熱_02
「なぁ伊織」
「ん?」
「俺と寝たいと思わねぇのか?」
「…………は?」
「やっぱりお前は、他の女と違うな」
「ねぇ景吾、病気?」
熱
2.
伊織に出逢ってから、3ヶ月…車の中で、俺達は淡々と話していた。
「あーん?…まぁ、そうかもしれねぇ」
「認めるんかいな…」
少し溜息をついて窓の外を眺めている伊織の頭を、俺はふと見つめた。
時々、このまま手を伸ばしてそれに触れたいと思うことがある。
…これは病気って言うんだよな?…伊織…。
「女がみんな、景吾と寝たいって思ってると思うの?」
「いや、そうじゃねぇ…だが…俺の周りにいる女で誘ってこねぇのはお前だけだ」
そう言いながら俺に振り返った伊織の髪の毛が揺れたことで、シャンプーの香りが少しだけ漂い、俺様の鼻をくすぐる。
その香りに程好い胸の高鳴りを覚えて、俺はすぐに正面を向いた。
「……ねぇ景吾、病気?」
「…殺すぞ?病気だっつんなら、その女どもだろうが」
「まぁ…ねぇ…でも、わかんないなぁ」
「あーん?何が」
「だって、その女の人達だって、景吾にとって自分が遊ばれてるってこともわかってるはずだよ。きっと、自分が振り向かせるって思っちゃうんだろうけど…」
「……だから?」
「私は嫌だなって。私は自分だけ見てくれる人じゃないと嫌だよ」
俺がどんなにお前だけを見ると言っても、お前は俺を拒むのか?
たったそれだけを聞く勇気が、この俺様にないんだからな。
…笑えねぇぜ。
「ふん…お前の男はお前だけ見てんのか?」
「当たり前。つーかいい加減ちゃんとした恋愛しなよー…侑士も言ってたよ?」
「あの野郎の説教は聞き飽きた…ほら、着いたぜ」
伊織に出逢って、この厄介な病気に気が付いてから、俺は女と寝る事をやめていた。
意識的にやめたわけじゃねぇ…それは無意識に、俺の身体が拒絶した結果だった。
穢れた体を洗い流すには、時間がかかる…伊織に触れることは許されねぇような気がしていた…この時の俺には。
「へぇ…こんなとこに…景吾ってやっぱり顔広いよねぇ…」
「ふっ…まぁな。行くぜ」
「うん!」
俺が伊織を連れてきたのは、少し隠れたところにある靴屋だ。
なんでも、伊織の付き合っている男が国家公務員試験の1級に合格したことで、その祝い品にと、一番見られちまう靴を買ってやるらしい…。
まぁその靴とショップ選びに、手っ取り早く俺様を使うことにしたってことだ。
…他の女なら付き合わねぇが…伊織の頼みじゃ断れねぇ…。
「どれがいいんだろ…うーん…」
「どれでもいいだろ、この店においてある靴に間違いはねぇ」
「わかってるよ…だけど…!景吾も一緒に選んでー!」
「あーん?何で俺が…!」
何で俺が、惚れてる女の惚れてる男の靴を選んでやんなくちゃならねぇんだ…なんだよ、自分で言ってて意味がわかんなくなってきたぜ…まぁいい。
結局、それから伊織は3時間悩んで…(女の買い物は伊織も例外になくうぜぇ)やっと靴を選んだ…庶民にしては高いであろう買い物に、俺は複雑な心境になった。
「…伊織、持ってやる…貸せ」
「えっ…景吾いいよ!」
大きな紙袋と重たそうな鞄を持って一生懸命に歩く伊織を見て、俺はすぐに手を差し伸べた。
…こんな風に女に出来たことは今まで一度だってねぇ…。
だが、その時の俺は自然とそうした…無意識に…無我の境地みてぇだな。
「いいから貸せよ。ただでさえ重たそうな鞄持ってんじゃねぇか」
「あ…ありがと…なんか…景吾って…それだからモテるんだろうね」
……あーん?何言ってやがる。
俺が何も言わずにそう顔で訴えて伊織を見ると、伊織は、だからー、と言って話し始めた。
「容姿端麗、お金もあるし、勉強も出来るしプロテニスプレイヤーだし将来有望!その上、こんな風に優しくされたら世のお姉さま方はメロメロになるわそら…」
「……メロメロって今時言わねぇだろ…」
つーか、女の荷物持ったのなんか初めてだぜ…。
口が裂けても言えねぇけどよ…。
「うっ…わ、悪かったわねぇ…」
「…お前はそうはなんねーんだろ?」
伊織の顔を覗き込むように聞いてみた。
ふっ…この俺様が、女に探りを入れるまで溺れちまうとはな…。
……やっぱり笑えねぇな…。
だが俺の少しの期待とは裏腹に、伊織は躊躇うことなく言った。
「そりゃそうだよ!彼氏いるもん♪」
幾度となく伊織の口から聞いていた、【彼氏】という肩書き。
その肩書きを見たこともねぇ男から奪い取ってやりたいともがき足掻いている俺を、お前は知らねぇよな…伊織…。
「ふん…俺に寄って来る女の半分は男がいる女だぜ?まぁ…最終的にその男と別れちまって俺に本気になんだけどよ」
「はぁ…モテるのねぇ…」
女は、数え切れない程に俺に寄ってきた。
金…知性…容姿…正直、俺はその全てを持っている。
だから女は寄って来る…俺様がどんな男だろうと…。
「モテる」
きっぱりそう言うと、伊織は初めて逢った時の様な怪訝な顔を俺様に向けた。
それが可笑しくて、俺が笑うと、伊織も笑った。
伊織が笑うと、俺は嬉しかった…病気だ…完璧に。
「おい!」
「きゃっ!!」
「!?」
駐車場までの道のりを伊織のペースに合わせてゆっくりと歩いていると、誰だか、いきなり後ろから声をかけてきた男がいた。
しかも…伊織の肩を掴んで振り向かせやがって…いい度胸してるじゃねーか…野郎…。
「おい貴様―――」
「あああああ、ちょちょちょ、ちょっと待って景吾、違うの。違う」
俺がその男の手を掴んで睨み付けた時、伊織が慌てて間に入ってきた。
「あーん?違うって、何がだ」
「かか、彼氏…なの…この人。ていうか、どうしたの?こんなとこで」
その言葉に、俺はもう一度ゆっくりをその男を見た。
彼氏…だと?この男が…伊織の………この男が…伊織を抱いてるってのか…。
「…どうやら浮気じゃなさそうだな。あんた誰だ」
「……」
男は伊織の手首を掴んで俺様を睨みつけていた。
ふん…彼氏とやらは随分と嫉妬深い男みてぇだな…いきなりその態度は何だ…あーん…?
「…自己紹介もまともにしねぇでいきなりそれかよ…」
「失礼、俺は―――」
「いい。別に聞きたかねぇ。俺様は跡部景吾だ。何を誤解してんだか知らねぇが俺は今日、貴様の為に伊織に付き合わされたんだぜ…あーん?」
「ちょ、景吾!!」
「俺のため…?」
伊織が慌てて俺とその男を交互に見る。
久々だ…こんな感情は…イライラする…胸くそが悪い…伊織がその男を追う視線が、その男の肩に手を置く動きが…。
伊織と居る時に…こんな感情が沸いてくるなんてな…。
「いいだろ…どうせやるつもりだったんだろうが…これだ。伊織から貴様に贈り物だ」
「…あ、ああ…」
俺が持っていた紙袋をその男に押し付けると、奴は怯んだように俺を見た。
その顔に無性に腹が立って、俺は男を睨み付けた。
「伊織が浮気するような女じゃねぇことくらい、貴様は付き合っておきながらわかんねぇのかよ…あぁ?」
「……悪かった…」
「それは俺じゃなくて伊織に謝れ…」
「ちょ…け、景吾ぉ…」
伊織がどう考えても喧嘩を売っている俺の口振りに不安な顔を向けた。
…そんなにこの男が心配かよ。大事なのかよ。
…くそっ…やってらんねぇ…
「俺様は帰る。帰りはその男に送ってもらえよ」
「えっ…景吾…あ…あの、ありがとね!!今日!!」
俺の背中に向かってそう言った伊織の言葉に、俺は何の反応も出来ないまま歩いた。
+ +
「やぁっ…はぁっ…景吾!!」
「イッちまえよ…ほら…イケ…!」
「あっ…あぁ!!」
俺はその夜、ただ闇雲に女と寝た。
1人…2人…3人…3人目は、3ヶ月前、俺を殴ろうとして去っていった女の家で、何も言わず女を押し倒した。
伊織を想いはじめてから…一度も触れてなかった女を支配した。
「はぁ…はぁ…景吾…どうしたの…?私…も…壊れちゃうよ…」
「……」
女達の家に上がりこんで、ヤッて、酒を飲んで、またヤッて…俺とあんな別れ方をしても、女達は俺を受け入れた。
今日、最初に寝た女も、次に寝た女も、こいつも…今なら、この女達の気持ちがわかる…俺は最低のことをしている…本当に愛したら…受け入れちまう…どんなことも…そうなんだろ?
その5日後、伊織は何にもなかったように俺にメールしてきやがった。
ったく…人の気も知らねぇで…残酷な女だ。
しかし残酷さは…5日前や今までの俺も人のこと言えねぇよな…。
[景吾くん景吾くん、今日はお店が定休日です。ランチをご一緒しませんか?こないだのお詫びも兼ねて…ご馳走させて欲しいな〜♪伊織]
それでも、朝のランニング中に入ったメールにやはり残酷だと思った。
だがそれ以上に、伊織に逢いたいと素直に思っちまう…。
…全く、どうかしてるぜ……。
[今日はこれからトレーニングだ。ディナーじゃダメか? ご馳走はしなくていいからよ…。景吾]
[了解!いや、ご馳走させてもらいます!!伊織]
[じゃあ7時に。場所は後でメールする。ご馳走はいい。景吾]
[待ってます!いや、ご馳走…(しつこい)伊織]
伊織から来た最後のメールを見て、つい、顔が綻んじまった。伊織…早くお前に逢いたい…。
+ +
『いらっしゃいませー』
店に入って、見渡すことをしなくても、俺の目にはすぐに伊織が映った。
特別目立つ女でもねぇのに、俺にはお前しか見えてねぇみたいだな?
「よぉ伊織、粋な計らいありがとな」
そう言いながら席に着くと、伊織が疑うような視線を投げかけてきた。
「むー。本当に粋な計らいになるようにさせてね?絶対、私がご馳走するんだから!」
「くくっ…まぁいいじゃねぇかよ、つまんねぇこと言うなって。俺はお前に逢えただけで、満足なんだからよ」
俺がそう言った刹那、伊織が動かなくなっちまった。
俺が覗き込むような素振りを見せると、伊織はやっと動き始めた。
「……や、やだ景吾…なんかそれ、口説いてるみたいだよ…」
「…あ?」
俺から顔を少し背けて、伊織はそう言った。
若干、顔が赤くなっているような気も…したような、してねぇような…
「なんて顔、してんだ…」
「や、だって景吾すごいカッコイイの、わかってる!?そんな景吾に見つめられてそんなこと言われたら、誰だってびっくりするって!」
…。
なんだよ…びっくりかよ…こっちがびっくりしちまっただろうが…期待させんじゃねぇよ。
「テメー口説くくらいならあの店員口説いたほうがマシだな」
「…ん?…!ちょ、あの店員って、男じゃない!!」
「くくっ…」
「酷い…景吾のアホ…」
「ああ、冗談だっつーの…悪かったって…」
「うー…」
唇を前に突き出して伊織はむーっとした顔をした。
反則だぜ伊織…そういうのはうまく言えねぇが…卑怯じゃねぇか?
+ +
それから俺達は食事を済ませ、散歩がてらに夜の街を歩いた。
「けぇっきょく…景吾奢らせてくれなかったし…」
「ぶつぶつ言うんじゃねぇよ。奢らなきゃお前は明日死刑にでもなんのか」
「そうじゃないけどー…お礼のつもりだったのに…」
「あのな伊織よ、俺様は跡部財閥のぼっちゃんだ、な?女に奢られるような恥さらしな真似は出来ねぇんだよ、わかるか?」
「それ景吾のプライドの問題じゃない」
「あーん?プライドの問題で何が悪い」
「私と居る時くらい…プライド失くしたっていいのに…」
「…………」
やめろって伊織…そういう、思わせぶりな発言はよ…お前がそんなつもりなくてもな、俺はお前が好きなんだぜ…?
なんでもいいように解釈しちまうんだよ…だからやめてくれ…。
「……?」
伊織の発言に俺がつい黙り込み、俯き加減で歩いていると、隣で一緒に歩いていたはずの伊織が居なくなっていた。
「伊織…?」
ふと振り返ると、伊織が硬直して立ち止まってやがる。
目を見開いたまま動かねぇ伊織に、俺はゆっくり近付いた。
「おい伊織…どうした…?」
「……景吾……ここは…引き返そう?」
近付いた俺に気が付いた伊織は視線をゆっくり俺に預けた後、力なく、無理矢理に笑ってそう言った。
不思議に思った俺が振り返ってその先を見ると、そこは所謂、ラブホテル街だった。
「…あ、あーん?伊織よ、お前警戒しすぎだろ。俺様がお前を―――」
「違うの…違う…そうじゃないから…」
「違う…?」
そう言われて、俺はもう一度振り返った…その時…俺の目映ったのは…5日前に見た、伊織の男の姿だった―――。
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