if_sequel_M.N.


case4. M.N.


テンとチョコの恋物語に、俺と伊織は舞いあがっていた。
お互い、変な確信もある。
絶対にふたりはうまくいく……それは俺と伊織が再会したときの、不思議な運命の絆を感じたあのときと同じ匂い。
そのすべてが、テンとチョコには、宿っている気がしていた。

「はー、ひと仕事終えたって感じ! いまごろ、どんなことになってるかなあ!」
「チョコがはっきり言えるとええけどのう。まあ、俺らのことは信じてくれちょるから、大丈夫じゃとは思うが」
「大丈夫、大丈夫、女の子の恋のパワーは、結構、侮れないんだよ」

伊織はそう言いながら、家に帰るとすぐにパソコンのスイッチをつけて、メールのチェックをしはじめた。
散々テンのところで飲んだっちゅうのにこいつは、帰ってからもさっそく冷蔵庫のなかからビールを取りだした。
酔った姿はかわいいもんだが、こっからが長いのが伊織の難点。
まあ、それもこれも全部含めてかわいいと感じる俺は、こいつよりも重症だが。

「あ! また仕事きてる! 雅治のお父さんのコネクションだけど」
「おう、そうか。親父が宣伝しまくっちょるからの。お、リチャードからもきちょるのう」
「うん! 感激だよー雅治ー。登録会社からはなかなか来ないけど、持つべきものはコネだね!」
「じゃの。まあ、ガツガツ働いて儲けんしゃい。それで俺のこと養うてくれたら、もう言うことなしじゃ」
「え、ヒモ宣言!?」
「ははは。それも悪くないじゃろ?」

悪いよバカ! と言って、伊織は俺にクッションを投げつけた。俺は笑ってそれを受ける。
そんなちょっとしたことにすら、幸せを感じる毎日だ。
昔の自分と照らしあわせたら、どうしたって喜ばずにはおれんせいか、それとも俺も酔っちょるんか。
パソコンに向き直って真剣にブラウザを見つめるその姿が愛しくて、うしろから抱きしめた。
優しい香りが、俺の鼻をかすめていく。

「んー? そういう気分なの? いーよー? かわいいでちゅね、雅くん」
「黙りんしゃい」
「あいあい、よちよち」

俺をからかいながら、傍にある俺の唇に短く口づける伊織は、まんざらでも無さそうだ。
こんなふうに子どものような扱いを受けることはしょっちゅうで、それを許せるのも愛の大きさなんじゃろうか、と柄にもないことを考えては苦笑する。
たしかに、伊織は俺にとって唯一、こういう姿を見せれる相手だ。伊織もそれを心得ているのか、なんの遠慮もなく俺を挑発しては、楽しんでいた。
毎度のことながら、俺は悪態をつく。
そのたびに、愛くるしい唇の触れる音が耳の奥で響いて、安心させてくれる心地よさに酔いしれる。
この時間のくり返し。俺にとってはこのくり返しが、なにより、大切だ。

「のう、それ、いまじゃなくてもええじゃろう?」
「えー、そうだけどいま見ちゃったし、早いほうがいんだよーこういうのはー」
「いまお前、ええよっちゅうて、俺にキスしたばっかりなんじゃけど?」
「もー、わがまま言わないの。我慢できないってほど子どもでもないでしょ?」

付きあいはじめたばかりじゃあるまいしさあー、と、俺を邪険に扱うと、おかまいなしにメールの返事をしはじめた。
付きあいはじめたばかりのころも邪険にしちょったくせして、よう言う……喉もとまで出かかったが、なんとかのみこんだ。わざわざ喧嘩はしたくない。
ちゅうても、伊織とは一度もまともな喧嘩をしたことがないんだが。いつか喧嘩する日がくるのかと思うと、神妙な気分になる。
昔のことはともかく、こんなに愛しい伊織に、頭がくることなんてあるじゃろうか……考えても仕方ないことだが。

「あと1通! おお、これはいいギャラだー」

ひとりごとのつもりなのか、伊織のそのご機嫌な声とキーボードを打ち込む音をBGMに、俺もビールのプルトップを開けた。
伊織は最近、翻訳家として仕事をしはじめた。
半年ほど前に複数の翻訳会社のトライアルを受けはじめたが、こないだ登録されたばかりで仕事はまだない。
だが、俺の親父のコネだったり、リチャードのコネだったりから小遣い程度の仕事が舞いこんでくる。
ようやく翻訳家として活動ができるという本人だけの張り切りが先走っているおかげで、ここ最近の俺は、こうした扱いを受けることが多かった。嬉しい悩みだ。

「はい、終わった! 雅治ー、拗ねてないで!」
「別に拗ねちょらんよ」
「ホント? さっきはつれなくして、ごめんね」
「……まったく、調子がええのう」

しばらく経ってから、伊織はパソコンをオフにしてテレビを見る俺に向き直り、胸に抱きついてじゃれてきた。
自分が甘えたいときは、すぐにこうして俺に寄り添ってくる。
それはブギーハウスでもおかまいなしで、そういう伊織らしくない言動が、俺はかわいくてしょうがなかった。
おそらく今日も、そろそろ酔いが回ってきて、人肌が恋しくなったんだろう。
なんだかんだと言いながらも、俺は胸に埋まる伊織の頭を、もてあぶようになでた。
伊織は気持ちよさそうに顔をあげると、待ちきれない様子でつぶいた。

「チョコちゃん、もう言ったかな」
「さあの。明日までのお楽しみじゃ」
「今日知らせてくれないかな……うずうずして寝れないー。アイスも食べたいし!」

俺の胸からぱっと離れて、雅治は? と聞いてきた。
脈絡のない発言に、苦笑しながら黙って首を振る。
伊織は、ふうん、とつまらなそうに戸棚を開けて、アイスと一緒にせんべいを持ってきた。
嬉しそうにアイスの蓋を開ける伊織の表情が、俺の好奇心にわずかな揺れを与えた。

「のう伊織」
「うん?」
「それ、本当にいけるんか?」

バリ、と音を立てた伊織にこそこそ訊ねると、伊織は途端に嬉しそうな顔で、また俺に寄り添ってきた。
勝ち誇ったような笑顔だ。

「ほらほらほらほら、気になりだしたでしょ? 美味しいんだってば!」
「いや別に……」
「まあまあいいから、騙されたと思って食べてみてー」

そういえばチョコの話はどうなったのか。
伊織はせんべいの上にバニラアイスを乗せて、俺の口もとに持ってきた。
1ヶ月前くらいから、伊織がハマっている、バニラアイスの食べ方だ。
全然いける気がせんから、最初は勧めてきても断っていた。
だがそれを飽きもせず頻繁に食べる伊織に、いい加減こっちも試したくなる衝動に駆られる。

「ほらー、雅治、お口開けて。あーん」
「……あ」

あーんなんてかわいいもんじゃないせんべいの割れる音と、しょっぱさと同時に広がるバニラアイスの甘み。
伊織は嬉しそうに俺の顔を眺めて感想を待っている。
さて……意外のような、悔しいような。

「……まあまあいける」
「ほーら! でっしょー」

嬉しそうに、伊織は勢いづいて、それ見たことかと言わんばかりだった。
その勝ち誇った顔が二乗になる。なんとも憎たらしく、愛くるしい。

「しかしお前、こんなモンこんな時間に食べよったら太るぞ?」
「だって美味しいんだもん」
「もう太ってきちょるんじゃないか?」
「わっ!」

目の前にある胸をわしづかみにしてたしかめた俺に、伊織はその左手をパシッと叩いて、「シツレイだ! スケベ!」と、顔を膨らませて見せた。

「わかりきっちょることを……」

柔らかい感触に当然のように誘惑された俺は、せんべいにアイスを塗りたくる顔をひょいと覗きこむ。
伊織は少し躊躇いがちに、だが、結局まんざらでもなさそうに、唇を近づけてきた。
その、キスする寸前。
タイミングを見計らったかのように伊織のスマホが、テーブルの上で振動しはじめた。

「……残念」
「だね……あ、チョコちゃんだよ雅治!」
「おう、すっかり忘れちょった。なんて?」

どこか、このタイミングにチョコらしさを感じながらも、俺はそう聞くのと同時に、伊織のスマホを覗き込んだ。
伊織は心配の色を含ませた声で「んー」と唸った。同感だ。
女の子のパワーは侮れない、はずだったが、チョコはまだ、決心がつかんらしい。

「……勇気をください、かあ……」
「さて……どうしたことかの」

まだ言えてなかったか、と思わず同じように唸った俺に返事をするように、伊織もうんうんと唸っていたが、しばらくしてから俺から隠れるようにして、なにやら打ち返しはじめた。

「なんじゃ。ナイショか」
「ナイショ。女同士の秘密ー」
「ふうん」

面白くない、と思う俺のとなりで、伊織はスマホを伏せた。

「あの様子だと、テンは超、恋人がほしそうなんだけどなあ」
「あの様子って?」

テンがチョコのことを考えているのはすぐにわかっていたが、「恋人がほしそう」までは、俺には伝わってきていない。まあ、チョコが告白をすれば恋人ができることになるが、俺は伊織のその言いぶんが、少し気になった。

「え、雅治、わかってないの?」
「なにがじゃ」
「わたしが雅治に甘えるの見て、テン、超ーうらやましそうに見てたよ、いっつも」

それを聞いて、俺はいささか、固まった。
伊織は酔っぱらうと、ブギーハウスでも「ぎゅうして」とか「チュウして」とか甘えてくることがある。だが、たしかにそれは、この1週間のことだったように思える。
やけに冷静にその話をしはじめた伊織に、そんな自分の姿を覚えていたのかと思うのと同時に、違和感も覚えた。

「お前ひょっとして、あれ、わざとしよったんか?」
「え、雅治、それ気づいてなかったの? テンの反応が見たかったんだよ、わたし」

まったく、気づいてなかった。家のなかだと、よくあることだったからだ。
それをブギーでも平気でしてくる伊織がかわいいと思って普通に反応していた自分が、急にはずかしくなった。

「ぷっ……雅治、かわいい。ひょっとして喜んでた?」
「それならそうと、言いんさいっ」つい、ムキになってしまう。
「なんだあ、そっかそっか。いいよ? 今後はどこでもおねだりしてあげるよー」
「せんでいい、まぎらわしい」
「してほしいくせに、素直じゃないー」

前もって言われていたところで、俺の対応はおそらく変わらんが……自分だけ盛り上がっていたのかと思うと、あまり面白いもんじゃなかった。
不本意が過ぎてムッとしていると、伊織は突然、「そうだ!」と言いだした。
今度はなんだ……と、頭を抱えそうになる。
酔った伊織は、いろんな面で積極的だ。だからこそ、勘違いをした俺がいる。
また妙なことを暴露されるのかと思うと、自然と体が強張りそうになった。

「あのね、わたしね、聞いちゃったんだ」
「なにをじゃ?」

その言い方に首をひねって伊織を見ると、本人はしらじらしくもビールを飲みほして、じっと俺を見てきた。
その視線が、どこか鋭い……完全に、さっきとは違う、嫌な予感がした。
なにを言いだす気なんか……こういう予感はなぜか当たるから嫌なんじゃ。
やがて伊織は唇を舐めるようにして、少しだけ口を尖らせはじめた。

「雅治さあ、前にイリノイ来てくれたとき、わたしに聞いたじゃない? この2年半、どうしちょったかーって」
「……聞いたかの?」昔の記憶を引っ張りだされることにも、嫌な予感がする。
「聞いたよ! すっごい不安そうな顔してさ、わたしが男性関係のこと? って聞いたら、つべこべ言ってさ」
「つべこべ……のう? そんなこともあったかの?」

本当はしっかり覚えていたが、俺は知らん顔してそう答えた。
そんなに不安そうな顔をしていたのか。考えただけで、はずかしくなる。今日はなんだ、俺を辱める日か。
意味のわからん前置きに困惑したが、そんな俺にはかまわず、伊織はつづけた。
ちと、その間が怖い。

「あったよ。わたしそのとき、きっと雅治と一緒だって答えたんだよ。そしたら雅治が、もうたまんないって顔して」
「その先は言わんでいい」
「あー、ほらやっぱり覚えてんじゃん!」

わざとらしい伊織の思い出話にストップをかけると、大袈裟に非難された。
あのときはその返事が嬉しくて、いまでも思いだせば顔が赤くなるほどに、夢中になって、伊織を何度も抱いた。
そんな話をいまごろ持ちだして、俺をどうしたいんじゃ、この女。

「でね、それ、いまさらなんだけど、撤回させてほしいんだよね」
「……は?」

自然な流れで伊織が簡単に放ったその言葉は、俺の目をまんまと丸くさせた。

「あ、誤解しないで。わたしは、わーたーしーは、潔白ですから!」

強調するように、付け加えている。
俺はそこから、瞬きをしつこくくり返すハメになった。
ちょっと待て。それはどういうことじゃ……?

「……俺は潔白じゃないっちゅうこと?」
「そうだよ」

躊躇いなくすぐさま戻ってくる答えに困惑する。伊織の声は断定的だった。
……誤解しちょるのは、お前のほうじゃないんか。
誰になにを吹き込まれたからっちゅうて……。

「俺が潔白じゃない?」

聞き間違いじゃないのはわかっていて、2回、聞く。

「だからそうだよっ」

伊織は少し声を大きめにして答えた。今度は感情的。女らしい態度だった。

「結果的に、わたしは雅治とは一緒じゃなかったの。だってわたし聞いたんだもん」
「ちょ、待ちんしゃい、誰がそん」
「チョコちゃん」
「は……はあ?」

さすがに、妙な間が流れていった。
チョコからなにを聞いた……? あいつは俺のあの時期をかなり詳しく知っているはずだ。
一方の伊織は俺の顔とは反対に、涼しげな顔をして俺を見据えた。
まだわからないのなら、お話して差しあげます、とでも言いたげだった。

「聞いたの。チョコちゃん、雅治に告白したことあるって」

もう一缶、飽きもせずにビールを開けて飲み込んだ伊織の、その自棄のようなしぐさに、あのときの記憶が、一気によみがえった。

「……ち、ちと待ちんしゃい」
「あ、思いだしました? チョコちゃんのこと、抱きしめたんだよね?」やっぱりそのことか、と、今度は本気で頭を抱えそうになる。「長いことぎゅーって抱きしめたくせに、わたしの2年間と同じような顔してさあ」

こいつ、酔っちょる。
伊織の尖った口が、ますます前に出てきたような気がした。

「ち、ちょっと待て、あれはやの」
「んー、んー、わかってるもん。チョコちゃんからぜーんぶ聞いたから、わかってるよ。だから雅治が優しーいから、そうなったこともわかってる。でも、でもなあ」
「ええか伊織、話の流れっちゅうのがあって……」

あのときお前のことで、俺がどれだけ苦悩を抱えとったと思っちょる……!
チョコはそういう俺を支えてきてくれたひとりだ。無下にできるはずがないじゃろう。

「聞いて聞いて! わたしは、わたしはね、アメリカで、そりゃあたくさんのハンサムボーイに誘惑されたよ。でも、でもね、恋愛感情に流されてという意味では、誰ともハグしたことないんだからね!」
「じゃから、あれは……!」
「別にいんだよ、いーの! もう時効だよ。いまでは微笑ましい話だからチョコちゃんもわたしに話してくれたんだもん。なんとなく、その流れってやつも理解できたし。わたしもチョコちゃんに聞いたときは、そっか、そうだったのね。くらいにしか思わなかったし。雅治のことだからどうせ、チョコちゃんの気持ちに気づいてたくせに、無視してたんだから、そういうアレでしょ? 懺悔的な気持ちもあって、ぎゅうしちゃったんだよね? でも、でーも! よく考えてみたら、わたしと雅治は一緒じゃないもん。わたし、雅治と離れてるあいだに、誰かにそんな気持ちでハグされたことないもん。したこともないもん。わたしは雅治のことばっかり考えてた。雅治以外の人に、触れたくもないし触れられたくもなかったもん。だから、わたしと雅治とは、違うのっ」

まるでガキみたいにふてくされて、感情的にまくし立てた伊織の言い分に、正直、俺は面食らった。
伊織はこんなふうに、俺を困らせるようなことを言う女じゃない。
しかもこんなふうに直接的に、ヒステリックに俺に嫉妬心をぶつけてきたこともない。
おまけに、チョコに嫉妬するほど不安にさせているつもりもない……が、もしかすると、俺の思っている以上にヤキモチ妬きだったりするんだろうか。
意外と嫉妬深いところがあるのは気づいていたが、こうなってくると……それもちと、かわいさが増す。

「……なんとか、言ってよ」

だが、そこからまた妙な間が流れて、言葉とは裏腹に、伊織はあからさまに後悔の色を表情に滲ませた。
ごめん、と謝る前に助けてやりたくなる。
まあ俺としては……こんな嫉妬されるなら、伊織がこれだけ酔うのも、悪くないんだが。

「のう……どうしたんじゃ伊織? らしくないのう?」

肩を抱きよせて少し揺さぶったら、尖っていた唇が徐々に元の位置に戻っていく。
む、と今度は真一文字に曲げられた唇をおどけて人差し指で突いたら、ぱく、と噛む真似をして、ようやく肩の力をほぐしはじめた。

「だって……なんていうか……」
「なんじゃ。正直に言うてみんしゃい。こんなかわいいお前、見たことない」
「わぷっ!」

強引に腕を取って抱きしめると、まごまごしながら俺の背中に手を回して、強い力で返してくる。

「いつもはかわいくないってこと?」と、揚げ足を取られたが、俺が否定するようにこめかみにキスをしたら、途端に大人しくなった。
……これが本性なんじゃとしたら、いつもは相当我慢しちょるっちゅうことか。
伊織は申し訳なさそうに埋めた顔を起こして俺を見ると、ぼそぼそとしゃべりはじめた。

「テン、雅治になんとなく似てきた気がするし……」
「……そうかの?」
「もしかして、だから、チョコちゃん……テンのこと、好きになったのかなーって……」
「……それが、なんとなく引っかかるっちゅうこと?」

別にそういうんじゃないけど、ないけど……ぶつぶつと、伊織は俺の胸のなかでつぶやく。
面白くないわけでもなく、伊織は純粋にふたりにはうまくいってほしいと思っとるし、ふたりがかなりお似合いだと気持ちも、伊織の本音だ。
だが、なんとなく……なんとなくわかる。どこかくすぶる、もうひとつの本音。

「……お前、かわいいとこあるのう」
「バカにしてる……」
「しちょらんて」

口づけたら、伊織は電池が切れたみたいに黙った。そのなにもかもが、愛しくなる。
もう一度口づけたら、ぎゅっと俺の背中でシャツを握りしめた。
ああもう、どうしてくれる。頭がおかしくなりそうだ。

「そんなこと言うたらテンに悪いじゃろ? チョコはテンが好きになったんよ」
「それはわかってるよう……そういう意味じゃ……」

また口を尖らせて俺を見る伊織に首をかしげて伺うしぐさを見せたら、少し考えて、すんなり頷いた。

「そういう意味に取れちゃうよね。ごめん。でも別に、それが嫌とかじゃなくて……」

どんどん愛しさがつのっていく。どれだけ俺を夢中にさせたら満足するんだ、この女。
急におさなくなった伊織に、俺は初恋のように胸をときめかせた。

「……なあ、せん?」
「え」
「え、じゃのうて……いま、まさにそういうムードじゃろ?」
「……ン」

組みしいて胸に顔を埋めたら、色のついた吐息が伊織の唇から漏れていった。
その吐息をすくうように、逃がさんように……唇に舌を滑り込ませて。
さっきよりもずっと優しく、俺は手のなかに、伊織の柔らかい乳房を包んだ。

「雅治……なんか優しくなったよね」
「ん?」
「もともと優しかったけど、なんか、抱き方が落ち着いてきた感じ……」
「まあ……あのころはがっついちょったし?」

うん……でも、それはそれで、よかったよ。と、くすくす笑う伊織の頬にキスをした。
額に、瞼に、鼻に、……そうしてもう一度、唇に戻る直前。
またタイミングを計ったかのように、今度は俺のスマホがテーブルの上で鳴りだした。
お互い、顔を見合わせて一緒に笑う。

「ああ、ええとこじゃっちゅうのに」
「まあまあ、夜は長いですから」

肌蹴た胸もとを整えながら、伊織はすっかりよどみを無くした顔で微笑んだ。

「お。チョコ」
「本当!? なんて?」

いいムードはあっという間に流れて、伊織は飛び上がって俺のスマホを覗き込んだ。
チョコからは、たったひとこと。

『お兄ちゃん、勇気をありがとう!』

そのメッセージに、ポカン、としてしまう。

「……俺?」
「うんうん、なるほど! つまりうまくいったってことだ!」
「なーんかおかしくないか? さっき勇気をくれって連絡に返事したのは伊織じゃろう?」
「なんでもいいじゃん! うまくいったんだからさ!」
「待ちんしゃい。お前、チョコになに言うたんじゃ?」
「んー? さてナンでしょうね。いいからつづき、しよ? しないの?」
「……するに決まっちょるじゃろ」

なんだかんだと欲情に流された俺は、はしゃぐ伊織をとっ捕まえてベッドに押し倒した。
テンとチョコが手土産と愛の報告を持ってこの部屋に来たのは、その翌日のことだった。





(去年の雅治を思いだして!)


『……テンちゃん!』
「な! ……び、びっくったあ……どしたんだよチョコ、いきなり立ち上がっ」
『テンちゃん! あたし、あたしね!』
「え、な、なんだよ、どしたどした、落ちつ」
『テンちゃんが好き!』
「え!? ……え、い、いま、す、好きって……言った?」
『言った……あ、ううん……言ってない……やっぱり、声にだして言いたい!』
「えっ!」
「う……す……」
「チョコ……」
「す……す、き!」
「チョ……声……」
「す、き!」
「お……お、オレも好きだよ! オレも好き! チョコのこと、大好き!」





fin.



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[levelac]




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