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11.


何度も、俺は伊織を「好きだ」と言った。伊織も同じだけ、俺を「好きだよ」と言った。そうしてくり返される愛の言葉を、俺は信じている。その、つもりだった。
だが信じていても、真実を知ったあとは、心が揺らぐ。
伊織が、本当に愛しているのは、いま目の前にいる五橋春かもしれん……。

「でもな、仁王くん」

五橋はしらじらしく、まるで担任教師のような口ぶりで俺を見おろした。気味が悪かった。どれだけ俺が挑発的な態度を取ろうと、この男のなかに、確信めいたものを感じる。それが、俺への呼び方に表れている気がしていた。癪だ。

「仁王でいい。変なとこで年上ぶりなさんな。俺がいくつ年下じゃろうが、お前にとっては嫉妬に値する男じゃろ?」

その余裕を壊してやる。いまさら、かしこまって話をするつもりもない。
それは効果覿面だった。五橋の顔つきが、一瞬にして変わった。

「威勢がいいな、仁王」噂どおりだ、と付け加えた。
「お前と世間話をしに来たわけじゃないんでな」
「……俺は、お前と話すことはないぞ」
「俺にはあるんよ。お前の都合なんぞ、知ったことじゃない」

わずかに睨み合ったあと、五橋は首をひねりながら、うんざりとした様子で深いため息をついた。
一歩、体をひいた。扉に背中をつけて、俺を室内に促した。

「そこじゃ寒いだろ。入れよ」
「ありがたいのう。歓迎はされちょらんようだが」

俺は事務所に足を踏み入れた。忍足の彼女の話じゃ、ここで伊織と五橋は話していた、ということだ。
その部屋は、カフェの事務所にしては贅沢な空間だった。なかなかの広さで、中央の大きなローテーブルとレザーソファ。奥にはベージュのデスクのうえにパソコンが一台、置かれていた。壁に沿っているミニコンポとレコードプレイヤーの横には、CDが1000枚は入るだろう巨大なラックと、そこに入り切らないLPと本の山が積まれている。
乱雑なようで、きちんとまとまっていた。それらはカフェ店内のように雰囲気のあるインテリアとして存在感を出している。
そつがなく、綺麗好きで、気取っている。この男そのものだと思った。
そんな空間で、五橋は俺を座らせることもなく、腕組をして向き直った。

「歓迎されるような立場じゃないことは、お前自身、よくわかっているんだろ?」
「ほう? ちゅうことはやっぱりお前、まだ伊織が好きなんじゃの?」

このさい、もうなんの探りも必要がないことはわかっていた。
一方で、五橋の本音を引き出す必要がある。聞いた話から推測して、こいつはおそらく25か26歳。
俺のことなんか、ナメているに決まっている。案の定、五橋は顔色を変えなかった。

「いい身分じゃのう? 妻子持ちで高校生に手をだすっちゅうのは」
「吠えるなよ。お前に言われるいわれはない」
「ああ、開き直るっちゅうわけだ。7つも8つも年下の若い女をさんざん傷つけて、お前の欲求は満たされたか?」

いくらでも出てくる俺の挑発に、ようやく五橋の目が怒りの色に染まっていった。
いまにも殴りかかってきそうだ。
それでいい。俺もやりやすい。伊織を返してくれと、俺に懇願してみろ。

「いいか仁王、お前みたいに苦労を知らないガキには、俺の気持ちを理解しようなんてことは不可能だ」

負け惜しみ、っちゅうわけでもなさそうだ。

「理解しようなんて思っちょらんよ。俺は結婚もしたことなけりゃ、育児ノイローゼの女を見たこともないしの。だがどれだけ苦労しようがつらかろうが、ガキをだましてまで性欲を満たしたいとは思わん」

わざと、「性欲」と強調してやった。お前の伊織への執着が、どれほど滑稽かを思い知らせてやる。

「はっ……よく調べてるな。大方、ブギーの連中だろうが」五橋は鼻で笑った。
「五橋、お前の節操の無さは俺にしてみればどうでもいい。そこに伊織が巻き込まれたことは許せんが、もう済んだことを責めるつもりもない」

五橋は俺の顔をあおいで、薄笑いを浮かべた。癪にさわる、綺麗な顔だった。
本当なら、伊織の心をかき乱したこの男を、殴ってやらんと気が済まん。

「噂とは違って、ずいぶんと女に惚れ込んだもんだな、仁王」

そう言って、テーブルの上にあったタバコから1本抜き取り、火をつけた。
紫煙が部屋のなかでマーブル模様を描いていく。

「……なんの話じゃ」
「調べていたのはお前だけじゃないってことだ。コート上のペテン師だっけ?」ダサい異名だな、と笑った。「テニスじゃかなり名が知れてるようだな。そのぶん、女にもモテる。とっかえひっかえなんだろ? そういう意味じゃ、俺もお前のことは解せないね。どうせ飽きるなら、さっさと伊織と別れたらどうだ?」

冷静を装ってはいるが、タバコを持つ人差し指が、せわしなく灰を落としていた。

「俺の場合、どっからそういう話が出てくるんか検討もつかんとこが厄介じゃ。だが、本当にとっかえひっかえじゃったとして、所帯持ちよりは幾分かマシじゃと思うがのう?」

五橋の顔色がまた変わる。どれだけ御託を並べようが、自分に家庭があるうしろめたさは確実に五橋の傷を抉っていた。
正当化ができるはずもない。俺はそこにつけこんだ。

「ついでに言えば、お前に俺と伊織の付きあいを指図される……それこそ、いわれはないのう」平気で責任放棄をするような、お前になんかな。
「……どうでもいい。お前がプレイボーイだろうがな。だがな仁王……伊織が完全に手に入らないからって、そんなに躍起になってんじゃないのか?」

挑発的な視線が、しつこくも俺に降り注ぐ。

「これまで女に追いかけ回されていたのに、いまじゃお前が女を追いかけ回してる。自分に振り向かない女がはじめてなんだろ。だから、プライドが許さない?」

部屋のなかがわずかに暗くなった気がした。五橋の挑発が、俺にきいている? まさか。

「好きに解釈しんさい。お前にどう思われようが、かまわんよ」
「大人だねえ。お前がこの店に来て伊織のことを匂わせたとき、ピンと来たよ。お前のことは知ってたが、姿を見たことはなかったからな」

お前のことは、知っていた。
その言葉に、体が一瞬、強張った。
五橋も俺のことを調べている。そこに至るには、要するに俺と伊織の関係を誰かから聞いたということだ。
俺が五橋に存在を匂わせた日じゃない……それよりも、もっと前。五橋にわざわざそんなことを知らせる人間は、ひとりしかいない。
……伊織、なんのためにそんなことをした?

「伊織はここに、なにしに来たんじゃ」
「ああ、やっぱりその話」と、両肩を上にあげた。「そんなこと、俺がお前に教えると思うか?」

完全に、俺を小馬鹿にしていた。五橋はまた薄笑いを浮かべて、タバコを口に咥えた。さっきからどうも、釈然としない。この男から垣間見える余裕は、いったいなんだ?

「俺が納得がいかんのは、お前が伊織を泣かせたことだ。俺が知っとるだけでも2回、伊織はここに来て、お前に泣かされてる。さすがの俺も、恋人を泣かされて黙っちょくほど、温厚な性格じゃないんよ」

言いながら、無性に腹が立った。
五橋に向かっていった。タバコをぶん取って、すぐそこにある灰皿で揉み消した。
その俺の行動にも、びくともしない。ただ俺の目を見据えて、「もったいないことするなよ」とつぶやいた。
かなり、胆が据わった男だ。

「仁王なあ……単純に考えろよ。女が昔の男を訪ねる理由はなんだ? ひとつしかないだろ」
「はあ?」
「しかも、俺は伊織が好きだ。いまでも本気で好きだ。愛してるよ。いまは、伊織の気持ちが落ち着くのを待ってる。準備さえ整えば、すぐにでも伊織を奪いに行くさ」

大真面目だ、と付け加えた五橋に、虫唾が走った。
伊織の気持ちが落ち着くのを、待ってるだと……? 笑わせてくれる。お前の存在が、お前が伊織にしたことが、どれだけ伊織を傷つけたのか、お前にはわかってないのか。

「伊織はお前のとこへは、もう二度と行かん」絶対に。
「来させてみせるさ。伊織が本当に愛してるのは、俺なんだから」

五橋が言い終わらないうちに、俺はその胸ぐらをつかんだ。五橋の無神経さに、我慢の限界だった。
あれだけ伊織を傷つけて、自分の家族も裏切っておきながら、まだ伊織を、家族を傷つけるつもりか。
伊織が必死で訴えた子どものことは、どう考えている。
お前は伊織の父親と一緒だ……自分さえよければそれでいいのか。自分の幸せのために、誰を犠牲にしてもかまわんのか。
そんな男のところに、伊織が戻るはずがない。
弟を失った伊織は、その日に一度、死んだ。その死んだ伊織をよみがえらせて、また地獄に突き落としたような男に、伊織はいたぶられたっちゅうのに。

「……伊織は、お前にはわたさん」

そう睨みつけても、五橋は眉根ひとつ動かさずに俺を見据えた。
殺されたいのか? そう口走りそうになる。

「伊織を縛るつもりか仁王……あいつはお前の所有物じゃない。伊織にとって本当の幸せはなんだ? 好きでもない男と一緒にいることだと思うのか?」

伊織は、俺のことを好きだと言った。愛してると、何度も言った。

「ほたえなや。伊織が俺を好きじゃないだと? なんでお前になんでそんなことが言える? それともなにか。お前みたいな卑劣な男とおるほうが、伊織は幸せじゃっちゅうか。バカもそこまでくると末期じゃのう」
「じゃあ教えてくれよ仁王。伊織はお前と関係がはじまったあと、どうして俺に会いにきた? わざわざ俺に言いにきたんだぞ?」

――今日、はじめて春以外の人に抱かれるよ。

コートを着たままだというのに、俺は急激な寒気に震えた。
五橋が、俺の顔をみて勝ち誇ったように笑う。この男の余裕が、俺をたしかに圧迫している。

「だから春もわたしのことを忘れて欲しい、その指輪を外してくれ、店に貼ってあるスケッチも外してくれ、そう言いにきた。伊織の言動が、どういうことかわかるか仁王。それは、俺を忘れられないってことだ。目の前に俺との想い出があると心が揺らぐ。俺のことを思いだす。俺がまだ自分のことを想っていると、わかるのがつらい」

伊織が、俺のことをまだ愛しているからだ、と言った。
胸ぐらをつかんでいた拳を乱暴に離して、俺は五橋から目をそらした。
五橋の言葉が俺の頭のなかを支配していく。
はっきり言って反論のしようがない。五橋の言っていることは、的を射ている。
無性に、伊織に会いたくなった。俺の体を抱いて、信じさせてほしかった。

「……負け犬はよう吠えるのう」

背中を向けて、立ち去ろうとした。もう、こんなところにはおれん。
伊織がここに来た理由は、とりあえずはわかった。五橋がいま、どういうつもりなのかも、よくわかった。
それだけで、俺の用は済んでいる。

「仁王」
「……なんじゃ」

だが、五橋は俺を引き止めた。振り向きはしないまま、俺は立ち止まった。
なにか言い足りないのか。お前がそこまで伊織に本気なら、俺にも覚悟がある。

「済んだことを責めるつもりは、ないんだったな?」
「……なにが言いたい?」

物言いが、やけにもったいぶっている。頭のなかが、じわじわと痺れていった。
早くこの場から立ち去りたいのに、五橋の言葉が、なにか重要な響きを持って俺のなかに侵食していく感覚があった。

「知ってるか?」
「回りくど」
「伊織が、俺に抱かれた最後の日を」

この場をまとう冷気に、押しつぶされそうだった。
さっきからこの男が勝ち誇っているのは、このせいだったのか。
俺は五橋に振り返っていた。その唇が、わずかに開く。
言わずにはいられない。そんな笑みが、俺の目のなかに飛び込んできた。

「お前がはじめて、伊織を抱いた日だ」

大きく一歩を踏み出せば、そこに五橋の頭がある。
五橋が言い終わったのとほぼ同時に、俺はその頭に殴りかかった。
派手な音を立てて、五橋が床に倒れ込んだ。ラックが揺れて、CDが何枚も落ちていく。俺は容赦なく、目の前の胸ぐらをつかんで、また殴った。
自分の怒りが、まったく制御できない。自分が自分じゃないように感じる。こんなふうに人に手をあげたのは、はじめてだった。

「殴って気が済むなら殴れ」赤くなった頬で、それでも俺を睨みつけている。「でもなあ、これは紛れもない事実だ。だから伊織は、泣いたんだよ!」
「お前、無理やり伊織を……!」

五橋の全身を揺らして、俺は食ってかかった。
五橋が俺の体を引き剥がし、壁に押し付けるようにして、拳を振りおろす。今度は俺が殴られる番だった。背中と頭が壁に叩きつけられる。口のなかに錆びついた味が広がった。脳がぐらぐらと揺れる。そのあいだに、五橋は俺の胸ぐらをつかみあげた。

「ああそうだ! 逃げる伊織を無理やり抱いた! 伊織は残酷だって泣いたよ!」 

――やめてっ、春、お願い……! わたし、あの人を春におきかえちゃう! それだけは嫌なのっ! お願いっ……!

「やめるかよ! 伊織がほかの男に汚されるのを、俺が」
「黙れっ!」

俺はまた、五橋を殴った。飽き足りず、何度も殴った。とても、冷静にはなれなかった。
この部屋で、伊織が五橋に抱かれた。
俺がはじめて伊織を抱いた、あの日に。
その事実が、この男をこのまま殴り殺すこともできそうだ。

「五橋、お前だけは、許さん……っ」

息を切らしながら、馬乗りになった俺を睨み上げた五橋の口から、血が吹き出ていく。乾いた衝撃音が、部屋のなかに無機質に響いていく。
俺の拳に、五橋の血がついた。
俺は疲れて、目の前の胸ぐらをつかんだまま、その頭を床に叩きつけた。

「殺すぞ、お前……っ」
「やってみろよ。なあ、伊織が2回目に来たのは、あの指輪を返しにだぞ。俺の目の前でネックレスを引きちぎって、返すって言い張ったよ。でも俺は受け取らなかった。それがあると、お前となにをしてたって、伊織はお前を俺におきかえる、俺と、比べる」

それでも伊織は、いま、俺の傍にいる。

「ほざけ。お前が……お前がそう信じたいだけじゃろう」
「ああ……そうだったらいいなあ仁王? いいか? あの指輪を伊織が持ってる限り、伊織は、俺のことが忘れられない。あれがあれば、俺のことを思いだす」

どこまでもしゃべりつづける五橋を黙らせるために、もう一度、殴った。

「つ……はあ、気が済んだかよ、仁王……それとも、本当に殺す気か?」
「……済むわけなかろう。そんなことをしても、意味がない。そんな価値もない、お前には」

五橋の頭を、床に打ち付けるように揺らして、俺は、手を離した。うろんげに俺を睨む五橋の目を見ながら、俺は立ち上がった。
このままじゃ、本当にそのうち殺しそうだ……。
背中を向けた。扉に向かう自分の足が、もつれているのがわかる。その足で、俺は暗い階段を降りていった。口のなかに広がる血が、どうしようもなく苦い。吐きそうだった。
殴られて傷になった顔も、皮が剥けて血が出ている拳も、寒空の下で震えながら、それでも熱く火照っている。
ただひとつだけ……俺の胸のなかが、凍えた心が、感覚を失くしていった。





五橋と話した日から、伊織には会ってなかった。
この3日、俺はベッドの上でただ天井を眺めているだけだった。すでに自由登校に入っている学校にも行っていない。
伊織にはメッセージも送らず、電話もしていなかった。俺からしないということは、伊織からもしてこない。
五橋と殴りあった当日、俺は家に帰っても眠れなかった。
翌日、俺の顔を見て騒ぐ母親に適当な言い訳をつけて手当てしてもらってからというもの、一歩も家から出ていない。
どれだけ頭を整理しようとしても、どうにもならん。
あの日、伊織とはじめて体を重ねた日……伊織は何度も俺の名前を呼んで、愛してると言った。
五橋に抱かれたその日に、俺に抱かれた。
伊織……お前があの日、俺に言った言葉は、全部、俺への言葉だと信じていいのか?
お前が望んだから、俺はお前を折れそうなくらい抱いた。
愛してると言われるたびに、俺も同じようにくり返し、愛してると言った。その終わりに、何度もお前にキスをした。
お前はその唇で、なにを感じていた? ちゃんと俺を、感じてくれていたのか。

「雅治ー! 電話ー!」

その思考を止めたのは、部屋の外から放たれた母親の声だった。
自宅に電話がかかってくることは、もう滅多になくなった。
直感的に胸騒ぎが俺を襲ってきた。階段を降りて、俺はリビングにある固定電話の受話器を取った。

「仁王か!?」その声は、聞き慣れた怒号だった。
「……真田? どうしたんじゃ、スマホにかけてくればええじゃろ?」
「なにを言っている! お前の携帯電話にまったくつながらないから、こうして自宅に電話しているのではないか!」
「……おう、そうか。電源を切ったままだったか」

ポケットのなかからスマホを取り出すと、どれだけ触れても液晶画面は起動しなかった。電源が落ちたまま、放置していたらしい。
そういえばこのスマホを起動しようとしたのも、3日ぶりだ。
誰とも話す気になれなかったせいか、まともに触ることもなかった。伊織から連絡がくるはずもない。
そう思いながら、俺は近くにある充電器をスマホに挿し込んだ。

「のん気にしている場合ではないぞ仁王! 大変だ」
「ん、どうした?」

なんでも大げさな真田のことだ。
のん気と言われるにふさわしくのん気に返事をすると、さらなる怒号が飛んできた。

「どうしたじゃない! お前はいったい、なにをしている! 俺のところに電話があったぞ。華陽高校の連中だ! 佐久間を連れさらっているようだぞ! 仁王を連れてこいと言われた!」
「は?」
「この近辺じゃかなりガラの悪い連中だぞ! 佐久間が心配だ。お前ひとりで来いと言っていたが……仁王、あの連中になにをしたのだ!?」

受話器を落としそうになる。近くにいた母親が、俺の顔を見て「どしたの?」と目を丸くした。

「真田、あとで連絡する」
「おい仁王! ちょっと待たんか!」
「待てんじゃろ! ぐずぐずしちょる暇はない!」

自分を叱責するように叫んで、俺は乱暴に受話器を置いた。
10ヶ月前のツケがいまごろ回ってくるとは思ってもみなかった。俺はすぐに、充電器に繋がれたままのスマホを持ち上げて、伊織に連絡をした。
電話は2コール目に取られた。電話越しの音は、妙に静かだった。相手は無言のまま、こっちの様子を伺っているようだ。

「……華陽のヤツか?」
「やっとかよ仁王……久しぶりだな、すぎ」
「『かりあげくん』だよ雅治! わたしなら大丈夫! 場所は」

相手が名乗ろうとしたとこで、伊織の、叫ぶ声が聞こえた。こんなときにまで、伊織はふざけたその呼び名をつかっている。少しは余裕があるということだ。だが油断はできん。

「黙れこのクソアマ!」
「ひゃあ!」
「おい、伊織になにしちょる!」

なにか大きな音がする。殴られているかもしれないと思うと、俺は完全に余裕をなくした。
伊織……頼む、無事でおってくれ。もう、挑発をするな。

「ったく……お前の女は威勢がよすぎだ仁王」
「伊織に手をだしたら、タダじゃ済まんぞお前」
「バーカ。お前の立場でそんなこと言えるのか? ああでも、まだこの女とつづいてたとは思わなかったぜ仁王。お前、よっぽど惚れてんの? この女に」

だったらめちゃくちゃ最高だよ、お前を苦しめることができるからな。
堪えきれないのか、電話越しで、音が割れるほどの笑い声が俺の耳をつんざいた。複数人いると、すぐにわかった。

「……お前らいったい、なにが望みなんじゃ」
「それは来てからのお楽しみだろー?」ケタケタと、まだ笑いつづけている。「ただし、お前ひとりで来い」
「俺がひとりで行けば、伊織はすぐ離すんだな?」
「ああ、離してやるよ。お前と引き換えにな。当然だろ? ボコボコにしてやるよ仁王。こっちは引退した3年のほとんどが集まってる」
「……場所を教えろ」

3日前にもボコボコにされて、今日もボコボコか。俺もついてない。
告げられた場所を頭のなかに叩き込んで、俺はスマホを切った。
まずは……柳生に連絡だ。




to be continue...

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