて幸運なんだろう……まさか本当に不二シェフに会えるなんて! 今日のわたし、ちょっとついてるのかな。そういえば初詣でひいたおみくじ、大吉だったし。

「わたし、ラ・シックの料理大好きだったので」
「どうして……そんなことがわかったの?」
「わかりますよ! あの美しい盛り付け、しつこすぎない味! あなたにしか出来ません!」
「そんなことが……わかるの……?」
「わかります! あなたの料理は芸術です! あ、わたし……こういうものです!」

どさくさに紛れて名刺を出した。この引き出物のなかにも入れたけど、直接わたしたほうがきっといい。
もしかしたらここから、うちの食器をつくって……なんて話になるかもしれないし。

「なんか、不思議だけど」
「はい?」
「僕、りんご好きなんだよね」

名刺を見ながら微笑んだ不二シェフの言葉に、嬉しくなる。
わたしの働いている現場は、『ガラス工房りんご』だ。





「僕が手伝おうか?」
「はい?」
「彼を射止めるお手伝い。アドバイスできるかもしれない」
「え」
「でも、条件がある」
「え、え?」

いつの間にか、不二さんと引き出物のグラスで赤ワインを飲んでいた。
飲んでいるうちに、お酒にあまり強くないわたしは自分の悩みをべらべらと話していた。
頭の片隅で、どうしてこんなこと話しちゃってるんだろうと思うのに、口が勝手に動いてた。
それに、内容はわたしのつまらない恋バナだ。恋バナと言ったって、ただ片思いしつづけている男性が同僚になって、浮かれていたのにその人に彼女がいて、毎日つらいっていう、ただそれだけの話。箸にも棒にもかからないような恋バナを、不二さんは相槌を打ちながら聞いてくれていたのだけど、どういうわけか、「彼を射止めるためのアドバイス」をしてくれると言いだした。

「君がつくったグラスをうちの店で使いたい。だから、注文を受けてくれない?」
「えっ」

わたし、さっきから聞き返すことしかしていない。だっていま、不二さん、「グラスを注文したい」って言った。頼んでもないのに急に「アドバイスする」とか言いだして、その上、条件までつけるなんて意味がわからないと思った。けれど、きっとこれは不二さんの洒落た気遣いだ。本当は、わたしの作品をお店で発注するためのきっかけづくりなんじゃ……だとしたら、合点がいく。

「不二さんのお店でわたしのグラスを使ってもらえるなんて、夢のようです!」
「そう言ってもらえると、僕もすごく嬉しいよ」

それに、こんなモテそうな男の人に恋のアドバイスしてもらえるなら言うことない。グラスまで注文してもらえて、おまけに「あの人」を射止めれるとしたら……。でも「あの人」には彼女がいる。不二さん、ただ付き合ってるだけなら奪えばいいと言っていたけど、そんな人の幸せ壊すようなこと、しちゃダメだよね……。

「伊織さん?」
「あっ、すみません考えごとしちゃって……あの、グラス、ぜひつくらせていただきます! えっと、お見積り等々、後日、お店に伺わせていただいて」
「そんな、せっかく時間もあるんだし、ここでしちゃおうよ」
「へ……」

不二さんって……こう見えてワイルド? なんだかすごくペースに乗せられちゃってる気がする。師匠に何の相談もなく大丈夫かな……大丈夫だよね、お金になることだし!

「はい。これ使ってもらっていいから」

不二さんは自分のバッグから電卓を取り出して、わたしに差し出してきた。
料理に電卓って、使うのかな……。

「これさえあれば、できるでしょう?」
「電卓、持ち歩いてるんですか?」
「うん。原価計算しないと売上目標を立てられないし、意外と使うんだ。とくにこういう大人数の料理をつくるときは、分量計算とかね。料理は科学だから」
「すごい、なんか、カッコイイですね不二さん」

きらきらと眩しい不二さんの側で、わたしはメモ帳を取り出した。

「まずはお試しで、10脚お願いできるかな?」
「もちろん、かまいません」それで不二さんを納得させれば、大量注文になるかも……。
「じゃあモンラッシェとボルドーを5脚ずつで」

わたしがいちばん好きなガラス制作がワイングラスだ。不二さんが言ったモンラッシェとボルドーというのはワイングラスの種類で、モンラッシェはコクのある白ワインに、ボルドーはしっかりと重たいフルボディの赤ワインに最適なもの。

「承知しました」
「ふふ。やっぱり職人さんだね。すぐに話が通じるし、目が輝いてる」
「あ……わたし、あんまりお酒は詳しくないですけど、いちばん好きなんです、ワイングラスをつくるのが」

ワインは香りでできているし、ワインの味はグラスの形で大きく違ってくる。もちろん、保存温度やワインそのものの香りも、ワインを味わうための重要な要素のひとつだけど、そのなかで、最後の役目を果たすのがワイングラスだ。
舌で判断できる味覚である甘味、酸味、辛味、苦味は、味覚を感じる場所が異なっているため、飲んだ瞬間、ワインがどこに触れるかで感じ方が変わる。
たとえばブルゴーニュのグラスは香りを逃さないよう包み込むような形で、舌の先端に最初にワインが触れるように設計されている。
ワイングラスは、ワインのつくり手の想いを最大限に引き出すための最後の砦。わたしはそんなワイングラスの繊細なつくりに魅了され、ガラス職人になった。だからワインの勉強だけは、ガラス職人のなかでも人一倍しているつもりだ。ワイングラスと言えばリーベルと言われるけど、わたしはいつか、そのリーベルを越えるワイングラスをつくるという夢を持っている。

「僕、今日すごくラッキーってことだ」
「そんな、恐縮です。それで、見積もり価格ですけど……」

電卓を弾いて、合計が出たところで不二さんに見せた。しばらく電卓の数字を見ながら、不二さんは電卓を持って、パチパチと弾き直す。

「このくらいにならない?」
「え」

不二さんが出してきた数字は、わたしが出した数字の半額だった。

「い……いやこれはちょっと、難しいかなと……」破格すぎます、いくらなんでも。
「そっか。じゃあしょうがないね」
「えっ!」
「やっぱりいい職人さんがつくるグラスは高いよね、ごめん。気前よくOK出したかったけど、僕のお店オープンするときにリーベルのワイングラスを山ほど入れちゃったから……」
「あ……あのでも、リーベルの卸値のほうが、これより断然、高いですよね?」
「うん。だからオープン時に君に会えてたらなって後悔してたところ。素晴らしいグラスだよ、これ。こんな安物の赤ワインが、こんなに美味しくなるんだから」

上品に赤ワインを口に運ぶ不二さんが残念そうに笑っていて、なんて殺し文句を言う人なんだろうと思った。

「あの不二さん」
「うん?」
「恋のアドバイス抜きで、なんとかなりませんか」
「ごめん、ちょっとそういう問題じゃないかな」
「そうですよね……」

そうだと思いました……あれはきっと、洒落だし。ああ、不二さんのお店でわたしのグラスが使われるなんて、夢のような話なのに。諦めたくない。赤字でもやるべき受注だと思う。なんとかならないかな。不二さんはこの価格でOKということは、不二さんにこれ以上の負担なく、うちの工場が不二さんとこの価格でやるメリットを見つければいい。
相手がテレビのプロデューサーなら、取材に来てって言うとこだけど……ん、取材?

「そんなに落ち込まないで伊織さん。ごめんね、僕が余計な……」
「そうだ!」
「えっ」
「条件があります!」

不二さんが目を丸くしてわたしを見た。声を張り上げながら、わたしも心臓がバクバクしていた。
こんなこと独断で決めて、あとに師匠になんて言われるかわかったもんじゃない。だけど、一か八か……ううん、決めてしまえばこっちのもの!

「本を出してください」
「本?」
「不二さん以前に、『最高級のフレンチ』っていうレシピ本を出されてますよね」
「よく知ってるね。でもあれはラ・シックの頃に、出せばお店の宣伝になるからって出版社から持ちかけられた話だったから……」
「それです!」
「それって……?」
「出せば宣伝になるんです。不二さんのレシピ本のなかに出てくる料理の写真の数々、すべてどれも最高に美しかったです。ワインと一緒に並ぶ料理は、いますぐにでも食べたくなるほど美味しそうで、器や横にある食器が、さらにそれを引き立ててました」
「えっと、ありがとう……」不二さんは、ぎこちなく笑っている。
「だからその本に、わたしのワイングラスを一緒に掲載してください」
「え」
「もちろん料理と一緒に。ちょっとでいいです。1枚でいい。そうすればうちの宣伝になります!」
「あの伊織さん……本って、そんなに簡単に出せないよ」
「いいえ不二シェフなら一度出してるんだから出せます! それに不二シェフの宣伝にもなるじゃないですか」

ほとんど酔った勢いで言い切ると、不二さんは考えこんだ様子でうつむいた。
怒らせちゃったかな……でも師匠を納得させる手段があるとすれば、思いつくのはそれしかない。

「テレビ取材でもいいです!」
「もっと嫌だよ……テレビ取材はほとんどの場合、こっちがお金払うんだ」
「え、そうなんですか……あのじゃあ、雑誌取材のときとか!」
「いまの僕に雑誌取材なんてこない」
「え」
「君は僕のこと褒めてくれるけど、いまの僕は君が知っている頃の、評価が高いシェフじゃないから」

なんでそんな謙遜をするんだろう。こんな交渉の場で、意味のあることだと思えない。
でも眉間にシワを寄せてわたしを見る不二さんが、とても冗談を言っているとも思えなくて、わたしは黙った。

「いいよ」
「え」
「その条件でいい。でも条件がある」
「また条件ですか!?」
「ワイングラス、10脚から50脚に変更して」
「そんな……不二さん!」
「大量生産ならそれだけ安くなるのは当然だよね。だから、よろしくね」

にっこりと笑った不二さんが、わたしに名刺を差し出してきた。
名刺には『アン・ファミーユ グランシェフ 不二周助』と書いてあった。





『ガラス工房りんご』というかわいい名前に反して、うちの小さな工場はいつも師匠の怒鳴り声が響いている。
たいていは、入りたての新人が怒鳴られている毎日なのだけど……。

「お前、またそんな1円にもならない注文を取ってきやがって!」
「すみません!」
「誰がそんな注文、勝手に取っていいって言った!」
「すみません!」
「こないだも引き出物も勝手に受けて俺に怒鳴られたばかりじゃねえか!」
「すみません! でもあれはほんの少し、儲かったはずです!」
「口ごたえしてんじゃねえ! ほんの少しじゃねえか!」
「はいすみません!」
「アンルイスだかアンパンだから知らねえが、なんでうちの工場を使ってテメーの夢の手伝いさせられなきゃなんねーんだおい!」
「アン・ファミーユです師匠!」
「ンなのなんだっていいんだよ! なんだこのバカみたいに安い値段は! いますぐ断ってこい!」
「嫌です!」
「ああ!?」

本日、怒鳴られているのはわたしだった。しかも休憩中だ。わたしを除く7名の職人達が、ニヤニヤとわたしを見ている。まーたあの姉ちゃんなんかやらかしてるな……そんな声が、疑心暗鬼で聞こえてくる。
こうなるとはわかっていたけれど、師匠は話がわからない人じゃない。ちょっと頭が固いだけで。

「宣伝になります! 確実です! 不二シェフは日本人でありながら、その名を世界に広めてるほど超有名なフレンチシェフです!」
「俺は聞いたこともねえな!」
「で、ですからそれは、師匠が疎いだけです!」
「なんだと!?」
「本当に名の知れた人なんです! 不二シェフはテレビなどに出ないので一般の人は知らないかもしれないですが、料理界のイチローみたいなもので……!」
「疎いだと……? イチローだと……!? お前、俺が野球好きだからってバカにしてんのか!」
「違います、イチローはもののたとえで!」
「師匠、俺も聞いたことありますよ、不二シェフの名前なら」
「ああ?」
「香椎くん……」

苦笑いしながら、香椎くんがわたしに助け舟を出してくれた。香椎一成……わたしの中学からの同級生で、不二さんに相談した、初恋の人だ。すっと席を立ってこっちに向かってきた香椎くんに、いまでもドキドキしてしまう。近くに来ると、香椎くんは見上げるほど背が高い。切れ長の目に、スマートな黒髪が本当に素敵で……ああ、やっぱり好きだなあ。

「なんだ一成、お前もこのバカ伊織の肩を持つのか」
「バカ伊織って……ひどい」
「佐久間は俺の同級生だし、ここじゃ俺の大先輩で憧れの職人です。佐久間のやりたいって仕事は、きっと俺の勉強にもなりますからね」
「ふん……」

師匠はなぜか、香椎くんに弱い。ここに入ってまだ5年目の香椎くんは、ガラス職人としては「助手」になる。その他、3年目の助手が3人、8年目の「吹き手」と呼ばれる中堅の職人が3人。よっぽどのお得意さんでなければ作らない師匠は、ほぼ引退状態。となると、「仕上げ」と呼ばれる最終的な仕上げをする人物はわたしだけとなり、この工房で一番上の職人は、おこがましくも18の頃から師匠に弟子入りした11年目のわたしとなる。

「お前な、伊織」
「はい師匠」
「班長なんだぞ。わかってるのか。お前はこの工房のリーダーなんだ」
「わかってます」
「そのリーダーが、こんな勝手に発注を取ってだよ? 後輩達が安い給料であくせく働いてるところに、鞭打つようなことしていいのか? お前こんなの、1円の儲けにもならねえ仕事!」
「でもギリギリ赤字にはならないはずです。これで本に掲載されれば、うちに注文がくるかもしれないんですよ? 宣伝は大事です師匠」
「宣伝つったってお前!」
「出版社に宣伝広告料を払ったら効果がない上に高いの、師匠だってご存知ですよね。でもこの条件なら、タダで書籍になる上に、世界の不二周助に認められ出された食器という見解になります。掲載されるのは『りんご』の名前です。ブランドとして認められるチャンスですよ!」
「やってみましょうよ師匠。俺は賛成です」
「なんで一成までそんな乗り気なんだ、ばかたれが」

師匠はむっつりとしたまま、手を払う仕草をしてタバコに火をつけた。

「勝手にしろ。俺はもう知らん」
「ありがとうございます! あと師匠、ここ禁煙なんで」
「ああ、うるせえなあもう!」

どたばたと出て行った師匠に笑いながら、香椎くんが親指をあげてわたしに見せてきた。
そんな仕草まで、全部カッコいい……好き。

「ありがとう香椎くん」
「佐久間、ワイングラス好きだもんな。それにこの人、俺と一緒に行ったラ・シックのシェフだろ?」
「あ。覚えてて、くれたんだ」
「あのときの佐久間のはしゃぎよう、忘れられるわけないって」

そんなふうに言われると、バカだけど期待してしまう自分がいる。香椎くんって本当に、昔から罪な人だと思う。

「ラ・シックのシェフ、結婚式にいたんだ?」
「そう。アンジェラさんじゃなくて、たぶん、旦那さんのほうの知り合いだと思う。あーそういえば、どういう関係なのか聞くの忘れちゃった」
「聞けばいいじゃん」
「そだね、今度、会ったときにでも」
「あれ? さっき、いまから伺いますって連絡あったけど?」
「は?」

そのとき、遠くから「お邪魔します」という声が聞こえて、わたしと香椎くんは同時にそちらへ振り返った。見ると、事務所の窓越しに見える工場の出入り口に不二さんがいた。こちらに気づいて、のん気に手を振りながら事務所へと向かってきている。
ちょっと待って……なんで急に、こんなところに不二さんが?

「ほら、な?」
「なんで? え、なんで?」
「あれ……打ち合わせの予定、してたんじゃないの?」
「してないよ、だって……名刺交換しただけで、あのあと、連絡も取ってないのに」
「ごめん俺、てっきり打ち合わせの予定があるのかと」

事務所のドアを開けて、不二さんが入ってきた。

「伊織さんこんにちは。あ、みなさんはじめまして。アン・ファミーユの不二といいます」

不二さん独特の、工場には似つかわしくない高級オーラに、みんな圧倒されている。ぎこちなくぱらぱらと聞こえてくる「どうも」「はじめまして」という声がその証拠だ……。

「不二さんどうしたんですか、ご連絡くだされば……」
「ごめんね、僕ちょっとせっかちで。現場を見たくなったんだ。あ、これどうぞ、みなさんで」
「あ、ありがとうございます」

ケーキの箱をわたされた。箱には『アン・ファミーユ』と書いてある。
ずっしりと感じる重みと、ひんやりとしている箱から甘い匂いがしてきた。

「これ、ひょっとして不二さんが!?」
「うん、僕の手づくり」

それを聞いた途端、他の職人がガタガタと音を立ててこちらに向かってきた。うちの職人は働きまくっているので、甘いものに目がない。

「どうも、はじめまして。電話に出た者です」
「あ、さっきはありがとうございました」

香椎くんが持ち前の社交性で不二さんと握手をすると、不二さんはなぜか、ちらりとわたしを見てきた。

「美味しそうなケーキ、ありがとうございます! 甘いもの、みんな大好きなんで喜びます」
「よかったです。男の人が多いとは想像してたから、ちょっと迷ったんだけど」
「意外とみんなしてスイーツ男子なんですよ。あ、俺、香椎一成といいます」

にっこりと微笑む不二さんが、また、わたしをちらりと見た。不二さんに恋バナをしたことを忘れていたわけじゃない。でも「彼を射止めるお手伝い」に関しては、話が一転しすぎて、すっかり忘れていたことを思い出した。
そしてそれは、胸騒ぎと同時に、もう不二さんから放たれていた。

「僕、不二周助と言います。伊織さんと付き合ってます、よろしく」
「え……佐久間の、彼氏?」
「ええええええっ!」

職人たちの視線が、一斉にわたしと不二さんに向けられる。

「そういうことに、なるのかな。ね、伊織さん」

これはお手伝いでもアドバイスでもない。ただの暴走だ。





to be continued...

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