君の愛し方_01
「……あれ…………雅治…?」
時計を見ると、19時を回るとこだった。
隣には、ぽっかりと消えた愛しい雅治の枕がぽつりと。
わたしを抱きしめて眠っていたはずなのに、肝心の彼の姿は見えなくて。
君の愛し方
1.
不安になって起き上がると、奥からシャワーの音が聞こえてきた。
もしかして…。
そう思いながらバスルームへ近付くと、中からバタン、という音が聞こえた。
「…ま、雅治?」
「お?すまん、起こしたか?」
のらりくらりとした声が、ドアを一枚隔てた中から聞こえてきてほっとする。
黙って帰ったのかと思ったから、一瞬、とても寂しく感じてしまったせいで。
「ううん。今起きたの。お風呂、入ったの?」
「悪い、シャンプーとかいろいろ、勝手に借りたぜよ」
「ああ、いや、そんなこといいよ、全然…ていうか体調は…」
「薬がよう効いちょるようじゃ。だいぶいい。万全とは言えんが、問題ないから安心しんしゃい」
そう言いきったとこで、同時にドアが開けられた。
突然開けられたそのドアに「わっ!」とびっくりしたわたしが離れようとしたら、髪が濡れたままの雅治にしっかりと抱き寄せられていた。
ほくほくとした体から、ふわっとシャンプーの香りが漂う。
「…逃げんでも、ええじゃろ?」
「逃げたわけじゃないよ…びっくりしただけ」
耳元で囁く雅治の声は、卑怯。
雅治の体の熱は消えていたけど、今度はわたしの熱がどんどん上昇していって。
赤くなった顔を見られないように、雅治の胸に顔を埋めた。
「なぁ、伊織」
「ん?」
頭を撫でながら、わたしの名前を囁く。
時折呼び捨てにされるその時、わたしはドキン、とする。
雅治が、すごく大人になった気がして。
「…なんでもない。呼んだだけ。なぁ、腹、減ったんじゃが…」
「ん、じゃご飯作る。何食べたい?」
「そうじゃのう。シチューとか、ええのう。暖かくなりそうじゃ」
「了解!待っててね。すぐ作っちゃうから」
□
―抱きたい―
その一言を発するのは、まだ早いじゃろうと思って踏みとどまった。
おかげで腹が減ったっちゅう間抜けなことを言うてしもうたが、伊織さんはなんの疑いもなく料理を始めてくれちょる。
「あ、雅治、すぐに髪乾かしなさいよ!湯冷めして風邪引いちゃったら意味ないんだから」
「…プリッ」
普段は自然乾燥じゃが、伊織さんは今日じゃからこそそれを許してくれんじゃろうと思った。
案の定、俺がだらだらとしちょったら、伊織さんはせかせかと洗面台で支度をして、「ここで乾かしてね!」ちゅうて、俺を洗面台まで引っ張ってドライヤーを渡す始末じゃ。
言うことを聞いちょくのが無難じゃと、俺は黙って洗面台でドライヤーをつけた。
髪を乾かすのは多少面倒だが、それも伊織さんの家だと思うとなかなか心地いいもんじゃ。
ふと視線を落とすと、まだ開けられてないブルーの歯ブラシを見つけた。
伊織さんがさっき洗面台でごそごそしちょったのはこのせいか、と俺は嬉しくなる。
歯ブラシがプラスチックで覆われた部分に、ペンで「雅治」と書かれちょったからじゃ。
あのお姉さんは、俺の歯ブラシまで用意してくれちょった。
もしかしたら髪を乾かせっちゅうたのも、この歯ブラシの存在を伝えるためじゃったんかもしれん。
そこで目を正面に向けると、今度は綺麗に磨かれた鏡が俺を映した。
映った自分の姿をじっと見る。まだ稚気を帯びとる自分の姿に焦りを感じた。
それでも周りから見れば、多少は大人びちょるんかもしれんが。
…正直、俺みたいなガキが伊織さんを抱くのは緊張する。
そういう経験がないわけじゃないが、伊織さんに惚れてから女には触れちょらん。
俺はその間、ずっと頭の中で伊織さんを抱いてきた。何度も。
それもかれこれ二年…童貞みたいなもんじゃ。
だが、抱きたい。どうしょうもなく、抱きたい。
緊張しようが、手が震えようが、伊織さんに触れて、伊織さんの全てを知りたい。
俺の手で愛して、それに反応する伊織さんを見たい。
…さっきは勢いで押し倒したが、こう間を置いちまうと変に構えてしまうのう。
* *
「でーきた!熱いから気をつけてね」
「熱いくらいがええ。おっ…美味いのう!」
それからしばらくして、伊織さんの作ってくれたシチューを食べた。
俺がそう言うと、伊織さんは嬉しそうに頬を緩めた。
それが可愛くて、たまらん。
まだだるさの残るこの体の不調さえ、全部ぶっ飛んでいきそうなくらいじゃ。
それくらい、伊織さんが笑うと、俺は嬉しかった。
「それ食べたら、夜の分の薬…これと、これと…あとこれ!飲んでね。はい、これ水」
「おう、悪いのう、何から何まで…」
いんだよ〜と歌い出しそうな口調で、伊織さんは俺の頭を撫でた。
女に頭を撫でられるっちゅうのは新鮮な体験じゃ。
これも、年上効果か。
「…そうじゃ。伊織さん、今日の病院代、いくらじゃった?」
「え!あ、いいよいいよそんなの!」
「ようない。それは当然、俺が払う」
「いいって雅治〜!」
「ようないって。甘えたくないんじゃ。俺が学生で伊織さんが社会人とか、そういうのは関係ない」
「……強情だなぁ…」
俺が真面目な顔をして怒ったようにそう言うと、伊織さんはぶつぶつ言いながら、俺の前に領収書を出してきた。
俺はその分、財布から出して伊織さんに渡す。
伊織さんは不服そうな顔をしてそれを自分の財布に仕舞い込んだ。
俺はどうしても、金銭的な面で伊織さんの世話んなるのは嫌じゃった。
それは極力避けてきちょる。
じゃから今日のタクシー代も、俺が伊織さんを先に無理矢理降ろして払った。
こういうとこで甘えたくない。ただでさえ、7歳の差は縮まらんっちゅうのに。
「雅治ー…さ」
「なんじゃ?」
薬を飲んだ後、洗面所で歯を磨いてきた雅治に思い切って言うことにした。
雅治は、きっとわたしとの距離を縮めようとしてくれてる。
甘えないように、甘えないようにって。
デートしてても、わたしに支払わせてくれたことなんか、一度もなくて。
俺が払う。払わせてくれ。の一点張り。
大人の付き合い…みたいなのに合わせてくれようとしてる、その気持ちはすごく、嬉しいけど。
わたしは不満だった。彼がいつも、わたしに気を使っている気がして。
気遣いと、気を使うのは別物だ。
少しくらい頼ってくれたほうが、わたしとしては安心出来るのに。
「無理、しないでね?わたし、別に雅治にそういうこと、求めてるわけじゃないから…」
「…金のこと言うちょる?」
雅治は一瞬黙って、わたしに問いかける。
その目がすごく真剣で、わたしはなんだか焦ってしまった。
「そ、それだけじゃなくて…」
「お前さん、人のこと言えるんかの?」
「え?」
そうして返って来たのは、雅治からの鋭い視線。
わたしはどきっとして、彼を見返した。
どうしよう、なんだか不穏な空気…。
人のこと言えるのか…そう、言われてみれば、わたしも甘えてない。
「女に嫉妬するんも、我慢しちょるくせして」
「…っ…そ…」
雅治の、少しだけ呆れたような顔に固まってしまった。
きっと、今日のこと言ってるんだ。
だって、わたし、7つも年上なのに、7つも下の子に嫉妬するなんて…恥ずかしくて。子供っぽいから…。
そう言葉にすることさえ躊躇われて。
わたしが俯いていると、そっと、わたしの右頬を雅治の大きな手が包んだ。
「…嫉妬、してくれた方が俺は嬉しいんじゃけど?」
「…雅治…」
「なぁ、お互い、気にするんはヤメにせんか。年の差、考えたって埋まらんし」
ふっと溜息をついた雅治が、わたしの顔を覗きこんできた。
今、気にするのはヤメようと言われたばかりだけど、わたしは年上のくせして、彼に慰められていることを情けなく思った。
でも同時に、そんな雅治だからこそ、わたしは彼を愛せるんだと思う。
こくっとひとつ頷くと、雅治は少しだけ微笑んで。
「すまん、俺も強情になっちょったとこがある。な、お互い素直になるとこならんと、うまくいかんこうなっても嫌じゃろ?」
「うん…やだ」
素直になろう…そう思うと自然に、雅治に抱きついていた。
今までそんなこと、したこともなくて。
甘えることすら素直に出来なかったわたしを、雅治は少し寂しく思っていたのかもしれない。
「……ずっと、一緒に居たいよ…雅治」
思い切ってそう言って、ぎゅっと力を込める。
雅治は同じように力を込めて、わたしの背中をぽんぽんと叩いてくれた。
少し、微笑んでくれているのがわかる。
なんとなく…それは雅治の持つ空気が、優しくなったから。
「……のう、伊織さん」
「はい」
「…我慢出来んくらい、可愛すぎる」
「えっ…」
ふっと体を離して見上げると、雅治は熱っぽい目をしてわたしを見つめていた。
微笑んでいたって思っていたのに、とんだ勘違い。
恥ずかしさと一緒に、どきん、と一気に心臓が跳ね上がった。
これは、つまり、その…お誘いじゃないかと!
「…シャワー、浴びてきんしゃい…」
「あ…そ…そ…でも、そ、病み上がりなのに…!安静に…!」
「このまま押し倒してもええなら、そうさせてもらう」
「ちょ、待っ…!浴びる!浴びて…くるから…」
わたしの言うことなんか全然無視して近付く雅治に、焦って立ち上がった。
そんなわたしを、雅治は大人の男の目で見上げていて。
その視線に耐え切れなくなったわたしは、着替えを持って急いでバスルームに消えた。
どうしよう…もう久々すぎて、何がなんだかわかんない。
わたしはお風呂の中で、これから起こるだろうことを何度も何度も頭の中でシュミレートして、懸命に胸の高鳴りを抑えようとした。
だけど…それは全然無駄な行為で…むしろ、余計高鳴ってきてしまって。
それから焦りつついろいろと支度をしたわたしは、ひとつ深呼吸をして、バスルームから出た。
そっとドアを開けると、部屋の中はもう、ベッドランプの灯りだけで、周りは暗くなっている。
その中に、ぼんやりと浮かぶ雅治の影が見えた。
近付いて、彼の名前を呼ぶと、彼は何も言わずにわたしを抱きしめて。
「…好きだ、伊織…」
「うん…わたしも…」
心臓が張り裂けそうで、うまく声が出ない。
心配して、雅治が顔を覗きこんできた。
「…怖いか?」
「ううん…すごく、緊張しちゃって…ごめんっ…」
「…安心しんしゃい…俺も同じじゃ」
不安を抱えてたわたしの耳元でそう呟いて、優しいキスを落としてくれた。
身も心も君を愛せた、幸せすぎる夜だった――。
to be continue...
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