if_sequel_choco.


case3. choco.


あたしの昔の恋は、最初から失恋ってわかってた。
あのとき……お姉ちゃんのことばかり考えていたお兄ちゃんは、すごく切なそうな顔で、恋してた。
それはまるで、お兄ちゃんをとおして、あたしはあたし自身のことを見てるみたいで、あたしも、すごく切なくなっちゃって。
でも、あの日からのお兄ちゃんは……

「ええよ伊織、俺がやる」
「え、いいよ雅治。わたしがやるから、雅治はとにかく、チョコちゃんの話を聞いてあげてて」
「……ん、そうか。お前がそういうなら、そうしようかの」

デッレデレの、ベッタベタ。
お姉ちゃんを連れて帰って来てから、もう8ヶ月くらい経つってのに、お兄ちゃんの顔はデロンデロンだ。
お兄ちゃんをあんまり知らない人が見ても、よくわかんないと思うけど。
あのころのお兄ちゃんを知ってるあたしから見たら、もう、見てるこっちが「おえええええ」って、砂どころか、もう塊の砂糖を吐きつづけなきゃいけないくらい、嬉しくて嬉しくてたまらないって顔してる。
そうそう、漫画でよくあるやつ。目がピッカピカのハートになってるって感じ! いいたとえじゃん!
今度その似顔絵、描いてやろうかな。きっとすごく簡単。
髪の毛を長めに描いて、きりっと眉毛を描いて、鼻筋を高くして、顎にホクロをちょん、と乗せて、あとは目をハートにしちゃえば、仁王雅治の完成ー! とか言ったら、すっごい怒られそう……。

「チョコちゃん、オレンジジュースでいい?」
『ビールがいい』
「え!」

お姉ちゃんはぎょっとして、お兄ちゃんに視線を向けた。
お兄ちゃんはすかさず、あたしの頭を叩いた。まだ似顔絵も描いてないのに怒られた!
でもこの感触が、いまでもちょっとだけ淡いなんて思っちゃうのは、あたしだけのヒミツ。
お姉ちゃん、意外にヤキモチ妬きだって、お兄ちゃんから聞いたことあるんだ。えへへ。
それを忘れて、今日はついうっかりといろいろ話しちゃったから……ちょっと、気になってるんだけど。
でもお姉ちゃんを見てる限り、大丈夫そう。お姉ちゃんはすごく大人だと思う。憧れちゃう。
お兄ちゃんがお姉ちゃんを大好きなのは、お姉ちゃんに再会したときに、嫌ってほどわかった。だってお姉ちゃんは、とっても素敵な人だ。綺麗だし、いつもきらきらしてる。
そしてあたしのために、いまも一生懸命、手話の勉強をしてくれてる。
そんな身も心も素敵すぎるお姉ちゃんに夢中になっちゃうのは、きっとお兄ちゃんだけじゃないはずだけど……ぷぷ。そんなこと言ったら、お兄ちゃん、焦っちゃったりして。
ハートだった目が、一瞬で人殺しの目に……ありえるー!

「チョコ、調子に乗りなさんな。お前、なに笑いよる?」ヤバ……お兄ちゃんが焦るとこ想像して笑ってたなんて、言えない。
『ケチ! お兄ちゃんがあたしの歳のとき、散々、飲んでたくせに!』笑っている理由は、さっと流して伝えた。
「じゃからなんじゃ。俺はよくても、お前はダメじゃ」
『なにそれ! 理不尽! 飲まなきゃ話せない!』
「なに言うちょるか、小娘が」

そんなあたしとお兄ちゃんのやり取りを、キッチンから遠巻きに見ていたお姉ちゃんだったんだけど。
カコン、と音がして目を向けると、あたしたちを差し置いて、ごくごくとビールを飲んでいた。
「あー!」と言いたくても言えないあたしが大きく口を開けてお姉ちゃんを指さしたら、お姉ちゃんは、楽しそうに笑いだした。

「二人見てると、ホントに兄妹みたいだよね。いいよチョコちゃん。雅治がダメでも、わたしがビールあげる」
『本当!?』
「よい、伊織、チョコはまだ……」
「ホントホント! チョコちゃんがビールとか言うから、わたしまで飲みたくなっちゃったよー」
『わーい!』
「……俺を無視しなさんなって、伊織」
「雅治はいらないの? 自分だけオレンジジュース飲む?」
「む……」

困ったように微笑んでため息をついたお兄ちゃんは、「今日だけじゃ!」とあたしに合図して、お姉ちゃんから受け取ったビールを手渡してくれた。
お兄ちゃんは、お姉ちゃんにはとことん弱い。お兄ちゃんが唯一勝てない相手が、お姉ちゃんなんだ。
だってほら、また、目がハートになってるし。もうー、見てらんないよ。
いまさらだけど、こんなお兄ちゃんに恋してたなんて、あたし、ホント、バカみたい。失恋だってのは最初からわかってたけど、ここまでコテンパンな失恋なんて、時間の無駄すぎたよ、まったく。

「さ、じゃ3人で飲みながら話しますか!」

お姉ちゃんはそんなお兄ちゃんのとなりに座って、乾杯の合図をした。
いまではすっかり、お姉ちゃんの手話はあたしとお兄ちゃんと同じくらいの早さで流れていく。
こんなあたたかい人たちに恵まれて、あたしって本当に幸せだって、この部屋に遊びに来るたび思うんだ。

「じゃあチョコちゃん、話してあげて、雅治に。きっと、力になってくれるよ」
『……』って、言われても、かまえられると、なんだか話しづらいわけで……。
「なんじゃチョコ。話があるんじゃろう?」
『お兄ちゃん……笑わないで聞いてくれる?』
「……笑うようなことなんか?」
「笑ったらわたしが雅治に容赦しないから大丈夫」
「なんじゃなんじゃ、物騒じゃのう」

当の本人に打ちあけるわけでもないのに、あたしの心臓はバクバクと音を立てはじめた。
きっとそれは、あたしがお兄ちゃんのことを好きだったから。
バカみたいだって思っても、いまでも思いだせるくらいに淡くうずいてた恋心が、お兄ちゃんとあの人を錯覚させて、だから、緊張しちゃうんだ。
あたしは、じっと黙ってあたしの第一声(第一動作?)を待ってくれているお兄ちゃんに、決心した。

『あたし、好きな人ができた』
「……ほう? 俺の知っちょるヤツ?」

こくん、とあたしが頷くと、お兄ちゃんは目を少しだけ丸くさせて、お姉ちゃんを見た。
お姉ちゃんはニコニコとお兄ちゃんを見て、お兄ちゃんはお姉ちゃんのその顔に、もっとニタニタ顔になった。
キー! からかわれてるみたいで、なんか悔しい!

「チョコ」
『うん?』

少しだけ俯いたあたしに、お兄ちゃんはトントン、と肩を叩いてきた。
あたしはまっすぐお兄ちゃんを見て、熱くなってきた顔をなんとか普通にしようと頑張った。
ダメだー、あの人のこと、思いだすだけでドキドキする。

「俺は、お前に恩がある」
『え……』
「お前は俺の恋によーう協力してくれたじゃろ? じゃから、俺もお前の恋には全面的に協力する」
『え……本当?』
「もちろんじゃ。のう伊織?」
「トーゼン!」

嬉しくてごくごくビールを飲んだら、一気に酔いが回りそうになった。
そんなあたしを見て、お兄ちゃんは嬉しそうに笑って、「そうかそうか」と何度も頭をなでてきた。
お兄ちゃんの手の感触が、懐かしい想いに重なって、あたしはそれを原動力に、好きな人に会いたくなった。

「じゃあとりあえず、チョコは1週間、ブギーに出入り禁止の」
「ワオ、雅治って意地悪ー」
「えええ……!」

会いたくなったって思ったのを見計らったみたいにお兄ちゃんがそう言ってきて、あたしは慌てて声をあげた。
最近は、声を出すことも、ときどきはするようにしてる。
とくにこういうときは、そんなに発音がおかしくならないとこだから、ちょっと積極的に出してみる。
本当なら、もっと、「えええええええ!」ってイメージなんだけど、伝わってるかな?

「えーじゃない。まずは調査せんとの。相手に女がおるかおらんか」
『お兄ちゃんストップ! ちょっと、ちょっと待って!』
「なんじゃ」
『……なんで、ブギーって……』

そうなんだ。
あたしは誰が好きかなんて、ひっとことも言って無いのに。
お兄ちゃんは、いきなりブギーハウスに出入り禁止だって言いだして。
あたしは、まずそれにびっくりした。
だって、お姉ちゃんにだって今日はじめて話したから、お姉ちゃんから伝わってるわけじゃない。
それに、このことは、はじめて人に打ちあけたから……だから、だからお兄ちゃんにバレてるってことは……。

「テンじゃろ? チョコが好きな相手」
「すごいねえ雅治。よくわかったよねえ」
『……あたし、そんなにわかりやすい?』

テンちゃんにも、バレてるかもしれないってことで……い、嫌だ! はずかしい! もう会わせる顔ない!
ひとりであれこれ考えてバタバタしてたら、お兄ちゃんの笑ってる顔が目に入った。
ひどい……笑わないって言ったくせに!
お姉ちゃん! 一緒に笑ってないで、お兄ちゃんボコボコにしてよ!

「まあ落ち着きんしゃいチョコ。お前がわかりやすいわけじゃない。ただ、チョコが好きになる相手って言われたら、俺にはテンしか思いつかんかった。それだけじゃ」
『ホント……? テンちゃんにバレてないかな?』
「あいつは鈍感じゃから、大丈夫じゃろ」
「うん、わたしも同感。テンはまーったく、気づいてないと思うよ」

でもね、とお姉ちゃんはあたしに向かって、丁寧な手話をしはじめた。
早くてもここにいる3人は誰も困らないのに、わざとゆっくりするには、きっと、意味がある。
それがお姉ちゃんのあたたかさだと思うと、受け止めるあたしも、すごく真剣になった。

「チョコちゃんがテンのこと好きになったのって、わたしは、すごくわかるよ。テン、わたしと雅治とチョコちゃんと3人でブギーハウスに行った翌日から、手話の本を買って、手話を勉強しはじめたの。だからチョコちゃん、次に会ったときにテンが手話をしてくれて、嬉しかったんだよね? わたしそのときね、あ、ここ、恋が始まるかもなーって、思ってた」
『……最初から、お姉ちゃんには、バレてたんだ』
「ううん。バレてたんじゃないよ。はじまるかもなって思っただけ……てことはー、チョコちゃんの一方的な想いだと、決めつけてるわけじゃないってことで……?」
『え……!』
「わたしの言いたいこと、わかる?」

お姉ちゃんは優しく首をかしげて、あたしの答えを待ってくれた。
こんなに期待させて、あげくダメだったら、泣きわめいてやるって思ったけど……でも、お姉ちゃんの言葉には、不思議な力があった。自信が持てる、おまじないみたいだった。
大好きで、憧れてるお姉ちゃんだから……その力は、あたしにとっては本物なんだ。

「じゃとりあえず、俺らは1週間でテンの様子を探っちゃる。チョコが絶対に傷つかんと確信を得たら、1週間後にゴーサインの連絡をする。それが届いたら、めいっぱいおめかしして、テンに思い切りぶつかりんしゃい」
『う……うん、わかった!』

強い愛で結ばれてるふたりに言われて、あたしはなんだか、絶対の保証があるような気がしてきた。
お兄ちゃんとお姉ちゃんがくれたのは、たぶん、「勇気」だけなんだけど。
あたしはテンちゃんへの想いをふたりに託して、盛大にビールをあおったんだ。





fin.



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