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わたしの知らないあなたを知った時、なんて人だろうと思ったけど、でも、凄く嬉しかった。

まるで、今までの全て、あなたに操られてたみたいだね。













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8.





「…………」

「それ、マジ?」

「マジだけど……ねえ大丈夫?理解した?」


常盤さんからの話を聞いたわたしが唖然としていると、横で一緒に聞いていた千夏がわたしの言葉を代弁するようにそう言った。

常盤さんはその質問に答えつつ、わたしの方を見て首を傾げる。

「仁王と佐久間さんの映画事件は、あたしと臣の浮気が発端なの」

そう切り出した常盤さん。

その時はとりあえず、臣の浮気が仁王のせいじゃなく、その前からだってことは理解した。

聞いてる間に、わたしも千夏も何度か眉間に皺を寄せたけど、常盤さんは全くそんなことを気にしてない様子だ。

でもわたしが放心しているのはそのことじゃない。

あの映画事件が仁王と常盤さんの演技だったってこと……そして……。


「じゃあ……仁王は伊織のこと、実はずっと好きだったって……こと?」

「そう言うとすごい聞こえが良くてムカつくけど、色んな女と付き合いながらも、結局は臣の為に自分に嘘ついて振った佐久間さんのこと、あの日からずっと気にしてたってことじゃない?」

「……ちょ、でも、仁王はわたしのこと全然覚えてないって……」

「だから、話聞いてた?最初振ったのは臣の為で、覚えてないってのは嘘なの!映画からこっちは全部、佐久間さんと最初からやり直したかったから!臣とあたしの浮気が発端で臣に嫉妬して、佐久間さんが好きだー!ってなったわけ。つまりあいつは意外に未練たらしいっていうオチ!」

「まあ胸くそ悪くなる仁王の気持ちはわかる……」

「だから部外者は黙っ……」

「ちょっと待って、だって、じゃあ、仁王が直接わたしに言ってくれたら良かったのに!わざわざ常盤さんとこんなことしなくたって、仁王が、直接、わたしに……!」


混乱したわたしが二回も同じことをそう口走ると、目の前の二人の間に冷たい空気が流れた。

なんで……?

なんかわたし、間違ってる?


「あの……わたし何か……間違ってる……?」

「臣って何でこの人好きなんだろ。仁王も。頭悪いのに」

「はあ!?ちょっと常盤さん調子に乗らないでよ!本当ならあなたのこと八つ裂きにしてやりたいくらいなんだから!でも今は、とりあえずこうして……!」

「うざい。わかってることいちいち言わないで」

「は、はあ!?」

「ねえ落ち着いて伊織。今そんな言い争いどうでもいいし」


千夏の厳しい一声は、わたしと常盤さんを黙らせるには十分だった。

それを確認して、千夏はさらに続ける。


「あのさ、だってね、じゃあ伊織が臣と付き合ってる時に、いきなり仁王から今の話されて、伊織信用した?」

「え…………」

「何言い出してんだこいつって思ったに決まってる。臣のこと悪く言って、根も葉もないこと、酷い!って。伊織のこと、あたし良く知ってるつもり。仁王も伊織のことずっと見てたから、わかったんじゃないかな。自分が憎まれてること。伊織が、自分の言うことなんて信じないだろうって……仁王、思ったんじゃないかな。それなら最初から、伊織の中の仁王として仲良くなった方が……」

「仁王としては、動き易い。佐久間さんもなんとなくわかってるでしょ?仁王は手に入れたい女が居たら手段は選ばないし、そこに邪魔者がいようものなら、アイツは容赦なんかしない。それが好きな女を傷付けた人間なら、尚更」


常盤さんは拳を自分の喉に当てて、昨日のことを思い出させるように言った。

じゃあ仁王は、臣が言い逃れなんか出来ないような形で、わたしに浮気を知らせたってこと……?


「仁王にとって今回のことは全部、臣から略奪する為か……でもあたし聞いてたら、略奪ってより……ただ伊織を守りたかっただけのような気がするよ」


千夏はわたしを見ながらそう諭したけど、それを聞いていた常盤さんは鼻で笑った。


「守りたかっただけとか聞こえ良すぎ。あいつはただ佐久間さんを臣から奪いたいだけだと思うけど」

「そうかな。それなら手段を選ばない仁王なら、もうとっくに伊織のこと襲ってると思うけど?それに常盤さんが考えてるより、仁王ってずっと優しいよ」

「何それ。あなた仁王に惚れてんの?」

「はあ!?そんなわけないでしょ!」


わたしがまだまだぼけっとしている間、千夏と常盤さんはまた口喧嘩を始めていた。

でも今、わたしにそれを止める気力はない……だって……嘘でしょ?

仁王……最初から本当は、両想いだった……?

で、今は……今は仁王の片想い……?


「わたし……真に受けてなかった……仁王からの告白」


その時、CSOコンサートの帰り道が甦って、わたしはぽつりとそう呟いた。

瞬間、千夏が慌ててわたしを見る。


「そうだよ!あの、冗談だと思ってた告白があった!!」

「呆れた……あんなにモテる男が冗談で告白するわけないじゃない。誤解されたらたまんないのに」

「でも、だってすごく冗談ぽくて!」

「別に聞いてないし、なんか、あんたモテてる感じがすごいムカつく」

「そ、そんなこと言われたって!」

「どうでもいいってば!いちいち挑発に乗らない!!で伊織、あれから仁王とその話は?」

「う……だってあの日、仁王、言うだけ言ったら自分勝手に帰っちゃったし…………あ」

「?」

「?」


思い返して、胸がときめくなんて。

臣と喧嘩の発端になった、バスケ中の仁王との……ばきゅん。


「う……撃ち抜かれた……」

「はあ?」

「撃ち抜かれた?」


そうだ。

千夏にだってあんな恥ずかしいこと話してない。

でもあんなことされて、ときめいたわたしは確かに居た。


「おーい。伊織ー?」

「顔真っ赤……わかりやすい……最初から仁王にしといてくれたら良かったのに」

「ていうかあんたさあ、なんで浮気相手のくせにそんな偉そうなわけ?」


もう目の前の二人の会話は右から左へと流れていく。

仁王雅治……やばい、名前を考えただけでもう体中が心臓になったみたいだ。

常盤さんからの話聞いていきなりドキドキし出すなんて、わたし、なんなの!?


「伊織!」

「はっ、はい!」


うろたえているわたしを、千夏がぴしゃりと呼んだ。

パチンと顔の前で叩かれた音に、まるで催眠から解けたようにわたしははっとして。


「……あたし行く。伝えるべきことは伝えたから」


その様子を見ていた呆れ顔の常盤さんは、アンニュイに髪をかき上げて教室を出て行こうとした。


「あ……常盤さん!」

「……なに?」


それを、わたしは思わず呼び止める。

わたしは、彼女を許したわけじゃないし、きっと一生許せないけど。

そんなに悪い人じゃないんだろうことはわかった。

そして、昨日の彼女が強がっていたことも、なんとなく、本当はわかっていた。

仁王と常盤さんが契約を結んだということは……結局、常盤さんにとってわたしは邪魔だったのだ。

邪魔に値する、存在だった……常盤さんもまた、一心に臣を愛していたということ。


「わたし、あなたのこと嫌い」


呼び止めた常盤さんに対する第一声目がそれで、隣に居た千夏はぎょっとしてわたしを見た。


「……奇遇だね。あたしも」


でも常盤さんは微動だにせず、そう返してきた。

さすがとしか、言いようがない。


「でも常盤さん、地味なんかじゃないよ」

「……なに、いきなり」


「真っ直ぐ過ぎて、癪に障るし、身分弁えないで平気で人のこと傷付けるけど」

「ムカつ――」


「でも違う出会い方してたら、わたし、常盤さんと友達になれたと思う」

「――――ッ……」


「本当は、健気な人だと思うから……そうやって、強がって、わざと人を遠巻きにしてるとこあるけど。でも、優しいよね?こやって、仁王のこと教えてくれたり」

「バカじゃないの」


「いいよ、バカでも。でもだから、ムカつくけど、臣もあなたの本当の部分、見えてたから……」

「…………」


「臣は凄くずるくて最低だけど、だから、あなたに甘えちゃったんだと思う」

「……うざい」


「うん、わたしも、あなたがうざいよ。だから大嫌い。次に人を好きになった時は、こんな真似しないで」

「……そういう説教臭いの、ほんとムカつく」


悪態を付いた後に一瞬俯いた彼女は、そのまま教室を後にした。

長い間考えて、そして昨日、今日と探していた彼女を見て。

勿論、許せはしないけど……でも、臣にだって彼女にだって、そうなってしまった理由がある。

そんな理由を、理解なんか絶対に出来ない。

でもわたしはそれを知ったことで、最初は酷く傷付いたけれど。

今は、少し心が和らいだ……ただ人を憎むだけじゃなく……そこにある真実を見ることで。


「……エライね、伊織」

「千夏……常盤さん……」

「ん……そうだね、悪い人じゃないのかも」

「やっぱりムカつく」

「えっ!」


あんなこと言いながら、ぶすっとしたわたしに千夏はまたまたぎょっとして。

その表情に笑っていたら、なんだか心が益々晴れてきた。

あ、ほら……また笑えてる……誰かさんのおかげなのかな。やっぱり。


「さて。伊織」

「ん?」


「単刀直入に聞くよ」

「え……な、なんだろう」


「はぐらかさないで。仁王のこと、好き?」

「っ……そ……それは……」


「はっきりしんしゃーい」

「ちょ、やめてよその口調!」


からかう千夏にぎゃいぎゃいと文句を言うと、千夏はげらげら笑って、そして、真顔になった。

大事なことを言おうとしているんだと思い、そんな千夏にびくっとしてしまう。

彼女はいつも、わたしを支えてくれている大切な友達。

彼女の言葉の影響力は凄い……だから、やっぱり少し身構えてしまう。


「あたしはさ、伊織」

「うん……」


「前々から伊織が仁王に惹かれてるって、気付いてた」

「……う、うん……」


「でも、あの時は臣が居たし、伊織が仁王に惹かれてるとしても、仁王が臣の足元にも及ばないことも、わかってた。だから、敢えて聞かなかったけど」

「……うん」


千夏の言わんとすることは、なんとなくだけどわかる。

わたしもわたしで、良くなかったことを咎めてくれているのだ。

でも千夏の表情は、どこか優しげだった。


「……あたしから見てて、ちょっとふたりには、うまくいって欲しいって思うんだ……。仁王なら、伊織のこと大切にしてくれるって、最近の話聞いてたらすごく思うの。それに伊織は、仁王のこと……まだ気付いてないかもだけど、十分好きだと思うよ」

「え……す……いや、そんな、好きってまでは……」

「嘘だよ!気にしてるくせに!」


きっと眉を吊り上げた千夏がわたしの背中を押す。

仁王のこと、好きなんて……そりゃ、感謝はしてるけど……。

ああ……でも気にしてる……うん、気にするよそりゃ……。

昨日あんなに優しくされて、今日あんな話聞かされたら。

好きになっちゃうよ……元々、好きだった人なのに。初恋の人なのに。


「そ、う……」

「ああ!もう面倒だから、付き合ってから好きになっていくのもアリだと思うんだけど!?」


「えっ!?」

「いいから、仁王のとこ行って来い!行って、ちゃんと話して戻ってくるまで、伊織とは口聞かないから!」


「は、はい!?」

「ほら!早く行け!!」


おろおろしているわたしを見た千夏は苛立ちを抑えきれなかったようで。

彼女が強引に押したわたしの背中は、いつの間にか教室の外に出されていた。








ごくんとひとつ生唾を飲み込んだ時に、わたしの気配を感じたのか彼は振り返った。

振り返っただけなのに、なんて涼しげな迫力がある人だろうと思う。


「あ……こ、こんにちは」

「こんにちは佐久間。もしかして俺のこと、睨んでた?」

「にっ……!?や、滅相もございません!!」


幸村はにっこりと笑いながらいつも怖いことを言う。

中学の時に一度同じクラスになって女子達に羨ましがられたことがあるけど、みんな、どうしてこんな怖い人好きになるんだ。

と、幸村に会うといつも感じてしまう。


「ふふふ……冗談だよ。仁王探してるんだよね?」

「え……」


なんでわかったんだろう……やっぱり怖い。

エスパーみたい……。

そんなわたしの気持ちを見抜いているのか、幸村はクスクス笑いながら続けた。


「仁王なら昨日のサボりで真田に絞られてるよ。ほら、あそこの隅で腕立て100回……」

「ううううう腕立て100回!?」


「を、3セットだね。今2セット目が終わるとこじゃないかな?」

「3セットー!?」


幸村が指差した方向を見てみると、確かに真田が腕組みをしている真下で仁王が上下している。

どうしよう……昨日のサボりってわたしのせい……!!

青くなったわたしは、慌ててコート端に居る二人の元に走った。


「さ、真田ーー!!」

「む?」


余りに大きい声だったせいか、テニス部レギュメン目当てのギャラリーがびっくりしている。

でも気にしてる場合じゃない。

今日はわたしが、仁王を守らなきゃ。


「なんだ?お前は確か……臣の……」

「いや、もう臣とは終わってます」


ちらりと真田が練習中の臣を見てそう言ったので、すかさず手をひらつかせた。

真田の視線につられてわたしも一瞬、臣を見てしまったけれど。

教室でさえ目を合わせていないのに、つい見てしまった自分が癪だった。

でも、彼のことをわたしは自然と見る事が出来た。

瞬間合った目に、何色も混ぜないでわたしは横を向いた。


「仁王!手を休めるな!あと10回!!」


と、気付けば仁王は少し唖然とわたしを見上げていて。

真田はそんな仁王に気付いた途端に怒号を飛ばした。

大声すぎてこっちの耳が張り裂けそうだ。

わたしは慌てて真田にすがりつくように言った。


「あああ!ちょっと待って真田!昨日のはわたしが悪かったの!仁王悪くないの!だからもう許してあげて!!」

「む……?」

「昨日、不良に絡まれてるとこを仁王が助けてくれて、仁王が家まで送ってくれたの!だからこれで終わりにしてあげて!!悪くないの!寧ろヒーローなんだよ!」


ちょっと誇張表現だけど……強ち嘘じゃないはずだ。

わたしは必死に真田に頼んだ。

真田はそれでも、「む、しかし……!」とか言っていたけど、そこへ幸村が「もういいんじゃない弦一郎?」と入ってくれた事でなんとか真田の折檻を阻止することが出来た。

幸村には感謝だ……と思っていたら、真田が立ち去った直後、仁王がその場に倒れ込んだ。


「わあ!に、仁王大丈夫!?」

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……どうしたんじゃ、お前さん……」


仁王のこんな顔、見たことなかった。

無理もない。だって腕立て200回だ。わたしだったら間違いなく死んでる。

無論、仁王も心底死にそうだと言わんばかりの表情でわたしを見ていた。


「だ、だってわたしのせい……」

「はぁ……はぁ……別に、お前のせいじゃな……はぁ……」

「し、しんどい?」

「はぁ……ああ、この前に、グラウンド10周させられちょるからの……さすがにちと……はぁ……はぁ……」

「え……」


この前にもあったなんて。

鬼真田め……許せん。

ああ、わたしの登場がもう少し早ければ……!!


「……佐久間」

「えっ」


「お前が気にすることじゃないけ、そんな顔せんでええ」

「仁王……」


汗だくになっている仁王は息が整ったのか、しばらくすると立ち上がり、ベンチに掛けられていたタオルを取った。

乱暴に汗を拭いて、ぼうっと突っ立っているわたしを振り返る。

そんな仕草のひとつひとつに、わたしはすでに釘付けになっていた。

……わたしも随分、簡単な女だ。


「で、どうしたんじゃ?何か俺に用かの?」

「あ……う、うん」


「…………なんかあったか?」

「い……いや、その……」


うんと頷いてからもわたしが一向に喋ろうとしないので、仁王は首を傾げてわたしを見た。

その間に、真田が睨むようにこっちを見ていたから、仁王は「ちょっとは休憩させんしゃい!」と何か言う前の真田に先手を取って言い返す。

そのやり取りに、早くしなきゃという焦りが、緊張をより高めていった。


「実はあの……常盤さんから……」

「まさかあの女またお前さんに……!!」


「違う違う!!あの、全部聞いたの!!契約の話全部!」

「………………………………ピヨッ」


目を真ん丸にした仁王は、しばらく黙った後に付け足したようにそう言った。

ピヨッてなんだよそれ!と突っ込みたくなったけど、顔が熱くなってきていつもの調子が出ない。

あーもう意識しまくりだ!!


「んー……全部、ちゅうと……」

「ちゅ、中学の、時の、話から……」


わたしがつっかえながら打ち明けたら、仁王は「あー……」と言いながらまた黙って。

ぼりぼり頭を書きながら、ふっと溜息をついたかと思うと空を見ながら呟いた。


「…………そうか」

「うん……」


何度も訪れる沈黙。

どうしよう、何を言ったらいいんだろう。

仁王の顔をまともに見れなくて、わたしの目は完全に泳いでいた。

そろそろ仁王の傍に居すぎたせいか、仁王目当てのギャラリーの視線も痛い。

「練習中邪魔してんじゃねーよ」、なんて声も聞こえてきた。尤もだ。

早くしなきゃ、早くしなきゃ。


「……あの……」

「ん……」


「ごめん……」

「…………ええよ、最初から期待しちょらんし」


わたしが謝った瞬間、仁王はまた頭を掻きながら小さな溜息を吐いてそう言った。

期待ってなんだろう……わたしが仁王のペテンに気付くと思ったんだろうか。


「それに、今更じゃし?」

「え?」


「まあ……残念じゃけどの……」

「あ、あれ?ちょちょちょちょ、ちょい待った。仁王、なんか話噛み合ってない!」


何か仁王が勘違いしているような気がして、必死になる。

わたしがぶんぶんと手を振って仁王の言葉を遮ると、仁王はまた目を丸くしてわたしを見下ろした。


「あの、わたしが謝ったのは仁王のこと誤解してたから……でもまあ、仁王が誤解するように仕向けたんだからわたし悪くないんだけど……でも、何も知らずに酷いこといっぱい言ったから……そのことの、『ごめん』だから!」


わたしを慰めに来てくれた仁王に、わたしは酷いことを言った。

臣と同じゃない!なんて……あの時の仁王の顔、忘れられない。

本当は同じなんかじゃない。仁王はずっと、わたしのこと覚えてくれてたのに。

傷付いてた……瞳が揺れてた。


「ああ……なんじゃ……そういう意味か……安心した」

「……っ……」


わたしがそう言うと、仁王は本当に安心したように笑って。

その笑顔に、急に胸が苦しくなった。

仁王、こんな顔するんだ……ていうかもしかして仁王、ちょっと焦ったのかな。

どうしよう、だとしたら可愛い。


「……えっと……」

「……それで、お前さんはまた謝罪しに来ただけなんかの?」


「そ……えっと……」

「…………その様子じゃ、待っちょっても言うてくれそうにないのう」


ここに来てうだうだしているわたしに、仁王はまた優しく笑って。

そんな風に優しくされてるのに、わたしは恐れてる自分に気付いていた。

本気で恋することも、残された心の問題も。


「好きだ、佐久間」

「!!」


頭の中で悩み倒していたら、不意討ちで仁王からの告白。

心の準備が無かったおかげで、わたしの顔はあからさまに赤くなって。

だってそんなの!……ズルいよそんなの!!


「あの、あの、わたし……!」

「俺のこと、まだ好きかわからんのじゃろ?」


「……そ……えっと……」

「……好きになるんが、怖いんじゃろ?」


彼の声は、こんなに優しかっただろうか?

驚くくらいにわたしの中に浸透していって、天邪鬼なわたしを頷かせた。

変だ……仁王の前で、こんなに素直な自分が出せるなんて……。


「だって……わたし、面倒臭いと思う……触れられるの、怖いし……」

「…………」


「お、重たいと思う……きっとすぐ、仁王に夢中になっちゃう……だってもう、好きだなって……ちょっと思ってる」

「俺も好きじゃけど?」


「だ、そういう……!」

「そんな構えなさんなよ……」


仁王の声は柔らかくて。

いつの間にか近付いていた距離に、体は拒否しなかった。

トクトクと高鳴る胸の音が、あの日のことを思い出させる。

仁王も覚えてたってことだよね……カットバン、貼ってあげた日のこと。


「俺が怖いか……?」

「……怖くない……でも、怖いってなること、あるよ、多分……だって……見たでしょ?昨日……」

「ん……」

「わたし、仁王のこと傷付けると思――――」

「じゃったらそれ、俺を利用して傷付けながら治してみん?」

「え……」


その言葉にびっくりしてわたしが仁王を見上げると、仁王はゆっくり手をあげてきた。


「お前さんの恐怖心拭う為なら、俺は何度傷付いても構わん……」

「そ……」


「怖がらんで……俺はお前が好きじゃから。俺は絶対、お前を傷付けたりせん……」

「仁……」


辺りの音が一瞬消えて。

気が付くと、仁王の掌はわたしの頬に当てられていた。

騒めきが耳を突いて、はっとする。

遠くから真田の怒号が聞こえる気がする。

でも、今は何も怖くない。

不思議……魔法みたい……。


「俺のもんになって。今は好きじゃのうてもええから」

「……仁王……」


「ええ返事が貰えるなら、そのまま動かんで。怖くても、動かんで……」

「……っ……」


仁王はわたしの頬を少しだけ撫でると、その手をゆっくりと滑らせて。

今度は肩から腕を撫でるように、肘まで辿らせた。

わたしの体は少し怯えたけど、嫌じゃない!と心が反発した。

大丈夫、大丈夫……仁王なら、嫌じゃない。


「伊織……」

「えっ……」


初めて名前で呼ばれて、全身が脈を打つ。

仁王の声は優しくて、今まで聞いた誰からの「伊織」よりも、体が痺れた。


「嘘でもええから、俺のこと好きって言うてみんしゃい」

「仁王……」


「おうおう、そこは雅治っちゅうべきじゃろ?」

「あ……ま、雅……雅治……」


名前を呼ぶと目を瞑った仁王の表情が少しだけ微笑んでいて、嬉しくなった。

大丈夫……怖くない。


「好き……」


呟くような声で言うと、ゆらゆらとわたしの体が前に進んだ。

仁王がそっと、わたしの肘を自分に寄せていた。

目の前は突然、山吹色に染められて。

騒ついていた周りの声に悲鳴が交ざって。

わたしの記憶は、昨日借りたタオルの匂いを思い出していた。


「……今日も汗臭いかもしれんが」

「雅、治……」


「ん……伊織、抱きしめちょるよ。わかるか?」

「うん……わかる……暖かい……」


「そのぬくもり、今日からお前だけのもんじゃから……お前以外の女に、触れたりせんから」

「……仁王っ……」


震えていたわたしの手は、次第に動いて、彼の大きな背中を包んだ。

怖くない……少しだけ震えるけど……仁王が、好き……。


























「教室で待っちょって」


耳元で囁かれた声が頭にこびりついている。

あの後、真田に「いい加減にせんか!」と怒鳴られ、校舎に入るまでの道のりを嫉妬の声で埋め尽くされた。

そして教室に居た千夏には、「誰があそこまでしろっつったの!もう、こっちが恥ずかしい!」と、窓から様子を見ていたんだろう光景が安易にわかる激励をされた。

こっちだって恥ずかったんだよ……でも、嬉しかった……。


「伊織」

「……!」


数時間前まで佐久間と呼んでいた仁王は、わたしに何の躊躇いもなくそう声を掛けてきて。

すでに帰っていた千夏に聞かれなくて良かったと、変な安心感に見舞われた。(どうせ明日、聞かせることになるだろうに)


「待たせたのう」

「ううん……大丈夫。えっと、一緒に帰るんだよね?」


「それ以外にお前さんを待たせちょく理由はないじゃろ?」

「あ、うん……」


ゆっくり近付くと、仁王はさっと歩き出した。

付き合ってるふたりにしてはやけに開いている距離に、笑ってしまう。

わたしが怖がらないように……優しい仁王。

仁王はわたしのこと、本当に大切にしてくれてるんだって……それがわかって、嬉しかった。


「仁王」

「雅治」


「あ……雅治」

「なんじゃ?」


すかさず言い直させる雅治は、なんだか可愛く見えた。

名前で呼んで欲しいなんて、ずっと思ってたのかな。


「手……繋がない?」

「……大丈夫なんか?」

「わかんない……でも、雅治に早く治して欲しいから」


わたしが彼の目を真っ直ぐ見て手を差し伸べると、雅治はきゅっとその目を細めて笑ってくれた。

触れ合う指先は少し痺れて、でも同時に、これはあの日の再現のようだと懐かしく思う。

ほら、やっぱり怖くない……。


「伊織」

「ん?」

「この手、俺専用じゃの?」


その返事とばかりに、少しだけ強く握り返すと、同じように返してくれた。

わたしはきっと、あなたの魔法にかかってる。

だからどうか……この魔法を、ずっとずっと、解かないで――――。


















fin.



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